2-15 歪められた理想
【Side イデアス】
何かに殴られたような鈍い痛みと共に、僕は元の世界に戻った。
「殺し損ねましたか」
耳に届いた物騒な言葉と共に、目を開く。
すると剣を構えたハーネストが、倒れた僕を見下ろしていた。
けれどその構えは刃ではなく柄を前にしていて、殴打されたのだと理解する。
(意識のない間、散々痛めつけられたのか)
けれど殺されなかっただけ、温情だろう。
ハーネストも《契約者》を守る《騎士》だ、別に善人じゃない。
(むしろ事故を装って、僕を殺してしまっても良かったんだから)
アドールの影を追い求めていた頃の僕であれば、間違いなくそうしていた。
それを考えれば、文句なんてとても言えない。
(こういうところが、インフェリカの理想なのかな)
痛む体を無視して立ち上がりながら、そう思う。
暴走した僕と違い、ハーネストは卑怯な行動をしない。
そのせいでおかしなことをしている時もあるけれど、根本はインフェリカの願いで構成されている。
だから言葉がなくても、彼女の願いを体現できる。
「すまない、迷惑をかけた」
「インフェリカは無事ですか」
ちらりと僕を見た後、ハーネストは主人の生存確認を行う。
彼にとって一番大事なのはインフェリカだから、当然だ。
「無事だよ、もう《台本》の中からこっちに来てるはずだ」
シアトに操られた後、僕の意識は肉体から剥がされ、《台本》の世界に囚われていた。
だから僕の意識は肉体にそのまま戻ってきたけれど、彼女は生身であの世界に来ていた。
となれば彼女は図書館から、心身ともにこちらの世界へ戻っているはずだ。
「ならいいです、彼女が来るまでに片付けましょう」
ハーネストが目を向けた先には、僕の世界から追い出された少年がいた。
外面は見慣れた、僕の元《契約者》の姿。
そしておそらく彼にとっては、自身の《召喚者》でもある。
「僕のおかげでこの《舞台》に立てたというのに、歯向かう気か?」
「黙りなさい、あなたは《召喚者》であって《契約者》ではない。それに私の姿はあなたの現身、だから分かるのですよ」
(……?)
淡々と話すシアトと、嫌悪感をむき出しにするハーネスト。
けれど彼らの会話に、ふと違和感を感じた。
(ハーネストの姿が、あの少年に関係がある?)
《騎士》は《契約者》の願いにて、理想の姿を形作る。
だからハーネストはインフェリカの好みによって作られているはずだ。
けれど僕の疑問を察したハーネストが、首を横に振って否定する。
「私の姿は、理想の反転によって作られています。理想への憎悪故に、私が作られたのです」
「意味が、分からないんだけど」
彼こそが、インフェリカの理想だと思っていたのに。
じゃあ、インフェリカの理想とは何なのか。
けれどその答えが出る前に、ハーネストは僕の前に進み出た。
「イデアス、気をつけて。彼の姿は、彼にとって仮初でしかない。正体は全く別のものです」
僕を相手取っている時よりもよほど強い殺気を、少年を睨むハーネストが放っている。
そんな彼を、僕は初めて見た。
「世界を滅ぼす者、お前の思考はあまりにもおぞましい。インフェリカが生きる世界に、お前を残しておくわけにはいかないんです!」
(そうだ、今はあの少年の排除が先だ)
少年に容赦なく切りかかるハーネストを見て、僕も考えるのをやめる。
気になるところは山程あるけれど、今はそれより優先すべきことがある。
「最初に会った時から思ってたけど、僕を相手にずいぶんな姿だ」
シアトは全盛期のアドールの姿を模している。
僕が求めてやまなかったもの、だからこそ彼の姿をとったのだろう。
けど今じゃ逆効果だ。
「君はアドールじゃない、彼の姿を模しているだけ」
求めていたものは、手に入れてはいけないものだとようやく分かった。
だからもう、彼には届かない方がいい。
「僕の今の《契約者》は、インフェリカだ!」
ハーネストに続いて、少年の体を剣で叩き斬る。
するとあの世界と違って、確かな手ごたえを感じた。
けれど逃げるそぶりもなかったことに、違和感が残る。
「そうだな。確かに今の僕の姿は、ただアドールの魔力から再構成しただけのものだ」
にい、と少年の口が横に広がる。
それは笑みの形を取っているはずなのに、どうしようもなく不気味に感じた。
「だが、僕の本質は変わらない」
彼はおもむろに《台本》を取り出し、その紙に触れる。
瞬間、隣にいたハーネストは膝をついた。
そして僕にも、覚えのある感覚が襲いかかる。
(インフェリカと契約する前の、《舞台裏》にいた時と同じ感覚だ)
言いわけになるから今まで言わなかった、魔力を通して誰かに操られている感覚。
二度目の召喚の時から、無理やり感情を増幅されてしまっていた原因。
(でもどうして、召喚を繋ぐ存在は)
けれどそれ以上、悠長に考えられる時間はなかった。
彼が持っている《台本》から漏れ出る魔力は、インフェリカと同じ色をしていた。
そして端から、それとは違う色の魔力も見え隠れしている。
(次はハーネストを操る気か!)
思えばインフェリカは、ハーネストに《台本》を渡されていなかった。
彼を避けていたせいでついに話せなかったが、不思議には思っていた。
インフェリカが彼の台本を持っているところを、見たことがなかったから。
(渡さなかったんじゃなくて、渡せなかったのか)
《騎士》が《契約者》に、抵抗する手段を持たせることは義務に近い。
《契約者》は、力で勝る《騎士》にどうやったって勝てないのだから。
その状況が発生するとしたら自身がおかしくなっている時、または《台本》が手元にない時くらいだ。
「《お前にも、物語を構成する一部となってもらおう》」
シアトの持つ《台本》の色が、全く別の色に塗り替えられていく。
僕の時もそうだったが、あの少年は一瞬にして《台本》を塗り替える。
(どんな魔力量をしているんだ)
アドールともインフェリカとも同じ人の形をしているのに、別の生き物に見えてしまう。
そしてその生き物は、どういうわけかハーネストを手駒に選んだ。
「手段を選んでいられなかった。あなたと同じです」
ハーネストの呼吸が、何かに抗うように荒くなる。
鎧の隙間から、影のような何かが蠢いているのが見えた。
(浸食が始まっている)
僕を侵したものが、今度はハーネストを侵している。
淀みが、だんだんと彼を覆い尽くす。
「結局、私も混ざり物なんですよ」
諦めたように、ハーネストが言う。
本来《騎士》と言うものは、《契約者》に繋がれている。
けれど彼も僕と同じで、正規の《契約者》に召喚されていない。
(召喚された際、シアトに繋がれてしまったのか)
《召喚者》と《契約者》は、必ずしも同じじゃない。
そして《騎士》に対する強制力は、《台本》を所有する者に与えられる。
(だからハーネストは、あの少年に操られてしまった)
さっきの僕も同じ状態だった。
そして僕と違い、彼は存在する為に使う魔力もあの少年から供給されているのだろう。
(ハーネストが、インフェリカから魔力を受け取っているところを見たことがない)
おそらく、魔力欠乏に陥った彼女を慮ったのだろう。
なんにせよ、状況はあの少年が有利だ。
しかし彼はこちらには来ず、不意に別方向に顔を向けた。
(僕を倒す気はない? ……いや)
そしてその視線の先に引き寄せられるように、ハーネストはふらふらと足を動かしている。
その先には、時機悪く辿り着いた少女が立っていた。
(狙いはインフェリカか!)
魔法で無理やり脚部を強化して、僕もハーネストを追う。
幸い彼の得物は大きく、僕よりも数段動きが鈍い。
インフェリカに辿り着く前に、僕はハーネストを後ろから殴りつけて引き倒した。
「ハー、ネスト?」
インフェリカも不完全ながら状況が分かったらしい。
けれどハーネストから殺意を向けられて、固まっている。
(僕と同じように《台本》を破壊するか? いや、彼の《台本》は一冊だ)
《台本》が二冊あった僕のように、乱暴な手段を取るわけにはいかない。
あれがなくなれば彼は、完全に制御ができない《騎士》になってしまう。
(ならどうすればいい?)
力自体はこちらの方が上だ。
勝つこと自体は難しくない。
(けれど殺したくない、彼はインフェリカの《騎士》だ)
ハーネストを殺せば、インフェリカが悲しむのもある。
けれどそれ以上に僕は、彼に生きていてほしかった。
(でもこのままだと押し切られる、その前に何とかしないと)
あっちは気を触れさせられて、力加減ができていない。
僕から逃れようと、ハーネストは剣を握る手をめちゃくちゃに動かしている。
そのせいで近くにあったものは粉々になってしまっていた。
それに敵は彼だけではな、
「お前も可哀想に」
(あぁ、遅かった)
僕に向けられていない、小さな声が耳に届く。
声の元を目だけで見やると、少年がインフェリカに話しかけていた。




