2-09 破滅を告げる鐘の音
(イデアスを助ける準備をしないと、……?)
シアトと戦う準備をするために、自分の部屋に戻ろうとしていた。
すると、遠くで重い金属が鳴る音が響き渡る。
窓の外を見ると、街の中心にある時計塔の鐘が大きく揺れて音を立てていた。
(時計塔が動いてる? でもどうして、今まで鳴っていなかったのに)
今更、という言葉が頭を駆け抜ける。
あれは私が知る限り、一度として時間を知らせる役目をこなしていない。
(だから単なる飾りだと思っていたのに)
そもそも、あの時計には普通の文字盤がついていない。
針も一本で、今はちょうど一番上を――
「これは《破滅》が始まる音だ」
「っシアト!」
いつも通りに、音もなく神出鬼没に。
おじいちゃんの姿をした何かは、いつの間にか私の隣に現れた。
そして部屋の外から、猛烈に扉を叩く音がする。
「インフェリカ、そちらは大丈夫ですか!? 扉を開けてください!」
異変を察知したハーネストがこちらに来ようとしたみたいだけれど、一歩遅かった。
不法侵入を完遂した少年は、我が物顔で家を操る。
「少し話をさせろ、《お前の出番はまだ先だ》」
ぱちんとシアトが指を鳴らすと、とたんに部屋は静寂に包まれる。
一切外の音が聞こえなくなり、壊れるんじゃないかと思う程叩かれていた扉越しの音が途絶えた。
「ハーネスト!?」
「遮音魔法をかけただけだ、心配するな」
声すら聞こえなくなった自分の《騎士》を案じて、私は扉に駆け寄ろうとする。
けれど彼は音を閉ざす魔法を部屋に張っただけだと主張し、ふわりと私の前に立ちふさがった。
(もちろんシアトの言葉なんて、信じられない)
ハーネストの安全をこの目で確認できない以上、彼の言葉は鵜呑みにできない。
けれど、私にできる抵抗もたかが知れてる。
「それで、話って何? 私はイデアスを返してって話しかできないよ」
何の準備もしていない今、用意できる武器は敵意だけだ。
一応護身用の短剣は握り締めているけれど、魔法が達者な相手に一人で戦えるとは思っていない。
だから私は虚勢を張りながら、怯えを隠して話し合いの場につく。
そして開口一番、シアトは嘘をついた。
「残念だが、奪えなかったものは返せない」
(なに、それ)
私を嘲笑うように奪ったくせに、彼はイデアスを奪っていないと宣った。
だから一瞬驚いて、けれどすぐに私の中で焼き尽くすような火がつく。
「あれだけ目の前で堂々と!」
「そうではない、《話を聞け》」
まくし立てようとする私の言葉を遮って、シアトは話を聞くように言い聞かせる。
言葉に魔力を乗せて、私の意志を操ろうとする。
だからそれに丸め込まれるものかと、私は抵抗しようとした。
けれどその魔力であることに気づいてしまい、口がうまく動かなくなる。
(な、んで)
子供をあやすように、魔力を含んだ彼の声は安堵を私に植えつける。
それは心の奥底に未だ残っている、聞いたことがあるものだった。
(おじいちゃんの、声じゃない)
姿こそ、声の質こそおじいちゃんのそれに似ているけれど、私には別の人を思い出させる。
けれど目の前の彼は、そんな私に構わず言葉を続けた。
「確かに支配したが、それは肉体だけだ」
そう言いながらシアトは、自身の手を掲げて見せた。
魔力こそ出ていないけれどそこは裂けており、何者かに傷つけられたことを示している。
さらに彼はイデアスを操った時に使った、私のものではない《台本》を取り出す。
しかしその《台本》はずたずたになっており、表紙が取れかけてしまっていた。
「魂は元の《台本》に奪われ、残された肉体には手酷く抵抗された。逃走を許してしまうくらいにはな」
(良かった、逃げられたんだ)
無事を確認できたわけじゃないけれど、それを見た私は少し落ち着いて胸を撫で下ろす。
少なくともイデアスが今は人質として痛めつけられたり、殺されてはいなさそうだ。
「だから今はどちらのものでもない、手に入れた方のものだ」
(なら、先に会わないと)
行方不明になってしまったイデアスに、一刻も早く会わなければならない。
捕まっていないことには安心したけど、もしかしたらもっと厄介なことに巻き込まれている可能性もある。
彼の言う肉体、というのも気になるし。
(あぁ、でもその前に)
一つ、私はシアトの言葉を訂正しなければならない。
彼はイデアスの所有権に対して、決定的な思い違いをしている。
「イデアスが誰といるかは、彼が自分で決めるよ」
イデアスがシアトの物にならなかったからって、私のものになるわけでもない。
彼の絶対的な存在は、前の《契約者》であるおじいちゃんだけ。
(彼はもう自由だ、それをうまく扱えていないだけで)
《騎士》の性質以上に、私への罪悪感がイデアスを縛りつけている。
彼は思ったより真面目で、だからこそすぐには解放できない。
だから時間をかけて、少しずつでもそう伝えていくつもりだった。
「ではこの戦いには」
「乗るよ、守るって決めたから」
私の《騎士》にならないからって、見捨てようとは思っていない。
主人じゃなくて、同じ傷を持つ者として彼を助けたかった。
すると私の答えにシアトは満足したのか、少しだけ口角を上げながら口を開いた。
「なるほど。では舞台に上がる《役者》には情報を出そう」
「なに?」
これだけ好き勝手しているシアトから、助言をもらうのは癪だ。
けれど今は、使えるものなら使うべきだと割り切って耳を傾ける。
でも彼の言葉は、私の理解が及ばない場所にあった。
「お前が救うべきは肉体ではなく、その魂だ」
「…………意味が分からないんだけど」
手助けとして出された情報なんだろうけど、分からなければどうしようもない。
けれどシアトは今の一言で十分だと思ったのか、指を鳴らして扉の鍵を開錠する。
「《騎士》の魂が、無意識下でどこに向かうか考えると良い。では、《開演》だ」
「インフェリカ、無事ですか!?」
シアトが消えると同時に、部屋にハーネストが転がり込んでくる。
そして息をつく間もなく、窓の外から悲鳴が聞こえた。




