1-02 空虚の学園と神出鬼没の後輩
毎日、私は《騎士》と過ごすための勉強を重ねている。
だから今日も学園に足を運び、教師の講義を聞いていた。
清潔で空虚な、白亜の檻。
(来ない人も結構多いけど)
この教室に初めて来た時には満席だったけれど、今はずいぶんと空いている席が目立つ。
自分の《騎士》が召喚されてしまえば用はないから、まあそういうことだ。
(別に、友達を作る場所でもないし)
《契約者》が関わるべきは召喚する《騎士》であり、他はせいぜい家族くらい。
でも《騎士》に比べたら、家族との関わりなんてたいしたものじゃない。
(重要なのは召喚される《騎士》を迎え入れ、共に過ごせるように知識をつけること)
教師もそれが分かっているから、空いていく席に言及しない。
教室がからっぽになるまで、約束事を言い聞かせるだけ。
(ここで習うのは、主に召喚した《騎士》について)
とは言っても基本的には、今までにした勉強の繰り返しでしかない。
《契約者》が《騎士》を存在させ続けるために、魔力を与えなければならないこと。
《騎士》が《契約者》を守るために、魔法を使う場合があること。
《台本》と呼ばれる本を使用することで、《騎士》への強制命令権が生まれること。
(大事ではあるけれど、既に知っていることばかりだ)
けれど他に行く場所もないから、今もここに来ている。
《騎士》は召喚したけれど、彼と一緒にはいれなかったから。
「あなたの場合は特殊です。本来は召喚とは、《騎士》とはあなたの理想を反映して一から作られるもの。既に存在したものに選ばれるなんて聞いたことがありません」
一応相談した教師も、困り顔だった。
やはり前例のないことらしい。
(打つ手はなし、か)
最初は《騎士》の話を、事前に聞いたのが原因かと思った。
けれど、そもそも他人の《騎士》が召喚されたなんて聞いたことがない。
その程度の条件で起こる事象なら、私の他にも誰かいるはずだし。
「なに悩んでるの、先輩」
「……ジェラ」
すぐ家に帰る気に起きなくて、授業が終わった後は学園の隅でぼんやりしていた。
すると後輩のジェラが、話しかけてくる。
緑の髪と瞳の、私より小さな釣り目で無愛想な少年。
あまり容姿には頓着していないのか、風にさらされたようにいつも髪が跳ねている。
(気になるのは、制服がいつも私達と少し違うところ)
彼が着ている制服はエンブレムやボタンの意匠は、私の制服と似ているようで差異がある。
しかも会うたびに色や形が変わっていたりするので、少し不思議だ。
(追及するような仲でもないから、聞かないけれど)
この世界じゃ自分の《騎士》以外との交友は、推奨されていない。
万が一にも、《騎士》との関係性にひびが入らないように。
彼だって、それは分かっているはずだ。
なのに。
(ジェラは私の前に現れる、どうしてなんだろう)
どことなくつんけんしているから、仲良くなりたいわけじゃないと思う。
それにいつも鋭い瞳で見てくるから、私が気に入らないのかもしれない。
(けれど話しかけてくるから、よく分からない。無視すればいいのに)
友達と称する親しさはない。
けれど他人という程、接点がないわけでもない。
行動原理が不明な男の子。
でも私が落ち込んでると、どこからか察知して話を聞いてくれる。
「やっと《契約者》になったのに、全然喜んでないね。見ててうんざりするくらい、ずっと待ってたのに」
「思ってたのと全然違うし、実感がないの」
遠慮のない後輩の言葉に困り果てながら、私は答える。
出会ってからほとんど、私はイデアスと行動を共にしていない。
理由は単純、肝心の彼がおじいちゃんから離れないからだ。
(召喚されてすぐに、イデアスの興味から私は外れた)
私に挨拶を終えたイデアスは、きょろきょろと部屋を見回していた。
最初はこの部屋に何かあるのかと思ったけれど、そうじゃないらしい。
「アドールの魔力を感じるけど、他にも兄弟とかがいるのかな」
「兄弟ではなく本人です」
アドールというのは、私のおじいちゃんの名前だ。
私を育ててくれたけれど、今は寝たきりで言葉もしゃべれない。
だから今度は私が毎日薬を作って、お世話をしている。
(一応、今は容体が安定してるけど)
そしておじいちゃんがここにいると聞かされた《騎士》は私の答えを聞いて、固まっている。
どうやらおじいちゃんは死んだと思われていたらしい。
(けれど、それは間違いだ)
おじいちゃんから聞いた話によれば、彼との契約が切れた原因は生まれつきの病による魔力不足。
実際はイデアスとの契約が切れた時点で魔力に少し余裕ができ、元気じゃないけれど生き長らえている。
「本当に、生きてるんだ」
澄まされていた彼の顔が、徐々に喜色を帯びる。
枯れていた植物が、生き返るみたいに。
「よければ案内しま「いいよ、自分で行く!」」
最後まで言い切る前に、扉が乱暴に開く音が聞こえた。
目の前にいたはずのイデアスは、もうここにはいない。
(おじいちゃんの元へ走っていったんだ)
消えてしまった彼を追って、私もおじいちゃんの部屋へと続く廊下を歩いていく。
そして扉を開けると、やはり涙の再会が行われていた。
「ああ、良かった。本当に生きていたんだね……!」
寝台の上で動かないおじいちゃんにすがりついて、彼は泣いている。
この瞬間から、イデアスはおじいちゃんから離れなくなった。
「正直言えば、何だか怖いの」
情けないけれど今の状態を晒け出して、年下の彼に相談してみる。
《騎士》と名乗る彼が、私の為に召喚されたはずの彼が恐ろしいのだと。
《騎士》を召喚したのは初めてだけれど、それでもなんだか違う気がすると。
「何かが、決定的にずれているような気がするの」
そう思わせる要因は、彼の行動だけじゃない。
召喚された直後に渡された《台本》も、実は不安の種の一つだった。
《台本》は《騎士》への命令を強制できる道具だ。
けれどあれは、《契約者》の魔力が合致してないと使えない。
(あの日渡された《台本》は私の魔力じゃなくて、おじいちゃんの魔力でできている)
《台本》に触れて、すぐに気づいた。
今までずっとおじいちゃんの魔力を補填する薬を作っているから、分かってしまった。
(それに《台本》の表紙には、いまだにおじいちゃんの名前が書かれている)
《台本》には《騎士》と《契約者》の名前が記載されるが、《契約者》の名前はアドールとなっていた。
つまり私の《台本》は、いまだイデアスから渡されていない。
(それで問題なのは、私がイデアスに対しての命令権がないこと)
《騎士》は《契約者》に従うけれど、あくまでそれは自発的なものでしかない。
だから強制的な命令は《台本》を通じて行うのだけれど。
(いざっていう時に、これじゃ何もできない)
普通ならそんな心配なんてしないんだろうけど、彼には言い表せない不安感がある。
ちなみに命令権を得るだけなら、《台本》の表紙に書かれたおじいちゃんの名前を削り取る方法もある。
(けど、なんだか嫌な予感がする)
おじいちゃんを慕っているイデアスが、いい顔をしないだろうという気持ちもあった。
イデアスの様子を見るに、前の《契約者》を蔑ろにする行為はやめた方がいいだろうし。
(でも、少しづつは変えさせてもらわなきゃ)
彼の心がどうであれ、今のイデアスの《契約者》は私だ。
だから今は《台本》を、徐々に私の魔力で染めようとしている。
けれど結果は惨憺たるもので、私の魔力は《台本》に拒絶されてしまっていた。
(まあ完全に塗り替えるには膨大な魔力が必要だし、どちらにせよすぐに解決はできないんだけれど)
だから《台本》は一時的に魔力に戻して、私の魔力に混ぜて収納している。
けれど自分の魔力の中に別の魔力があるのは異物感というか、微妙な不快感を伴う。
(本当に、私の物じゃないんだ)
実感を伴う、完全な手詰まり。
これ以上はどうしようもないし、しばらく様子を見るしかない。
ジェラへの相談だって解決のためにしたんじゃなくて、少しでも気持ちを落ち着かせたかったからだ。
(《騎士》が召喚されたのに、こんな風になるとは思ってなかった)
《騎士》さえ召喚されたら、何もかもがうまくいくと思っていたのに。
そんな考えが、子供の空想より浅はかなのだと思い知らされる。
けれど黙って聞いていた後輩は私を笑わず、誠実に答えを返してくれた。
「ずれてる、っていうのは正しいと思う」
「え?」
意外なくらい真面目に、彼は言葉を返してくる。
ジェラは皮肉で返答することが多いから、正直驚いてしまった。
けれど、何かが彼の琴線に触れたらしい。