1-10 青花の短剣と、妖精の噂
「そうだ、あなたは武器を持っていますか」
「いえ、ありませんけど。どうしました?」
何度目かのグリーフさんとの夜遊びで、急に話題が物騒になる。
けれど、完全に脈絡がないわけでもなかった。
「前にも言った通り、少し不用心だと思いまして」
(やっぱり)
理由があるとはいえ、私が《騎士》を伴わず出歩いていることを彼は気にしている。
でも私だって、今まで本当に丸腰で歩いていたわけじゃない。
「一応、持ってはいるんですよ。短剣」
そういうと私は魔力を形成して、手元に短剣を取り出す。
これも《台本》と同じように、普段は魔力に還元して持っていた。
「使ったことはないんで、意味ないんですけどね」
意識がまだある頃に、おじいちゃんが護身用にくれたものだ。
けれど使う基準が難しくて、有効活用できていない。
(簡単に刃物を人へ向けたくないし、本当に危険な時はそこまで頭が回らない)
だからイデアスが人を襲っていた時も、存在を思い出せなかった。
けれどグリーフさんは私が武器を持っていると聞いて、ひとまず安心したようだった。
「なら誰が敵になったとしても、躊躇してはいけませんよ。あなたを害そうとするのなら」
「イデアスくらいですよ、敵なんて」
彼以外、私を襲う理由がない。
戦う戦わないという話なら先日見た模擬戦か、契約が絡む時くらいだろう。
(襲われる価値すらないんだ、私)
改めて自分の価値を突きつけられて、自嘲の笑みに口角が上がる。
けれどグリーフさんはそれを笑ってくれず、肯定もしてくれなかった。
「そうとも限らないですよ、世界にはあなたの知らない危険が満ちています」
「じゃあ、気をつけますね。あんまり自信ないですけど」
心配してくれているのは分かっていたから、形だけ頷いておく。
きっと私は本当に危機の前で、成す術もなく殺されるけど。
(だって、抵抗してまでして生きたいとも思わない)
けれど彼がそれで安心してくれるなら、これだって価値のある嘘になる。
実際グリーフさんは険しくなっていた表情を緩めて、柔らかな空気を取り戻していた。
「えぇ、そうしてください。私はきっと、あなたを守れませんから」
「……はい、分かりました」
(そう、だよね。私の《騎士》でもなんでもないんだから)
穏やかに微笑みかけてくる彼とは反対に、水を浴びせられたように私は現実に戻される。
結局は今までと同じだ、と思い至ってしまったから。
(それが正しいと分かっているのに、胸が勝手に苦しくなっていく)
ジェラとだってそうだ、仲良くなっても最終的にはこうなるのが分かっている。
だからジェラとは話せない、ずっと彼は話しかけてくれているのに。
グリーフさんとは、何度も交流してしまっているけど。
(これじゃダメだ、話題を変えよう)
グリーフさんと遊んでいるのに暗い気分でいたくなくて、逃げるように視線を彷徨わす。
すると握りしめたままの短剣がきらりと光って、存在を主張した。
(……あ)
今更気づいたけれど、短剣には見たことのない花が彫刻されていた。
金属にしては鮮やかな、青い素材で作られた花。
「そういえばこの花は、なんて言う名前か知っていますか」
話題が変えられれば、なんでも良かった。
けれど博識な彼は、やはりすらすらと答えてくれる。
「神の奇跡、だったはずです。希少種と聞いていますが」
「へえ、どこに生えてるんですかね」
おじいちゃんの為に多少調べたりしていたけれど、それでもこの花のことは知らない。
少なくとも同じようなものは、私の生活圏内には存在しないはずだ。
けれどグリーフさんはそれより前、とそもそもの前提条件を疑い始めた。
「もしかしたら、この世界にはないかもしれませんよ」
「え?」
私の手元で輝く短剣を指さして、この世に存在しないものかもしれないと彼は言う。
であればこの花の着想は、誰かの想像上の産物なんだろうか。
けれど彼は問いの答えに、子供のような解答を示した。
「聞いたことがありませんか、妖精が別の世界から届け物をすることがあると」
「お伽話じゃないですか、それ」
ここに来て、急に現実感のない話をされる。
けれどグリーフさんの顔は、茶化している様子なんかどこにもなかった。
「魔法があるのに、妖精は信じないと? 《騎士》との繋がりも妖精の導きだと言われているのに」
「じゃあ、グリーフさんは信じてるんですか」
魔法は《騎士》が使うし、召喚する際にも必要となる身近な存在だ。
反対に妖精というものは聞いたことがあるだけで、一度たりとも見たことはない。
けれど彼は迷わず、私の言葉に頷いた。
「えぇ、妖精から直接言葉を受け取りましたから」
(……うそ)
口にこそ出さないけれど、彼の言葉を考える前に否定してしまう。
だって妖精に会った人がいるだなんて、信じられない。
今までそんな人、今まで誰もいなかったし。
「とは言っても、はるか昔ですけどね」
「なんて言ってましたか、妖精は」
少しだけあった距離を詰めて、彼の方に身を寄せる。
だって召喚を司る存在が本当にいるなら、イデアスのことも何か知っているかもしれない。
(思わぬところに、手掛かりがあったかも)
彼と遊ぶ時に、イデアスのことは考えないようにしていた。
けれど目の前に情報があるなら、話は別だ。
けれどはやる私の気持ちとは裏腹に、彼はまだ答える気はないようだった。
「今は秘密です、もう遅い時間ですから次にしましょう」
前傾姿勢になっていた私を押し返すように、彼は私の鼻先をちょんと押す。
確かに空を見ると月が空高く上がっていて、ずいぶんな時間となってしまっているのが分かった。
(詳しい時間までは、分からないけど)
街の中央に一応時計塔があるけれど、あれはもう飾りだ。
鐘はあるものの音なんて聞いたことがないし、針も一本しかないから。
「分かりました、でもちゃんと聞かせてくださいね」
「えぇ、必ず」
大人しく引き下がる、だから代わりに次への約束を取りつける。
変に押し通して嫌われてしまうのを避けるのが、一番の理由だ。
(だから彼の怪我についても、いまだ聞けていない)
その傷は触れていいものなのか、あるいは触れて欲しくないものなのか。
包帯の数が増えている気がするけれど、痛む場所はないのか。
けれどそれ以外にも、理由はある。
(約束を取りつければ、私がまた会いたいと思っているって伝えられる)
それが守られるかなんて分からないからこそ、口実を作り出す。
彼は本来私とは何の関係もないから、直接会いたいとは言いづらい。
けれど、もし会えなくなったとしても。
私がまたグリーフさんに会いたいと思っていると、知っていて欲しかった。
(もう二度と、あんな思いはごめんだもの)
忘れたいと願っているのに、頭上に輝く懐かしい光がそれを許さない。
姿を見せない星の輝きが、未だ私の胸を燃やし続けていた。