1-01 夢の終わり、開演の刻
この世界でただ一人、私は自分のための《騎士》を召喚できなかった。
【Side インフェリカ】
「この世界では妖精の導きで、理想の《騎士》と繋がれる。いつか、お前の前にも現れることだろう」
ひとりぼっちだった夜の窓辺に現れた、夜空みたいな髪と瞳の青年は幼い私に語った。
子供に聞かせる童話のように、けれど必ず起こるこれからの話を。
「お前の祖父も《騎士》を召喚している、彼らはとても良い取り合わせだった」
昔を思い出すように遠くに向けられた瞳が、星のように瞬いているのが印象的だった。
普段は無機質なのに、《騎士》の話をする時だけは輝いて見える人。
「《契約者》と《騎士》は一対だ、だからお互いを求めてやまなくなる。そういう風に作られた」
《騎士》は《契約者》の魔力から作られ、《騎士》は《契約者》に絶対の忠誠を誓う。
そして《契約者》の魔力を糧とする彼らは、身も心も《契約者》の理想の形をしていると言われていた。
(何度も聞いた、おはなし)
普段なら、そこで物語はおしまいだ。
でも今日は私の誕生日だからかもしれない、もう少しだけ彼の話は続いた。
「そのような《役者》達であれば、来たるべき《破滅》も越えられるのではないか。そう僕は期待している」
希望を語る口から、突然滅びが告げられる。
ぼんやり聞いていた私はちょっとだけ驚いて、それから彼に聞いてみた。
「はめつって、どんななの」
「お前達を襲う《破滅の獣》が現れ、魔力に還す。過去に何度も起こった災禍だ」
私達は魔力でできている。
人の形をしたものだけでなく、人以外の生き物も、建物も、大地も。
全てが魔力から形作られ、そして終わりが来ればまた形のない魔力に戻っていく。
そう、彼が物語として教えてくれた。
(《破滅の獣》は存在をなくすもの、じゃあ具体的にはどんななんだろう)
彼の言うそれは恐ろしいものなのだろう、けれどうまく想像ができない。
魔力に還る時は痛いのだろうか、それであれば嫌だけれど。
「おにいちゃんは、わたしをまもってくれる?」
「いいや、僕はその役職を持つ《役者》ではない」
「そっか」
幼い子供に対して優しくない態度だと思うけど、誠実でもあると思う。
彼にそういうところがあるのは知っているから、私も深く落胆はしない。
「だが、必ずお前の前にも《騎士》は現れる。そういう《脚本》だ」
彼は小さな体を抱え上げて、私の誕生を祝福する。
生まれてくれて、感謝していると。
「インフェリカ、お前はもう《端役》じゃない」
きらりと、窓の外に流れ星が消えていく。
けれどそれは何も願われず、一瞬で消えてしまった。
「だからどうか、最後まで《舞台》に立っていてくれ」
(でも、それってどうすればいいのかな)
たまに言われることだけれど、具体的には分からない。
話の流れから《舞台》というのが、この世界を指しているのは分かったけれど。
ちなみに前に質問を問い返した時は、『物語を全うしてほしい』と返された。
けれど結局理解はできなかったし、今になっても納得のいく答えは出せていない。
(まあ、いっか)
良く分からない話もたくさんされるけど、本当は話なんてどうでもいい。
ふらりと現れて、寂しさを紛らわせてくれる。
まともな返事が返ってこなくたって、それだけで良かったから。
(寂しい夜に現れる、楽しい話をしてくれる人だった)
ある時は魔法を使って物語を描写して、ある時は道具を持ち込んで擬似的な舞台を作ってくれた。
きっと作り話だろうけど、彼が旅したここじゃない世界の話もしてくれた。
「おやすみ、インフェリカ」
「……おやすみなさい、お兄ちゃん」
私が眠るまで隣にいてくれる、大好きな人だった。
(けれど彼は、いつの間にかいなくなってしまった)
元々彼は不定期に来ていたから、最初は気づかなかった。
けれどいくら待っても窓辺に現れず、幼少期を終える頃にもう訪れることはないのだと悟った。
(私が彼の機嫌を損ねたのかもしれない、もしかしたら怪我をして来れなくなったのかもしれない)
どちらであってももう彼とは会えないから、知ることはできないけれど。
探しに行こうとした時もあった、でもうちには病弱なおじいちゃんがいる。
おじいちゃんは私をずっと世話してくれた人だ、だから置いていくわけにはいかない。
それからはもう、彼のことをあまり思い出さないようにしていた。
(代わりに、いつか現れるだろう《騎士》だけが私の支えになった)
唯一の身内であるおじいちゃんが病に倒れてしまった今、私は広い屋敷の中で一人ぼっちだ。
おじいちゃんは優しくて好きだけど、衰弱してしまってからはしゃべることすらできていない。
(ずっと薬の材料である花の世話をして、薬を作るだけの日々)
花の世話は嫌いじゃない、おじいちゃんのために薬を作るのも嫌じゃない。
けれどこの世界でひとりぼっちの寂しさは、どちらも消してはくれなかった。
(世界は何も変わらない、だからつまらない)
日常的な出来事だけじゃない。
この世界は気温も天候も、ほとんど変わらない。
私がひとりぼっちなことも、変わらない。
(だから一刻も早く、私の《騎士》に出会いたい)
誰かといる人を見るたびに、心がかきむしられるような痛みを感じる。
尋常じゃない焦りが、私を蝕む。
逃げようとは思わない、だからせめてこの苦しみを慰めてくれる人がほしかった。
(なのに、現実は非情だ)
《騎士》を召喚できるようになったのに、喜べない。
だって今日は、その日じゃないはずだから。
(こんなの聞いてない)
本来なら誕生日までに魔法で《召喚門》を作り、その門から《騎士》を呼ぶはずだった。
でも現実には何にもない日に門は発生し、兆候を示してしまった。
「……にぁ」
「ごめん、大丈夫だよ。エンヴィ」
いつの間にか足元に来ていた、心配そうにしている小さな獣をなだめる。
ずいぶん前に拾ってから飼っているけれど、この子が何かは分からない。
別に何者であっても正体は変わらないから、知ろうとも思わなかったけれど。
(私の、唯一の友達)
でも人の形をした友達がいないのは、この世界じゃ珍しくない。
運命の相手が後々できるのだから作る必要がなく、むしろ問題になる場合があるため忌避されてすらいる。
(けれどエンヴィは人じゃないから、そんなに気にしなくてもいいと思っている)
しかもその決まり事を知る前から一緒にいるから、今更追い出すなんて考えられない。
(とにかく今は、《召喚門》に応えなきゃ)
起こってしまったことは仕方ない。
だから私は今にも魔力を溢れさせそうな門に向かって、叫ぶ。
「《私は貴方を愛してる》」
《騎士》を召喚する時の、お決まりの言葉だ。
他者に深い感情なんて持たないから、愛しているがどういうものなのかは知らない。
馬鹿にするでもなんでもなく、本当に分からなかった。
けれど精いっぱいの叫びにも、《召喚門》は少しも応えてくれなかった。
「……誰も来ないじゃん」
深紅の幕で覆われた門の前で立ち尽くすけれど、足音一つ聞こえない。
魔力反応はあるものの、それだけだ。
(今日は想定外ばっかり)
思い通りにいかないことばかりで、思わず眉がしかめられる。
退屈な日々にも飽き飽きだったけれど、ここまで思う通りにならないとそれはそれで怖い。
(もし、本当に誰も来なかったら)
そんな話しは聞いていない。
けれど何かしらの事情で《騎士》が出て来れないのだとしたら。
二度と召喚の機会が失われてしまうとしたら。
「あぁ、もう!」
せり上がってきた恐怖に後押しされて、私は門にかかる幕を掻き分ける。
驚いたエンヴィの鳴き声が遠くに聞こえたけれど、今は構っていられない。
ざぶん、という水音のようなものを聞きながら、私は門の中に身を躍らせた。
(溶けてしまいそうで、怖い)
門の中は魔力で満たされていて、その濃度に頭が朦朧とする。
少しでも気を抜けば、それらと一緒になってしまいそうだ。
(私達は魔力でできているから、ありえなくはない)
けれどここで魔力と同化するのは、死ぬのと同じ意味を持つ。
溶ける、ということは意識や肉体がなくなるということなのだから。
(意識を、強く持たないと)
私の周りには、形の不鮮明な何かがいくつも浮かんでいる。
顔のない人の絵画、縫われていない洋服、台座が空いた首飾り。
そして不完全な建物で構成された、街のような場所。
出番を待っているような、まだ未完成な何か。
(ねむ、い)
けれど意識が落ちる前に手を伸ばされ、意識ごと私は門の外に引き上げられる。
そして沈んでいた水の中から顔を出すように、徐々に鮮明になる彼を知覚した。
「ああ、そっくりだ」
彼を一目見て分かった、これは私の《騎士》じゃない。
(だって、彼には覚えがある)
細身で濃い金髪、軽鎧を纏った青い瞳の青年。
いつか見た流れる星のような、鋭い輝きを思わせる《騎士》。
もういないあの人から聞いていた話と、一致しすぎている。
(彼は、おじいちゃんの《騎士》だ)
もしそうならば、彼が私に召喚されるはずがないのに。
けれど彼はにこりと端正な顔で笑って、何も問題なんか起きていないように語りかけてきた。
「はじめまして、インフェリカ。僕はイデアスだ」
「え、あ」
予想外のことだらけでうまくしゃべれない私の前で、名を呼んで、名を名乗り、彼は跪く。
そして流れるように、《騎士》としての言葉を吟じた。
「君のおじいさんの《騎士》を務めていたんだけれどね。僕を召喚してくれたことに報いて、君と共に在るよ」
忠誠というには軽い口調と共に、彼は一冊の本を手渡してくる。
促されるままに受け取ったそれは《台本》と呼ばれる、私が彼の《契約者》だという証だった。