コロナが変えた世界で
8月の終わりごろ、僕はまた用水路の脇の柵にもたれながら、静かな世界を感じていた。
この夏何度となく夕方の散歩に出かけたおかげなのか、心は前よりもずっと落ち着くようになっていた。以前なら旅行したり飲んだり出来ないことに、腹立たしさやもどかしさを感じていただろう。しかしその時の僕は、「こういう世界だって一つの現実なんだ。」という気持ちになり始めていた。むしろこんな世界になったからこそ、自分のすぐそばにあった、満ち足りた世界に気付くことが出来たんじゃないかと。
不思議なものだった。もしコロナがやって来ていなかったら、僕はずっとネットの世界に囚われていたかもしれない。それが結果的には、こうして世界の姿を思い出すことになった。コロナ自体は人間にとって思わしくない結果を生み続けているのにも関わらず。
こういうのを皮肉って言うんだろうか、と思った。
僕はイヤホンを耳に付け、アラニス・モリセットの「アイロニック」を流した。彼女の力強い歌声が、心に響いた。
コロナは世の中の価値観を、180度変えてしまった。これまでは積極的に外に出て遊ぶ人たちが正義であり、家にこもる人たちは引きこもりだとか陰キャラと呼ばれて下に見られてきた。だが今や、みんなで集まって騒ぐ人たちの方が世間に疎まれる存在になってしまった。
もしかしたらこれまで絶対的に正しいと思ってきた価値観なんて、強い風が吹けばすぐに崩れ去ってしまうような、脆い物だったのかも知れない。僕らはただ、その事実に気付いていなかっただけなのだ。
なぜ世の中って、こんなにも思い通りにならないんだろう、と思う。それはきっと、世界中の人々が感じていることだ。コロナ禍になってからは特に。
でももしかしたら僕たちの人生を動かしているのは、自分の思い通りになることではなくて、思い通りにならないことの方なのかも知れなかった。
冷静に考えてみたら、自分が10代の頃に思い描いた夢なんてほとんど叶ってなんかいなかった。僕だけじゃなくて、多分ほとんどの人がそうだろう。
僕は今まで、自分が成功の末にこの場所にたどり着いたんだって自分に言い聞かせて生きてきた。自分の夢が結局叶わなかったという現実を忘れるために。それにそう思わないと、姿の見えない誰かに負けたような気がしたから。
でもコロナがやって来て、どうやら僕の大嘘はまんまと暴かれてしまったみたいだった。そしてコロナは、僕に一つの事実を突きつけた。
そう、僕をこの場所に導いたのは、成功なんかじゃなくて、失敗と偶然だったんだ。
その身も蓋もない事実に気付いてしまって、僕はもう笑うしかなかった。
だけど何故かもう、苦しくはなかった。きっと、自分にかけていた呪縛のようなものから、僕は解放されたんだろう。もう成功だけを追い求める必要はなんてないんだと分かったから。
じゃあこれから、何を頼りに生きて行けばいいんだろうか、と僕は思った。もう夢を当てにして生きて行くことはやめた方が良さそうだ。
その時、頭の中で、誰かが教えてくれた。
今、この瞬間を生きるしかないのだと。
この瞬間を積み重ねて行けば、いつか未来にたどり着くことが出来る。その未来は、自分の思い描いていたものとは違うかも知れない。だけどこうして世界を眺めれば、いつでも感じることができる。自分が今生きている、という根本的な事実を。それは未来を思い通りにすることよりも、ずっと大切なことみたいだった。
僕はふっと笑って、また歩き始めた。以前よりもほんの少しだけ、確かな足取りで。