7.兄襲来?
ーー私の足が前に進むのを拒んだ。
とても嫌な予感。
明後日、ジェラール殿下がやって来る。全身が粟立つような予感は、それではない。私の部屋に入ろうと、付き添いの侍女が扉に手を掛けた、今まさに……感じたのだ。
嘘だと言って……。
縋るようにガルシアを見ると、申し訳無さそうに首を横に振った。やはり、ガルシアも気付いたのね。
諦めて部屋の中へと入る。『ガルシア、後で戻って来なさい。』と念じ、適当な用事を言いつけて侍女頭のソレンヌとガルシアを退室させた。
開いた窓から、少し冷たい夜風が入ってきた。靡くカーテンの向こう側、窓枠に腰を掛けて此方を見つめる人影がある。
葵色の薄い紫の髪に、深く黒い瞳の美少年。陶器の様に美しい肌。弧を描いた……紅い唇が開いた。
「やあ、ヘル。やっと目醒めたんだね。」
妖美に笑みを浮かべた少年は楽しそうだ。
――はあぁぁぁぁ。
「……ええ、お久しぶりですわね。ヨル兄様。それから……私、ここではセレスティアです。」
ピョンと窓から軽やかに飛び降りると、此方にやって来て興味津津でクルクルと私の周りを回る次兄。
えぇいっ……鬱陶しいわっ!
挙げ句の果てに、ピラっとドレスの裾を捲って足首を見ると、ニッコリとした。
……はっ!? あ、有り得ない!! いくら兄妹でも、失礼過ぎるわっ!
「ふーん。ヘルは、随分と可愛らしくなったね。流石、僕の妹だ! ガルムも居るんでしょ?」
ギロッと、こっちが睨んでもお構いなしで話しかけてくる。セレスティアと呼ぶも気無いらしい。ガルムの気配だって分かっているくせに、敢えて尋ねるのね。……もう、嫌。
「はぁぁ。……ガルシア来なさい。」
「はい。」
スッと現れたガルシアは、膝をついた。
「へぇ、ガルムもカッコ良くなったね。」
面白そうに、ガルシアを眺める。
「ヨルムンガンド様、ご無沙汰をしており申し訳ございません。こちらでは、ガルシアと呼ばれております。」と、ガルシアは頭を下げた。
……いったい、ヨル兄様は何をしにやって来たのかしら?
「ヘルは、僕が何で此処に来たのか知りたいの?」
心の中を見透かしたかのように、そう言った。
「ええ、教えていただけますか?……お兄様。」
「ふふ〜ん、教えな〜い。」
「…………。」
くっ、小馬鹿にして……だから嫌いなのよ、お兄様はっ。
「そうだ、ヘル! これ貰うよ。」
「……それは?」
ヨル兄様が取り出したのは、オードリックの実戦用の剣だった。木剣ではなく、ちゃんとした紋章入りの剣。
「んー? なんかさ、侍女と従者っぽいのが楽しそうな事してたんだぁ。面白そうだから、僕が貰っちゃった!」
はい? 侍女と従者が……楽しい事?
「ヨル兄様、ちょっとその剣見せて下さいませ。」
手を伸ばすと、ひょいっと背に隠した。
「いいけどぉ、ヘルは触っちゃだめだよ。せっかく塗ってあるんだから、解毒しないでね。」
……やはりね。
目を凝らすと、剣にはかなりの強毒が塗ってあった。もし、この剣でオードリックがジェラール殿下を傷つけたら――!
最悪、ジェラール殿下は死。そして、オードリックは他国の王子を手に掛けた罪に。確実に国同士の戦争が起こる。これを画策した奴は馬鹿なの? 戦争なんて事になったら、折角の友好関係が……。
そうか。
ヌヴェール伯爵にはまだ上が居たのね。帝国と王国に戦争を起こし、それに紛れて謀反を起こす。私に毒を盛り、向こうの枢機卿と繋がっていた本当の黒幕。
「その侍女達はどうしましたか?」
ちょっと、これは許せない行為だわ。どうしてくれようかしら……。
「さあ〜? きっとぉ二人は駆け落ちして、遠〜い北の国まで行って綺麗な海で泳ぐんじゃないかな? 美しき愛の逃避行? あはは!」と、さも楽しそうに言った。
此処から海のある北の国って、どれだけ遠いのよっ。しかも、泳ぐなんて。
……あっ!!
「言霊の……魔法、お使いになったのですね。」
「何の事かなぁ?」
これだからヨル兄様は、怖い。解けることの無い催眠。あの二人、何か……お兄様を怒らせたのね。
「それで、その剣はどうなさるおつもりですか? 決して、人に使わないで下さいね。それと、オードリックの紋章は消して下さいませ。でなければ……お渡し出来ません。」
「相変わらずヘルは真面目だな。大丈夫、紋章は消すし人間には使わないよ〜。じゃ、またね〜!」
それだけ言うと、剣を持ってパッと消えた。
ーー人間には使わない? ……には?
ヨル兄様のすることは、考えても仕方ないわね。
「ガルシア、行方不明者が二人出るわ。お兄様の事だから、自然に二人を消したのでしょうけど、念のため確認と……必要なら後始末お願いね。」
「かしこまりました。」
「あ、それから! 急いでオードリックに新しい剣を。全く同じ物を用意しておいて。」
模擬戦で使う剣。もしかしたら、毒を塗らせた者はそれがそのまま使われると思っているかもしれない。どうせなら、そう思って貰った方が好都合だわ。私の可愛い弟を陥れようなんて……許さないから。
魔道具を取り出し、筆を取る。
ジェラール殿下にも、ちょっとだけ協力してもらいましょう。