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政略結婚の筈が、実は既に出会っていました

「ちょっと、そこの貴女」


ラエラが化粧室で粉を叩いていたら、背後から声をかけられた。

鏡越しに視線を送れば、三人の令嬢がこちらを睨んでいる。


ゆっくりとコンパクトをたたみ、笑顔を浮かべながら振り向く。


「わたくしに何かご用でも?」


余裕のある態度が気に入らなかったのか、真ん中にいた令嬢の目が更にきつく吊り上がる。

その令嬢はすっと前に出てラエラの頭から足元までを不躾な視線で眺めた後、口の片端を上げて嘲笑的な笑みを浮かべた。


「貴女でしょう? ラエラ・カリエスとかいう成り上がりの子爵令嬢って。平民上りが、よくもまあ、伝統あるライプニヒ公爵家と縁を結ぼうなどと思ったわね」

「本当ですわ。思い上がりも甚だしいですこと」

「リュークザインさまはお見合いをお受けしない事で有名なのよ。一体、貴女の家はどんな卑怯な手を使ったのかしら?」

「商売で爵位を買った家ですもの。やり方が汚いのは仕方ないとしても、リュークザインさままで巻き込まないでいただきたいわ」

「そうよそうよ! アナベラさまこそ、リュークザインさまにふさわしいお方なんですからね!」


広間を出て行くラエラを衝動的に追いかけてきたのか、その手には飲みかけのデュールのグラスが握られている。


三人の令嬢に囲まれて早口にまくしたてられるも、ラエラの顔色は全く変わらない。


「アナベラさま、とおっしゃったわね。ということは、アナベラ・スカッチ伯爵令嬢でいらっしゃいますか?」

「・・・何故わたくしの名を知っているのかしら?」

「当然のことですわ。貴族年鑑に載っている名は、全て覚えておりますので」

「は?」

「先ほどのお話ですけれど、わたくしを婚約者にと望まれたのはリュークザインさまの方ですわ。もしそのご判断に文句がおありでしたら、ご本人に直接お話しになった方が良いかと思います」

「なっ! 貴女、アナベラさまにそんな口をきいていいと思っているの!」

「・・・お待ちなさい」


一人の令嬢が手に持っていた扇を振り上げようとするのを静止して、アナベラは冷たい視線をラエラに向ける。


「落ち着いてくださいな、ラエラ嬢。ケイティに悪気はありませんのよ。どうかお怒りにならないで。わたくしたち、きっといいお友達になれると思いますの」


そう言うと、手に持っていた飲みかけのデュールのグラスをラエラに差し出した。


「友情の印に・・・どうぞ。差し上げますわ」


アナベラの侮蔑のこもった眼差しと冷ややかな口調に、それまで怒りでまくし立てていた他の令嬢たちも馬鹿にした笑い声を上げる。


「あら、良かったじゃないの。アナベラさまから施していただけるなんて」

「ほら、有難く受け取りなさいよ」


ラエラは、はぁ、と小さく息を吐くと、手を伸ばした。


「・・・いただきますわ」


ところが、ラエラの手がグラスを取る前に、アナベラがぱっとグラスを離した。


グラスは落下しながら、ラエラのドレスにその中身をぶちまける・・・筈だった。


ラエラが空中でグラスを受け止めるまでは。


「なっ・・・!」


下から掬い取るような形で落下するグラスを受け止めたラエラは、自分の目線の高さまでグラス掲げるとくるりとグラスを回した。


ふわりとデュールの芳しい香りが立ちのぼる。


「アナベラさま。友情の証、ありがたくいただきますわ」


にっこりと笑って一口含むと、アナベラたちは真っ赤な顔でぎっとラエラを睨みつけただけで、無言で去っていった。


「・・・きっとあのアナベラさまとやらは、リュークザインさまから見合いを断られたクチね。八つ当たりもいいとこだわ」


ぼそりと呟きながら、デュールのグラスをくるくる回して遊んでいると、今度は何やら廊下の方が騒がしい。

また別の騒動かしら、と出て来たところで、ベルフェルトと遭遇した訳だ。




「それはまた、面白いことがあったのだな。いやあ、見逃したとは残念至極」

「・・・面白がってらっしゃいますね?」

「事実面白いから仕方ないだろう? ・・・だが、グラスを中味ごと空中で受け止めるなど、そんな芸当がよく出来たものだ」

「普段から鍛錬は欠かしておりませんので」


くく、と肩を揺らして笑っていたベルフェルトに事もなげに告げたその返答を聞いて、笑い声がぴたりと止んだ。


「・・・鍛錬?」

「はい」

「君は武芸もたしなむのか?」

「はい。護身術は勿論、武芸、体術も一通り身につけております」

「・・・凄いな。学問だけじゃない、百芸に通じた婚約者をリュークは得たのか」


感心したようにベルフェルトが呟くと、ラエラは事もなげな様子で言葉を返した。


「そのためにずっと努力して参りましたので」

「む? そのため?」

「はい。いつの日かリュークザインさまに選んでいただけるように、と。そのためだけに学問も、武術も、芸事も、その他の嗜みも必死で身につけましたので」


ベルフェルトは、一瞬、呆けたように口を開けた。

が、すぐに気を取り直してラエラに質問を投げかけた。


「・・・オレは、れっきとした政略結婚だと聞いていたのだがな」

「その通りですわ。紛れもなく政略結婚でございます。・・・・リュークザインさまにとっては」


静かに答えたラエラの顔を見つめ、ベルフェルトは意図を察したものの敢えて問いを重ねた。


「ということは、君は?」


その問いに、ラエラはふっと笑った。


「ずっと恋焦がれておりましたわ。六年前・・・デビュタントであの方に初めてお会いした時から」



そう、六年前から。



ラエラが貴族社会の洗礼を受けたのは、六歳のとき。

父が、その才を認められてシャールベルム国王陛下から子爵位を賜ったときからだった。


貴族というものは兎に角、格式と伝統と権威に弱いもの。

そして弱者と見れば、途端に態度を豹変して毟り取るもの。


私は幼心にそれを痛感した。


「新参者が」

「成り金」

「金で爵位を買った下賤の者」

「平民上がりのくせに」


陰で、あるいは面と向かってでさえ、父や母に、そしてまだ幼かった私や弟に、そう言ってくる『高貴な』方々に失望した。


貴族は皆がそのよう人たちではない、と父や母は言うけれど。

そんな陰口や嫌がらせに負けない才覚と知性が両親にはあったけれど。


私や弟は、押しつぶされまいと必死だった。


父のつけてくれた教師から懸命に学び、己を磨く努力を懸命に行って。

それでもまだ、心無い一部の貴族たちは罵ってくるのだ。


負けたくない。

あんな名ばかりの貴族たちに。


ただそれだけの気持ちで頑張った。

大した目的も希望もない、意地だけで頑張り続けるだけのつまらない日々だった。


そう、デビュタントであの方に会うまでは。


「つまらない陰口は慎めむことだ。己の器の小ささと能力の無さを中身のない中傷で誤魔化そうとするのは、更に品位を下げる行為だぞ。自分たちの家が斜陽だからといって、才覚を陛下に認められた家の者を貶めて留飲を下げようというのはあまりに芸がなかろう」


いつもと同じ面々に囲まれ、もはや聞きなれた侮蔑の言葉を投げかけられていた私の背後から突然現れた彼は、そう言って、目の前の貴族令息、令嬢たちをばっさりと一刀両断してくれた。


「おい、リュークザイン。いくら公爵家の君といえど、その言い方は失礼だろう」

「そうですわ、あまりにも酷い仰りよう・・・」


私を庇ったことで矛先が変わっても、リュークザインさまは顔色一つ変えず、冷たい視線でぎろりと睨み返して。


「一体どこが失礼だったのかな? 陛下のご判断を貶めるような行為をするなと戒めたことがか? ・・・もし私の言ったことが間違っているのであれば、陛下にこそお詫びせねばならん。よし、そうしよう。今からでも伺ってこの事をお耳に入れようではないか」


それで終わり。

あの愚か者たちは、青くなって、黙り込んで、そそくさと逃げていって。


驚いてお礼もろくに言えなかった私に、「戯言に耳を貸す必要はない。陛下に認められた自分の家の力を信じることだ」とだけ言い残して、リュークザインさまは行ってしまわれた。


表立って庇ってもらうのなんて初めてで。

しかもそれがあのライプニヒ公爵家の人だったって事に更に驚いて。


貴族なんて、能力もないくせに権威を振りかざして威張るだけの最低の人種ばかり。

そう思ってたから。


カリエス家の努力を、能力を認めてくれた。

それが嬉しくて。


その時のことが、あの後もずっと忘れられなくて。


恋に落ちた。

出来ることならあの方の側にいたいと、そう思った。


父からは、いくらなんでも分不相応な願いだと諭されたけど。

公爵家と子爵家との縁談なんて、常識では有り得ないという事も分かってたけど。


あの方なら、家格でもなく、家柄でもなく、伝統でもなく、個人の能力を見て判断してくださる筈。

そう信じて、そう願って、必死で己を磨いた。


もはや只の意地などではなく、あの方に選ばれるために、出来得る限りの知識と知性と教養を身につけるのだと、それだけをひたすら願って。


社交ももはや時間の無駄だ、と、デビュタント以降は一切参加せず。

ただ、ただひたすらにリュークザインさまがお相手を探し始める日を待ち続けた。






「・・・成程。それでここまで知性と教養と、あげく武芸まで身につけた最強のご令嬢が誕生した訳か」


広間を出た廊下の突き当り。

バルコニーで夜風に当たりながら、ラエラはベルフェルトにリュークザインとの出会いについて話していた。


「いやあ、大した執念だ。秘めた恋心をそのように前向きに己を向上させるための力とするなど、なかなか出来ないことだぞ」


感心半分、呆れ半分、といった口調の感想だ。


「我ながら、無謀な賭けだったことは承知しております。ですが今、こうしてリュークザインさまの婚約者としてお側にいられるのですから、方向性としては、あながち間違っていなかったのかもしれませんね」

「・・・ちょっとした好奇心で聞くが、万が一、そこまで頑張ってもラエラ嬢がリュークの目に留まることがなかったら、どうする気だったのかね?」


尤もな質問に、ラエラは薄い笑みを浮かべた。


「勿論、その時は独身を貫く覚悟でございました」

「・・・ほう」


あっさりきっぱりと言いのけた姿に、思わず感嘆の声を漏らした。


「そうかそうか。君のような女性ならば安心だ。いやあ、よかった、リュークは幸せ者だな」

「まだ、申し込みを受けましたが正式な発表には至っておりませんし、出来ればわたくしに恋して頂きたいと思っているのですが」

「いやあ、それは大丈夫だろうよ」

「・・・だといいのですけれど」


ベルフェルトが、ちら、と背後に視線を送ったのに気づき、ラエラが首を傾げる。


「ベルフェルトさま? どうかなさいまして?」

「ああ、そろそろ会場に戻ろうかと思ってな。夜風でだいぶ体も冷えてきたし、何より、ここにあまり長く二人きりでいて、よからぬ噂がたってしまってもいけない」

「そうですね。参りましょうか」

「ああ、そうだ。ラエラ嬢、最後に一つ、よろしいか」

「なんでしょう?」


ラエラは戻りかけた足を止め、ベルフェルトの方を振り返った。


「・・・リュークを頼むよ。どうかあの不器用で生真面目な男を支え、助けてやってくれたまえ」


それまでの表情とは打って変わったベルフェルトの真剣な眼差しに、ラエラもまた真っ直ぐに応える。


そして「勿論ですわ」と答えた。

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