政略結婚の筈が、なんだか妙な話になってきました
リュークザイン・ライプニヒ。
リーベンフラウン王国諜報機関の長であり、歴史あるライプニヒ公爵家当主の名でもある。
本来なら次男であるリュークザインに爵位は回ってこない筈が、ある不祥事により父と長兄がその権利を失い、陛下の温情を賜って彼がライブニヒ家の当主となったのが約二年前のこと。
意図せずして手に入れた爵位だが、こうなった以上、当主としてこの家を守り抜こうという決意も新たに執務に励んでいた。
爵位継承を巡るあれこれも終わり、領内の治安も今のところ良好だ。
そこで、至って真面目で責任感の強いリュークザインは、次なる一手として、次世代の後継者を儲け、育てる責任について考え始めた。
ふさわしい配偶者を持ち、ふさわしい後継者を育てる。
そのために、好みや感情によるのではなく、まずは相手に求める条件を書き連ねていく。
その条件に合う令嬢と結婚するためだ。
全ては家のため。
後の世代の繁栄のため。
そう、これは紛れもない政略結婚。
それは、貴族であれば当然の話で。
普通であれば恋愛結婚の方が珍しいのだ。
それでも、この話を推し進めるにあたり、リュークザインは一つのことを守ろうと心に誓っていた。
それは、たとえ愛のない結婚をすることになるとしても。
こちらも相手も、ただ条件に基づいた上での合意による結びつきだったとしても。
妻となる女性には、誠心誠意、心を尽くし、大切にするということ。
妻となる女性が、愛されていないなどと決して悲しむことがないように。
細やかに心を砕き、慈しみ、配慮し、自分なりに愛情を注ごう。
まだ見ぬ未来の妻は、この家のために私と共に闘ってくれる大切な女性なのだから。
そうした決意のもとに、リュークザインは見合い相手を探し始めた。
相手方の家に失礼になるのは承知の上で、望む女性に関する山のような条件を付けて。
人となりは勿論、知性、教養、一般知識、経営手腕、趣味、社交術など・・・。
容姿、家柄には一切触れず、ただただ能力と性質のみに関する条件を書き連ねた。
それこそ、どれだけ思い上がっているのかと、激怒されても仕方ない程の、傲慢な条件を。
正直、条件を出したリューク自身が、これら全てを満たす令嬢などいないだろうと覚悟していた程で。
そして事実、これまで誰も満たすことが出来なかったのだ。
今日、会うことになった令嬢、ただひとりを除いて。
「お初にお目にかかります。ラエラ・カリエスにございます」
正直に言う。
心底、驚いた。
その眼に宿る知性に。
所作の美しさに。
纏う穏やかさに。
「・・・こちらこそ、時間をいただき感謝する。リュークザイン・ライプニヒだ」
こちらの挨拶に、目の前の令嬢は、にこりと笑う。
ラエラ嬢の父、ハーメルン・カリエスは、その商才により莫大な富を蓄え、王都の整備、管理、学校建設などに大きく貢献した。
そしてその功により、国王シャールベルムより子爵位を賜ったのである。
いわゆる、プライドの高い貴族的な言い方をすれば新参者の成り上がりだ。
そのため、一部の古参貴族たちからは敬遠されていた。
しかし、リュークの目から見れば、カリエス卿の先見の明と実務手腕は素晴らしいの一言に尽きた。
無駄の一切ない、本質を見抜く目。
体裁を整える事よりも、確実な成果を上げる手腕。
それをカリエス卿は持っていた。
そしてそれは、娘の教育方針にも確かに表れていて。
ラエラ嬢は、知性豊かで教養に溢れる賢い令嬢だった。
鳶色の真っ直ぐな髪に賢そうな広い額。
空色の瞳には強い意志が宿っている。
容姿に関しては何の希望もなかったため、正直、このように知的な美しさの溢れるご令嬢が現れるとは夢にも思っていなかったのだ。
自身の妹、シュリエラのような華やかな美しさではないが、理知的な美がそこにはあった。
何よりも、リュークの出した条件すべてを満たす程の能力の高さ。
恐らく、貴族になりたての子爵家の令嬢でなければ、とっくに他の誰かにかっ攫われていただろう。
・・・非常に望ましい。
リュークザインは、ラエラ嬢を一目見てそう思った。
「ラエラ嬢は才気あふれるご令嬢だと伺っている。今日はこうしてお会いできて光栄に思う」
「とんでもございません。わたくしこそ、光栄に存じます。まさか伝統あるライプニヒ公爵家のご当主さまと、このような形でお会いできるとは思ってもいませんでしたから」
感慨深げに、ラエラはそう言った。
恐らく、これまで爵位の低さや歴史の浅さを揶揄する貴族たちから、いろいろと嫌な目に遭わされて来たのだろう。
「ライプニヒ家は確かに歴史こそ古いが、王国への貢献度で言えば、今のカリエス家の方が遥かに大きい。どうかカリエス卿の業績を誇りに思って頂きたい」
そう答えると、ラエラは驚いたのか、一瞬、目を瞠った。
それから薄く笑むと「ありがとうございます」と頭を下げた。
「それでは」
と、ラエラが口を開く。
リュークが黙ってその先を促すと、少し躊躇してから言葉を継いだ。
「今日こうして会っていただけたという事は、わたくしをリュークザインさまの配偶者の候補としてお考え下さっていると思ってもよろしいのでしょうか」
随分とストレートな物言いだったが、リュークはそこも気に入った。
無駄な駆け引きなど、時間の無駄だ。
話が速くて助かる。
「その通りだ」
「ありがとうございます。子爵令嬢にすぎないわたくしに目を留めて下さったこと、決して後悔させませんわ」
ここまで理想的な相手が見つかるとは。
気が付けば、自然と笑みが浮かんでいた。
それからは細かな点のすり合わせや条件の確認等のために、週に一回、お茶会と称して顔を合わせることになった。
それら確認事項に全て問題がなければ、晴れて婚約、という段取りだった。
だったのだが。
一回目の顔合わせには妹のシュリエラも同席し、話をしてもらった。
意見をはっきり口にするラエラに対し、シュリエラは付き合いやすいと好印象を持ったようだ。
兄のシャルムは領地から呼び戻さねばならないので、あと少ししてから会うことになる。
それも恐らく問題ないだろう。
二回目の顔合わせ。
領地の経営方針や、王都内の邸管理についての意見を交換した。
ラエラ嬢の非常に建設的、かつ合理的な考え方に感心した。
何か不測のことがあれば、自身に変わって十分な対応を期待できる人材だと確信した。
やはり見込んだ通りの才女のようだ、とリュークは独り納得していた。
三回目の顔合わせ。
婚約、結婚となった場合の希望や意見などについて聞いてみた。
式の規模や希望する日程など、ラエラ嬢の意見も聞いて、可能な限り取り入れたいと思っていたから。
だが、彼女からは特に強く望むことはない、と言われ、ライプニヒ家の体面に傷がつかないようにと、采配は全てリュークに任せることになった。
非常に理性的、且つ現実的な対応に関心する。
この令嬢が感情的になることなどないのでは、と思うほどに。
だが、四回目の顔合わせで。
彼女は私が予想だにしなかった事を言ってきた。
「相性が心配なのです」と。
「・・・は?」
意味が分からず、少しばかり呆けた声が出てしまった。
「私の性格に、何か不安でも?」
「いえ、そうではなく」
「では一体、何が心配なのだ?」
問い返す私に、一瞬、押し黙って。
・・・なんだ?
ラエラ嬢が言い淀むとは珍しい。
黙って言葉の続きを待っていると、ラエラ嬢にしては珍しく少しばかり俯いて、言いづらそうにしている。
「もし心にかかることがあるのならば、遠慮なく言ってもらいたい。このままいけば、私たちは婚約する仲なのだから」
そう伝えると、ラエラ嬢は意を決したように顔を上げ、口を開いたが、その口調はこれまでの印象とは全く違う、小さなものだった。
「夫婦生活の・・・相性が気にかかっておりまして」
「・・・は?」
私の聞き間違いだろうか。
訝し気な声で聞き返してしまった。
「リュークザインさまのお人柄や能力の高さは、よく存じ上げております。ですが、それと夫婦生活の相性とは全く別でございます。貴族間の政略結婚である以上、世継ぎを生むことは妻となる者の義務と言ってもよいでしょう。そのための夫婦生活の相性が良くなかった場合、結婚生活そのものが苦痛に感じる可能性が高いと思われ・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て」
私は思わず声を上げて話を遮った。
この女性は何を言ってるんだ?
いや、話の内容は理解る。理解るけれども。
今、話し合うことか?
いや、結婚してからでは遅いのか、だから今なのか。
ここで慌てている私が可笑しいのか?
そもそもその、、相性の確認って、どうするつもりだ?
というより、結婚を考えている者であれば皆することなのか?
ラエラ嬢は黙って私の答えを待っている。
私はごくりと唾を呑んだ。
そして、努めて落ち着いた声で話し出す。
自分の理解が間違っていることを願いつつ。
「・・・つまり、そちらの方の相性の確認をしたい、と?」
「左様でございます」
間違っていなかった。
いや、待て。私の言い方が婉曲的だったのかもしれない。
もう一度、言い直してみる。
「夜の営みをするにあたり、身体の相性を確認する、という事でよろしいと?」
「はい」
脱力した。愕然とした。
ここまで合理的、かつ実際的な考え方をする女性だったとは。
いや、この場合、合理的という言葉で済ませていいのか?
大体、身体の相性の確認って、どうやるんだ。
まさか。・・・まさか?
「・・・ラエラ嬢」
「はい」
「君は・・・婚前交渉を望んでいるのか?」
配偶者として理想的な女性と考えていたが、もしや、ふしだらな側面があるのかもしれない。
道徳観念がないのであれば、たとえ能力面でどれだけ優れているとしても、妻とするには危険すぎる。
そうであれば、この見合い話はここで終りにせねばならない。
しかし、ラエラ嬢はその言葉をあっさりと否定した。
「とんでもございません」
「・・・では、どうやって確認すると?」
「実際の行為に及ばずとも、触れればそれなりに相性の良し悪しが分かると聞きました」
「・・・触れる・・・」
「はい。ですからその方法で確認すればよろしいかと」
「・・・つまり、私が君に触れてみて、君が嫌だと感じるかどうかを試せ、と」
「はい」
どうやら、ふしだらな考えでそんな事を言いだした訳ではないようだ。
だがまさか、ここまで周到に確認を怠らないとは思いもしなかったが。
・・・仕方ない。
結婚後に不仲になるよりは、今、確認を、と言うのであれば、そうしてやる方がいいのだろう。
「わかった」
テーブル越しに座っていた椅子から、立ち上がり、ゆっくりとラエラ嬢の下へ行く。
触れる。
だが、どこまで触れればいいのだろうか。
まあ、それは本人の意見を聞きながらやっていくしかあるまい。
ラエラ嬢の席まで行き、私は座っている彼女の顔を見下ろした。
ラエラ嬢も真っ直ぐに私を見つめている。
「では・・・触れるぞ」
私は、彼女に向かってそっと手を伸ばした。
だが、そこで手を一旦止め、リュークはまず一言、ラエラに断りを入れた。
「不快だったら言ってくれ。すぐに止める」
ラエラが頷いたのを確認して、リュークはラエラの手をそっと握った。
そして、真面目な顔でラエラを見つめ、静かに問いかけた。
「・・・どうだ?」
ラエラは表情を変えることなく「これだけではわかりません」と答える。
「夜会のダンスでも、これ以上の触れ合いはございます。手を握ったくらいでは、何も測ることが出来ませんわ」
その言葉に、リュークはうっと詰まる。
指摘した内容は尤もだ。
「では・・・顔に触れても?」
遠慮がちに尋ね、ラエラの了承を得たところで、リュークはラエラの頬をそっと掌で包んだ。
必然的に顏を至近距離で覗きこむことになり、リュークは自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
目の前にあるラエラ嬢の切れ長な空色の瞳が、真っ直ぐにリュークを見つめている。
・・・これは本当に必要なのか?
政略結婚であるからこそ、事前の確認を怠りたくないという気持ちは分かる。
分かるが、これはどうにも気恥ずかしい。
恋愛関係に陥っていないからこそ、却って恥ずかしくて堪らないのだ。
「これでどうだ?」
「まだ測りかねます。もう少しお続けくださいますか?」
これにはリュークも困ってしまった。
もともとリュークは、親友のベルフェルトと違って女性慣れしていない。
ダンスのエスコートだって、母か妹の相手しかしたことがないのだ。
「・・・わかった」
だが、当主として、どうしても結婚相手を見つけなければならない。
そして子どもを儲けるためには、妻となる女性に夫婦の営みへの不安を感じられては困るのだ。
リュークは、自分の顔が真っ赤であろうという事は、もう自覚していた。
そして、ここまで来て、今更、取り繕っても仕方がない事も分かっている。
だが。
・・・もう少し続けろと言われても、一体どこに触れればいいというのだ。
正直、もうどうしていいか分からなかった。
諜報機関の長といっても、情報を得る手段で色仕掛けなど使ったこともない。
家族以外の女性でここまで接近したこと自体、初めてなのだ。
頭の中でぐるぐると余計なことを考えつつも、身体の動きは完全に止まっている。
ラエラはそんなリュークの顔を見上げて、首を傾げた。
「リュークザインさまの方こそ、ご不快にお感じではありませんか?」
「は? はいっ?」
突然の質問に、リュークは驚いて目を大きく見開いた。
「何やら難しいお顔をなさっておいでです。わたくしに触れるのは・・・気分が悪かったでしょうか」
あまり表情には出ていないが、どうも不安に思ったらしい。
リュークは即座に否定した。
「気分が悪いなど、とんでもない。ただ、女性に触れることに慣れておらず・・・その、どこまで触っていいものかと・・・」
「そうですか」
少しほっとして見えたのは、気のせいだろうか。
「お悩みでしたら、どうかお手を背中に回して、わたくしを抱きしめてみてくださいませ」
「抱き・・・こうか?」
リュークは、ぎこちなく腕を広げてラエラの背中に回すと、ぎゅっと抱きしめた。
ラエラの身体が、すっぽりとリュークの腕の中におさまる。
その途端、ラエラの髪からふわりと花のような香りがして。
リュークはガラにもなく、胸が高鳴るのを感じた。
「・・・」
「リュークザインさま?」
胸元に顏を寄せたラエラが、視線を上げてリュークを見つめる。
「どうかなさいまして?」
「あ、いや。なんでもない。・・・それより、どうだ。不快ではないか?」
何故だか視線を合わせることが出来ず、少しずれた方向を見ながら問い返した。
「わたくしは大丈夫です。ちっとも嫌ではありませんでしたわ」
「・・・そうか。それは・・・良かった」
「・・・リュークザインさまは?」
「は?」
「リュークザインさまは、いかがでしたか? ・・・わたくしがお側にいて、お嫌ではありませんでしたか?」
多分、顔を見て答えた方がいいのだろう。
そう思いはしたが、やはり視線を合わせる気にはなれなくて。
失礼な態度だと怒りはしないだろうか。
そう不安になりながら、いつもよりも小さな声で答えた。
「嫌では、ない」
「そうですか。でしたら問題ないかもしれませんわね」
「うむ」
それから、ぎぎぎぎぎぎ、と音がしそうな程のぎこちない動きで背中に回した腕を解くと、リュークの胸元からすっとラエラが離れた。
その時、何故か少しの寂しさを覚えたような気がして。
なにを馬鹿なことを。
これは互いに立てた条件の合意に基づく、れっきとした政略結婚だぞ。
そう自分に言い聞かせる。
「本日はありがとうございました。とても有意義な時間を過ごせましたわ」
そう言って馬車に乗り込むラエラを見送った時。
リュークに背を向けたラエラの頬が、実は見事なまでに朱色に染まっていたことなど、リュークザインは気づいていない。