草想う
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、つぶらやくん、ようやくお目覚めか。だいぶ疲れが溜まっていたと見える。久々のオールだったし、身体にこたえたんじゃないかな?
また今年も終わりを迎えようとしているねえ。僕たちくらいの歳になると、「ああ、またか」と思うことしきり。子供のように無邪気にはしゃぐこともできなくなってきた。でも、この毎年迎えることも、いつかは終わりが来るんだよね。
僕たちはあと何回、年末を迎えることができるんだろうか。ひょっとしたら、今この時が最後の年末なのかもしれない。みんながそう考えているわけじゃないと思うけど、羽目を外す人を毎年見かけると、ふとそう感じてしまうんだよね。
僕たちの「当たり前」は、本当は「有難い」こと。ケガや病気で身体が動かしづらくなったりすると、頭をよぎる考えだ。僕たちの周りを取り巻く物は、本当に寄りかかっても大丈夫なものなのだろうか。
僕にそんな不安をあおらせるきっかけになった話、聞いてみないかい?
これは僕の友達の友達が、幼稚園に通っていた頃に体験したらしい。
すでにこの頃から、補助輪なしで二輪の自転車を乗り回すことができたという彼だけど、幼稚園から帰ってくると、家の手伝いがあった。
祖父の管理する庭と畑の草むしりだ。飛び地だが、彼の家の周りには祖父名義の畑がたくさんあった。彼は祖父に連れられて、日々、そこの雑草たちを抜いてはゴミ袋へ突っ込んでいたんだ。
家の手伝いという側面もあるけど、実際のところは祖父の自転車の弁償代代わりだったとか。自転車に乗る練習の時、サドルを下げた祖父のものを借りたところ、またがってさほど立たず、横倒しに。よっぽどガタが来ていたのか、転んだ拍子に自転車はハンドルを残し、各部品が散らばって収拾がつかない状態になってしまったようだ。
彼自身も固いアスファルトの上へ投げ出されたが、どうにか大事なく済んだらしい。無事であることが知れると、その次の日から祖父は彼を草むしりに駆り出すようになったとか。
「たとえわざとじゃなくても、人様のものに危害を加えてしまったら、償いをしなくてはいけない」
そう話す祖父は彼を畑まで連れていくと、後はそばに控えて彼の働きぶりを見ているばかりだったという。
廻ることになる祖父の畑は、いずれも半径1キロメートル以内に存在している。小さな一軒家が立つ程度の面積のものがほとんどだけど、ひとりで草むしりをするとなると、かなりの運動量になる。
幼稚園から帰って、夕飯時に近くなる2時間余りを、彼はみっちり働かされる。この仕事は食欲、睡眠欲をかきたてるにはちょうど良かったものの、仕事は天気を問わず毎日続いた。たとえ横殴りの雨が降ろうとも、カッパと長靴を身に着け、手袋越しに草を摘み続けたらしいんだ。
更に暖かい陽気が続いたこともあるのか、草たちは育つのが非常に早かった。すべての畑の面倒を見て一周してくると、すでに全域に渡ってじんわりと緑の草が茂っているんだ。
祖父はそれらを全部取り去りたいみたいだったけど、相変わらず一切の手伝いをしてくれなかった。すべて幼い彼に任せ、作業の遅さに関して幾度もダメ出しをする。
草むしり開始から一カ月あまりが過ぎ、彼の仕事は早くなってきたけど祖父はまだ満足しない。壊れた自転車には一向に新しいものを買う気配がなく、弁償というのは、彼を労働力とする方便だったのだろう。当時はそこまで頭が回らず、ひたすらに、どうすれば草を速く抜くことができるのかを考えていた、と彼は話していたよ。
そんなある日のこと。もう何周したか分からない畑へ戻り、草むしりを終えた時のことだ。初めて行った時には、帰るまでに3分の1を終えるのがやっとだったのに、今ではもう8割方を片付けられるようになっている。
祖父から終わりの旨を告げられ、彼は腰を上げたけど「あれ?」と首を傾げた。
この畑はちょうど十字路に面しており、東と南側は車道に接し、北と西は民家と隣り合っていた。積まれたブロック塀の向こうには、それぞれの洗濯物を干す二階のベランダがのぞいていたんだ。
それが、ない。ベランダのみならず家そのものが、形をすっかりなくしていた。塀の向こうに浮かぶ空は、近づいてきた夜に、すっかり黒く染まっている。
祖父にそのことを話しても、「はじめからそうだっただろう」と平然とした顔で返され、ますます彼は首を傾げた。以降の畑をめぐっても、草むしりをする前とした後では、景色が変わっていることがままあったらしい。
祖父の答えはいつも変わらなかった。メモ用紙を持ってきて、作業にあたる前に配置をさっと書き込んで、作業後の変化と照らし合わせて談判しても同じ。全部、彼の見間違い、記憶違いでごまかされた。そうして一様に、もっと草むしりのスピードを速めるよう、指示を出すばかりだったんだ。
――もし、おじいちゃんの望み通りの仕事ができたなら、話を聞いてもらえるかな?
彼は怒るより先に、そんなことを考えたらしい。引き続き草むしりに励み、ますます作業のスピードが増していった。
そしてとうとうある日。彼は一日ですべての草をむしり終えることに成功する。最後の一束を抜き、さっと顔を上げた先には、塀も家々もすっかり消え去っていた。畑の周りには平らな更地が続いている。
これならもう祖父も、ごまかしはきかないだろう。そう思って振り返る彼だったけど、そこに祖父の姿はなかった。
それだけじゃない。畑に面していた車道の代わりに、そこには黒い穴が広がっていたんだ。空から一斉に明かりを奪ってしまったかのように、どれほど続いているか分からない闇が、車道があった場所より先に続いている。
畑の端には車道より一段高いブロックが積まれていたけど、それも瞬きする間にふっと消えてなくなった。先ほどまで見えていた更地も消え去り、今や畑の四方は同じように穴に囲まれ、逃げることはできない。
「――ようやく、草たちを全部取り除けたか」
どうしたらよいか分からず、その場にうずくまって震える彼の耳に、祖父の声が届く。
「それでいいのだ。ここに存在するすべて、草たちが醸すまやかしだったのだから。さあ、帰るがいい」
ついに畑の土まで崩れ出し、それに伴って彼の身体からもまた、接地の感覚が失せて虚空に投げ出された……。
気がつくと、彼は病院のベッドで目を覚ました。その時には母親がそばに座っていたのだけど、彼が目覚めたのに驚いて、すぐにナースコールを押した。
すぐに駆けつけてきた先生に話だと、彼はこの一カ月余り、ずっと意識不明だったというんだ。原因は自転車に乗っていた時の転倒で、頭を強く打ったためと見られている。
自転車で転んだことは覚えている。でも、たいしたことはなかったと言われた、といくら力説しても信じてもらえなかった。転んだ時から今に至るまで、彼の意識は片時も戻っていなかったと、皆が知っていたからだ。
おじいちゃんに聞けば、という彼の言葉に、母や父は暗い顔をする。祖父は彼が事故を起こして間もなく、持病の発作で入院。ほどなく、息を引き取ってしまったというんだ。
あの一カ月余りの過ごした時間は、草たちの醸したまやかし。そう感じた彼は、以降、草むしりに関して消極的になったそうだ。
参加しても、すべてを取り終えるまで徹底しない。もし、すべてを取り除いたら、またこれまで積んだものが消えるんじゃないかと、気が気じゃないからだと。