つながる血
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はああ〜……ねえ、聞いたつぶらやくん。また台風が近づいてくるんですって。毎年毎年、通り道になりやすいからって、気が滅入る話よね。無事に乗り切れたらいいなって、いつも思っちゃう。
災害は、昔から私たちの生活とは切っては切れない関係であり続けた。人々はその被害を神の怒りと受け止めつつ、どうにか制御したり、利用したりする術を探求し続けていたわ。私たちのご先祖様が生きながらえてきたのも、立ち向かう勇気と、苦境を逆手に取るしたたかさがあったからでしょうね。
そして災害もまた、今の私たちが考えるより更に深い力を持って、迫ってくることもあったみたい。その昔話のひとつ、聞いてみないかしら?
私の地元だと、災害はすべて神様同士の争いだという解釈がされていたわ。地震は大地の神様同士、雷は空の神様同士が戦っている。
その実態は己の縄張りをかけた争いかもしれないし、ちょっとしたじゃれ合いのつもりなのかもしれない。いずれにせよ、それらが残す爪痕に関しての対策は欠かすことができなかった。
そしてその晩は、冷たい雨がしとしとと降った後、やたらと風のみが何刻もの間、叩きつけるように吹き寄せたというわ。風の揺れに慣れていない子の中には、泣き出してしまう者もいたくらい。
すでに雨と強風に対する堤や作物の確認と防御は終わっていた。けれども大人たちがすべきことは、家の中にも残っていたのよ。
翌日。雨も風もすっかり止んで、青空がのぞいていたわ。水たまりこそ残っていたけれど、子供たちにとっては晴れていさえすれば、絶好の遊びどき。外へ出かけようとする子供達へ、それぞれの親が呼びかける。
いつもならすでに畑仕事をしているはずの両親が、今日に限ってはずっと家にいたの。
「川に近づかないようにするのはもちろんだけど、これを持って行きなさい」
渡されたのは、ひものついた小さい巾着袋。首から提げるようにとのことだった。
「もしも遊んでいる時、身体がちょっとでもおかしいなと思ったら、このお守りを握りなさい。それでも違和感が消えないようなら、中のものを出して手に取ること。もう一度、家に戻ってきたいと思うならね」
近づくなと言われても、近づきたくなるのが人の心。子供たちは川の様子を見に来ている大人達の目を盗んで、川べりに近づいていく。雨降りの後の川を見るのは初めてじゃない。きっと獣皮をなめしたような、黒と茶色に染まっているだろうと、彼らは思っていたの。
けれど今日の川は違った。草が色を残したまま水になり、流れ込んでしまったかのような緑色。しぶきをあげながら止めどなく流れる様は、物の怪の口から吐き出される毒気のごとき異様な光景だったとか。
気味の悪さを覚えつつも、子供たちは大人たちに見つかる前にその場を離れていく。いつものように鬼ごっこを始めたけれど、鬼役の子はすぐにおかしなことを体験することになったの。
彼らの鬼ごっこはかくれんぼも兼ねている。まず隠れた人を探し出し、身体に触れることで鬼を増やしていく、現代にも続く形態のひとつ。鬼となった彼自身、人を見つけることは得意なはずだった。
なのに、ゆっくり十を数えた後、散ったみんなを探しに行き始めたものの、なぜかひとりも見つけることができない。文字通りの「頭隠して尻隠さず」の、真っ先に見つかる候補の子たちさえ、ちらりとも手がかりがつかめない。
かくれんぼに使える範囲は、予め決めてある。とりあえず、その端まで行ってみようと、彼が足を伸ばしかけた時だった。
開けた道の向こうから、馬の蹄の音が聞こえてくる。それも何頭分も。
かげろうの揺らめく街道の彼方から、茶色い馬が列を成して、こちらへまっしぐらに走ってくる。ここを抜ければ、自分たちが住んでいる村につながる。
「領主様の使いか何かかな?」と、彼は邪魔にならないよう、近くの木立の中へと潜り込んだ。先ほどまでここを探していて、誰もいないのは確認済み。馬が去ってからまた捜索の続きを始める肚だったの。
ところが大きさを増す地面の震動に、ますます森の奥へ身体を引きかける彼の目の前で、栗毛の馬たちは一斉に足を止めたわ。その馬の上にいた人たちを見て、少年は思わず「ぐっ」と息を飲みかけたの。
乗っていたのは、自分とほぼ同じ年頃の子供。彼らは馬の鞍の上にまたがっていなかった。手綱どころかたてがみの一本すら握らず、自分の膝を抱えて馬上にうずくまっていたの。ふんどしすら締めない、裸一貫で。
彼らは姿勢を変えず、そのままごろりと身体を横に倒し、馬上から落ちていく。見間違いでなければ、いずれも少年が潜んでいる森側へ向かって。
同時にブチ、ブチと草をむしるような音が混じる。手近な子が転がるのを見て、彼はそれが何の音だかすぐに分かったわ。その子のへそと馬のたてがみの中から伸びる、長く細いひも。つながっていたそれが、子供の落下と共にちぎれる音だったのよ。
少年の背筋は一気に凍り付く。同時に、立ちっぱなしだった足が、急にしびれてしまって動かなくなってしまったわ。馬からはわずか十歩ほどしか離れておらず、その足下を隠している茂みは、にわかに音を立てて震え出す。
――あいつら、こちらへ這いずってくるぞ……!。
でもこのままでは、逃げることすらできそうにない。今朝、親から言われたことを思い出して、固まりかける手をどうにか動かし、首に提げた袋を取り出す彼。
ぎゅっと握りしめると、その手のひらから熱いものがこみ上げ、瞬く間に全身へ広がっていく。「血が通う」文字通りの感覚が、凍てついた足に殺到し、一気に動きを取り戻した。
それとほぼ同時に茂みを抜け、這い出てきたのは先ほど馬上から転がった全裸の子供たち。ある者は落馬して打ったのか、頭から血を流している。ある者は茂みを抜けた際の葉が顔につき、枝を口にくわえていたわ。
少年は一目散に逃げ出した。走って走って、森の奥深くまで入り込んで行くけれど、背後から草を分ける音は途切れることがない。追われ続けている。村の方向はもはや分からず、昼間だというのに進めば進むほど、森はその暗さを増しているように感じられたわ。
周囲には木がいっぱいあったけれど、登るという選択肢はない。ひと目見た彼らの動きは、獣そのものだった。自分よりも速く木を登る動物がいる以上、きっとあの子らも登ってくる。かえって自分を追い詰めるだけ。
しかも悪いことに、これほど足を動かしているというのに、また両足に寒気を感じ始めたの。事実、足の運びは鈍くなり、背後からの音はますます大きくなってきている気配がする。
――このままだと、追いつかれる。
いよいよ自分の足に、後ろから跳ねた泥らしきものがかかった時、彼は覚悟を決めたわ。今こそ、親に言われていた二番目のことを実行に移すべき。
彼は巾着袋の口に手をかける。中には小さく畳まれた紙切れが入っていたわ。走り続けて激しく揺れながら、紙を取り出すのは難儀だったけど、わらにもすがる思いでそれの口を開いてみる彼。
そこには一見、ひとすじのわらかと思う小さな管が入っていたわ。すっかりしなびて黒ずんでしまい、本体らしき膨らみの近くには、破片と思しき黒い粒が点々とくっついている。
けれど、効果はあったわ。耳を塞ぎたくなる絶叫が次々背後であがったかと思うと、草をにじる音が、どんどん遠ざかっていく。振り返った時にはもう、あの子供達の姿はなかったけれど、草の上には川で見た時と同じ、濃い緑色の液体が軌跡を残していたらしいのよ。
彼はそれから必死の思いでかくれんぼに参加しているひとりを見つけると、自分が抜ける旨を告げて、家へ飛んでいったわ。またあんなのに追われたらたまらないし、先ほど何かかかったと思しき右足のふくらはぎには、例の緑色の液体がべったりついていたから。
家にはすでに母親が待っていて、お湯をたっぷりたたえたタライを用意していたわ。足の液体を、お湯を含ませた手ぬぐいで拭き取りながら、こう語ってくれる。
「あの袋に入っていたのはね、あんたが生まれた時からずっと取ってあった、へその緒の一部だよ。あたしたちは可能な限り、へその緒が持つように色々な工夫をして取ってあるんだ。あんたとあたし。つながった血が、あんたをどこの者にもやらない証となる。
どうやら昨晩は、神様が本格的に縄張りを取り合いしたらしいねえ。兵士たちがここまで入り込んでいた。いったん、あいつらが自分の者にしちまったら、もうこちらに戻ってこられないところだったよ」