第48話 ありふれた地獄
「さて、狩りの時間だ。これから我はレベリングを行う。この街を食らいつくし、戻ってくる船も平らげよう」
俺を落としたマグナは、こともなげにそう言った。
「競争だ人間。貴様がより多く殺したのならば船は見逃してやる。どうだ? 慣れた作業だろう、それとももう殺せないか?」
「お前、ほんと上っ面しか読めないんだな」
「どういう意味だ」
「こういうことだ」
倒壊しかかっている建物を抜け出し、俺達から離れていく親子、その子供に刀を投げつける。相当加減して刺さった刀は子供の身体をちぎり飛ばして壁に突き刺さった。
「なるほど、殺せない訳じゃないようだな」
「ああそうさ」
母親らしき女が言葉にならない何かを叫びながら、子供の身体をかき集めてくっつけようようとしている。
「ならば始めるか」
「ああ」
マグナは翼をはためかせ、いくらか高度を上げた。俺は立ち込める煙を吸わないように、静かに息を吸って、深くはいた。
「では」「それじゃ」
「「狩り開始だ」」
母親の死体をまたいで刀を拾いにいく。子供の死骸は、良く言えば前衛芸術みたい、悪く言えばグチャグチャだ。マグナは早速街に火炎を撒き散らし始めた。うかうかしていたら街の住人すべて、ウェルダンにされそうだ。
燃えた家々から人々が現れる。ぞろぞろ、うろうろ。かなりの住人が家の中に退避していたようだ。
走る。斬る。
鮮血が炎で蒸発する。
誰かが死ぬ。経験値になる。
上空から熱波が寄せては返してゆく、その中を走って斬る。奔って斬る。縦横無尽。
男の腹を拳で貫く。腕を引いて肋骨をつかむ、滑らないよう握りを確かめて投げる。あたりの炎から逃れようと、家の屋根に逃げてきた女と激突する、人体構造上、あり得ない角度に折れて屋根から落ちてゆく。
跳ぶ、踏み潰す。飛び散った血と肉片が焼けて靴にこびりつく。ぐえ、と小さな音を声帯から発して人が死ぬ。
街と人が、悲鳴をあげて燃える。
誰もが俺から離れてゆく。竜の炎と俺の剣から逃れようと。
走れる者は走り、歩ける者は歩き、這える者は這って進む。
その、悉くが失血死、焼死、圧死、絞死、骨折死。転落死。いずれかの死因で命を失った。
誰一人、死から逃げ切ることは出来なかった。
誰もが命を失った。
多くの者は経験値と化し、多くの者が惨たらしい最後を迎えた。
即死の者は運がいい。
焼けた手足を使って、芋虫のように地べたを這いずり、動く度に、炭となった皮膚が剥がれ落ちてゆく。燃えた空気で肺を焼かれ、呼吸も出来ない。その者らは竜の贄となった。
上半身から飛び出た腸が、赤くなった石畳で焼ける。彼が最後に思ったのは痛いでも苦しいでも怖いでもなく、失った半身でもない。焼かれる自身の匂いが、香りが、食欲をそそることだった。彼は修羅の供物となった。
腕を失った男は、愛する女の亡骸を抱きしめることも出来ずに死んだ。
母を失った子供は泣き、子を失った父は狂乱した。
そこは全てが平等だった。強者も弱者も、賢者も愚者も、老いも若きも、男も女も、魔法を持つ者も持たぬ者も、正しい者も間違う者も、金持ちも貧乏人も、この街に暮らす者すべてに等しく、死神が寄り添った。
骸の歌の唄った。
三途の川を渡った。
楽しい。楽しいな。
そうだ、俺は好きなのだ。
人の悲鳴が。
他人の絶望が、苦しみが。
命を摘み取ることが。
圧倒的強者の立場から一方的に搾取することが。
砕ける骨。千切れる肉。
嗚呼、なんと気持ち良い感触。心地よい音。
稲妻の如く奔る刃の輝き。
憐憫も邪念も、後悔も迷いも、過去も未来も、命も心も。全て、全部、何もかもを、切り裂く万能感。
嗚呼……この圧倒的多幸感。
マグナよ、竜よ、解るか俺が?
理解したか俺を。
俺が殺さないでおこうなどと意識の表層で考えていたのは、他人の思い通りになりたくなかっただけだ。
他人が誰かは知らん。神か、世界というシステムか、運命とやらか。
……このレベルというものに縛られたくない。そう思ったに過ぎない。
そんなものは些事だ。つまらぬことだ。
俺はこんなにも感じている。
夢中になれる素敵なものを見つけた。
人生悪くない。
これが生きがい。これが生き様。
この世界に来て本当に良かった。
人間やっぱり楽しいことをするべきだ。
夢中になれるものに励むべきなのだ。
好きなことを極める。それでいいじゃないか。
だからそう。
もっと!
もっともっと!
もっとだ!!
――それは、ありふれた地獄。
この世界では、ほんの三千年前、魔王の時代に繰り返された惨劇。
悪魔が人を殺す。
邪竜が街を焦がす。
異なったのは、竜は邪悪ではないこと。
街を侵すのは魔ではなく人。悪魔ではなく修羅。
そして――悪を打ち倒す勇者がいないこと。
生きている人が誰もいない。
なんて寂しい街なんだ。
俺はもっと欲しいのに。
つまんない。あーつまんない。
これであがりか。
『ご苦労』
上空のマグナが話しかけてくる。
「で? どっちの勝ちなんだ? ちゃんと数えていたんだろうな。俺は数えちゃいないぞ」
『数なぞ数えるもの莫迦らしい、貴様の勝ちだよ。これほと楽しそうに人を殺すやつは魔族にもおらなんだ。手際も見事だ、苛烈でありながら無駄がない』
「あーそいつはどーも。じゃあ改めて船まで送ってもらおうか」
「急ぐか? もう船からも、街から出る黒煙が見えている」
時間を忘れて没頭していたが、まだ夕方にもなっていない、昼間と呼んで差し支えない時間のはずだ。空を覆う黒い煙のせいで夜のように薄暗い。あちこちで揺れる光源は、赤の色だけをやけに目立たせた。
助走と跳躍で埠頭にある高台に着地する。ここも死体だらけだ。海にもふよふよ浮かんでいる。
背後の街は黒くて赤い。それとは正反対の風景。
高度を下げ、十分視認できる範囲にいたマグナは、いつの間にか遠くの空にいた。
『貴様、合格だよ。船に少し挨拶をしてくる。あとは殺すなり、殺すなり、殺すなり、好きにしろ。ではさらばだ』
程なくして巨大な船が見える。青をベースに黒色と紺色と黄金で配色。前の世界の軍艦と比較しても、海の王者といえる風貌。
その主砲が旋回した。




