第47話 炎の戦場
しがみ付いた背中は、ゴツゴツとした鱗に覆われている。
マグナは高度を上げてゆく、今までに経験したことがない速度。手に刺さるんじゃないかというぐらい鱗を握り締めている俺に、マグナの念話が飛ぶ。
『では、加速を開始する。女に会いたければ落ちぬことだ』
「嘘だろ」
鱗が沈んでゆく、極厚で硬質の鱗が皮膚に吸い込まれ、パズルをはめ込んでいくように鱗同士が隣接、いや隙間が無さすぎて鱗の境目が判別できなくなってゆく、体表に一切の凹凸が無くなり、マグナの肉体が流線を帯びてゆく。光沢の無い質感と相まって、さながらステルス戦闘機のよう。
握るところが無い、手が滑る。マグナの皮膚から手が離れ、指が浮き、最後に触れていた爪の先端が……。
「くそったれがァッ!!」
抜き放った白刃を突き刺す。マグナの血が頬に付いて風圧で吹き飛んでゆく。
『いたい』
「うるせー仕方ねェだろうが!」
爆発的な加速。まるで地球がその意思でマグナを追い出そうとするかのように高度が上がって、上がって、上がり続けてゆく。本能的な恐怖。速いからでも高いからでもない、母なる大地、重力から見捨てられる恐怖というものを理解した。そして――
風圧が消える。
皮膚感覚と聴覚が、それまであったナニカが無くなったことに戸惑う。声が、音が聞こえない。
マグナの巨体は普段の状態に戻っていた。
『大気が消えたのか』
『より正確には大気の層を抜けたのだ』
『っていうかマグナ、お前にはキャサリンの場所まで飛んでもらえば良かったのだが、こんな場所まで来る必要があったのか?』
『ないな。愚か、実に愚かだな貴様、我が貴様を乗せてゆく? このまま重力の外に貴様を放り出すことも出来るのだぞ? そうは考えなかったのか?』
『別にお前を信じた訳じゃないから安心しろ、嘘を見破るスキルがあるだけだ』
『なるほど、伊達にレベルを上げた訳ではにようだな、この極悪人』
力を抜いた巨体が徐々に重力に吸い寄せられる。俺のかすかな安堵感を知ってか知らぬか、マグナは眼下に広がる美しい星を睨んで低く唸った。
『ならば正直に言おう、貴様の力を』「――見たくなった」
再変形。今度は徐々にではなく、瞬間的に形態を変化させた。
摩擦熱は魔法障壁の外なのか、熱さを全く感じない。
急速に変わる視界。
オレンジ色の熱波を、紺色が突き破り、やがて青に溶けてゆく。輝く雲の白さは闇となって上下左右を支配し、人間の水平感覚を簡単に狂わせる。
そして見えてくる大地。視線を下から前方に動かせば、星の輪郭に薄いブルーが幾重にも重なりながら空へと昇っていくのが解る。
小さく見えた明かりらしきものが、人の営みがそこにあることを教えてくれる。
まだネアールを飛び立ってからほんの数分。天に昇った竜は昼を脱ぎ捨て、夜を突き抜け、見知らぬ朝の街に襲来した。
「ここは」
「船はここ目指してやってくる」
町並みはロアーヌに近いだろうか、巨大な軍艦を持つあたりロアーヌより軍事力は上かもしれない、こんな国があることをかの国は知っているのだろうか。
「俺には関係ないことだ」
「そうだな」
独り言に返事がくる。
街の上空をゆるやかに旋回する。地上ではマグナを指さす子供を、母親らしき女が抱きかかえ、建物の中に避難してゆく。
ひょっとしたらマグナではなく俺を指さしていたのかもしれない。
「で、どうする気だ? 俺としては船に直接行って頂きたかったのだが?」
「力を見せてみろ」
そういうとマグナは街に炎を吐き、そして炎は収束した。
真っ直ぐ、何処までも直線の高温。業炎。灼熱の束。炎の温度を超越したソレはプラズマと化して地面に弧を描いた。
「これにやられたのか」
「いかにも、これをビームとあいつは呼んでいた」
「あいつ? 誰だよ」
旋回しながらマグナは天地を逆転させ背面飛行に入った。足が宙に浮き、街の様子や人々が良く見えるようになる、家々が燃え、地面は深く抉られている。燃えた大型住居の窓から炎を纏った人間が飛び出して、そのままマグナの作った谷底に落ちてゆく。突然飛来した竜に襲われたのだ。混乱、恐怖、怯え。
平和だったのであろう街に死があふれていた。
握る柄に力が入る。死を見たからじゃない、ちょっと見晴らしが良すぎるからだ。
『勇者だ』
襲い来る落下感。刀がマグナの身体から抜けたのかと思い、剣先とその先のマグナを見る。皮膚を操作したのだろう、刀が刺さっていた部位が円錐型にくぼんでいた。
そうして俺は炎の戦場に降り立った。




