第45話 ネアールの空と海
「あたし、娼婦だったの」
あたしは洗いざらいをダーリンに話した。ダーリンは「処女だったくせにか?」なんて言っていたけれど、客こそとってなかっただけで、そういう場所の生まれだったことに変わりは無い。
私に親はいない。私を産んだ人は、まだ町に居るのかもしれないけれど、私を産んで病院に置き去りにしたような人だ。
今更会いに行く義理もない。
私を引き取ったのは、娼館の女主人。私みたいな身寄りの無いのを引き取っては世話をして、生き方を教えている。あの町での生き方。
彼女こそが、あたしにとっての“ママ”だ。
ママが病院から聞いた限りじゃ、私を産んだ人も娼婦だったらしい、でもママの店じゃない、個人でやってた可能性もある。なにせ町じゃ、娼婦というのは女にとって一番ありきたりな商売だった。
兎に角、何故か客の子供を身篭って、何故か産んで、あげくに捨てた。そういうこと。
通常、娼婦は妊娠をしない。それは定期的に不妊魔法を受けるからだ。子供が出来たら仕事にならない。費用だって別段高い訳じゃない、お店じゃ経費で落ちる。
堕ろすことも難しくはない。そのあたりの医療魔法はエキスパート揃いなのだ。町は。
そういう町で産んだ。どうせ産んだのなら、母親をやってくれても良かったのに、どうしてか、その人はしなかった。
ともかく。母親にならなかった人と、顔も知らない父親のことはどうだっていい。二人の間に何があったのか興味もないし、機会があっても話すことなんてない。
だからあたしが会うのはママだ。ママと娼館のみんな。
みんなに今のあたしと、あたしのダーリンを紹介する。
外での生きかたを知らないみんなに、あたし達を見てもらう。
そのために、あたしは戻ってきたのだ。この苔の生えたような古い町に。
「おにいさぁーん寄ってかなぁーい?」
「はぁああ!? あたしが見えないの? アンタ、殺すわよ?」
「えー? この町に来て何言っちゃってるの? ねぇおにいさん、こんな女が出来ないプレイをしてみない? 天国を見せてあげるわ」
「ちょっとダーリン! このババア殺してよ!」
「ば、ばば、誰がババアよ! この裏切り者!」
「私はロアーヌ帰りよ、おばさん」
「ちょっと二人ともいい加減にしないか」
町は何も変わってはいない、客を引く女共と、品定めをする雄共。活気のある町だと言っていいと思う。
でも私のダーリンに話しかけるのは許せない! まして横に私がいるのに話しかけるとか、どういう神経しちゃってるのかしら。
そりゃダーリンはカッコイイし、どうせするならそのほうがいい。言葉だって、片言しか話せない外国人ばかりじゃ飽きるというものだ。
しかし、ダメなものはダメ!
これは、あたしのだ!
一時期だって渡しやしない。そう誰にも渡したくないの。
その後は誰も、ダーリンに話しかけてくる無粋な女はいなかった。こんなカッコイイ男がいるのに皆もう少し見とれてもいいと思う。声をかけるのは許さないけど。
ママの店が見えてきた。紫の照明に照らされたピンクの可愛い看板。
表に立っているのはシエスタだわ。ちっとも変わってない。そばかすのことを言うと途端に不機嫌になるけど、それ以外はとっても優しい人。
いつもの、ふて腐れたような愛想笑いで、雄に媚を売っているわ。
「シエスター!」
キャサリンが大きく手を振って走り出す。
呼ばれた女は驚いた様子。でも嬉しそうだ。二人は抱き合い、そして俺を見る。
さて、面倒だしガラじゃなんだけどな、シャキッとしていきますか。
歩きだす。
一歩、二歩、キャサリンの顔色が変わる。
「ダーリン上!」
指差す上空、そこには何もない。ただの青空。再度キャサリンへと向き直る。「来るよ!」必死にそう言うキャサリン。再度上を見る。
かすかにかおりだす既知の感覚、慣れ親しんだ感覚。されど自分のソレとは異なる。
――レベル? レベル13!! 死。
死の感覚。
暗い。
地に足がついていない、重力を感じない。
上も下も時間すらない。
思考が言語化しない。夢の中のような。
いつ? いつとはなんだ。
どのタイミングで? 誰から何をされた? それよりキャサリンは?
自分が今どんな状態かわからない。生きているのか死んでいるのか、ただ死んだという実感がある、黒騎士にやられた、あの時の感覚。
敵だ、レベルを持った敵、そして恐らく奴は。
肉体が再生してゆく、[再上映]が正しく機能した。
「ごぼごぼごぼgbgbgbgbg」
声にならない言葉、それより息が。
赤っぽい視界に光が射す。空、ではなく水面に光が当たり、きらきらと瞬いている。
水中。海の中だ。脳が知覚を取り戻す。そして混乱をも。
いつまでも昔の習慣にひっぱられているのだ? 呼吸なぞ、しばらくしなくたって問題ないだろ。
呼吸を諦めて、酸素を節約するように細胞達に命令する。幻想の認識で精神を安定させ、状況を整理する。
陸地にいたことは間違いない、そして今は海の中。
いや、それよりも先に考えるべきこと。
奴は?!
[レベル感知]が位置を教えてくれる。上後方。
穴の開いた陸地が見える。あそこから落ちたようだ。
俺の立っていた場所だけ突如地盤でも崩れたとでも言うのか?
ともかく水面を目指して水を蹴る。
水中では思ったほどの速度は出ない、どれだけ膂力が上がろうとも泳ぐという動作の効率の悪さを実感する。
奴だ、間違いない。あのときのレベルのまま、あのときのように着地している。
こいつには町でも壊す習性でもあるかのか?
「生きてたか、確実に殺したはずだが」
竜の口が大きく開く。浮上した俺からは目や耳は見えない。ぬめりとした口の中だけが見えている。
その口内に光が生まれる。
そこで俺の意識は途絶えた。




