26話 予感
「実はあたしさ、ネマイラに流れ着く前の記憶がないんだ」
カリディア出発を翌日に控えた夜、突然の告白にアリエッタは驚いていた。アリエッタ湖の畔に倒れていたのを保護してもらう二年前にネマイラでジム夫妻に助けられたというのは聞いていたが、それより昔の話はした事がなかった。何か思い出したくない出来事があって話してくれていないのかもしれないと予想はしていたが、真実は斜め上を行っていた。
「エメラディナって名前もなんとなく、それっぽい名前を付けてもらっただけ」
そう言って困ったような、疲れたような弱々しい笑顔は逆に痛ましさをアリエッタに感じさせた。
「そんな顔しないで。これでもあたし、今が幸せなんだから」
アリエッタの感情が顔に出ていたのか、エメラは打って変わって今度は優しい笑顔になりさらに続ける。
「ジムさんたちに拾ってもらって、良い人たちに囲まれて、アリィにも出会えた。過去に何があったかはわかんないけど、これって幸せなことだと思わない?」
失ったエメラの記憶の中にどれだけ辛い事があったとしても、確かに現状だけを見ればエメラは恵まれている方なのだろう。自分の名前が出てきたことにむず痒さを感じつつ、アリエッタもエメラの言っていることは十分に理解できる。それは何よりアリエッタ自身も同じ事を感じていたからだ。
「だから、過去のことなんて知らない方が良いんじゃないかって思うことも多いの」
なまじ記憶があるからアリエッタは苦しんだという点はアリエッタ自身否定できない。自分が男であった事、地球には家族が残っている事、アリスフィアの人ではない事、人間であった事、思い当たることは少なくない。記憶が無ければ、ネマイラにいた時間はもっと幸せなものだったかもしれない。
しかし、エメラの言い分を全面肯定することはできない。アリエッタにとって、その記憶はアリエッタをアリエッタとして構成するパーツの一部なのだから。
「どうしてそれを今話してくれたの?」
「なんでかな。自分でもよくわかんない。強いて言えば、なんとなく話したい気分だったから、かな」
虫の知らせとはこういう事を指すのかもしれない。
後日アリエッタはこの時のことをそう思い出す。
扉を開けた先にいたのは一人の女性だった。銀色の長い髪に先の尖った耳、少し切れ長の目。顔立ちは非常に整ってはいるが、一般的な魔族の特徴を持った女性だった。しかし、問題はそこではない。
「…エメ…ラ?」
アリエッタは慌てて隣にいるはずのエメラを見ると、そこには紛れもなくエメラ本人がいた。再びアリエッタが前に視線を戻すと、変わらずその女性が立っている。
「え…?どういうこと?エメラが二人?」
そう、その女性はエメラと瓜二つだった。アリエッタとアリエラなんてレベルではない。髪色から顔立ち、体系に至るまですべてが生き写しだった。強いて違いを挙げるとすれば、エメラよりも纏った雰囲気が大人びていることだろうか。
「あぁ、そうか。この姿だとわからないか」
女性はそれだけ言って右手を軽く振ると、女性の姿が赤髪に大人っぽい雰囲気を纏わせた姿へと変化した。その姿はフィルブトのギルドで初めて会い、オーヴィレンの闘技会でも顔を合わせた探し人その人であった。
「ルビアスさん…?」
「この姿でしか会ってなかったから、わからなくて当然か」
ルビアスはそれだけ言うとすぐに再び姿を変えてエメラそっくりの容姿に戻った。
「元はこっちだ」
フィルブトで初めてアリエッタたちが会ったときも、オーヴィレンの闘技会のときもどちらも幻術を使って姿をごまかしていたという事になる。オーヴィレンはともかく、フィルブトでも幻術を使っていたことに疑問を感じたのはアリエッタだけではなかった。元々このルビアスという人物についてはよくわかっていない事も多く、本来の目的である性転換の魔法以外にも聞きたい事や確認したい事は少なくない。
「ルビアスさん、色々と聞きたい事があったんです。少し話せませんか?」
「あぁ、いいよ。でもその前に訂正させてくれ」
ルビアスは少しの間をおいて意を決したように驚きの言葉を口にした。
「私の本当の名前はルビーナ。ルビーナ=グレヴィルだ。ルビアスという名も周りを欺く偽名さ」
ルチアに続いてルビアスも偽名だという言葉を信用していいのかアリエッタには判断ができない。しかし彼女の言葉が事実なのであれば、アリエッタは聞きたくない、受け入れたくない真実がこの先に待っているような不安を感じ、心臓の鼓動が早くなっているのを自覚した。
「わかりましたルビーナさん。それでは単刀直入に聞きます」
「あぁ、どうぞ」
「あなたが三十年前、性別を変えたという話を聞きました。それは本当ですか?」
アリエッタとエメラはこの答えを聞くために一年以上も旅を続けてきた。その結果が今ここで出る。そう思うとアリエッタは暑くもないのに額に汗がじっとりと噴出すのを感じ、手はしっとりと湿り気を帯びていた。ルビアス改めルビーナはすぐには答えない。その間がアリエッタにとっては途轍もなく長く感じられ、心なしか息苦しさも感じ始めていた頃になってやっとルビーナが口を開いた。
「そうだな……嘘か本当かで言えば客観的には本当なんだろうな。だが、キミが求めてる答えはおそらくそこではないのだろう?」
客観的にというルビーナの言葉にアリエッタは強い違和感を感じながらも、主観的には違うというのかと頭を働かせようとしたところで再びルビーナが口を開いた。
「少し昔話に付き合ってもらってもいいかな?」
アリエッタの求めていた答えが返ってこない中、急なルビーナの話に戸惑いを覚えつつも首を縦に振るしかなかった。
「悪いな」
ルビーナはそれだけ言うと淡々と話し始めた。




