20話 怒りの矛先
デューンには気掛かりな事があった。
昼食の順番待ちをしている最中にアリエッタがもじもじし始めたと思ったら、なにやらエメラに耳うちして一人集団から離れていったのだ。その様子から察するに用を足しにいったのだとデューンは予測をしていたが、女性に対して「トイレか?」などとデリカシーのない事を聞くこともできず、ただ見送るだけだった。
サーフィト帝国では厳しく取り締まられているが、エルガラン王国では黙認されている存在、違法奴隷。国家の定める方法以外で調達された奴隷の俗称だ。そんな国家の姿勢が反映され、王国ではあの手この手で奴隷として人を捕獲せんとする裏の人間が一定数存在する。
その方法の一つに公衆トイレを偽装するという手口がある。一見普通の公衆トイレで、捕らえたとしても売り物になりそうにない高齢者にとっては普通の公衆トイレと変わらない。しかし、労働力になりそうな男性や子ども、娼婦や妾として高値のつく若い女性は格好のターゲットとなる。魔力を無効化する空間を作り出す魔方陣を敷いた個室に誘導し、動けなくなったところに魔封じの腕輪を嵌めて無力化するのだ。いかに女子供だとしても魔力量は測れず、迂闊に手を出すと逆に返り討ちに遭う可能性があるためだ。
見分ける方法は、当然個室に入る前に魔方陣がないか確認することだ。都会の人間には常識になりつつあるが、国外からの旅行者や田舎から上京する者等は未だにこの手にかかりやすい。旅慣れたアリエッタであれば知ってるいるだろうと思う反面、もしかしたらという思いもデューンは払拭できなかった。そしてなにより、この日デューンは心がざらつく様な嫌な予感も感じていたのだ。
「ちょっと用足してくる」
デューンはそれだけ言い残してアリエッタの後を追った。
アリエッタはデューンの予想通り公衆トイレを見つけると、入り口に立っていたガラの悪い男と一言二言言葉を交わしてお金を払うと中に入っていった。それだけであればただの公衆トイレで、デューンの取越し苦労というだけで済む。そしてデューンもそれを願っていたが、非情にもその願いは屈強な男が二人、アリエッタを追うように中に入っていった事で崩れ去った。
「くそっ!やっぱりか!」
デューンは悪い予感が的中してしまったことに悪態をつきながらも、すぐに駆け出した。
聖魔術師とは言え、デューンは人間族としては類まれな魔力量と才能を持ち合わせていた。専門は聖魔術だが、属性魔法も自衛というには過剰なほどの実力を兼ね備えていて、そこらのチンピラ程度であれば昏睡させる程度はわけもない。いとも簡単に入り口の男を気絶させると中に入っていった。
そのタイミングはギリギリだった。先に入っていた男二人は少し大きな袋を担いで移動しようとしていたところだった。
「おい、その袋を中身ごと置いてけ」
いつものデューンからは想像もできないほど低く、凄みのある声を出す。
「ああん?誰だてめぇ」
「これが欲しいのか?別にいいぜ。五百万レム出せればだけどな!」
男二人はそう言い残してすぐにその場を離れようとするが、そのままその場に崩れ落ちた。
「あれ、なんだ?」
「体に力が入らねぇ」
デューンの聖魔術は人を癒すだけにとどまらない。相手の体の自由を奪ったり、身体機能の一部を喪失させるといった事も可能だった。当然格下の魔力量が低い相手にしか通じないが、こんな外道な仕事の末端で動いている程度の者であれば、大抵は抗う事などできない。魔力量が多いというのはそれだけでステータスとなり、食い扶持に困ることなど無く、ここまで底辺の仕事には手を出さないからだ。
男二人が支えきれなくなった袋をデューンが奪い取り中身を確認すると、その中には案の定気を失ったアリエッタが入っていた。その腕には銀色に光る腕輪が両腕に嵌められていたが、それ以外に何かされたという事はなさそうでデューンはほっと胸を撫で下ろした。
アリエッタを丁寧に壁にもたれかけさせると、デューンはゆっくりと動けなくなった男二人に向き直った。
「この娘を物扱いした報いを受ける覚悟はできてるよね?」
物腰こそ荒くはなっていないものの、その言葉が発する温度は限りなく低く、そして鋭かった。その言葉の意味するところを肌で感じた男たちは肩を震わせ、怯えた目でデューンを見つめた。そういった目をした人たちを無慈悲に"商品"として扱った男たちへ新たに怒りを覚えたデューンは、目の前の男たちがかつてそうであったように淡々とその手を下した。
「うぎいいぃぃ、痛てえぇぇぇ!!」
「ぎゃあああああ、あがががが!!」
男たちの見た目に変化はまったくない。しかしその痛がりようは尋常ではなかった。のたうち、転がり回り、発狂したかのように大声で叫び続ける。
「体中の痛覚を目いっぱい刺激しておいたよ。あと五時間くらい続くから我慢してね」
満面の笑みで男たちにデューンは語りかけるが、もはや男たちはそれどころではなく一言も頭には入っていないだろう。デューンは一転して表情を無くすと、アリエッタの膝裏と背中に手を回して抱き上げその場を後にした。
「アリエッタちゃん、そろそろ起きて」
優しげな男性の声でアリエッタは目を覚ます。目の前にいたのはしつこく自分に付き纏っている元神官のデューンだ。
「あれ、なんで僕ここに…?」
「いや~、危なかったねぇ。もう少しでお貴族様あたりの性奴隷にされるとこだったよ」
アリエッタはデューンのその言葉ですべてをはっきり思い出した。使えなくなった魔力に卑下た男たちの笑み、魔法による強制失神、そして深い絶望感。目の前にいるデューンも恐怖からきた幻覚なのだろうかと思ったが、腕に腕輪がなく魔力が体を正常に循環しているのがわかる。試しに目の前の男の足を凍らせてみると特に問題も無く発動した。
「ちょっと、恩人に対してこの仕打ちは酷くない!?」
デューンは抗議の声を上げるが、アリエッタの頭の中の整理が追いつかず、その言葉も頭に入ってこない。
「なんで…?」
「あー…まだ状況が理解できてないのかな。実はね…」
デューンがアリエッタを助けられた経緯を簡単に説明していくと、少しづつ状況を飲み込めてきたアリエッタも落ち着きを取り戻していった。
「はぁ…デューンのストーカーっぽいところに助けられたのかぁ」
「すとー…何?」
実際にデューンにはストーカーのような行動思考はなかったのだが、アリエッタにそんな風に言われてしまうのは、ある意味彼の実績が物を言ったともいえる。
「なんでもない。ともかく助かった、ありがと」
その言葉とは裏腹にぶっきらぼうな言い方のアリエッタだが、内心では本当に感謝していた。絶望感から目の前が真っ暗になる感覚は二度と味わいたくない類のものだっただけに、その意識は特に強い。それでも言い方が悪いのは最初の印象が悪すぎたせいで素直になれなかったのだ。
「ちぇ。泣いて抱き付いてきてくれるくらいでもよかったのに」
「誰がするか!」
「はぁ…。…そろそろ戻ろうか。みんなお腹空かせてるだろうし」
アリエッタが五人から離れて、実は十分程度しか経過していない。それでもトイレにしては長いが、まだ言い訳のしようがあるだろう。
「あ、そうだ。このことみんなには内緒ね」
「なんで?」
「こんな事エメラちゃんが知ったら、町が火の海だよ?」
「あー…」
怒り狂ったエメラの様子が容易に想像できるだけにアリエッタとしても笑えない。
「トイレがなかなか見つからなかったって事にしとこうよ…」
「そうだね…」
そう二人で話を合わせて元の場所に戻っていった。
戻ったアリエッタは盛大にリフィミィにブーたれられて、さらに遅れてきたデューンはエメラにこっ酷く説教されていた。
「なんでボクが…」
という言葉は火に油を注ぐ行為だけに、その間デューンはひたすら貝になっていたのだった。




