20話 デューンの意地
「もう二度とあんなドレス着ない…」
「まだ言ってる。まぁ、あたしもちょっと遠慮したいのは同感だけど」
祝勝会の行われた翌日の朝、食事をしながらアリエッタが盛大に愚痴をこぼしていた。
昨夜の祝勝会では綺麗なドレスを着付けられて、髪は結上げられ、顔には普段しない化粧までされて、アリエッタにとっては不快な事この上なかった。ゴテゴテした装飾品で重い頭、化粧の不快感を感じる顔、必要以上にコルセットで締め付けられて苦しい腰周り、履き慣れないヒールの高いパンプスでバランスの取れない足元。いずれか一つでもかなりの苦痛だったが、それが合せ技で襲ってくるのだ。まともに食事は取れない、いすに腰掛けるのすら一苦労、歩くなど以ての外だ。魔法で身体強化をしていたものの、それで負荷が軽減されたのは頭の重さと足の痛みくらいなものだった。何やら話しかけられたり、褒められたりしていたのだが苦痛が大きすぎてアリエッタはすべて上の空だった。
「シーラは毎日毎日よくあんなの我慢できるよね…」
「あの子の場合、あれが普通なのよ…」
社交場と普段では当然服装も変わってくるだろうが、シーラ皇女の場合は皇女という立場上、正装しなければならない機会も多いはずだし、幼少の頃から着慣れているという面も否定できないのだろう。
「あうー…」
リフィミィもアリエッタやエメラと違って苦しいという事はなかったようだが、いつもと違った動きにくい服装に食事がしづらいという点は死活問題だったようだ。それでも綺麗なドレスを汚しながらも思う存分食事を楽しんでいたあたりは逞しくも彼女らしいところだ。
「さて資金面も潤ったし、ゆっくり北に向けて出発しようか」
「もうちょっとゆっくりでもいいんじゃねーか?」
昨晩の皇帝や皇女の様子から、滞在している限り事ある毎に皇宮に呼びつけられそうな雰囲気を感じて、アリエッタはできる限り早くフィルブトから離れたかった。皇宮に呼ばれるだけであれば良いが、また昨晩のように正装させられるのだけは避けたかった。帝都防衛の最大の功労者として五十万レムもの褒章金を手にしたおかげで、旅費の心配はほぼしなくてよくなった。それでもあの正装するくらいならさっさと帝都を出たいというのがアリエッタの偽らざる気持ちだった。
「また皇宮呼び出させれそうだから、アリィも焦ってるの」
「うまいモン食わしてもらって、ただ酒飲めて最高じゃねぇか」
「ガリオルはそうかもしれないけど、僕たち結構大変だったんだよ」
経験した者にしか理解できない。アリエッタはそう思うが口には出さない。ガリオルも「そうか?」とだけ返すも特にそれ以上反論する気はないようだ。
そんな全体のテンションが低めな朝食をしていると、宿の食堂に一人の男が入ってきてアリエッタに声をかけた。
「アリエッタちゃん、やっと見つけたよ!」
アリエッタたちとは正反対な高いテンションにアリエッタは辟易した表情で声の主に顔を向ける。
「出たなチャラ男…」
深い溜息をついて一言毒を吐く。その場にいたのはアリエッタが予想した通りデューンが立っていた。
アリエッタとしては一度は命を救われた事を感謝してはいるのだが、そのストーカー紛いの態度は気に入らない。交際相手に困らなさそうな爽やかで人好きのするルックス、既に何人もたらしこんでいるであろうその軽い喋り方、自分に絶対の自信を持っているであろう女性への接し方、そのすべてが男性目線で見てしまうアリエッタには気に入らなかった。命を助けられるという、これ以上ないほどのプラス要素があるにもかかわらず、デューンに対するアリエッタの感情がマイナスに振れるという事から、アリエッタがいかにデューンの事が気に入らないかが表れている。
「ほらアリィ、仮にも命の恩人なんだからそんな態度取っちゃダメだよ!」
「…うん、わかってる」
エメラの注意はアリエッタだって当然わかっている。しかし理性で感情を抑えられるかどうかはまた別問題だ。それでもアリエッタは意志の力でデューンと向き合う。
「昨日は危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございました。今こうしていられるのもデューンさんのおかげです」
アリエッタは昨日もまともにお礼も言えていなかった事を思い出して、改めて昨日のお礼の言葉を丁寧に述べる。しかしそれに対するデューンの言葉はアリエッタにとって少し意外なものだった。
「あぁ、うん、あれがボクの仕事だからね。老若男女関係なく、教会に助けを求めにきたらできる限り救う。それだけだよ」
デューンのその言葉には教会勤めの神官として、聖魔術師としての矜持とプライドが滲み出ていた。アリエッタはデューンの言葉を聞いて、自分が色眼鏡で相手を見すぎていたことを感じ反省した。しかし、そんなアリエッタの反省も次のデューンの言葉で吹っ飛んだ。
「そんなわけでボクと付き合ってよ」
脈絡もなければ、理由もわからない。唐突過ぎてアリエッタも最初何を言っているのかすぐには理解できなかった。少しづつ言葉の意味が理解できてくると同時にアリエッタの顔が赤くなってくる。もちろん羞恥だとか緊張だとかによる甘酸っぱい理由ではない。アリエッタの頭の中に渦巻くのは、やはり最初の印象通りの男だと確信したことによる苛立ちと、一瞬でもデューンを見直した少し前の自分への怒りだった。
アリエッタ自身、怒りを抑える自信がなかったが、さらに沸点が低い者がいた。
「あう!!」
「いでえぇぇ!」
リフィミィの声と同時に少し乾いた嫌な音がが響いたかと思うと、今度はデューンの叫び声が上がる。リフィミィは鋭い目付きで左足を押さえて蹲るデューンを睨み付け、今にも次の一撃を繰り出しそうな様子だ。しかし、エメラが無言でその動きを宥めると、次の瞬間には襟首を捉まれたデューンが宙に浮いた。
「誰が誰とどうするのかもう一度聞かせてくれる?」
いつもの穏やかな口調でエメラが声を出しているが、その光景はいつものエメラからは想像もできないものだった。デューンを見つめる目は据わっており、口元は歪に歪んでいる。そしてなにより、強化された細腕でデューンの襟を掴んで持ち上げている光景は、異常と形容する以外の言葉が見つからない。
そんな状況にアリエッタは逆に冷静にならざるを得なかった。左足の痛みと襟首を掴まれて持ち上げられている事でデューンの顔が青くなっていた。
「ちょ、ちょっとエメラ!死んじゃうって!」
「あら、やりすぎちゃったわ」
エメラがその場で手を離すと、デューンは座り込んで咳き込んでいた。アリエッタは、「付き合って」の一言だけで随分割の合わない仕打ちを受けているなと思うと少し気の毒になってきた。
「迂闊な事は言わない方がいいですよ…」
そう声をかけながら、アリエッタはデューンの足を治療してやる。
「ありがとう!アリエッタちゃん聖魔術も使えるのか。ますますいいね」
ここまでされてまったく懲りていない様子のデューンに、アリエッタは今日何度目かの溜息をつく。
「命の恩人にこんな事言うのもあれですけど、これに懲りたらもう僕たちには構わないでください」
「それは無理な相談だよ。もう他の女の子と関係は全部清算してきた!これからはアリエッタちゃんが振り向いてくれるまで諦めないからね」
デューンの言葉にまたエメラとリフィミィが動こうとするが、アリエッタとガリオルが何とか食い止める。アリエッタは今日最大級の溜息をついて、意思の篭った目でデューンを見据える。
「あんまり付き纏われると、命の保障ができませんし迷惑です。この際だからハッキリ言わせてもらいますけど、僕はあなたの事が嫌いですから」
「今はそれでいいよ。でも絶対振り向かせるから」
デューンのその前向きさと自信はどこから来るのか、アリエッタにはまったく理解できなかった。アリエッタ自身も前向きな性格をしているのだが、デューンのそれはアリエッタの理解の範疇を大きく超えていた。アリエッタはわからなさ過ぎて投げやりな一言を投げかける。
「…好きにすれば?」
そして、その言葉を後になって盛大に後悔する事になるのだった。
 




