19話 高貴な生まれの少女
「ごきげんよう、聖女様」
ニッコリと笑顔を見せる少女は、背後に侍女を三人つけている事から相当高貴な生まれの少女だという事が伺える。澄んだ蜂蜜を思わせるブロンドの髪は結上げられ、幼さを残しつつも整った顔立ちは数年後の成長が楽しみだと思わせる。
「殿下!またこのような場所に来られて…」
「アリシア、固い事は言いっこなしよ。わたくしだって聖女様にお会いしたかったんだもの」
殿下という呼び方は君主ではない王族、皇族に対して使われるのが一般的な言葉だ。そうなると、アリエッタの目の前の少女は皇族の一人という事になる。
「えぇっと…皇女様…ですか?」
「はい!第一皇女シラルディア・デ・ウル=サフィトゥスと申しますわ。シーラとお呼びください!」
「僕はアリエッタって言います」
シーラ皇女に続いてアリエッタやエメラたちも自己紹介を進めていく。人間族の生活圏なのに人間族っぽいのがリフィミィだけというメンバー構成にシーラ皇女は随分と驚いている様子だった。何せ、人間族のテリトリーの中では魔族も竜人族も滅多に見ることがないにもかかわらず同じパーティにそんなレアキャラが詰め合わされて行動しているのだ。歩く一等当選宝くじといっても過言ではない。
「それで皇女様は…」
「シーラです」
「シーラ様は…」
「シーラ!」
「シーラさんは…」
「シーラ!!」
「………」
呼び方の随分なこだわりように、アリエッタは小さく溜息をつきつつエメラをジト目で見る。
「呼び方強制してくるところ、誰かさんに似てるよね」
アリエッタが独り言のようにポツリと呟いた言葉にエメラが不自然に目を彷徨わせる。
「それでシーラ」
「はい!」
アリエッタが呼び直すと、シーラ皇女は嬉しそうに返事をする。気軽に話せる友達が欲しいのだろうかとアリエッタは思ったが、実際その通りかもしれなかった。皇女ともなると周囲は一人の少女としてよりも、まず皇女として彼女を見る。そしてその透過率の悪いフィルターを通すだけで、一般人であれば普通に享受できる人間関係すら構築するのが難しくなるのだ。わりと歳の近そうなアリシアでさえ、主従の関係をきっぱりと分けた付き合い方をしているのを見るに、気軽に話せる友人はいないのだろう。
「どうして僕に会ってみたいと思ったんですか?」
「もちろん蒼の聖女様がフィルブトの者にとっては憧れだから、ですわ」
シーラ皇女が語るには、子どもの頃から聞かされる『蒼の聖女』の伝承は、特に女の子の憧れらしい。もし自分だったら、そんな憧れの気持ちは女の子も男の子も、地球もアリスフィアも変わらないという事なのだろう。
「うーん、正直くすぐったいというか、僕は蒼の聖女なんかじゃないんですって」
「そんな事ありませんわ。綺麗な青い髪に可愛らしいお顔、それに反してブルードラゴンを自在に操って戦う凛々しさ。まさに蒼の聖女様そのものですわ!」
実際にはアリエッタは氷竜を呼んで、後は勝手に氷竜が暴れて帰っていったというのが実情なのだが、美化されたシーラ皇女のビジョンを壊すのはアリエッタも抵抗があった。かと言って、このまま美化し続けられるのも怖いと思う気持ちもあり、どう訂正すべきか考え込んでしまう。
「シーラ、あの…僕は氷竜召喚しただけで実際はそこまで僕が指示してるわけじゃないんですよ…」
「まぁ!それではブルードラゴンが主である聖女様の意に沿うように戦っているのですね!」
最早何を言っても美化される流れは止められないようだ。氷竜の主になったつもりもなければ、氷竜がアリエッタの意を汲んで動いていたわけでもない。既に憧れを通り越して妄想の世界だ。
「アリィ、これはもう何言ってもダメなやつよ…」
「うん、僕もそう思った…」
アリエッタたちは、残念ながら違う世界に旅立っていったシーラ皇女を助けるのを断念して自力で生還するのを少しの間待つのだった。
「ところで聖女様たちは旅をしながらここまで来たのですわね?道中の話などお聞かせ下さいませんか?」
戻ってきたシーラ皇女は、今度は自分が出る事の適わない外の世界への興味が涌いてきたのか、アリエッタたちの道中の話をせがんできた。そんなシーラ皇女の要望に応える形で基本的にはアリエッタが、時にエメラが補足を、たまにリフィミィやエレアが思い出話をする形で進んでいく。アリエッタたちにとっても改めて旅路を振り返るいい機会だったのは間違いなかった。シーラ皇女は目を輝かせ、時に笑い、時に涙を流しアリエッタたちの話を聞きながら外の世界に思いを馳せるのだった。
ちょうど大森林でネスカグアと遭遇する前辺りまで話が終わったところで、部屋の扉が控えめにノックされる。
「皆様、お着替えの準備が整いました」
「あら、もうそんな時間ですのね。それではまた後ほど」
シーラ皇女はそう言うと優雅に一礼して部屋を出て行った。入れ替わりに入ってきたのはシーラ皇女のお付の侍女とは別の侍女が数人だ。
「それでは皆様、別室にご労足お願い致します」
新しく入ってきた侍女の中でも一番前にいた女性がアリエッタたちに声をかけると、アリエッタは他に気付かれないよう小さく溜息をついた。綺麗な女性を見るのは好きなアリエッタだが、自分が女性として着飾らなければならない現状には嫌悪感と諦めの混じった複雑な感情を抱かざるを得なかった。
アリエッタは今の体になってしまってから一年経った今でも自分の体にすら欲情を感じてしまう事がある。健全な青年の精神を持つアリエッタとしては仕方のない事だ。当然のように、それが自分の体であると認識した途端にその感情は消え去るが、その度に欲情したという事実に自己嫌悪に陥る。
そんな事もあって、相変わらず女性らしい装いをする事に関して、抵抗は薄くなったとはいえ無くなったわけではない。男が女装しているような背徳感と、女の体であることを強く意識させられる無力感。その相反する感情が同時に混ざって味あわせるられるのは、今でも嫌いだった。
それでもアリエッタが負の感情を表に出すのは一瞬で、次の瞬間には「今更じたばたしても何も変わらない」と結論付けて気持ちを切り替えられるのはアリエッタのいい所だ。既に皇宮での豪華な食事がどんなものなのかと考えられるあたりは一つの才能だろう。
軽い足取りで、というわけにはいかなかったが、後ろ向きな考えを振り払い特に気負う事もなく侍女の後ろについて歩いていくのだった。




