10話 女性としての…
夕食を取った大衆食堂を切盛りする中年の女性に、いつぞやのようにしきりに安宿に宿泊する事を心配されるも、ガリオルが用心棒になってくれると軽く流していた。
ガリオルのような屈強な男もいるし、自分たちもそれなりの力を持っているという驕りが、アリエッタにもエメラにもあった事は意実かもしれない。それでも、鍵のかからない扉の前には荷物を置いて、扉が開いたら音がするようにしたり、ガリオルを同じ部屋に泊めたりと油断をしていたつもりはなかった。
アリエッタはベッドが軋む小さな音と、自分以外の重量によりマットが沈み込む感覚に眠りの中から意識を引き戻される。まどろむ頭の中で、リフィミィが動いたのかと考えたが、違和感を拭い去れなかった。その違和感を裏付けるかのように、今度は胸に何かが当たる感触が帰ってくる。寝ぼけたリフィミィの手や顔が胸に当たることは珍しい事ではない。しかし、今の感触はそのどちらの感覚でもなく、明らかに人の手、それもリフィミィのように幼児のものではなく、大人の手の大きさだ。それが何を意味するかアリエッタの頭の中でつながったと同時に、胸に当たった指先が怪しく動き始めた。
エメラやリフィミィがベッドに潜り込んでくる事はあっても、添い寝をするだけだ。ガリオルは最初こそアリエッタは警戒したものの、思った以上に貞操観念が強く、相手への配慮ができる男だった。そうした事情から同じ部屋の寝泊りも抵抗がなくなったのだ。
そう考えると、こんな事をする者といったら、不貞の輩しかいない。アリエッタがそこまで結論付けたところで、胸を揉みしだく手を払いのけ、咄嗟に光魔法によって部屋を明るく照らし出す。そこには四十歳前後の男が、アリエッタに覆い被さるようにして手足をベッドについていた。瞬時に状況を理解したアリエッタは手足を強化して目の前の男を退かそうとするが、手足に力が入らないだけでなく頭もぼんやりとしている。
「へへへ、エネモアの香が効いてるみたいだな」
そう言われてみると、心なしか花のような甘い香りが漂っている。
「これはな、頭の働きを極限まで鈍らせる効果があるんだ。お前にはあんまり効いてねぇが、お仲間はこの通りだ」
その言葉に周囲を見渡すと、これだけの騒ぎを起こしているにもかかわらず、アリエッタ以外の全員が熟睡しており、まったく起きそうな気配を見せなかった。その中でも見逃せない光景がアリエッタの視界に映りこむ。アリエッタの目の前の男とはまた別の男が、同じようにエメラに覆い被さり、上着をはだけさせ、その白い肌が剥き出しになっていた。
その光景を見たアリエッタの中で何かが切れた。すぐさまアリエッタを含めた全員に聖魔術を掛けると、正常な感覚を取り戻した右足で目の前の男の股間を全力で蹴りつける。あまりの痛みにその男は泡を吹いて気を失った。もう使い物にはならないだろうが、一方的に襲ってくる相手だけに同情の余地はない。聖魔術の効果で目を覚ましたが、まだ状況が理解できていないエメラに覆い被さっている男の股間も、同様にアリエッタが全力で蹴り上げる。同じように痛みで気絶する男だが、アリエッタはそれだけで止まらなかった。
アリエッタはエメラの着衣だけ直し気絶した男二人を窓から外に投げ飛ばすと、自身も外に出る。おもむろに聖魔術で暴漢二人を治癒すると暴漢たちが目を覚ます。アリエッタはそれを見計らうと、先ほどと同じように股間を蹴り上げる。またしても同じように痛みで気絶するが、また聖魔術で患部を治療する。そしてまた意識を取り戻したところで股間を蹴り上げる。アリエッタも元男性として、その辛さはよくわかっている。そして、よくわかっているからこその行動だという事は、その据わった目が雄弁に語っていた。
聖魔術で強制的に覚醒させられるたびに悲鳴や「頼む、もう許してくれ!」という言葉を発せられるが、アリエッタの魔力は底知れず、攻撃して治癒するというサイクルを止める気配は見せない。
もしアリエッタが目覚めるのが数分遅かったら、アリエッタもエメラも今頃傷物にされていた事だろう。アリエッタはそう考えると、まだまだ物足りない気分だった。暴漢二人の命が繋がっているのも、最後の良心がアリエッタに残っているからに他ならず、もしもう一歩進んでしまっていたら二人の命は既になかった事だろう。
男二人も痛みに慣れて気を失わなくなってきたところで、本格的に物足りなくなってきたアリエッタは更なる苦痛を与えるべく右手に氷刀を精製する。暴漢二人はもう悲鳴すら上げられず、体を小刻みに震えさせながら体中の穴という穴から色んなものを垂れ流しさせていた。これではどちらが加害者なのか分からない。
「もうそれくらいにしておきな」
アリエッタが氷刀を振り上げたところで、後ろから声がかかった。アリエッタが振り返ると、初老の女性が立っていた。宿を取る際に受付をしてくれた事から宿の従業員である事は明確だが、こんな時間でもいるという事は主人なのかもしれなかった。
「まったく…。エネモア香の匂いがするから来てみたら案の定かい。こんなクズ共でも殺しちまったらあんたが罰せられるんだよ。割に合わないからやめときな」
初老の女性のその言葉にアリエッタの頭の中が急激に冷えていった。それと同時に抑え切れないほどの怒りの感情も萎んでいった。それでも、先ほどまでの苛烈な行動はしなくとも、許せない気持ちは変わらない。
「忠告ありがとうございます。でも気が済まないので憲兵に突き出してきます」
「ああ、そうしな。でも、あんたは少し周りの目に気を使った方がいいね」
アリエッタは初老の女性の言葉に改めて自分の格好を見ると、寝たときのままでほぼ下着だけの格好だった。魔族特有の尖った耳まで真っ赤にして部屋に戻ると最低限の外出用の服を身に着けると再び外に出てくる。
「あんた綺麗なんだから、さっきみたいな格好でうろついてたら同じ目に会うよ」
初老の女性はそう言いながらシニカルに笑う。からかっているのだろうが、またしても耳まで真っ赤にしたアリエッタは、恥ずかしさを紛らわせるように暴漢二人を乱暴に引っ張って憲兵に引き渡しにいったのだった。
暴漢二人は未遂という事で大したお咎めもなかったが、綺麗な女性を見るたびに拒否反応を示すようになり、身体機能的には問題ないものの精神的な理由で大事な所が使い物にならなくなったらしい。後日それを聞いたアリエッタが「後の被害を防いだ!」とうしろめたさは感じるどころか、誇らしそうにしていたのはまた別の話。




