2話 売却交渉
街への入る事を認められた一行は宿を取ると、アリエッタと離れようとしないリフィミィを連れて、アリエッタとエメラの三人でセスと名乗った門兵との待ち合わせ場所に向かった。ガリオルは商人との交渉など退屈だと留守番を申し出て、エレアは目立ちすぎるという観点から同じく留守番をする事になった。
待ち合わせに指定された場所は、街の人にとっては憩いの場であり、子どもを遊ばせる公園であり、夜には恋人たちが愛を囁き合う場所でもあった。時間は、日が落ちかけてはいるもののまだまだ子どもがチラホラと遊び回っていて、決して遅い時間ではない。
セスはそんな待ち合わせ場所に既に来て待っていた。それまでの帝国兵としての制服は着替えて、すっかりと街に溶け込んだ若者といった風貌だ。
「お待たせして申し訳ありません」
「あっ!いや…全然大丈夫です!」
アリエッタとエメラも旅装束からネマイラを出歩いていた時のような見せる服に着替えていた。それを見たセスは旅装束の時との印象の違いからか目に見えて動揺する。それまで敬語など使っていなかったにもかかわらず、思わず敬語になってしまっている事からもその辺が伺える。
「そうですか?それでは案内お願いします」
セスは「はい!」と返事をして、体をカチコチにしながら三人を先導し始めた。その様子を見たリフィミィが「うー?」と不思議そうな表情をしていたが、なんとなくセスの気持ちを察したアリエッタが苦笑しながらリフィミィの頭を撫でる。
「リフィもあと少し大きくなったらわかるかもね」
「ほんと?りひー、はやくおおきくなる!」
アリエッタは「そっか」と返しながら、そのリフィミィの姿を自然にこぼれた優しい笑みで見つめた。アリエッタとしてもリフィミィの今後の成長が楽しみな反面、もう少し今の愛らしい姿でいて欲しいという思いがあるのも事実だった。それと同時に必ず守り抜きたい、そんな思いもあった。そういった気持ちは我が子を思う母親のものである事にアリエッタ自身気付いていなかった。
相変わらず顔を赤くして緊張の面持ちで先導するセスとその後ろに付いていく三人は、次第に店構えが豪華な、一見するだけで高級な品揃えとわかる店が並んだ区画に入ってきていた。その中でも店のショーウインドウに一桁多いのではないかと思ってしまうような値札の添えられった食材の並んだ店の中へと入っていく。店内に並んでいる商品は加工食品ばかりだった。アリエッタが日本で見た事があるような干し貝や干し肉、燻製、果てはオイル漬けの魚などがメインの店のようだ。中にはエメラがセスに食べさせたものより明らかに品質の劣りそうなドライフルーツも置いてあるが、それですらも市場価格より高めの設定がされている。
セスはそこまで大きくもないその店の奥まで行くと、店主らしき男に声をかける。
「クラムさん、こんにちは」
セスにクラムと呼ばれた男は、四十台後半ほどの年齢でかなりふくよかな体型をしていた。そこにきて身なりまで良いとなれば、それなりに裕福な生活を送っているのだろうと想像がつく。
「はい!いらっしゃいませ!……ってなんだセスか。なんか用か?」
クラムは声がかかるとそれまで眺めていた帳簿のようなものからすぐに顔を上げて、作り笑顔全開で挨拶をした。しかし、相手がセスだとわかると態度を急変させて、めんどくさそうに答えた。
「相変わらず商売以外は興味ないんだな。実は今日は紹介したい人がいてね」
セスがそこまで言うと、クラムはその後ろに控えていたエメラとアリエッタに視線を向ける。
「あぁ?なんだ、おめぇさん、結婚でもすんのか?それにしてもすげぇ別嬪さんだなぁ」
「違う、違う。こちらの方々が買い取ってほしいものがあるみたいだから、ここを紹介したんだ」
クラムの勘違いを慌ててセスは否定すると、すかさずアリエッタとエメラを紹介する。
「ほぉ、なるほど。この界隈で高級食材を幅広く取り扱ってますクラムっていいます」
「あたし達はご覧の通り魔族で、あたしはエメラディナと申します。実は金策に困っていまして、セヴィーグ産のドライフルーツを買い取って頂けないかと伺いました」
取引先を値踏みするかのように、最初の笑顔を引っ込めて自己紹介をするクラムに対して、エメラは丁寧に名乗った上でここに来た目的までを単刀直入に伝えた。
「なんと!セヴィーグ産の食材は滅多に手に入らんので本物であれば喜んで買取しますぜ!」
その言葉を聴いたエメラは袋の中からさらに小分けされた袋を一袋取り出し、中を見せる。先ほどのセスの反応も見越して、今度はエメラの方から提案する。
「こちらです。もしご不安でしたら一粒召し上がってください。もちろん御代は結構ですので」
その言葉にクラムはセスとは違い、迷うことなく一粒手にとって口に運ぶ。クラムはゆっくりと咀嚼して味を吟味するが、すぐに驚きに目を丸くした。
「あっしもこんな商売してるんで食べた事はありましたが、これはそのどれよりも美味い!」
「ここに一キロあります。いくらで買って頂けますか?」
エメラは畳み掛けるように価格交渉に移る。実はエメラが試食をさせた本当の理由は真贋の見極めをさせるためではなかった。
エメラの持ち込んだドライフルーツはネマイラで流通しているものの中でも高級な部類のものを選んで購入してきていた。しかし、いくら高級でも見た目は大して変わらない。日常的に接している魔族であればそれも見分けがつくが、そうでない人間族ではその価値に気付かない可能性があった。そうならないためにも味見をさせて価値に気付かせる事が必要だったのだ。そしてクラムはエメラの思惑にまんまと嵌ったのだ。
「これだけのものだ、一万五千…いや一万八千出そう!これでどうです?」
その値段に目を丸くしたセスとは違い、エメラはにっこりと笑顔を作った。
この辺の相場であればキロ一万レム程度が相場であり、クラムはその八割増しで買い取ると言ったのだ。エメラとしてはほぼ狙い通りの結果になったといってよかった。
「交渉成立ですね」
サーフィトの物価で言うと、平均的な家庭の収入はおおよそ千五百レムだ。パンが四つで一レムなので、日本円の価値と比較すると一レムが百円に相当するといったところか。つまりはこの交渉だけで、二百万円近い価値の貨幣を獲得できることになる。
「もっとあるなら全部買いたい!」
クラムの申し出にエメラは少し悩んだ素振りを見せる。実際に一キロ売ってもまだ三キロ残っている。最終的にはすべて売却するつもりだが、一気に売って値崩れするのを心配して小出しにしようと考えていたからだ。
「まだ三キロありますけど、安売りするつもりはありませんよ?」
「もちろんです!そうだな…四キロすべてで八万五千でどうです?」
驚くべき事にクラムはさらに上乗せしてきた。しかし、それは商人としては当然で、同業他者に同じ物が回れば厳しい値段交渉が発生するが、独占状態であれば言い値で売る事も可能だからだ。品質の良い物であれば尚更だ。
「わかりました、すべてお売りしましょう」
こうして交渉は滞りなく終了した。しかし、セスだけが少し不安げな顔をしているのを見て、エメラが少し小さめの袋を取り出してセスに声をかける。
「セスさん、心配しなくてもお約束はちゃんと守りますよ。はい、これお礼です」
エメラの渡した袋には、セスと約束したドライフルーツがいっぱいに入っていた。両手いっぱいの量という約束だったはずだが、どう見てもそれ以上の量にセスが驚き、エメラの顔を言葉もなく見る。
「セスさんのおかげで予想以上にいい取引ができましたから、少し色を付けさせてもらいました。転売して頂いてもいいのですが、少しはご家族で味わって欲しいです」
「はい、せっかくなので妻や息子達とじっくり味わおうと思います」
セスのその言葉にエメラは満足そうに頷いた。売ったものだから、それをどうしようが個人の自由ではあるが、エメラとしてはセス本人だけでなく、どうせなら家族にも良い思いをして欲しかったのだ。
「いやぁ、良い取引ができて気分がいいぞぉ。エメラさん、お連れの方も今日は是非我が家で夕食を取っていってください!」
すこぶる気分のよさそうなクラムを見ると断るのも気が引けて、宿で待っている二人も含めて五人で夕食にお邪魔する事になった。
その日の夜は、終始機嫌の良いクラムと能天気なガリオルが意気投合して夜遅くまで話し声と笑い声がクラム邸からは漏れ聞こえていた。
 




