17話 竜との邂逅
標高が高くなるにつれて気温が低くなってくる。まだ万年雪が積もっているというエリアには入っていないが、日中でも十度を切るかどうかのレベルまでは冷え込んできていた。冬と言う季節を知っているアリエッタとエメラや、山に入る事自体が初めてではないガリオルはまったく問題ない。しかし、リフィミィはともかくとして、常夏のジャングルで生まれ育ったエレアにとっては死活問題で、既にアリエッタの服の中に退避して襟の部分から顔だけ出している。アリエッタとしては胸元がスースーして寒かったり、羽があたってくすぐったかったりするのだが、エレアの気持ちもわからないでもないのでされるがままにしていた。
「そろそろ竜族の住処に差し掛かるな。気を張る必要はねーが、注意はしておけ」
ガリオルが注意を促す。この地域に生息する種類の竜族はわりと気性が穏やかなものが多い。
尚、竜族は大きく六種類に分別される。
火の魔力に秀でたレッドドラゴン。
水の魔力に秀でたブルードラゴン。
風の魔力に秀でたグリーンドラゴン。
地の魔力に秀でたブラウンドラゴン。
光の魔力に秀でたホワイトドラゴン。
闇の魔力に秀でたブラックドラゴン。
人の数倍、場合によっては数十倍の魔力を持つ竜族は、余剰魔力が魔族の髪の色を変えるように鱗の色が変わる。つまりは、厳密に言うと種族はすべて同じである。
この中ではレッドドラゴンとブラックドラゴンは気性が荒いが、寝床を荒らされるなどされなければ、無闇に人を襲ったりはしない。
この地域に住まうのは主にブルードラゴン、ブラウンドラゴンそれとホワイトドラゴンで、この三種の竜族は特に穏やかな性格をしている固体が多い。
余談ではあるが、レッドドラゴンとグリーンドラゴンはアルグ火山に生息している事が確認されている。ブラックドラゴンは生息地含めて生態そのものがよくわかっていない。
ガリオルの注意の言葉があってから黙々と歩き続けること三十分ほど経ったところで、一行の歩いている場所に大きな影が差す。一行が上を見上げると、そこには鮮やかな青い鱗を纏った巨大な竜が悠然と空を翔けていた。そして、その大きさは半端ではない。全長は悠に二十メートルを超えていた。
「よぉ、氷竜。そろそろ現れる頃かと思ってたぜぇ」
ガリオルに氷竜と呼ばれた竜は、ガリオルの言葉には返答せず、一行を追い抜くと正面に回って地面に降り立った。
『ガリオル、主が山を登ってくるなど珍しい。しかも珍妙な者達を連れておるな』
頭の中に直接低いくぐもった声が響いてきた。竜族は人と同じ発声器官を持たないため、人とコミュニケーションを取る場合には念話を使う。しかしその事実は意外と知られていない。博識なエメラは知っていたが、その事をアリエッタは知らなかった為、初めての念話という行為そのものに驚いていた。
「あぁ、こいつらと一緒に大陸北部まで行ってくる」
『…主、自分の職務はわかっているのだろうな』
「もちろんだ。オレがいなくてもばっちりにしてきた!」
『そういう事を言ってるのではないが…まぁよい。ところで、そっちの統一性のない者達はなんだ?人間に妖精に…その娘は鬼か?』
氷竜の問いにはエメラが一通り説明をする。ガリオルの同行については快く思っていないようではあったが、それ以外のことに関しては氷竜も概ね肯定的なようだった。自分がこの山からはめったに出られない事もあって、外の世界の動きには興味が強く羨ましく思っている様子が伺えた。
それが終わると、今度はガリオルから氷竜についての説明が入る。
この山の中で最高齢の竜で、この山の竜族の長である事。見た目通りブルードラゴンで、とりわけ氷系の魔法が得意である事。竜人族とは氷竜を通して良好な関係を構築している事。聞けば聞くほど竜族と竜人族が寄り添って生活してきたのだという事がアリエッタにもわかる。
『それにしても、そこの青髪の娘には親近感が沸くな。姿形は違えど魔力の在り方がワシにそっくりではないか』
さすがに魔力量こそ竜族である氷竜に分があるが、余剰魔力が髪や鱗を青く染めている事や、同じ水属性の使い手であり、特に氷系統を得意とするあたりは共通している点と言える。魔力量にしても竜族の長である氷竜との比較が間違いなだけであって、魔族の中でも桁外れの魔力を持つアリエッタは、並みの竜族程度であれば相手にならないくらいの魔力を秘めている。
「まぁ、アリィの魔力は魔族の中でも飛びぬけてるからね」
『ふむ。ワシがあと五百若ければ放っておかぬが、衰えたこの身が呪わしいわ…』
氷竜はアリエッタの存在そのものもそうだが、番の相手としても気に入ってしまった様子だ。アリエッタにとっては、同じ人型であっても男相手では我慢できないのに、「でっかい爬虫類っぽい生き物」に言い寄られてもさらに困るだけだ。五百年前じゃなくて本当によかったと心から思ってしまうのだった。
「おいおい、竜と魔族でカップリングは無理だろうよー」
『何を言うか。ワシが人化の術を使うか、人間に竜化の術を使えば問題ない。この場合、人間としての美しい姿を損なうのは惜しいからワシが人化の術を使うところか』
竜が人になり、人が竜になる。そんな事が本当にできるのかアリエッタは不思議で仕方なかった。
まずサイズの違いというのは無視できない。目の前の氷竜は軽く二十メートルは超えているが、人になれた場合に、その差となる質量はどこに行ってしまうのか。逆もまた然りで、不足分の質量を何から補充するのかまったくもって想像すらできない。
魔力というアリエッタが原理を理解できない謎のエネルギーを使用した魔法というものが存在する世界だけに、地球での常識を持ち出すのは間違っているかもしれない。それでも、その部分を除けばかなり色々と共通するものが多い地球と比較してしまうのは仕方ない事だ。
「あぁ!?そんなことできんのか!?」
氷竜は「うむ」と一言言うと、少しづつ体が縮んでいき、最後には一人の青年がその場に立っていた。すっきりとした細身の体型で背が高く、アリエッタとよく似た色の青い髪に、色白の肌に切れ長の鋭い瞳。年寄りっぽい話し方をしていたのに反して、見た目の年齢は二十台そこそこで通用しそうだ。世の中の人種男性の何割かが「爆発しろ!!」と言い捨てたくなるほどの、所謂「イケメン」だ。その線の細さと整いすぎた容姿は性別の判別が難しいほどで、男装の麗人と考えても違和感がなかった。
「もう一つ」
人型になった氷竜は人としての声帯を使用して言葉を発すると、今度はアリエッタの体が肥大化していく。口の部分が細長くなると同時に、手足が太くなり目の覚めるような青い色の鱗に覆われていった。変化が収まると、少し小さいが先ほどまでの氷竜とよく似たブルードラゴンになっていた。
「この通りだ。それにしても、竜にしても美しいな」
表竜を除いた一同はしばらくあんぐりと口を開けて驚いていたが、エメラは徐々にその顔を真っ赤に染めると烈火の如く怒り出した。
「な、な、な、なんて事するのよ!!!あんなに綺麗だったアリィを竜にするなんて!早く元に戻しなさい!」
「お、おい、少し落ち着けって」
「うるさい!これが落ち着いてられるかあぁぁ!戻せーーー!!!」
普段の知的で冷静なエメラが言葉遣いまで崩して怒る様子に、ガリオルが本気で驚いていた。さらには手に超高温の火魔法を展開しているのを見て、驚きが焦りに変わる。
「おい、待て!!それはシャレにならん!氷竜!さっさと戻せ!お前殺されるぞ!!」
「わかった、わかった…。この美しさがわからんとは無粋な…」
氷竜は一人ぼやきながら、しぶしぶアリエッタに再び魔法をかける。徐々にアリエッタの体が縮まっていき、少しの時間をかけてもとの身体に戻った。
ここで問題が一つ発生した。竜化する際に体が大きくなれば、それに衣服が耐えられるわけもなくアリエッタは何も身に着けていなかった。つまりは裸だ。それを見たガリオルはすぐに顔を背け、氷竜は「ほう」と声を出してさらにまじまじと見つめる。一瞬反応の遅れたエメラはすぐにガリオルと氷竜を蹴飛ばしてアリエッタに走り寄ると、自らの上着をアリエッタの肩から被せる。
「ちょっとアリィ、服!服!」
エメラにそう言われて、当のアリエッタはその時始めて自分が何も衣服を身に着けていない事に気が付いた。アリエッタは声にならない声を上げて、下半身を真っ先に隠すあたりに元男であるところが現れていた。そしてその後に胸が隠れていない事に気付いて慌てて腕で隠す。もうその姿は元男性ではなく、完全に女性のものだった。
アリエッタとしてはエメラやリフィミィ、エレアに裸を見られるのは慣れているし特に恥ずかしくもない。しかし、そうでない赤の他人に女性としての自分の身体を見られるのは、男だった時に裸を晒してしまうのとは違った恥ずかしさを感じていた。男にはない器官や体つきを晒してしまう事で、自分が女であることを改めて主張してしまう事が何よりも恥ずかしいのだ。
「ほら、これに早く着替えて」
エメラはアリエッタの旅袋から替えの服を出して手渡すと、アリエッタはそそくさとその服を身に着けていった。
「はぁ…人化と竜化の話聞いただけなのに酷い目にあった…」
今回、一番の被害者はどう見てもアリエッタであろう。許可なしに竜にさせれられた上に、戻れたと思ったら素っ裸を見られたのだ。酷い目にあったと思うのも無理はない。
「身体を見るくらいなんて事なかろうに。なんならワシのも見るか?」
エメラに蹴られた氷竜が戻ってくるなり、そんな事を口にして服を脱ぎ始めた。男の裸を喜んでみる趣味のないアリエッタは急いで氷竜を止めようとしたが、何か様子がおかしい。氷竜はかなり華奢だとはアリエッタも思っていたが、その身体は男のものであるには華奢過ぎる。さらには肩幅がない。男性でも撫で肩な人はいるが、首から肩にかけての筋肉の付き方が明らかに男性のものであるには物足りない。
答えはすぐに出た。氷竜が上着を脱ぐと、そこに逞しい胸板は無く、現れたのは母性の象徴だった。
「おっぱい付いてる…?女の人…?」
驚きと共に呟くエメラや固まったままのアリエッタをよそに、氷竜のストリップショーはさらに続く。今度は下のズボンにも手をかけてそれを脱ぎ去ると、またしてもアリエッタは異常を検知する。女性であれば本来そこまで主張しないはずの部分が、女性にばあり得ない膨らみを見せていた。氷竜は驚くアリエッタとエメラの目など気にも留めずに一気に下着も下ろした。
こちらも驚くべき事に女性にはあり得ない男性のシンボルがぶら下がっていた。アリエッタもエメラも驚きで声も出なかった。
「おい、氷竜、なんで裸になってんだ?」
「こやつらが恥ずかしがるから、恥ずかしくない事を身をもって証明してやったのだ」
「はぁ…お前らは服着る文化はねーが、オレらは服着てねーと変態扱いされんだよ!」
そんな少しの沈黙の間に、もう一人エメラに蹴飛ばされたガリオルが戻ってくるなり氷竜に疑問をぶつける。しかし、その疑問自体がアリエッタやエメラとずれている。
「突っ込むのそこ!?」
アリエッタは思わず口に出して突っ込んでしまった。ガリオルは何を言われているのか最初は気付いてなさそうだったが、やがて思い当たる事があったのか「あぁ、そうか」と呟いてから続ける。
「竜はな、性別がねーんだ。相手が竜なら誰でも繁殖できる。あぁ…人化の術を使えば人も大丈夫なのか」
厳密には性別の差がないというだけで、実際には男女両方の機能を全員が持っているという事になる。しかし、自己繁殖だけはできない。同じ遺伝子情報を持っているものは受け付けないのか、受精しないのだ。
ガリオルは何でもなさそうに言うが、アリエッタにとっては衝撃的過ぎる事実だ。いかがわしい漫画やゲームだけの空想の設定だと思っていたものが実際目の前に現れたのだ。改めて地球の常識がまったく役に立たない事を再認識させられた。
「うむ。そこのガリオルとも、そちらの娘二人とも子を成せるぞ」
氷竜が服を着ながら、少し過激な想像を掻き立てそうな物言いをすると、ガリオルは青くなり、エメラは赤くなる。
「おお、そうだ。アリエッタといったか、主にはこれをやろう」
そう言って氷竜が懐から取り出してアリエッタに差し出したのは小さいが綺麗な白い石だった。
「召喚石だ。それを使って非常時にはワシを呼ぶといい。魔力は十分だから一回はすぐ使えるようになっている」
氷竜が言うには、誰かの魔力の特性を記憶させる事で記憶させた者を呼び出したかのように扱える代物だ。召喚とは言うものの、実際に本人を呼び出すものではなく、あくまで魔力でそれに近いものを再現するといった特性のアイテムだ。予め魔力をチャージしておく事でいざという時に使える。
しかし、それだけの代物だけに使用に際して制限も多い。最も大きな制約で言えばチャージにかなりの時間がかかるという点だ。一度に大量の魔力をチャージすれば壊れてしまうからだ。特に氷竜ほどの大物となればアリエッタやエメラであっても一年以上は身に付けていなければ『召喚』できるほどの魔力をチャージしきることができない。恐らく、並の人間族程度であれば一生かけても氷竜を『召喚』する程の魔力をチャージする事はできないだろう。それ以外でも『召喚』できる対象の魔力と使用者の魔力にあまりに大きな乖離があると使えなかったり、一度魔力を登録すると二度と違う者は登録できなかったりと必ずしも利便性がいいものではない。
「どうしてコレを僕に?」
「ワシが主を気に入ったからだ」
可憐な見た目に反してガリオルを圧倒するほどの剛の者で、それだけの実力を兼ね備えながら奢る所がない。そして何より同じ氷魔法の使い手という共通点が氷竜にアリエッタへの好感を抱かせていた。
アリエッタとしてはなぜ気に入られたのか理解できていないが、いい方に転がっているのであれば問題なしと、持ち前の前向きさを発揮して深く考える事はなかった。エメラは何か勘ぐる様な表情を見せていたが口を出してくることはない。
アリエッタは一言「ありがとうございます」とだけ礼を言うと、素直に受け取った。
「さて、主らはどこまで行くのだ?麓までであれば送ってやろう」
「氷竜、随分とご機嫌だな。それなら帝国側の麓まで頼むわ」
「承知した。任せよ」
氷竜はそう言うとまた元の竜の姿に戻り、翼をスロープ代わりに地面につける。ガリオルはそれを見ると早々に氷竜の背中に移動して「早く来い」とばかりに手招きする。急な話の展開に若干置いていかれ気味のアリエッタ達とその一行も慌ててガリオルに習って氷竜の背中に移動する。オオトカゲのゴローとランドは怯えてなかなか移動しようとしなかったが、アリエッタとエメラが優しく首筋を撫でると大人しく移動に応じた。
「お前らツイてるな。竜が人を背中に乗せるなんて滅多にないんだぜ」
実際に、プライドの高い竜はほかの種族を背中に乗せるなどという事は極めて稀だ。必要に迫られた時か、相当気に入った相手でない限りはまずあり得ないのだ。そういった意味でアリエッタはそれだけ氷竜に気に入られたという証左でもあった。召喚石といい、移動といい、至れり尽くせりだ。
『それでは良いか?出るぞ』
氷竜がそう言うなり、翼をはためかせて空に向かって上昇していく。地球の常識で考えれば、これだけの巨体がその体より少し小さい翼で浮くはずはないのだが、翼にも何かしらの魔法がかかっているのかもしれない。
高度が上がっていくにつれて気温が下がり、気圧も変化するはずなのだが、不思議と氷竜の背中の上は地上となんら変わりがなかった。それは氷竜の障壁によるものだ。氷竜自身も高空を飛ぶ際にはその変化を諸に身に受ける事になるが、桁外れな魔力はその影響すら受けないような障壁を展開する事を可能としていた。その影響は背中に乗っているアリエッタ達にも及び、寒さや高山病といったリスクも回避できていた。
一定の高さになると雲を抜け、その間から顔を出した山々の頂が見えるだけの幻想的な風景に変わった。普通に山を登れば、とある山の頂上からも似たような風景を見ることができたかもしれないが、さらに少し高い位置から全体を見渡す事などできなかっただろう。
やがて快適な空の旅も終わりを告げる。あまり変わり映えしない雲海に潜り、再び青々とした山の中腹の見える風景に切り替わる。それもすぐに途切れて、次第に平地が目立つようになった場所で氷竜は地上に降り立った。
『本当はもっと下まで送ってやりたいが、我々の姿は目立ちすぎる。下手に人間どもを刺激したくないのでな、悪いがここまでだ』
「いえ、十分です。本当に助かりました。また会えたら」
『うむ。主ならいつでも歓迎だ。また山を訪れる事があれば気軽に声をかけるがよい。それではな』
一行が全員地上に降りると、氷竜はそれだけ言い残して元の山に帰っていった。
「さて、それじゃ大分楽をさせてもらったし、がんばって先に進もうか」
エメラがそう声をかけると、一斉に声が上がるという事はないが、全員が静かに頷いた。
ネマイラを出発してから約五ヶ月かけて、ついに人間族の生活圏まで到達した。ネマイラに冬が訪れようかという季節は、既に新たな芽吹きを迎える季節に移り変わっていた。
今3章6話(8/13更新予定)まで投稿予約が終わってますが、反応の鈍さから作品自体の品質の低さを痛感しつつモチベーションもダダ下がりしてます。
一旦更新を止めて、またある程度ストックが止まった段階で再開したいと思います。
いるかわかりませんが、楽しみにして下さっている方には申し訳ありませんが、ご理解ください。
 




