16話 英雄の幻影
魔族であれば誰もがその名前を一度は聞いた事があるだろう。
"ネマイラの英雄アリエラ=ノーグ"
彼女の剣速には誰も着いてこれず、対抗できる障壁の使い手もいないほどの魔力量を誇っていたと当時の彼女を知る者は語る。
彼女はその飛びぬけた能力をもって、自警団の戦力五千をはるかに超えるイルダイン公国五万の侵攻軍を盟友のルビアスと共に退けた。その後、その存在を危険視された人間族の謀略にはまって命を落としたが、彼女の功績は今も色褪せず、魔族の中ではその人気も未だ高い。
しかし、どのような謀略で彼女を陥れたのか、またどのような最期だったのかを詳細に知る者はいない。中には「まだ生きているのでは」と状況から考えても小さすぎる可能性を信じている者すらいて、その人望の厚さが伺える。
アリエッタの姿の少女は自分の事をその「アリエラ」だと名乗った。
普通であれば、一笑されて相手にもされないだろうが、先ほど見せた圧倒的なまでの戦闘能力を見せ付けられれば、その可能性も無いとは言い切れなくなる。
「…は?え!?」
「アリエラってーと、あの魔族達の中で持て囃されてるあのアリエラか?」
混乱気味のエメラと比較的冷静なガリオルが対照的だ。一方でリフィミィとエレアは状況が純粋に理解できていないようで、周囲の人の顔を見回すだけだった。
「混乱するのも無理ないけど、あたしは既にこの世界の理からは外れた存在。それをこの娘の体を借りて表に出てるだけなの」
アリエラのその言葉を聞いたエメラの瞳から一筋の雫が零れ落ちた。
「あれ?あたし、悲しくも嬉しくもないのに、なんで…」
「あなたの悲しみや苦しみはわかってあげられない。でもこの娘を通してずっと一緒にいるから」
そう言うとアリエラは人差し指で掬うようにエメラの頬を伝う涙を拭う。その直後、アリエラの持つ雰囲気が微妙に変化した。
「ちょっと待って!」
エメラはそう叫んだが、目の前の少女は元のアリエッタだった。
「ごめん、エメラ。アリエラさんの声聞こえなくなった…」
「まったく…また自分は言いたい事だけ言っていなくなる…」
いつも必ず戦闘が終わると、一方的に喋っていなくなる。しかし、今回は少なくとも前の二回と違って収穫があった。
一つは、以前から疑問に思っていた突然現れる人格がアリエラのものであったという事。
もう一つはルビアスへの大きな手掛かりになるかもしれない情報源が自分達の内にあったという事。
しかし、本当にアリエラ本人であるという確証も無く、本人であったとしても現状のルビアスの情報を持っているとも限らない。どちらも不確定要素が大きく、無いよりマシ程度にとどまってしまう事がネックであった。
「あー、取り込み中わりーんだが、そろそろオレの足治してくんねーかな」
アリエッタも状況を確認するので気が回らず、竜人族の聖魔術師も状況に唖然として頭から抜けていたようで、大怪我をしているガリオルは放置されていた。人間族や魔族であれば致命的になるほどの出血量だが、そこはさすが半分竜の力を持っているからか苦しそうではあるが、死にそうな状況にはなかった。
アリエッタ達も後で聞いた話ではあるが、竜人族の生命力は非常に高く、上半身を袈裟懸けに切断されたとしても、半日程度であれば生命活動を維持できるのだそうだ。地球で言えばキッチン等に出る黒い怪物「G」に匹敵する生命力だな、とガリオルの足を治療しながらアリエッタは思い出したくもないものを思い出してしまったのであった。
その日は、結局ガリオルの家に揃って厄介になる事になった。
ガリオルは負けたにもかかわらず上機嫌で家に四人を案内した。
ガリオルには妻の他に二人の子どもがいた。上は十代後半くらいの少年で、下はまだ十歳前後の女の子だった。
「嫁のネーナに息子のダード、娘のレナスだ」
ネーナは人間族の感覚で言うと四十歳程度の外見で、特徴こそ竜人族のそれをしっかりと持ってはいるものの、人間族や魔族の美的感覚からしても十二分に綺麗な女性だった。粗野で乱暴なイメージの強いガリオルとは逆に、黒髪に色白な風貌は清楚で上品な雰囲気を漂わせる。それでいてその顔に浮かべる笑顔は人好きのする愛想の良さもあり、どうなってガリオルとくっ付いたのかアリエッタには想像すらできないほど魅力的な女性だった。
子ども二人はどちらも見た目だけであればアリエッタよりも年下に見える。しかし、長命な竜人族の年齢は人間族と同じ尺度では測れないため、実際は二人ともアリエッタよりかなり年上なのだろう。ダードは少し惚けたような目で、レナスは目を輝かせてアリエッタ達一行を見ていた。
「ガリオルの妻のネーナと申します。大したおもてなしもできませんが、ゆっくりなさってください」
「だ、ダードです」
「レナスだよっ!」
ネーナが必要以上に丁寧に、ダードは何故か緊張気味に、レナスは人懐っこく三者三様にそれぞれ挨拶をする。アリエッタ達もそれに返すようにそれぞれ自己紹介をする。とは言っても、エレアはアリエッタとしかコミュニケーションが取れないし、リフィミィに至ってはアリエッタとエメラ以外とは喋る気がなく、代わりにエメラが紹介する。
「お!?なんだダード!このねーちゃんのどっちかにホの字か?んー?」
「う、うるせーな親父!そんなんじゃねーし!」
「何この可愛い子!ギュッてしていい!?」
「あらあら、お客様の前よ。もう少し落ち着きなさい?」
からかい半分にガリオルが息子に絡み、図星を突かれたのかダードが顔を真っ赤になって否定しつつも盛大に慌て、そんな父と兄にも我関せずとレナスはリフィミィに興味を示し、ネーナが全員を宥める。なかなかに騒がしい一家のようだ。今にも抱きついてきそうなレナスを警戒して、リフィミィがアリエッタの後ろに隠れて小さく唸り声を上げると、レナスは目に見えて残念そうに落ち込む。方やガリオルは息子に絡み続け、ダードは止めればいいのに本気で否定をするからさらにガリオルに絡まれる。
収拾のつかない状況にアリエッタもどうしたらいいかまごついていると、ネーナの冷ややかで、それまでよりも一段低い声が凛と響く。
「落ち着きなさい?」
そのネーナの一声でそれまでの喧騒がピタッと止まる。ガリオル一家のパワーバランスがネーナに偏っていると言う事がアリエッタ達にもよくわかってしまった。
夕食後、アリエッタ、エメラ、ガリオル、ネーナ、ダードがテーブルを挟んで向かい合って座っていた。
リフィミィとエレア、レナスは打ち解けたのか、少し離れたところで楽しげな声を上げながら遊んでいる。リフィミィは基本的には他者に対して排他的だが、アリエッタやエメラが仲良くしている相手には敵愾心を見せなくなる。最初は敵意を見せていた相手と楽しく遊んでいるのはそういったリフィミィの性格が影響している。
この先の行程について、ガリオルから何点か注意が入る。雪が残る高度に達したら足元の雪や氷を溶かしながら進むという事。下手な洞穴に入ると竜族が住んでいる可能性が高い事。そして、竜族に遭遇しても決して攻撃的な態度はとらない事などだ。山に入るにあたっての諸々の説明をする姿はさながら登山ガイドのようだ。いつもはガリオルもここまで丁寧には説明もせず、通す判断した者は勝手に登らせているのだが、ガリオルとしてもアリエッタの事を気に入ったのか説明は細部にも至る。そして、その説明の締め括りにガリオルが衝撃的な言葉を口にする。
「あと、オレもついて行く」
「え!?山越えに同行してもらえるんですか?」
「違う。ずっとだ」
エメラとしては山越えをガイドしてくれるとは思っていなかった事もあり、同行してくれるというのに驚いたのだが、その後に続くガリオルの言葉は各面々にとってもさらに想定外のものだった。ガリオルの言葉が全員の頭の中で整理させるまでにしばらくの時間がかかり、その間奇妙な沈黙が訪れる。そして、その沈黙が破られると、その後は大炎上した場が待っていた。
「はぁ!?何言ってんだこのバカ親父!?」
「…ずっとってエルガラン王国北部までついてくるって事ですか?」
「家族を置いてついて来る気ですか!?命の保障もないんですよ!?」
ダード、エメラ、アリエッタがほぼ同時にガリオルに反論する。しかしネーナはただ一人表情を変えず、ガリオルの真意を確かめるかのように目を細めた。
「理由を聞いていいかしら?」
「オレはアリエッタの嬢ちゃんには勝てたけどよぉ、アリエラってやつには手も足も出なかった。だから、外でもっと自分を磨きてえ。そこにきていいお手本が近くにいたら最高だろ?」
ガリオルはそこまで言うとアリエッタを見る。厳密に言えばアリエッタもガリオルには負けるまではいっていない。あのままアリエラが出てこないまま続けていれば、アリエッタは降参するつもりではあったが、実際はその直前で踏み止まっている。
「そこでどうして僕を見るんですか…。お手本になるのはアリエラさんですよね」
「お前の体使って闘ってたんだ。お前ができない事はねーだろ」
ガリオルの言い分はアリエッタにとって無茶振りもいいところだ。魔力は申し分ないだけに、さっさとアリエラと同じ高みまで技能を磨けと言われているようなものだ。
「そう。決めたら梃子でも動かないものね。好きにしたらいいわ」
ネーナはすっきりしたといった清々しい笑顔で、ガリオルに了承の意を示した。ガリオルの強さへの追求心の大きさをよくわかっているネーナだからこその答えだったのだろう。
しかし、納得したのはこの夫婦だけで周囲はそうもいかない。
「僕達まだOKしてませんよ!?」
「もちろん、あなた方の了承を頂いた上である事は大前提ですよ。でもダメと言っても付き纏うのは目に見えてますけど」
ネーナのその言葉を聴いて、初めてアリエッタはアリエラが表に出てきた事を恨んだ。
「何言ってんだお袋!?親父のそんな我儘許すのか!?」
「それならダード、あなたがお父さんを説得してみなさいな」
ダードはネーナの返した一言で言葉に窮した。
「…さっきもアリィが言いましたけど、生きて帰ってこないかもしれませんよ」
エメラの静かなその問いにはネーナはすぐに返事をしなかった。少しの間をおいてゆっくりと口を開いた。
「もちろん覚悟の上です。帰ってきてくれるに越した事はありませんが、もし旅先でその命を散らしたとしても、私の責任でこの子達を育て上げるだけです」
ネーナのその言葉にアリエッタとダードは言葉を失った。エメラだけが冷静にその言葉の意味を考えて最後の確認をする。
「ガリオルさん、あなたは奥さんにここまで言わせても一緒に来ると言いますか?」
「嫁がここまで言ってくれるから行けるんだぜ」
ガリオルは即答だった。それは夫婦間の信頼の証なのかもしれないし、ガリオルがただ単純に自分勝手なだけかもしれない。しかし、アリエッタはそこに彼らしかわからない夫婦の絆のようなものを垣間見た気がした。
「勝手にしろ、クソ親父」
ダードはそれだけ言うと席を外してしまった。彼なりに父親がいなくなるというのは寂しい思いもあるのだろうが、この年頃の少年にとって親の動向に執着していると見られるのも気恥しく、つっけんどんな態度を取ってしまう事はよくある事だ。
アリエッタとエメラは顔を見合わせると頷き合った。この二人も付き合いが約一年とさして長くないわりに「つーかー」の関係であり、ある意味でガリオル達夫婦にも負けていない。
「そういう事ならあたし達からもお願いします」
旅の戦力は多いに越した事はない。そういった意味で同行してもらえるのであれば、むしろこちらからもお願いするべき、そう考えてのエメラの言葉だ。
「ふふ、お二人は本当に仲が良いのね。私はそこまで仲の良い女友達いないから羨ましいわ」
ネーナはアリエッタとエメラを微笑ましいものを見るような慈愛に満ちた目で見ていた。
こうして、ルビアスを探す旅一向にガリオルが加わる事が決まった。
 




