10話 ジャングルの大蛇と妖精
「エメラ、ごめん!!!これはムリかも!!!」
「だから言ったじゃない!!!」
アリエッタとエメラは身体強化をしながら全力で後ろから迫るモンスターから走って逃げていた。後ろから物凄いスピードで地を這って来るのは茶色と赤と緑をマーブル状に混ぜたような柄の、とんでもなく大きな蛇だった。
『こっち…』
アリエッタは微かに声がしたような気がした。
「エメラなんか言った!?」
「走るだけでそれどころじゃないわ!!」
口ではそう言っているが、実際には二人ともまだ多少の余裕があり、引き離そうと思えば引き離す事は可能ではあった。できるだけ付かず離れずのまま戦えそうな場所を探していたのだが、これだけ巨大な相手ともなると、開けた場所などジャングルの中で見つけることは難しかった。
『こっちに来て』
まただ。何かの罠である可能性もあるが、不思議とアリエッタは悪意を含んだ言葉には聞こえず、従ってもいいような気持ちにさせられた。
アリエッタは聞こえた声に従って、声の聞こえる方へ進行方向を向ける。
『もう少しだよ』
アリエッタが声の聞こえる方へひたすら走っていくと、やがて大きく開けた場所に出る。ジャングルの中に似つかわしくないほど広く開けたその場所は、不自然なほど草木が生えていなかった。その辺一帯だけサバンナにでも変わってしまったかのように、土が剥き出しで障害物となるようなものが何も無かった。
「エメラ!」
アリエッタが声をかけると、エメラは無言で頷いてアリエッタから離れていく。その後すぐに大蛇が追い付いてきて、即座に頭を伸ばして攻撃を仕掛けてきた。この大蛇、蛇と呼んではいるものの頭が三つもあり、それが絶妙な連携を取って攻撃を仕掛けてくる。真ん中の頭が炎を吐いてきたのを右に避けると右にいる頭が即座に避けた先を狙って頭突きを仕掛てくるが、予測していたアリエッタはさらに右に避ける。その頃には体ごと大蛇が更に右を向いたため、今度はまた真ん中の頭が頭突きを仕掛けてくる。
苛烈を極める大蛇の攻撃にアリエッタとしては攻撃に移る間をまったく掴めないでいた。それどころか一瞬の判断ミスや遅れが致命的なロスとなるため、大蛇の攻撃を避けるのですら辛うじてというレベルだった。
これだけの質量を持つ相手だけに、生半可な魔法では致命傷にならない。そして、それだけの規模の魔法を撃つとなるとかなりの時間をかけて魔力を制御する必要がある。中途半端な状態で魔法を放ってしまえば、大蛇がエメラを狙い始めてしまいかねず、そうなってしまえばエメラの大魔法で片付けるという今回の作戦は破綻する。
作戦の要であるエメラは、際どいアリエッタの牽制に気を取られて思ったように魔力を制御できていなかった。早く完了させないと、それだけアリエッタが攻撃を受ける可能性を高めてしまうだが、戦況を見ながらだと逼迫した戦況になかなか集中できない。
十五分ほどギリギリの状態で逃げ回っていたアリエッタだが、精神的に極限の状態での十五分は僅かに集中力を奪うのには十分な時間だった。
真ん中の頭が吐き出した何度目かの炎を右へのステップで避けた直後、散々走ってきた後で筋肉の疲労もあったのだろう、左膝の力が抜けて、本当に僅かながらそれまでより深めに膝の関節が折れる。その影響で左の頭を避けるため踏ん張りが利かずに回避行動が遅れた。当然のことながら、ギリギリで避け続けていた状態で反応が遅れれば、回避など間に合う筈がない。大蛇の左頭がアリエッタの障壁へともろに攻撃を加えた。アリエッタの障壁はその衝撃を吸収し切ることができず、割れて霧散するが左頭の攻撃は辛うじて凌ぎきった。大蛇は更に追撃を加えるべく、続けて真ん中の頭を使って攻撃してくるが、一度攻撃に当たった事で少しパニックに陥っていたアリエッタは次の回避行動に移っていなかった。その結果、アリエッタは大蛇の攻撃を障壁無しでその身に受ける事となり、その体はピンポン玉のように勢いよく弾き飛ばされ、木の幹に体を強かに打ちつける事で停止した。気を失っているのか、アリエッタは微動だにしない。
「アリィ!?」
エメラの悲鳴じみた叫び声を聞いても、大蛇は勝利を確信したかのように、それまでの動きとは比較にならないくらいゆっくりとした動きでアリエッタに近付いていく。
エメラが制御して練り上げた魔力は想定していたレベルには程遠い。しかし、このまま指を咥えてみていれば確実にアリエッタは大蛇に呑み込まれてしまうだろう。
「アリィを爬虫類の餌になんかさせない!」
エメラはそう呟くと、それまでに練り込んだ魔力で炎の魔法を放つが、それはあまりにも無謀な行為だったと言える。エメラが自覚していた通り、想定したいた程の規模も火力もなく、魔法は命中したものの、大蛇の表皮が焼ける程度で大蛇が行動するには支障がない程度だった。
エメラの目論見通り大蛇は矛先をエメラに変えて、アリエッタにしたのと同様に苛烈な攻撃をエメラに加え始める。
魔術剣士として前衛に特化した動きが可能だったアリエッタに比べ、エメラは魔法に特化した後衛タイプだった。そんなエメラがアリエッタと同じように回避し続けられるわけもなく、ものの数分でアリエッタの時と同じように障壁を叩き割られてしまった。さすがに戦いなれているだけあって、一回だけの攻撃命中でパニックになる事もなく、辛うじて次の攻撃はやり過ごし再度障壁を張り直す。
そんな事を何度も繰り返しているうちに、ついには障壁を割られた後、見切れなかった攻撃がエメラの生身の体に迫る。エメラは攻撃を受けてしまう事を覚悟して、できる限りの防御体勢を取る。しかし、いつまで経っても予想していた衝撃は訪れず、その代わりに軽い地響きと共に重い鉄の塊が落ちたかのような鈍い音がエメラの耳に届く。恐る恐るエメラが大蛇のいる方向を見ると、その視線の先には三つとも頭を落とされた大蛇の胴体と、落とされた三つの頭が転がり、その手前にはいつか見た氷の大剣を握ったアリエッタが立っていた。
「まったく…こんな大きいだけの蛇に後れを取るなんてだらしないんだから!」
アリエッタの口調はもちろんの事、その纏っている雰囲気までまるで別人のようだった。しかし、それは初めて狩りに行ってアリエッタが狼を一人で処理した時のそれと酷似していた。
「あの…」
「ごめん。説明したいけどもう限界なの。悪いけどまた後よろしくね」
アリエッタはそこまで言うと、いつぞやのようにその場に崩れるように倒れこんだ。
「ちょっと、アリィ!」
エメラは慌ててアリエッタを抱き起こすと軽く揺すりながら声をかける。すると、初めて狩りに出たときと違って、アリエッタはすぐに目を覚ました。
「あれ…エメラ?僕、大蛇の頭に殴られて………大蛇は!!?」
エメラが黙って大蛇の死骸の方向に顔を向けると、つられてアリエッタもそちらを見る。
「…これ、エメラがやったの?」
エメラは首を静かに横に振って答えた。
「ううん、これ全部あなたがやったのよ。その後すぐ倒れちゃったけど」
「…は?」
アリエッタからすれば、大蛇の攻撃で昏睡させられて気付いたらすべて終わっていたのだ。エメラの言う事が信じられないのは無理もない。しかし、エメラとしても見てきたありのままを話しているだけであって、嘘偽りのない言葉であった。
「あの初めて狩りに出た時のこと覚えてると思うけど、あの時と一緒の感じだった」
自分の体が自分の意思とは別の命令で動いているかもしれない現実に、アリエッタは得体の知れない気持ち悪さを感じていた。それと同時に、この体は本当に自分の物なのか疑問がわいて来た。当初は自分の体が変異したものだとアリエッタは考えていたが、少し見方を変えると他人のものである体を奪ったという事も考えられた。そう考えれば、アリエッタが気を失った時に出てきた人格が本来の体の持ち主だとも考えられないことはない。たまに出てくる人格が異物なのではなくて自分こそが異物なのだと。急に女の体になった事も魔族になった事も、そう考えた方が辻褄が合うようにアリエッタには思えてならなかった。
しかし、そこで一方的に悪い方向に思考が落ちていかないのがアリエッタのいい所だった。
(ま、僕の意思でやったわけじゃないし、文句言われたらその時考えればいっか)
やはり、出たきた人格そのものが異物も可能性もあるわけで、アリエッタは答えの出せない問題に対して延々と考えても意味がない事と結論付けて必要以上に考える事をやめた。
「その話は前も結論でなかったし、今回もわからないよ」
「そうだけど…アリィは夢遊病みたいな覚えてないのに身体が動いてるの気持ち悪くないの?」
「それは気持ち悪いけど、原因が考えてもわかんないし、多分どうしようもないから」
「…ホント、アリィって前向きっていうか、いい性格してるよね」
エメラは少し呆れながらも率直な感想を口にする。アリエッタは苦笑しながら自分自身でも本当にその通りだと自覚しているだけに反論することもない。
「そろそろ帰ろ。レゼルさんにも報告…」
『待って!』
アリエッタが言いかけたところで、アリエッタの耳に何か声が聞こえた気がした。怪訝に思って周囲を見渡すが、声を発するような人影は見えない。もちろんエメラの声でもなかったが、少し前に大蛇を誘導している時に聞こえてきた声に似てるような気がした。しかし、姿が見えるわけではない事もあり、気のせいかとアリエッタが再び口を開こうとした時、また声がした。
『待って、待って!!ここ、ここ!』
アリエッタは声のする方を見てみるが、何の変哲もない風景のように見えた。再び目を凝らしてよく見てみると、開けた先の木々の間に巨大な虫のような物が飛んでいた。その虫のような物はアリエッタが気付いた事がわかると飛びながら近付いてくる。そして、近付くにつれてアリエッタが虫だと思っていたものが人の形をしている事に気付く。それは全長が三十センチ程度の人型で背中にはトンボや蜂のそれを連想させる半透明な羽を細かく動かして飛んでいた。その姿はアリエッタの知っている御伽噺に出てくる妖精という存在を体現したかのようなものだった。新しい芽吹きを思わせるような鮮やかな緑の髪に、同じ色合いの瞳という点は精霊族のそれと変わらないが、体のサイズがかなり小さい事と背中に生えた羽が精霊族とは違った種族であることを物語っていた。その目の前の妖精らしきものは、見た目だけなら十五歳前後の少女のそれと変わらなかった。
『わたしエレア!ネスカグアを退治してくれてありがとう!』
 




