9話 精霊族の集落
大森林に入ってから二週間ほど進んだ。大森林の行程を半分弱進んだと言ったところだろうか。距離にすればネマイラからスレヴィまでの半分程度の距離しかないが、オオトカゲの機動力を殺がれている事に加え、野宿の際には二人で交代で見張り番をする影響で休憩をかなり長めに取っていた事が影響していた。
大森林には精霊族と呼ばれる人種がところどころ住処を構えているが、基本的には外部の者は同じ精霊族であっても受け入れる事がない。そういった事情もあり、これだけ大森林の中を進んでいるにもかかわらず一度として精霊族に出会うことがなかった。精霊族は自分から姿を現す事はせず、集落もわざと人が通らないような難所に作るため、基本的に他の人種が通る事がないからだというのが通説だ。
大森林の入った初日に大失敗をやらかしたアリエッタとエメラだったが、その後はその教訓を生かして慎重に進むようになった。午後、日が傾き始めたらすぐに野宿を適した場所を探し始め、まだまだかなり明るいうちにその場所が見つかったとしても、その日はそこに泊まるようにした。初日がそうだったが、まだ明るいからと先を急ぐと、日が暮れるまでに同じような場所を確保できるとは限らないからだ。
この日もまだ夕暮れには時間がありそうではあったが、丁度良く野宿できそうな場所が見つかったところで落ち着く事に決めた。そして、二人で手分けして野宿の準備を進めている時だった。
「あのー…」
アリエッタものでもエメラのものでもない、ましてやリフィミィのものでもない声が響き、三人は慌てて臨戦態勢に入る。特にリフィミィは今にも飛び掛りそうな雰囲気だ。
「ひぃ、鬼!た、助けてください!!」
声はするが姿が見当たらない。
「リフィ、ストップ。すみませんが、害意がないなら出てきてもらえませんか?こちらも害意のない相手には手を出しませんから」
アリエッタは姿が見えたらすぐにでも飛び掛りそうなリフィミィを止めて、声の主に返答をする。リフィミィは戦闘体制と解くとすぐにアリエッタの腰に抱きついた。
「あ、なるほど、すみません」
そう声がするとガサガサと茂みが揺れて、その中から深緑の髪の男性が姿を現した。肌は白く、瞳も髪の毛同様深緑で、年齢は二十台半ばだろうか。服装も深緑で肌の色を除くと自然と保護色でよくよく見ないと発見するのも難しそうだった。
「あなた…精霊族ですね?」
エメラが驚いたように声をかけた相手は、アリエッタが見てきたどんな人種とも違った。一属性の魔力が極端に高い場合に髪に色が出る事がある魔族だが、深緑に現れる属性はなく、魔族でもないことは明白だった。
精霊族。他人種にはなかなかその姿を見せず、自然との共生を謳う彼らは必要以上の人工物を作り、使用することを嫌う。その為、文明の利を最大限生かして生活している人間族に対しては特に強い嫌悪感を持っていると言われているが、表立って接触があるわけでもなく衝突等は起きていない。
「はい」
「いつもはほかの人種の前に姿を現さないあなた方が自分からコンタクト取るなんて珍しいですね」
エメラにしては珍しく皮肉っぽく、そして警戒感を顕わにしながら言葉を投げかける。
「…実は、ボクの集落が存続の危機で、それを手伝ってもらえないかとたまたま通りかかった君たちに声をかけさせてもらったんです」
散々多種族との接触を避けておいて、随分と都合の良い物言いだなとアリエッタは思ったが、そんな事は大した問題にならないお人好しが一人いた。
「存続の危機ってどういう事?詳しく聞かせてください」
エメラの先ほどの警戒感を顕わにした態度からの見事な手の平返しに、精霊族の男の方が逆に驚いていた。「集落の存続危機」などど仰々しく、逆に胡散臭く感じるアリエッタだったが、エメラはそんな事もない様子で、本気で話を聞くつもりのようだ。
「聞いてもらえるんですか!?」
「人を驚かせてまで捕まえておいて今更何言ってるんですか…」
「いや…ダメで当たり前くらいに思っていたので…。ここではなんですからボク達の集落でお話しましょう」
精霊族の男性がそう言って手に魔力を集中させると、彼に出てきた方の草むらが開けていった。
「何これ!?」
「精霊魔術ですよ。ボク達は自然と共生するための術として、植物を操る為の魔法を持ってるんです。これで植物を必要以上傷付けることなく、生活していく事ができるんですよ。さ、行きましょう」
アリエッタ達三人は精霊族の男性の後をついて、掻き分けられた茂みを通って奥に進んでいく。驚いた事に通るのを避けるような木の密集地帯でも、木が曲がって道を空けていた。折れないのが不思議な曲がり方をしている木もあったが、魔法によって何かしらの効果が及んでいて、木そのものにはダメージがないようになっているのだろう。アリエッタもエメラも自分が使えない魔法であったため不思議で仕方なかったが、こういうものなんだろうと思う他なかった。
「着きました」
精霊族の男性は何の変哲もない森の中で立ち止まるとそう言った。アリエッタもエメラも周りを見渡すが人の住処らしきものは見当たらない。しかし、少し視線を上げたところで信じられないものを見つけた。
木々の幹から伸びた枝が複雑に絡まって、あたかも空中に浮いているかのような大きな塊が地上から五メートルほどの高さに存在していた。
アリエッタもエメラも呆気にとられてしまい、口をあけたまま固まってしまった。リフィミィだけは何が不思議か理解していないのか「うー?」と声を出しながら、固まったアリエッタとエメラを交互に見ていた。
「魔族や人間族は石や切った木を使って家を作るそうですね。ボク達はこれが普通ですが、驚いてしまいましたか?」
精霊族の男性の口振りからすると、この宙に浮いているように見える物体は彼らの家のようだ。五メートルから十メートル四方のそれなりに巨大な物体はさすがに一本の木では支えきれないのか、十本ほどの木から枝が伸びてそれが複雑に絡まっていた。
「あれが家…?」
「はい。木々から一本枝を使わせてもらって、それを精霊魔術で加工してます」
ある意味で木造の家屋だが、作り方が相当特殊だった。相当な高さに存在する事と、枝に人の様なそれなりの重量があるものが載ると揺れる仕組みになっており、精霊族にとっては防犯上も一役買っているのだ。
「どうやって家に入るんですが?」
エメラの疑問は尤もだった。五メートル以上の高さにあるにもかかわらず、家に入るために登れそうな階段すらないのだ。かといって木に登って枝を伝っていくには足場が非常に悪そうで、進入する等の特殊な目的でなければあえてそれを手段にするには無理があるように見えた。
「それは見た方が早いですね。着いて来てください」
精霊族の男性はそう言うとまた歩き出した。少し歩いた先の少し大き目な枝の家の前で止まると、森の中を進んだ時のように魔法を駆使し始めた。すると近くの木の枝が一本伸びてきて、その場の四人に巻き付くと、慌てる三人を他所に、そのまま家の入り口まで運ぶと元に戻っていった。
「こういう事です」
「…ちょっと焦った。でも、これなら侵入者は早々入ってこれないですね」
精霊族は人間族や魔族と違って、人を傷付ける為の手段に乏しい。そもそも自分の関係しない相手に対して無関心な種族だけに、自分達から侵略を仕掛ける事も無い。そうなれば、攻撃するための手段など身に着けようはずがなかった。それでも野生の動物を狩ったり、他の侵略者から身を守る程度であれば、精霊魔術と森の恵みがあれば事足りてきたのだ。
「まぁ、そうなんですが…その辺も中で話しましょうか」
精霊族の男性は、そう言うと中に四人を先導していった。
家の中は以外にも普通だった。アリエッタはもっと木の枝が剥き出しの内装を予想していたが、その予想に反して中は壁紙らしきものが貼られて、無骨なイメージはない。枝が絡まっただけとは思えないほど繊細な作りになっており、人の居住スペースとしての役割はしっかりと果たしているように見えた。
さらに奥の仕切られた場所に入ると、椅子とテーブルがあり、精霊族の男性に座るよう促された四人はその言葉に従って椅子に腰を下ろした。
「さて、自己紹介がまだでしたね。僕はレゼルといいます。この集落の代表代理だと思ってもらえればいいです」
「あたしはエメラディナ。こっちはアリエッタで、小さい子がリフィミィです」
「よろしくお願いします。それにしても鬼を手懐けるなんて、何したんですか?」
レゼルと名乗った男性は未だにリフィミィに対してはおっかなびっくりといった様子だ。しかし、「手懐ける」といった言葉に気分を害した者が一人いた。
「リフィに対して手懐けるなんてペットみたいな言い方やめてもらえますか!」
アリエッタにとって、リフィミィは既に人と変わらない。家族は言い過ぎだが、既にネマイラで近所に住んでいたレナとカイルほどの親近感を抱いていたのだ。その辺の犬や猫のような扱いを受ければ、言い方も少しきつくなる。
「え…あ…すみません。鬼を連れてるなんて珍しかったので…」
「鬼」という呼び方にもムッとするアリエッタだったが、これ以上は話が進まなくなるので顔には不機嫌な表情を出すものの口には出さない。対してレゼルは何がそこまで機嫌を損ねてしまったか理解できずオロオロするばかりだった。話の中心に挙げられてしまったリフィミィは、いつもであれば寝る時間が近いこともあり、目が半開きになりつつも必死に睡魔と闘っているようだった。
「それは置いておくとして、あたし達に何か頼みたかったんですよね?」
なかなか話の進まない状況に、少し呆れた様子でエメラが話の論点を元に戻した。
「あぁ、はい!そうでした。実は…」
そうして、やっとレゼルが少しづつ本題について話し始めた。
元々、精霊族はレゼル達がしているように森の中で木々から生きた枝を提供してもらう事で住居を、植物や動物を必要分だけ狩ることで食料を確保してきた。それは種としての歴史が始まったから大きく変わる事なく連綿と続いてきた営みだった。時には外敵に襲撃されることもあったが、森の特性と精霊魔術を駆使して、時には同族の別集落とで協力もしながら、その生活を守ってきた。
しかし、そのサイクルを壊そうとしている生物が現れた。その生物は今まで一族が見てきたどんなモンスターよりも大きく、そして魔力も桁違いでまったくと言ってもいいほど対抗策がなかった。既に一部の集落は蹂躙され、他の集落に合流しているとの事だった。
そのモンスターの姿をレゼルは確認していないが、人伝に聞いた話だと途轍もない大きさの蛇だったという。全長は数十メートルはあり、胴は直径が数メートルにも及び、人など簡単に丸呑みされてしまったそうだ。
「…で、その大蛇が集落に近付いてきているからあたし達に討伐してほしい、と?」
エメラは眉間に皺を寄せながら、レゼルからの依頼内容を反復して口にする。話を聞いた限りでエメラが判断すれば、おそらく討伐の成功率は五分五分といったところだった。
アリエッタが牽制しつつ足止めをしている間にエメラが特大の火魔法を叩き込めれば、恐らく討伐できる。しかし、問題はそれだけの大きさの大蛇を相手に、アリエッタがどの程度まで足止めができるかという事と、最悪のパターンは魔力量がアリエッタやエメラを上回っていた場合の対処だ。いずれも危険性が高く、本当の意味で命懸けだ。セヴィーグで発生したのであれば自警団で討伐隊が組まれてもおかしくないレベルの案件だった。
「はい。どうですかね?」
いくら人助けの好きなエメラでもあっても、アリエッタを最悪の事態に巻き込むような判断だけはしたくなかった。
「う~ん、あたし達の安全が確保できないので、この話は…」
「エメラ、できるだけやってみようよ。放置したら下手するとスレヴィあたりまで行っちゃう可能性もあるし。精霊族のためにというより、僕達のためにもやった方がいい気がする」
話を断ろうとしたエメラの言葉を遮る様に、アリエッタが受けてみようと意外な提案をする。
「森の中だし、相手の魔力量がわからないから走って逃げ切れない可能性だってあるんだよ!?」
「うん。でも何とかなりそうな気がするんだ」
エメラの合理的な判断にアリエッタは根拠のない自信をのぞかせた。
「…はぁ。わかった…。でも!ダメそうだったらすぐ逃げるからね!」
エメラは、溜息をつくと渋々アリエッタの提案に了承するのだった。
 




