3話 初めての街道
アリエッタとエメラはネマイラを出ると各街を繋ぐ街道を通って隣町エウレアを目指す。
ネマイラはセヴィーグ自治区最西端の要所としてかなり発展しているのに対して、エウレアの町はネマイラと最南端の街スレヴィを繋ぐ街道の間に数十箇所存在する「中継の町」としての側面が強い。
一箇所にまとまらずに小さな町を形成できるのも、魔族は個々の能力が高い事と、長い歴史にあって異種族からの侵略をほとんど受けた事が大きく影響していた。外敵に対して、一箇所に纏まってそこを集中的に防衛する必要がないからだ。
道中は快適だった。それなりに舗装された道はオオトカゲが走っても大して揺れる事がなく、見通しがいい為、死角からモンスターに襲われるリスクも低い。ただ、少し十二月の風は冷たく肌寒いという事だけが唯一快適さを減らす要因だった。
「さすがに乗ってるだけっていうのは暇ねぇ…んん?」
エメラがつまらなそうに見る前方には遠目にもわかるほど大きな何かがいた。
近づくにつれてその姿がはっきりしてくる。それは山羊だった。遠目からも大きい事がわかるほどの山羊だ。近づくとその大きさは目を見張らんばかりで、体高は軽く二メートルを越えている。側頭部には簡単に人を刺し殺せそうな大きな角に、後ろ足の大腿部の筋肉ははち切れんばかりにパンパンに張っている。
「なんだ山羊かぁ」
アリエッタとしてはこの巨大な山羊は脅威に見えるのだが、エメラにとってはそうでもない様子だ。
実際セヴィーグ自治区に生息する動植物はそれ以外の地域のものと比べて大きく、力も強いものが多いのは確かだ。しかし、その本質が大きく変わる事はなく、野生の山羊も例に漏れず人を恐れる習性は残ったままである事が多い。
「大丈夫なの…?」
「うん。こっちが下手に刺激しなければほとんど襲ってくる事はないよ。襲ってこないならできるだけ殺したくないしね」
そんなエメラの気持ちを知ってか知らずか、じっと二人が通り過ぎるのを見ているだけで、特に動きを見せることはなかった。
「僕一人だったら、無駄な殺生してたかも」
「そうね。アリィはまだ知らない事が多いから」
その後しばらく進むと、また大きな動物のシルエットが見えてきた。次第にはっきりしてくるその姿にアリエッタは戦慄した。
口からはみ出た大きな牙に、遠目からでもわかるほど鋭そうな剥き出しの爪、黄色地に黒の縞模様、獰猛さを隠しもしない目。そして背中には体と同じ色の猛禽類を思わせる翼を広げていた。
パッと見は正しく虎。しかし、アリエッタの記憶では虎にはありえない大きな翼が付いている。そして、アリスフィアに来てから見た人以外の生き物の例に漏れず、アリエッタの記憶のそれよりはるかに大きい。先ほどの山羊よりも一回りも二回りも大きかった。
「今度はネマイラタイガーね。これはスルーさせてくれそうもないかな」
名前の通り、異常な魔力を溜め込んで異常進化したネマイラ周辺を主な生息地とする虎だ。その特徴は原形である虎と同じく肉食であり、進化で得た翼を使って空中から獲物に襲い掛かる事にある。
ネマイラタイガーは二人を視認すると大きく咆哮をあげると、空中に飛び立った。
「飛ぶモンスターは面倒なのよね…。あたしが魔法で地上に落とすから、アリィはそこを叩いてくれる?」
「わかった」
アリエッタは実のところ怖かった。しかし、だからといって指をくわえて見ていればネマイラタイガーの腹の中だ。精一杯自分を鼓舞して、エメラの言葉にも何も感じてない風に装って返事をした。
そうこうしている間にネマイラタイガーは二人の近くまで迫っていた。今まさに前脚を振り上げ下降しようとしたところでエメラが風の刃を発生させて翼に傷を付ける。それまで空中でバランスを取っていた翼を傷つけられた事でネマイラタイガーは下に落ちてきた。
あとは素早くアリエッタが魔法武器で斬りかかってしまえば終わる。そのはずだった。
しかし、間近で見るネマイラタイガーは翼が付いていることを除けば、アリエッタの記憶の通りの虎そのものであり、同時に恐怖の対象でもあった。それが故に、アリエッタは直前になって怖気づいて動けなくなってしまっていた。
アリエッタも数ヶ月前までは平和な日本で生活していて、獰猛な肉食獣に出くわすことなど安全な動物園くらいでしかあり得なかった。数ヶ月の慣らし期間があったとは言え、中身がそんな平和ボケした一介の少年であれば足が竦んでしまうのも無理のないことだった。
翼を傷付けられたとは言っても、動けなくなったわけではないネマイラタイガーは、すぐに体勢を整えると、今度は地を蹴って直接アリエッタに飛び掛かってきた。
アリエッタは成す術もなく、腕で体を庇う様な動きをするが、ネマイラタイガーの爪がアリエッタの腕に到達する前に、ネマイラタイガーの顔に炎の塊がぶつかり再び飛ばされた。ネマイラタイガーの顔にぶつかった炎は体中の体毛に燃え移り、全身が燃えている。ネマイラタイガーは堪らずに火を消そうとしきりに地面へ体を擦り付けるがなかなか消えず、のた打ち回っている。
「アリィ!今のうちに、早く!!」
エメラの声に我に返ったアリエッタは、未だに震える手足を叱咤して動き出した。ゴローから降りると氷刀を出現させて、地面を転がりまわるだけの的となったネマイラタイガーの首筋めがけて氷刀を一閃させる。
少し重い音を伴って人の胴体より大きな頭が地面に転がるのと同時に、頭のない首からは大量の血飛沫があがる。
アリエッタはその場から数歩後ずさると、へたり込んでしまった。
「アリィ、お疲れ様」
「エメラ、ごめん。僕…」
「まだ始まったばっかりだから、ゆっくり慣れていこ」
余談だが、ネマイラタイガーの皮は衣類や装飾品に使用される高級品で、一匹分でも町で売ればそれなりの金額になる。そのため、人によっては積極的に狩りに行く者もいるが、ネマイラタイガーの戦闘力はそれなりに高く、駆け出しだったりすると返り討ちに遭い自分が死体となって帰ってくることもあったりする。そういった意味では、アリエッタが一人で旅に出ていた場合、死ぬ事はなくとも手痛い洗礼は受けていた事だろう。
二人はネマイラタイガーの死体から皮だけを剥ぎ取り回収すると、再びエウレアの町を目指してオオトカゲを走らせていった。
日が傾き始めた頃になって、ようやく目の前に町並みが見えてきた。多少余裕を持ってスケジュールを立てていた事もあるが、ほぼ予定通りエウレアの町に入ることができたのだった。




