1話 旅の準備
ルビアス探しの旅に出ることを決めたアリエッタとエメラの二人は少しづつ準備を進めた。旅に必要な機材の調達や長期保存が利く食材の買出し、それに移動するルートの選定だ。
機材の調達にはそれなりの時間がかかった。なにせ、そもそも長距離の移動を要する旅をしようとする物好きが魔族にはほとんどいないのだ。あまり他の人族と交流が無く、セヴィーグ自治区で自給自足が成り立ってしまっている為、商人の買出しや売り歩きすら自治区内で完結してしまい、長距離の移動が必要ない、またはしようとする者が少なかった事も大きく影響している。
また、街と街の距離が日中移動で辿り着ける範囲に点在しているため、野宿する為の寝袋や外で調理する為の機材といったものは特に調達が難しかった。
結局、新品を調達する事はできなかったが、知り合いの伝手をフル活用する事で中古品ではあるが譲ってもらい、なんとか揃える事ができたのだった。
旅のルートは、南の大森林を南西に進みアムブラント山脈を越えて大陸南部のサーフィト帝国に入る。その後は北上しつつ公国を避けて大陸中部からエルガラン王国に入り、そのまま王国北部に進む予定にした。
ちなみに、最南端の街に向かわず、最初の中継町の前を西側に進むと、以前偵察隊が向かった森に着く。気付かれずにネマイラに向かうなら西側に広がる森を経由するべきだが、そうでもないのであれば街道を通っていった方が旅路は楽になる。
当然の事ながら、状況次第で詳細なルートは流動的になる。行く先々でルビアスの情報があれば、その情報があった方角へルート変更もあり得る。
予定はあくまで予定であって、実際その通りに辿って行かない可能性も十分に考えられる。
一通りの準備が終わると、今度はアリエッタとエメラがかかわりの深かった人達に挨拶に回っていた。
「本当に大丈夫なの?まだ考え直すのは遅くないのよ?」
最初に訪れたジム夫妻の家でジェシカはしきりに二人の心配をして、未だに引き止めようとしていた。二人の決意が固い事は察して半ば諦めてはいるようではあったが、できる限りの事はしたいと言う事なのかもしれない。
「ジェシカさん、そんなに心配しないでください。こう見えてもあたし達結構強いんですよ?」
実際、元から秘めた魔力の高さから一目置かれていたエメラはもちろんの事、アリエッタもジムからの魔術剣の指導で下手な自警団員よりはるかに高い実力を身に付けていた。初めて狩りに出た時に殺されかけた狼の群れも、アリエッタ一人で難なく処理ができるまでには成長していた。
「そうは言ってもあなた達みたいに綺麗な子だったら、人攫いや強盗も心配だわ」
アリエッタはこの辺が実はピンときていない。エメラは文句なしの美女なのだが、自分もそうだとはとても思えなかった。客観的には誰もが振り返る程の美貌を持ち合わせているのだが、アリエッタは自分の事となると自己評価が著しく低かった。
「そんな大げさですよ。エメラはともかく僕なんて狙うヤツいませんよ」
「あなたが一番危ないの!」
「あなたが一番危ないのよ!」
アリエッタの危機感の無い言葉に、エメラとジェシカの言葉が重なった。「えぇ…」と不満げな声を漏らすアリエッタだが、そんな様子を見てジムも含めた三人が揃って溜息をついた。
「悪いが、今回ばかりは私も同意見だよ。フォローのしようがない」
「自覚が無いのが一番厄介ね…エメラちゃん、少し同情するわ」
「わかって頂けると少し救われます…」
三者三様の言葉だが、まったく心当たりのないアリエッタは少し憮然とする。そして、その様子を見た三人は再び溜息をつくのだった。
「二人ともいなくなると寂しくなるなぁ。しかし、湖でアリエッタの嬢ちゃん見つけたのが随分と前のことのように感じるわ」
フリッドは複雑な表情を浮かべて、そう口にする。彼にしても上客で馴染みの深い二人が街から出て行く事は少なからず複雑な思いを抱いているのだろう。
「あの時は本当にありがとうございました。フリッドさんとレーンズさんとエメラは命の恩人ですよ」
「大袈裟だぜ。それに俺は運んだだけで何もしてねぇしな」
実際問題、エメラがアリエッタを発見してフリッドが運んでいなければ、あのまま野生の獣達の餌になっていた可能性もあるのだ。アリエッタの言葉は強ち大袈裟な物言いというわけでもない。
それでも「何もしてない」というあたりは、当然のことをしただけという認識であるフリッドの人の良さが出ているのだろう。
「おじさん、運んでるんだから何もしてないって事はないでしょ」
「そうだな」と人が良さそうに目尻に皺を作って笑顔を見せるフリッドの様は、絵に描いたような「お人好し」の姿だった。
「嬢ちゃん達二人なら、何か起きるとはそうそう思えんが、何があるかわからんからな。俺は見送りには行けないが、気をつけてな」
「うん、ありがとう。おじさんもそろそろいい歳なんだから、無理しちゃダメよ」
「バカ言え!俺はまだまだ無理が利く歳だっつーの!」
人間族で言うと三十台後半くらいの歳だろうが、肉体年齢的にはまだまだ二十代前半だ。エメラの言葉ももちろん冗談だ。
お茶とおやつ。レーンズの店の中はいつのも風景ではあるものの、話している内容は当然のことながらいつものものではなかった。
「まさか二人で旅に出るとはねぇ…。アリエッタちゃんからの話なんだっけ?何があるかわからないもんだねぇ」
「あたしもこんな事になるなんて思わなかったわ」
「エメラは考え直してもいいんだよ?」
「大丈夫!それはないから」
何が「大丈夫」なのか理解できないアリエッタだったが、元々エメラが付いてきてくれる事自体は嬉しく思っているのだ。さらに、一緒に行く行かないという事は最初の頃に散々議論した事で、既に決着はついている話であって、あくまでこのやり取りもじゃれあい程度のものでしかない。
「はは、相変わらず仲が良いね。でも送り出す方としても一人で行かれるより、二人で行ってくれた方がまだ安心できるよ。それでも心配は心配だけどね」
レーンズの言う事は妥当だ。仮に一人で旅に出て、その間に動けなくなるようなトラブルが発生した場合そのまま命を落とす可能性はかなり高くなる。しかし、そこに同行者がいたとすれば、共倒れになる事もあるかもしれないが、一人でのものよりはるかに生存率は高くなるだろう。レーンズはその事を言っているのだ。
「大丈夫ですよ。何があってもエメラだけは守れるように動きますから」
「アリエッタちゃん、わかってないなぁ。俺はね、その辺も含めて心配なんだよ。二人揃って帰ってきてくれなきゃ『大丈夫』とは言えないなぁ」
「そうだよ。一人だけ犠牲になろうなんてしたら絶対許さないから!」
エメラはそれまでの冗談めかした態度を一変させて怒りを滲ませながら、強い口調で言う。
十代くらいの若者だと自分の存在価値をわかっていない者も少なくない。自分がいなくなった時に周りの人にどれだけの喪失感と悲しみを味あわせる事になるか理解できていないのだろう。
アリエッタもその一人だった。既に自分自身の存在が、周囲にどれだけ影響を与えているかわかっていなかった。だからこそのアリエッタの言葉で、その言葉には当然のように強い反発が起きる。
「え…でも状況次第ではそれどころじゃないかもしれないよ?」
「それでも許さないから!」
「そうは言って…」
「許さないから!!」
「…はい」
アリエッタは有無を言わさぬエメラの強い姿勢に押されるように、反論ができずについ了承の返事をしてしまった。
「うん、約束だからね」
レーンズに挨拶に来て別の約束をさせられるアリエッタだった。
「でもアリエッタちゃんだけじゃなくてエメラちゃんも無理しないようにね。俺としてはどっちか片方だけでもいなくなったら悲しいよ」
レーンズからすれば当然の事だった。二人揃って無事に帰って来る事。それが一番彼の望む事だ。
レーンズの喫茶店を出た後、エメラの友人知人を中心に数件挨拶に回って、最後にクレストとその家族に挨拶に来た。
幸い家族全員が揃っていて、全員に直接説明ができる状態だった。
人間族の夜襲があってからというもの、この一家からは命の恩人として必要以上に丁寧な扱いを受けていた。実際にはそれだけでなく、子ども二人の面倒をよく見ていたこともあって特にクレストとリーズはアリエッタとエメラには頭が上がらないのだ。
そういった背景もあり、アリエッタとエメラが訪れると大した用がなくとも客間で丁寧にもてなされるのはいつもの事だった。
全員が座って落ち着くと、クレストが切り出した。
「いつも家の子ども達がお世話になってすまないね。ところで今日はどうしたのかな?」
一旦座ったといっても、子ども達はじっとしている事がない。既に立ち上がってアリエッタの背中に乗っかったり、エメラの腕を取って遊びをねだったりして落ち着きがない。三歳、五歳と言えば、こんなもんなのだろう。
「カイル君、僕はお父さん達にお話があるから、遊ぶのちょっと待ってね」
アリエッタはしつこく腕を取ってくるカイルをそう言って宥めてから話し始めた。
「実は、エメラと一緒にエルガラン王国の北部まで旅をする事にしました。ですので、そのご挨拶に伺いました」
「なんと、ほとんど大陸一周するつもりなのか!?」
クレストもリーズも驚いているようだ。住み心地の良いセヴィーグ自治区を出て、わざわざ人種差別のある人間族の居住地域のさらに一番奥地まで危険を冒してまで行こうというのだ。驚くのも無理はない。
「差し支えなければ理由を聞いてもいいか?」
クレストのその問いに、アリエッタはそれまでに挨拶するたびに話した、ルビアスを探して性転換する方法を聞いてみたいという説明をする。当然の事ながら、その先の男に戻るという真の目的は伏せている。
「そうか…私に止める権利など無いが、子ども達が寂しがるな…」
会話で槍玉に上がったレナとカイルは無邪気にアリエッタとエメラにじゃれついていて、話を聞いていない。比較的しんみりとした話をしている筈なのだが、そんなレナとカイルのおかげか、そこまで雰囲気は落ちていなかった。
「そうですね…。ここまで懐いてくれているので、あたしとしても少し心苦しいです。ねぇねぇ、レナちゃんとカイル君」
「なぁに、エメおねーちゃん?」
満面の笑顔のレナに、急に呼び掛けられた事によりきょとんとした表情のカイル。そんな二人を見るとエメラも別れを告げるのが憚れてしまうが、いずれは話さなければならない事だ。少しの間をおいて意を決したように表情を引き締めて、子ども二人に話し始める。
「お姉ちゃん達ね、来週になったら街のお外に行く事になったの」
「ふうん?いつかえってくるの?」
「そうねぇ…レナちゃんの誕生日があと一回か二回きた後くらいかな」
エルガラン王国の北部までサーフィト帝国を経由するとなると距離にして一万五千キロから二万キロにも及ぶ。そこをトカゲに乗って移動したとしても一日精々五十キロから八十キロだ。軽く見積もっても片道二百日以上がかかる計算で、往復ともなれば最速で一年半、長ければ三年以上かかってもおかしくはない。
エメラの言葉を理解すると、見る見るうちにレナとカイルの表情が崩れていく。
「おねーちゃんたち、いっちゃヤダ!!」
「いっちゃダメ!!」
泣きながらレナはアリエッタに、カイルはエメラにしがみ付く。
幼稚園児くらいの子どもにとって一年はかなり長い時間と感じるものだ。そもそも時間の概念をほぼ理解していないこともあり、自分の一回先、二回先の誕生日は相当先な未来だと感じる事だろう。もしかすると二度と会えないと錯覚しているのかもしれない。
「レナちゃんもカイル君もいい?ちょっと長い間留守にするけど、もう逢えないわけじゃないんだよ?それに!もうすぐ新しい弟か妹ができるんでしょ?二人ともそんなにめそめそ泣いてたら笑われちゃうゾ?」
エメラは優しく、諭すように言い聞かせる。しかし、そんな言葉でも子ども達二人は納得していないようだった。
「またすぐ逢えるから。その時は大きくなったレナちゃんとカイル君をお姉ちゃん達にみせて。ね?」
エメラのその言葉に少し落ち着いたのか、レナだけが無言で頷く。
「うん、良い子だね。カイル君もね」
その日、レナとカイルは別れを惜しむかのように、アリエッタとエメラについてなかなか離れようとしなかった。
 




