21話 告白
外では枯れ葉を運ぶ風の音と、地面と枯れ葉が擦れるカサカサという音が響いている。日が雲に隠れてしまっている今日は、外に出ると非常に寒いだろう。
そんな中、エメラの家の中のキッチンにあるテーブルについたエメラは口を開けたまま絶句していた。向かいに座っている礼も顔を伏せたまま何も喋らない。
「え……何……?」
数分の時間が経過して、やっと再起動したエメラが発した言葉がそれだった。
その日は二人揃って朝が遅かった。わりと自由なエメラはともかく、魔力制御の練習や朝一の家事をこなしていた礼までも遅くなるのは珍しいことだった。それだけ前日の体験が体力的にも精神的にもハードだったという事なのだろう。
エメラが目を覚ますと、いつもは隣に寝ている事のない礼が大人しく同じベッド寝ている事に気付く。まだ早い時間なのかとも一瞬思ったが、窓から差し込む太陽の光は力強く、すでにかなりいい時間になっている事を自覚する。
十八歳というにはまだ少しあどけなさを残していた礼の寝顔にエメラは保護欲をそそられ、優しく礼の頭を抱きこむ。そのエメラの行動で礼は目を覚ます。
「アリィ、おはよ」
エメラは優しく微笑んで礼に朝の挨拶をする。礼はまだ頭が覚醒しきっていないのか、ぼんやりとエメラを見つめるだけだったが、少しの間を置くと少し状況を飲み込めたのか礼も簡単に挨拶を返す。
しかし、さらに少しの間を置くと、礼は急に上半身をガバッと起こした。
「エメラごめん!寝過ごした!」
そう言って慌ててベッドから抜け出そうとする礼の後ろから、エメラが背中に抱きついた。
「そんなのいいよ。たまにはゆっくりしよう?」
「エメラがそう言うなら…。でも水だけはすぐに準備するね」
礼にとって、ほぼ唯一と言ってもいい水汲みの仕事。実際には魔法で樽をいっぱいにするだけなのだが、そこまでサボってしまうとこの家に置いてもらっているだけになってしまうと礼は考えていた。それだけに、小さな事ではあってもそこだけは蔑ろにしたくはなかったのだ。
太陽はかなり高いところまで昇っていた。二人はゆっくりと起き出して、エメラはゆっくりと朝食の準備に取り掛かっていた。
加工して保存を利きやすくしたベーコンのような肉を焼く音が響き、香ばしい食欲をそそる匂いが礼の座っている場所まで漂ってくる。そんなゆったりとした朝の雰囲気の中、礼は一つ決心をしていた。
"すべてを打ち明ける"
元々男だったこと。地球では魔族などという種族は存在せず、アリスフィアで言うところの人間族であったと言うこと。
今でも打ち明けた結果のことを考えると、とてつもなく怖い。しかし、それ以上にエメラをある意味で騙し続ける事の方が心が痛かった。触れ合ったとき、水浴びするとき、そんな性差を意識するような場面では特にその思いが強くなる。
エメラなら、もしかすると笑って流してくれるかもしれない。礼にもそんな打算的な考えもなかったわけではない。しかし、そんな甘い考えは一瞬で自ら否定した。
"どんな結果が待っていても受け入れる"
罵倒されるかもしれない。ここを追い出されるかもしれない。もう一生口を聞いてもらえないかもしれない。考えたくもないような想像だが、礼はそのすべてを呑み込み、そんな決心をした。
エメラの作った朝食を二人で黙々と食べる。この日は昨日あんなことがあったばかりと言うこともあり、二人の間に積極的な会話はなかった。黙々と食事だけが進んでいく。
「ごちそうさま」
やがて、先に食べ終わった礼が食後の挨拶を口にする。
「おそまつさま。この後は水浴びに行こうか」
お互いの口数は少ないが、エメラとしては特に意識することもなく日課の水浴びに行くか確認を入れる。しかし、その日は少し礼の様子が違う事をエメラも機敏に察していた。
「その前に少し話があるんだけど、いい?」
「なに?改まった話?」
エメラの問いに軽く首を縦に振る礼を見て、エメラは続けた。
「わかった、それなら片付けだけしちゃうわね」
改めて向かい合う礼とエメラの間には沈黙の時間が流れていた。エメラは礼が切り出すのを促すこともせずにじっと待っているが、礼も打ち明ける決心はしたものの、なかなか踏ん切りがつかない。
たっぷりと時間が経過した頃、礼ではなくエメラが先に焦れた。
「ねぇ、アリィ、話しづらい事なら無理に今日じゃなくてもいいんじゃない?」
エメラからの甘い誘惑が礼を襲う。エメラもこう言っている事だし、先延ばしにしてもいいんじゃないか。そんな事を礼も考えてしまうが、せっかくの決心が鈍ると次はいつ話そうと踏ん切りがつけられるわわかったものではない。
エメラの一言で逆に踏ん切りがついた礼は、ついに鍵が掛かっているかのように閉ざしていた口を開いた。
「僕は……アリスフィアに来る前は男だったんだ」
「……え?」
戸惑うエメラをよそに礼はさらに続ける。
「さらに言うと、元の世界には魔族なんていなくて、僕もここの人達の言う人間族と同じ種族だった」
「隠してて…ごめん……」
礼は搾り出すような小さな声でポツリと喋るが、エメラの顔を直視できなかった。勝手に目が潤んでくる。この後のことを考えると怖すぎて返答を聞くことにすら恐怖を感じてしまう。沈黙の間ですら途轍もなく長く感じられる。
礼にとっては永遠にも感じられるような時間は、エメラが動き出す事によって終わりを迎えた。何を言われても仕方ないと覚悟は決めていたつもりだった。しかし、実際にそんな場面となると、礼は思っていた以上の怖さを感じていた。それだけの事をしでかした自覚が礼にはあった。
非難を浴びることになるだろうその時を、礼はぎゅっと目を閉じて待つ。しかし、礼に返ってきたのは罵倒の言葉でもなく、ヒステリックな怒声でもなく、はたまた鉄拳でもなかった。礼はふいに頭に柔らかいものがあたる感覚を覚える。そっと目を開けてみると、そこにはエメラのお腹が見えた。
「言えなくて辛かったね。アリィはアリィで、男の子でも女の子でもあたしは気にしないよ。さすがにちょっとビックリしたけど…」
エメラは礼の頭を抱きながら、優しく声をかける。ほとんど想定しなかった反応に、礼は今度は戸惑ってしまう。
「騙しているつもりはなかったけど、隠してたんだよ!?同じベッドで寝る事もあったし、その…は、裸だって見ちゃってるし…!」
頭を上げてエメラの目を見て、礼はそう叫ぶように話す。普通に考えれば、意中の相手以外の異性に裸を見せた上でベッドを同じくするなど、家族を除けば早々ありえない。
「う~ん…男の子の姿で会ってたらわかんなかったけど、見た目は女の子だしね。男の子といるって感覚が今でもないのよね」
エメラからすれば、礼は初対面から少女の姿だった。嘘か本当かを信じる信じないにかかわらず、目の前の可憐な少女に「実は中身男です」と言われたところでピンと来ないのも道理だろう。エメラにとっては、礼の一大決心を要した告白を受けてなお、自称「元男」の女の子にしか見えなかった。言われてみれば確かに所作が少年っぽいところはあったなとエメラも思うが、そういう女の子もいるだろうという程度だ。そして何より、礼の柔らかい言葉遣いが最後の一押しになって、エメラにはとても男性だとは感じさせなかったのだ。
「よかった…」
特に気にしていなさそうなエメラの様子に、礼はホッと胸をなでおろす。それと同時に、受け入れてくれたことに対する嬉しさも相まって熱いものがこみ上げてくる。すでに水溜りの状態になっていた瞳はあっという間に決壊を起こして、溢れ出した熱いものが頬を伝って流れ落ちた。
エメラは再び礼の頭を胸に抱いて、優しく声をかける。
「何泣いてるの。そんなに大した事じゃないじゃない」
「もう……受け入れてもらえないかと…思って…ここにも…置いてもらえないんじゃないかって…不安で…」
「バカね。あたしがそんな事で見捨てるわけないでしょ。アリィはむしろ引き取りたいっていう申し出が多いから断るのに苦労してるくらいよ」
エメラのその話の真偽は礼にはわからない。しかし、一緒に暮らしてもいいんだとエメラが気を使ってくれているのは十分にわかって、礼にとってはそれが嬉しくてたまらなかった。
「うん……ありがとう…」
礼はそう返すのが精一杯で、ただひたすら涙を流すのだった。




