Side Episode2 故郷の地1
時系列は本編最後の事件が終わった直後くらいです。
少し長くなったので3回に分けて投稿します。
「そういえばさ、アリィの家族ってどんな人たちだったの?」
徐々に太陽がその鎮座するその位置を下げ、街をオレンジ色に染め上げる頃、エメラが唐突にそんな事を聞いてきた。
「どうしたの、急に?」
「うん?この子たち見てたら、アリィがちきゅう…だっけ?そこにいた頃の家族ってどんなだったのかなぁってちょっと気になって」
そう口にしたエメラの膝の上では散々遊び回り、おやつをペロリと平らげた結果おねむになったカイルが舟を漕ぎ始めている。姉のレナは既に近くのソファで静かな寝息を立てていた。
毎日ではないものの、あの旅と一連の出来事が終わり僕たちがネマイラに帰ってきてから、この姉弟が遊びに来る事が常態化していた。お昼を食べた後遊びに来ると、おやつを食べてお昼寝をした後家に帰っていく。
元々子どもは嫌いではない。むしろ好きな方だしその事自体は歓迎している。レーナさんは頻繁に遊びに行っている事に対して恐縮しきりの様子だが、僕たちは暇なくらいなのだから気にしなくてもいいのにと思ってしまう。
そんな姉弟を見ていると、ふと地球にいた時の姉を思い出す事もあり、それをエメラに話した事があった。それを受けての言葉かもしれない。
「前にも話したかもしれないけど、割と普通の家族だったと思うよ」
仕事命な所はあったものの家の事は放置しない父。正社員として働きつつも家事は疎かにしなかった母。共働きで子どもに対しては放任主義な両親の反動か、弟に対して過保護気味で若干ブラコンの入った姉。当時は当たり前に思っていたが、それが尊くて幸せだったと今ならわかる、そんな家庭だった。
「それは聞いたわよ。お姉さんとご両親って具体的にどんな人だったの?」
「そこまでは話した事なかったっけ。ウチの姉ちゃんはさ……」
エメラに問われるがまま、どんな家族だったか話し始める。
記憶というのも、人に話して聞かせる事で整理されるのだろう。少しづつ忘れていたような小さな頃の思い出も蘇ってくる。懐かしさ半分切なさ半分の少し微妙な気分だったが、悪い気分ではなかった。
こちらに来てしまった頃は、もう会えない悲しみから思い出すのも辛かった礼だった頃の記憶も、気持ちの整理のついた今では懐かしさも手伝って苦しくなることはない。時間が癒してくれたという事も否定はできないが、なによりも
『僕は一人ではない』
その事実が礼であった頃の過去を懐かしく思い出せる大きなファクターになっていた。
元の世界への未練が無い、と言えば嘘になる。もうどう足掻いたところで戻る手段などないし、仮に戻れるとなっても今度は別の別れが待っているとなれば、事は単純ではない。現状を受入れ、なるようにしかならないと諦め交じりに過去は振り切ったつもりだ。
ただ、一点だけ気掛かりというか、心残りがあった。家族たちだ。
両親は放任主義とは言え、無関心とは違い二人からの愛情も感じていた。ブラコン気味な姉に至ってはいわずもがなだ。そんな家族たちは、突然僕がいなくなったことに対してどう思っているのだろう。
落ち込んで日常生活に支障をきたしていないだろうか。はたまた彼らの未来を歪めてしまっていないだろうか。
確認のしようがないが、そんな思いは彼らへの負い目となって今でも僕の胸を締め付けている。
そんな事があったからだろうか。
気が付くと、僕は見覚えのある街の真っただ中に立っていた。
アスファルトで整備された道。その上を低い音を響かせながら往来する自動車。そこかしこで人々が手にしている四角く平べったいハンディサイズの端末に、建物の扉が開くたびに中から漏れ出る冷気。じっとしても汗がにじみ出てくるような過度な湿度。
どう見ても現代日本、それも僕が礼として生まれ育った街の駅前の風景だった。
「戻って…きた……?」
あまりの事に理解が追い付かない。
(そもそもアリスフィアの出来事なんて白昼夢で、ただの妄想だった?)
そんな事も頭を過ぎるが、思わず漏れた声は最近聞きなれた高いものだし、視線を下に向ければ男ではありえない胸元の膨らみは最近見慣れたもののままだ。
「やっぱり戻ってきた?」
そう結論付けるしかなかった。それも最悪の形で。
ひとまず落ち着こうといつもの要領で飲み水を作り出そうとするが、一向に水が生成される気配が無い。それ以前に魔力をまったく感じ取ることが出来なくなっていた。
ここ一年間の経験は、予想外の出来事があっても冷静に頭を働かせる癖を僕に付けさせていたが、それによって僕は更に不安に飲み込まれていった。
魔力の無いアリエッタの姿のまま地球に戻ってきた。つまりは身寄りも力もない状態である事を意味する。
元の礼の姿に戻っていたのであれば、何も問題が無かった。魔力がある状態であればアリエッタの姿であっても魔法で誤魔化すことができた。どのどちらでもない現状は最悪だと言って差し支えがない。家族にも世界にも存在を認められずに、現代の日本で生きていく事などできるわけがないのだから。
絶望的。
そんな言葉がピタリと当てはまる現状に、何か突破口はないものかと自分のいで立ちを確認した。
白のスニーカーにベージュのタイトな綿パン。赤白のボーダー柄のシャツ、その上に七分袖の黄色のカーディガンを羽織っている。その恰好は現代日本ではありふれた服装でも、アリスフィアにおいては一般的ではないものだ。そして左肩には特に洒落っ気のない機能性重視のようなグレーのショルダーバッグを提げている。日本中どこにでもいそうな普通の女の子。そんな恰好だった。
恰好を確認した後は、ショルダーバッグの中身を物色だ。
入っていたのは現金が五万円と少し入った女性ものの財布に、見た事の無いようなタイプのスマートフォン、それからコスメ用品の入った小さなケース、それから封の開けていないペットボトルの水だ。当然財布の中に身分を証明できるようなものは一切入っていなかった。
状況を好転させるようなものはまったくもって見つからなかった。だからと言ってその場に立ち尽くしているわけにはいかない。折れかけた心にムチ打ってその場を後にする。
まず向かうのは礼の自宅だ。スマホを見る限り、僕がアリスフィアに行ってから約五年の月日が経過しているようだ。それだけに同じ形で今も存在してるかはわからないし、あったとしてそこに家族がまだ住んでいるという保証もない。更に言えば、家族に会えたとしてアリエッタを礼として認識してもらえるとも思えない。
ダメで元々。それでも可能性がゼロでない限りその可能性にかける。前向きと言えば聞こえはいいが、逆に言えばそれだけ切羽詰まっていると言っていい状況だ。
街はそんなに大きくは変わっていなかった。勿論、五年も経過していれば細かい所はそれなりに変わっている。ただ、それもコンビニが無くなって駐車場になっていたり、個人経営の本屋が閉店して代わりに全国チェーンの飲食店が入っていたりとそんな程度だ。
特に迷う事もなく自宅への道を進んでいく途中、商業施設の大きなガラス張りの窓に映りこんだ自分の姿が目に入った。その顔はもう一年以上も見慣れたアリエッタの顔だ。しかし、髪の色が違った。水の魔力が宿っていたという原色に近い目の覚めるような青ではなく、艶めいた黒だった。
魔力が無くなったのだから青でなくなるのはわかるが、その場合は魔族の特徴である銀ではないのか、とも思うが実際に黒なのだからよくわからない。それでも日本にいるのであればそちらの方が自然だろう。青にしても銀にしても地球では一部のモノ好きが染めるくらいしか存在しないだけに、必要以上に目立たないという意味では良かったと思う事にした。
またしばらく進むといわくつきの場所に辿り着いた。あの日、僕が怪しげな靄を発見してその中に引き込まれ、僕の人生そのものがガラリと変わってしまったあの場所だ。
当時空き地で雑草が生え放題だったその場所は、今では綺麗に整備されてアスファルトの敷き詰められたコインパーキングになっていた。僕が消えた事など一切無かったかのように、あの時とは違って何の異常も無い。
今でもあの靄と空間の割れ目がなんだったのかはわからない。僕は信心深い方ではないが、神様の悪戯だったのではないかと本気で考えてしまう事もある。
そんな物思いにふけながらよそ見して歩いていたのが良くなかったのだろう。正面に走りこんでくる小さな人影に気付くのが遅れてしまった。
ドンっと何かが正面からぶつかる衝撃と、それに少し遅れて右足に何か冷たいものを感じた。
小さな人影は僕にぶつかると跳ね返って尻餅をついてしまったようだった。
「ひぐっ…うぅ……」
声のする方向に顔を向けると、小さな人影は三歳くらいの小さな男の子だった。
半袖のTシャツに短パンというラフな格好をした少年は、突然の事に驚いたのか目に涙を浮かべている。
「ごめんね。大丈夫だった?」
「ううぅ……」
少年は見ず知らずの僕の事を警戒したのか、表情を更に歪めて今にも泣きだしそうな様子だった。
「泣かなかったね。えらいえらい!」
僕はそう言ってしゃがみ込む。更に笑顔を作って頭を撫でてあげると、少年は泣きそうな表情を引き締めて必死に感情を抑えているようだった。
こんなに小さな子どもを放置するわけにもいかず、どうしたモノかと巡らせた思考は新たな女性らしき声によって中断させられた。
「礼二!勝手に行くなって言ったでしょ!!」
その声は少年の走ってきた方向、つまりは僕の正面から聞こえてきた。恐らくこの子の母親か、それに近い保護者なのだろうとその人物に何気なく目を向けて、そして僕の体が固まった。
少し色の抜けた色見の首が露出する程度のショートカットの髪型に、手入れされた細めの眉、奥二重の瞳はパッチリには見えないが、細目でもない。日本人らしい低めの鼻に薄めの唇、細い顎のライン。際だって美人というタイプではないが、彼女を見た男性の何割かはまぁまぁ可愛いと判断する程度の容姿だ。
「姉ちゃん……」
誰にも聞こえない程のか細い声で一人呟く。
朝倉茜。
僕の…礼の実姉。
離れていた五年の月日は彼女の外見を年相応に成熟させていたが、十八年間一つ屋根の下で暮らした肉親の一人を見間違えようはずがない。
両親には会って、信じてもらえずとも真実を話そうと考えていた。しかし、まだ覚悟もできていなければどう切り出せばいいのかすらわからない。思いがけない遭遇に頭が沸騰しそうだった。
「うちの子がご迷惑おかけしてすみません!ああぁ…アイスがズボンに…」
僕のそんな思考の異常事態を知るわけもない姉ちゃんの言葉に、漸く右足の冷たさが男の子の持ったアイスがべったりと付いた事によるものだと気が付いた。
「あぅ、ボクのアイス…」
姉ちゃんの言葉に、男の子は近くに無残な姿で落下しているコーンカップのアイスクリームを見て、また泣きそうに顔を歪めた。
「礼二!あんたもお姉さんに謝りなさい!…ホントにすみません!!」
「お姉ちゃん、ごめんなさい…」
姉ちゃんの言葉に男の子、礼二くんも半べそになりながら僕への謝罪の言葉を口にした。
「あぁ、気にしないでください。拭けばいいだけですから」
そう取り繕って肩に提げたバッグからハンカチタオルを取り出して右足を拭き取ろうとしたが、チョコレートソースのようなものがべったりと付いていて、乾いたハンカチでは濃茶色のシミは取り切れなかった。
「いいえ、そんなわけにはいきません!クリーニング代お支払いします!あたしの家近いので、良かったら代わりのボトムもお貸しします」
僕の様子を見ていた姉ちゃんは続けてそんな事を言うが、さすがにそこまでさせてしまうのは気が引ける。とは言え、礼の実家の近くに姉ちゃんがいたという事は、彼女の言う「家」と実家は同じである可能性が高い。であるならば、結局は行き先は同じという事になる。
「それではお願いしていいですか?」
服を借りるかどうかは別として、実家に案内してくれるのであれば悪い話ではないので乗っかる事にした。
「勿論です。案内しますね。…ほら礼二もおうち帰るよ」
姉ちゃんはそれだけ言うと、礼二くんの手を引いて先導を始めた。
「ボクのアイス…」
「また買ってあげるから、今は我慢しなさい」
悲しそうな顔をした礼二くんの視線の先には、既に溶けだして徐々に蟻が群がり始めたアイスクリームが転がっていた。




