4話 帰還報告
アリエッタたちはジム夫妻の家ではお昼までご馳走になって、昼過ぎの弛緩した雰囲気を醸し出す街へ戻っていった。
「後で大事な話がある。夕食はまたウチに戻ってきなさい」
ジムのその一言で再び夜には戻ってくる事になっていたが、ひとまず挨拶だけでも済ませておかなければいけない人たちがまだまだそれなりの人数残っているからだ
エメラが特に親しくしていた人たちへの報告を優先して回ってはいたものの、エメラが親しかった知り合いだけでもそれなりの人数がいる。それぞれに旅の報告とエメラがいなくなってしまった事の説明、それからネマイラに連れてきてしまった異邦人二人の紹介まですればそれなりの時間が必要だった。パン屋のフリッド、喫茶店のレーンズにクレスト一家と、アリエッタも馴染みの深い所を残しているにもかかわらず、既に空は赤みを帯びて夕暮れがすぐそこまで迫っていた。
それでも帰ってきているのに挨拶もないのは不義理だと考えたアリエッタは、今日中にすべて回ることに決めており、足早に次の目的地であるクレスト一家の家を訪れた。
アリエッタ玄関の扉をノックしてしばらく待つと、扉が開いて中からリーズが顔を出した。
夕暮れ前の来客に少し不審なものを感じていたのか、リーズは警戒感を露わにしてアリエッタの顔を確認する。一瞬の間を置いて、リーズは相手がアリエッタだとわかると目を丸くして喜色を前面に出すと、ここで初めて声を出した。
「あら、アリエッタちゃんじゃないの!おかえりなさい!」
「リーズさんお久しぶりです。昨日戻ってきました」
「そうなのね。…それより中入って!」
リーズの驚いた声が聞こえたのだろうか、家の奥の方から慌ただしくこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「アリおねーちゃん、かえってきたの!?」
「エメおねーちゃんは!?」
騒がしく玄関まで走ってきたのは、ほんの少しだけ幼さの抜けたレナと、僅かばかり背が伸びたカイルの二人だ。
カイルはそのままアリエッタの腰に抱き着き、レナは何かを探すような素振りを見せるがすぐにカイルの反対側に抱きついた。
「アリおねーちゃん、おかえりなさい!」
「おかえりなさい!」
「レナちゃん、カイル君、ただいま。エメお姉ちゃんはまだ帰ってこれないんだ」
アリエッタの答えに少し残念そうな表情を見せるレナとカイルだったが、アリエッタに再会できたことは純粋に嬉しいのか、またすぐに満面の笑顔を浮かべた。
「うー…!」
その光景に嫉妬する者が一人。今まで自分の指定席だった居場所を横から掻っ攫われたとでも思っているのだろうか、頬を膨らませて不機嫌さを隠そうともしないリフィミィの姿があった。そんなリフィミィをレナもカイルも不思議そうに見るが、どこの誰かすらわからず、どう振舞ったらよいか戸惑っていた。
「この子リフィミィって言うんだ。巨人鬼の子だけどいい子だし二人とは歳も近いから仲良くしてくれると嬉しいな」
リフィミィから見たレナとカイルのイメージは今は悪いかもしれないが、少なくともレナはリフィミィに興味を持ったのか、「リヒミーちゃん、なんさい?」等と積極的に距離を詰めていた。リフィミィは最初こそ"敵"として認識をしていたであろうが、同年代の子どもとこうして触れ合う事などなかったためか、戸惑いつつも敵意は少しづつ薄れていっている様子だった。
「レナちゃん、お姉ちゃんはお母さんとお話しするから三人で遊んでてもらっていいかな?」
アリエッタがそう声をかけると、リーズは当然の如く表情を曇らせた。
「アリエッタちゃん、その子大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。僕がリフィを保護してから一度も人を傷つけた事はありませんから」
正確に言うとデューンの足をへし折った事はあるのだが、それはデューンが悪いからであって、リフィミィが危険である事の証にはならない。リーズはアリエッタの言葉にも少し不安げな表情をしつつも、アリエッタにはかなりの信頼を置いているのかそれ以上聞いてくることはなかった。
子ども同士というのは相性さえ良ければ仲良くなるのに大した時間はかからない。裏を返せば合わない相手とは徹底的に合わないという事でもあるが、幸いリフィミィとレナ、カイル姉弟の相性はとても良かったようで、アリエッタがリーズに一通りの説明をする頃にはすっかり仲良くなっていた。意外にも次に行こうとしたところでリフィミィが渋るという珍しい光景も見られたほどだ。
渋るといっても駄々をこねたり我儘を言ったわけではない。せいぜいが名残惜しそうに表情を曇らせた程度だ。それでも今まで聞き分けの良かったリフィミィがこういった態度を見せる事は非常に珍しい。しかし、その小さな変化であっても、リフィミィが他の同年代の子と同じ反応を僅かに見せた事は、アリエッタにとっては暗い事が続く中にあって数少ない嬉しいと感じた出来事の一つとなった。
仕事で不在にしていたクレストには挨拶できなかったが、リーズとその子どもたちには挨拶ができ、「また改めてクレストさんには挨拶に伺います」と言い残して次に向かう。
最初にフリッドを訪れて、最後にレーンズの喫茶店という段取りを組んでいたが、フリッドの営むパン屋には誰もいなかった。日もすっかり暮れて閉店してしまったのかと思いきや、店舗のカギは開いており、まだ閉店準備の途中といった雰囲気だ。
せっかく来たがいないのであればどうする事もできず、順番を後にすることにしてパン屋を後にしてレーンズの喫茶店を訪れた。
"閉店"と記載された小さな看板が入口の扉の取っ手にぶら下がっているが、窓からは明かりが漏れており、中にも人の気配があった。アリエッタは入口の表示も気にせず扉を開けて中に入っていった。
「すみません、今日は閉て……!!」
「何を驚いてんだ?……って、おぉ!」
閉店です、とでも言いかけたのかアリエッタの姿を認めるなりこの店の主であるレーンズは目を丸くして固まっていた。それを不審に思ったのか、つられるようにレーンズと会話していたらしき男もアリエッタを見つけると、驚きながらも嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです。レーンズさん、フリッドさん」
アリエッタの目の前で人好きのする笑顔を浮かべているのは、自分の店を施錠もせずに開けていたフリッドだった。
「おぅ、無事に帰ってきたんだな!ところでエメラはどうした?」
「…その辺も含めて挨拶がてらお話しにきたんです。時間は大丈夫ですか?」
アリエッタの姿が確認できて嬉しい反面、アリエッタの少し引き攣った表情を見る限り良い報告ではなさそうだとレーンズもフリッドも表情を曇らせながらも、アリエッタと一緒に入ってきた初対面の二人にも席を勧めた。
アリエッタは席に着くと、ジム夫妻に対してもそうであったように、重くなった口を意志の力で強引に動かしてポツポツと旅で起きた出来事を説明していった。
一通りの説明がすべて終わると、店の中を沈黙が支配した。発する音と言えばリフィミィが話そっちのけでおやつを頬張る音くらいなものだ。そんな重苦しい雰囲気の中、沈黙を破ったのは意外にもデューンだった。
「…逃げるように促したのはアリエッタちゃん以外のみんななんです。アリエッタちゃんだけは最後までエメラちゃんを探さなきゃって戻ろうとしていたのを、ボクたちが必死に抑えてたんです」
アリエッタを逃がそうとしたのはその場にいた者の総意だった事をデューンは強調した。アリエッタは悪くない。むしろ、文句があるなら自分に言ってくれと言わんばかりだった。
「…デューンって言ったか。別に俺はお前たちを責める気なんかさらさらねぇから安心しな。むしろアリエッタを引っ張って来てくれてありがとな」
「あぁ、そうだね。犠牲になった二人には申し訳ないけど、アリエッタちゃんだけでも無事に帰ってきてくれてよかったよ」
フリッドとレーンズはそう取り繕うが、その表情は暗い。特にレーンズの言葉には本音ではあるだろうが、それだけではない複雑な感情が入り混じっていた。当然の事ながら、エメラの安否がわからない、むしろ状況から判断するに無事であるとは思えない状況に、二人とも心を痛めているのだろう。しかし、この場で一番辛いのは目の前で繰り広げられた惨状に何も手が出せなかったアリエッタである事は察しているのか、フリッドにしてもレーンズにしてもそれ以上の言葉は飲み込んでいる様子だった。
「まぁ、なんだ。色々あったみたいだし、少しゆっくりしろ。な?」
フリッドのような優しい言葉を、挨拶する誰もがアリエッタにかけてくれる。しかし、その無条件の優しさが逆にアリエッタの心に刺さる。
"自分がもう少し上手に立ち回れれば"
"もっと早く逃げるという選択肢を取っていれば"
"そもそも、自分勝手な旅にエメラを付き合わせていなければ"
普段のアリエッタであれば考えないような後ろ向きな事ばかり考えてしまう。それほどまでにエメラという存在はアリエッタの中では大きくなっていた。さらには、冷静になるに連れて自分を逃がすために犠牲になった二人の事も考えるようになると、自身の行動が愚かだったと感じられ、さらに思考はマイナスに振れていく。
実際にエレアとガリオルの犠牲なくしてアリエッタたち三人の生還はなかった可能性が高い。それはアリエッタもデューンも自覚はしているものの、そんな理由で簡単に二人を切り捨てられるほどアリエッタにとって浅い関係ではなかった。
"冷静であれば違った手が打てたはず"
そんな思いもアリエッタの胸をきつく締め付ける。
「そんな顔するな…。話を聞く限りはお前一人足掻いたってどうにもならんかっただろ。とりあえずはしっかり飯食って、しっかり休め。話はそれからだ」
フリッドのその言葉で話は打ち切られて、アリエッタたちはジム夫妻の家へと戻っていった。
 




