09 工房行かなアカンねん
「うわー、すごーい」
ハナはショーウィンドウに顔を押し付けながら何かを見ていた。
彼女の目は細いため良く分からないが、きっと目を輝かせているのだろう。
そんな風に見える。
「何や、今度は何見とるんや?」
アカネはハナの元へ歩きながら訊ねる。
答えを待つより、見た方が早いか。
アカネはそう思って、通りに対し垂直に下げられている店の看板を見た。
『魔術用の杖 製作・販売 アードラー製作所』
とても分かりやすい看板だ。
つまりハナが見ているのは、そういう物であるらしい。
杖か。
アカネは考えた。
杖なら持っている。
しかし、これは自作のもの。
こういった専門店で作られたものの方が、きっと質はいいのだろう。
とはいえ、ここで売っている物は高そうな気がする。
自分の直感が、そう告げている。
まあ、見るくらいタダだし、いいだろう。
一応、どんな物を売っているのか、気になってはいるのだし。
「どないやねん?」
アカネはハナの後ろからショーウィンドウを覗いてみた。
展示されているのは、多種多様。
ミサが持っているような、指揮棒に似た形の杖。
仙人が持ってそうな、モヤシみたいな形の杖。
ジジイやババアが使うような、ステッキ型の杖。
他にも色々。
「杖って、こんなに種類があるんだねぇ~」
「せやなぁ、ウチも知らんかったわ」
アカネはハナと一緒に顔を近づけた。
形が色々あるのには、どういう意味があるのだろう。
形によって、得意・不得意があるのだろうか。
それとも単なる好みの問題なのか。
こうゆうふうに疑問を感じることも、勉強かもしれない。
アカネはそう思いながら、眺めていた。
「うーん、どーしよーかなぁ~」
「お?ここか?ここがええのんか?」
ハナの言葉を聞いて、アカネは嬉しくなった。
やっと決める気になったらしい。
すでに何軒も回っている。
いい加減、決めて欲しかったところだ。
「ううん、買おうかなぁ~って」
「そっちかい!」
アカネはコントっぽく、姿勢を崩した。
体を流れるお笑いの血が、どうしてもそうさせてしまう。
こんな事している場合ではないというのに……
「うん!買っちゃお!」
「やめとき!ここは高いで!」
アカネはハナの腕を掴んで止めた。
そして、展示品に添えられた値札の一つを指さした。
『3200ユーリ』
案の定、ここは高級店だったようだ。
とても自分達の手に届く代物ではない。
「え~と……何イェンかな?」
「1ユーリが120イェンとして、38万4千イェンってとこやな」
ハナの問いに、アカネは即座に答えた。
アカネは金が絡むと、計算が早い。
「38万?」
額が高すぎたのか、ハナにはよく分からないようだ。
「あー、ハナちゃん?確か13アイスが好きやったろ?」
「うん、好きだよぉ。自販機で買えるなんて凄いよねぇ?」
ハナは思い出したのか、嬉しそうに答えた。
良し。いい反応だ。
この話なら、きっと分かってくれるはずだろう。
そう思ったアカネは、咳払いして話を続けた。
「あれ、安いモンやと130イェンやったな?」
「そうだねぇ」
「38万あれば、2900個は買えるで」
「え~、そんなに食べられないよぉ~」
ハナは困ったような顔をしつつも、嬉しそうに言った。
彼女が無類の甘味好きなのは知っている。
きっと今、彼女の頭の中では夢のような光景が広がっているのだろう。
「いや、そういう話とちゃうん。ハナちゃん、そんな金ある?」
「無いよぉ~」
「じゃあ諦めとき」
「うぅ~……」
ハナはしょんぼりとした。
そして名残惜しそうに、ショーウィンドウを見続けていた。
一方アカネはショーウィンドウに背を向け、周囲の様子を見た。
古風な通りを様々な店が軒を連ねている。
行き交う人も多い。
アカネはそれらを見ながら、ため息をついた。
今、二人がいるのは旧市街。
ここ、ハーデイベルク市の観光名所の一つだという。
そんな場所で今日、ハナは市内の工房で、職人の技を学ぶつもりらしい。
そしてアカネは、それに便乗するつもりでついてきた。
しかし、実際はこの有様。
ハナは完全に観光気分で、あちこちをフラフラしている。
そしてアカネは、彼女の保護者のような状態だ。
意味は別だが、やはりハナについて行って正解だった。
彼女一人だったならば、今日は市内観光だけで終わるところだった。
しかし安心するのはまだ早い。
なんとか彼女に、気に入った工房を見つけさせなくてはいけない。
そうしないと、自分も勉強できない。
早く次へ移動させなくては。
アカネはそう考え、ハナの方を向いた。
いや、正確にはハナが『いた』方向を向いた。
彼女はいなくなっていた。
いつの間にいなくなったのかは分からない。
分からないが、突然彼女が透明になったのでなければ、間違いなくそこに彼女はいない。
アカネに緊張が走った。
マズい。はぐれてしまった。
こんな土地勘のない所で、はぐれるのはマズい。
早く彼女を見つけないといけない。
まだそんなに遠くには行っていないといいのだが……
アカネは見回した。
……いた。
右手、通りの奥。
後ろ姿だが、間違いようがない。
何しろ自分も彼女も、高校の制服を着ている。
異国の地で、ヤマト国の学生服はとても目立つからだ。
アカネは全力で追いかけた。
ここで見失う事があっては、次は無いかもしれない。
絶対に合流しなくてはいけない。
追いかけるアカネはラガーマンのようだった。
通行人達を、稲妻のように走りながら避ける。
少しも速度を緩める事はなく、かといって彼らの身に着けているものにさえ一切触れる事はない。
『ハナに追いつく』。『他の人にぶつからない』。
この両方をこなさなければならない事が、今のアカネには求められていた。
それは大変な事。
しかし、アカネにはすでに、こなすだけの覚悟ができていた。
元々それほど距離はなかったからかもしれない。
もしくは覚悟が完了していたからかもしれない。
とにかく、アカネはハナと合流する事ができた。
「こらハナちゃん!勝手に行ったらアカンやん!」
「ほえ?」
アカネはハナの肩を掴んで止めながら、そう言った。
対して、ハナは間の抜けた声を出してアカネの方を向いた。
「『ほえ?』やあらへんやろ。ウチ、はぐれてホンマに心配したんやで」
アカネはキョトンとした顔のハナに注意した。
そして注意しながら、ふと彼女の持っている物に目が行った。
ハナは奇妙な形をした、パンのような物を持っていた。
明らかに食べかけ。
どうやら知らない間に、どこかで買って食べ歩きしていたらしい。
もしかして、匂いにつられたせいで勝手に動いたのだろうか。
「んあ?何やそれ?」
妙に気になったアカネは、ハナが持っているそれを指して聞いた。
「プレ……プレなんとかだよぉ」
ハナは明らかに不完全な答えを返した。
「プレッツェル?」
アカネは聞き返した。
言われてみれば、それっぽくも見える。
自分が知っているのは、輸入商品を売っている店で見かける、スナック菓子の一種。
ハナが持っている物と違って、それは小さくて堅いが、その独特の形は確かに一緒だ。
「うん、それ!」
ハナはアカネを指さして言った。
「さっきぃ、そこのお店で買ったの。とっても良い匂いがしてぇ、入っちゃたの」
ハナは嬉しそうな顔をして、続けて言う。
全く反省していない。
ハナの今の話を聞いたアカネはそう思った。
急に力が抜けていく。
彼女がマイペースなのは知っていた。
しかし、ここまでとは思わなかった。
アカネは深くため息をついた。
「……ハナちゃん」
「アカネちゃんも食べるぅ?本場の味だよぉ」
アカネの言葉を意に介さず、ハナは笑顔でプレッツェルを差し出した。
しかしアカネにとって、それはどうでもよかった。
「ハナちゃん。食ってる場合とちゃうねん」
「ほえ?」
ハナはキョトンとした様子でアカネを見る。
正直なところ、そろそろ限界に近かった。
たとえ、ハナが相手だとしてだ。
いい加減、どこの工房で勉強するのか決めて欲しかった。
このままでは本当に、市内観光で一日が終わってしまうだろう。
しかし、今のハナが反応に、アカネはついに限界に達した。
もうダメだ。彼女に任せておけない。
自分が強引にでも引っ張っていかなくてはいけない。
アカネはそう思い、決心した。
「ハナちゃん。ウチら勉強しに来たんやで」
アカネはそう言いながら、ハナを正面に向かせ、その両肩をガッチリと掴んだ。
真っ直ぐに、そして真剣な顔で彼女を見て、本気である事を伝える。
「あ~、そうだったねぇ~」
ハナはのんびりとした様子で答える。
今の言い方だと、本来の目的を忘れていたのかもしれない。
「せや。はよ工房決めなアカンで」
「うん、わかった」
ハナは笑顔で答えた。
その様子を見て、アカネは少し安心した。
彼女だって、ちゃんと言えば分かってくれる。
それを知ることができてよかった。
そう思った。
「じゃあ、これ持っててねぇ」
「んあ?」
アカネが何か答える前に、ハナはプレッツェルを持たせた。
焼きたてなのか、香ばしい香りがする。
いや、そっちはどうでもいい。
これを持たせて何をする気なのか。
アカネがそう思っていると、ハナは不思議な事をし始めた。
ハナは人差し指を自分の眉間に押し当て、そして唸った。
眉間の皺から考えて、目をつぶって何かを念じているようにも見える。
「あー、ハナちゃん?何しとるん?」
何をしているのか分からず、アカネは訊ねた。
しかし、ハナは答えなかった。
ひたすら唸ったままだ。
彼女は指を離して唸るのを止めたのは、それから数秒後だった。
彼女の表情からは、どことなくスッキリとしたように見える。
「分かったよぉ!」
「え?何?」
何が分かったというのか。
全く見当がつかないアカネは訊ねた。
「こっちだよアカネちゃん!」
そう言って、ハナは急に走り出した。
「ちょ、ハナちゃん!何が、どうしたん?」
彼女に置いて行かれないよう、アカネも慌てて走り始める。
ハナは答えてくれなかった。
それはアカネにとって、とても困った事だった。
いや、同じ立場だったら誰だってそうだろう。
「コラー!ちゃんと答えんかい!」
キツい言い方とは思いつつも、アカネは追いかけながら声を上げた。
「こっちの方にぃ、いい工房があるみたいだよぉ!」
アカネの方を振り返りながら、ハナは答えた。
もちろん走ったまま。
当然、前を歩いていた通行人にぶつかりそうになる。
今回は向こう側が避けてくれたが、見ているだけでヒヤヒヤする。
「ホンマかいな!ちょ、待ちぃ!」
アカネは必死で追いかけた。
ハナは驚くほど足が速い。
追いつくどころか、はぐれないようにするのが精一杯だ。
「ハナの女の勘が囁くの!」
「女の勘……って、大丈夫なんか!」
ハナはとても不安な事を言った。
その話を聞いて、アカネは彼女を止めようと思った。
しかし、それは不可能だとアカネはすぐに理解した。
言ったところで彼女が止まるとは思えない。
彼女を捕まえようにも、追いつく事すらままならない。
アカネに残された選択肢。
それは、はぐれないようについていく事だけであった。