69 衝撃の電話
アカネは今日も『青い月』でニコルの手伝いをしていた。正確に言えば、大量の治癒の薬を作っていたのであった。
今回のノルマは三万本。
後でニコルから聞いたところによると、狩猟組合からの注文であるらしい。組員の狩人への支給品として必要であるようだ。
ノルマを達成するのはとても大変な事であった。
ニコルも一緒に作ってくれてたとはいえ、達成するには時間も魔力も体力もだいぶ使った。特に魔力については、アカネは何度も切れかけ、そのたびに『魔力補給液』で補給しなくてはならなかった。もちろん仕事が終わった頃には、心身ともにボロボロになっていた。
今日の仕事が終わった時、ハナとハンスもようやく戻ってきた。二人共とても疲れたような顔をしていて、彼らも彼らでだいぶ苦労してきたというのがよく分かった。
ニコルから給料を貰って、ふと工房の時計を見ると、午後六時を示していた。労働時間は八時間という事になる。その分支払いも良かった。
アカネとハナはフラフラになりながら、寮へと戻った。
「あぁ……ホンマしんどいわぁ……」
晩飯の時間、アカネは頬杖をつきながら食事をした。
「バイトって疲れるんだねぇ……」
アカネの右隣の席で、ハナはグッタリした様子で呟いた。
彼女は疲れて食欲が無いのか、食べている様子は全く無い。
「おい、だらしない恰好で食うな天王寺。後、伊藤。疲れているならちゃんと食え」
テーブルの向こう側で、タクミが注意してきた。
「堪忍してくれや。ウチ、行儀良くするだけの力が残ってへん……」
アカネはため息をついた。
そして、自分の皿の上にあるソーセージの一本をフォークで刺すと、一口齧った。
「そうだねぇ……食べるよぉ……」
ハナの呟きを聞いたアカネが横眼で彼女を見ると、彼女は取り皿に果物を取り始めた。
「それにしても、ハナがバイトするだなんて以外だな」
ミアはそう言うと、千切ったパンを口へ放り込んだ。
「ハナちゃん、杖が欲しいんやって。ウチもやけど」
アカネは言った。
「そっか……そういえば、二人はまだ杖を持ってなかったもんな」
ミアは納得した様子で頷いた。
「ちょい待ち、ミアちゃん。エリちゃんもやぞ」
アカネは注意した。
と、同時に、アカネは気がついた。
「んあ?そういえば、またエリちゃんおらへんなぁ」
アカネは左隣の席を見ながら言った。
「少し前に電話があったぞ。『バイトで帰るのが遅くなる』ってさ」
ミアが答えた。
「んあ!またかいな!この前、危ない目に遭ったんやろ?」
「今度は連れと一緒に帰るから大丈夫だってさ」
「連れ?」
「ほら、前言ってたろ?『モテない三銃士』とかいうアイツらさ。今、一緒にバイトしてるんだってさ」
「……ホンマに大丈夫やろか?」
アカネは疑った。
彼らの事はエリから聞いている。しかし彼女の話からして、単なる彼女のファンであるオタクにしか思えなかった。
何か遭った時、オタクである彼らに彼女の事を守れるだろうか。そこが心配であった。
「さぁな。だが集団で移動するっていうのは悪くないと思うぞ」
タクミは話に入ってきた。
「まあ、それはせやけどな。でも、危ない目に遭ったばかりで、よくこんな時間までバイトできるなぁ」
「こんな時間といっても、夏のナイツは日が長い。外を見ろよ。今は午後七時だが、昼みたいに明るい」
タクミに言われて、アカネは窓から外を見た。
確かに明るい。言われてみると、午後十時にならないと暗くならないような気がした。
「まあ、戸塚もバカじゃない。帰るのが遅くなるにしても、そろそろ帰る準備をしてるだろう」
「確かにそうかもしれない。電話が来たのが午後五時半くらいだったし、そろそろかも」
タクミの言葉にミアは頷きながら言った。
と、突然アカネのスマートフォンが鳴った。アカネはポケットから取り出して、画面を見てみる。
電話だ。
相手はエリだと表示されている。
噂をすれば、だ。きっと、『そろそろ帰る』とかそういう事を伝えるために電話をしてきたのだろう。
アカネはそう思いながら、通話ボタンをタッチした。
「おう、どないしたエリちゃん?」
アカネは訊ねた。
『…………』
しかし、エリからの返事が無い。
「んあ?もしもし?もしもーし?」
『…………』
「ウチの壊れたんかな?もしもーし?聞こえるかぁ?」
『……はい、聞こえております』
返事があった瞬間、アカネに緊張が走った。
電話の相手はエリではない。
男だ。男の声が聞こえる。
間違い電話だろうか?いや、画面には間違いなくエリの名前が表示されている。それはない。
では、誰かがエリの電話を使っているのだろうか?何の目的で?そして何故自分にかけてきたのか?
アカネはここまでを、瞬時に思考を巡らせた。そしてまずは相手が何者か知るべきだろうと考えた。
「……アンタ、誰やねん?」
アカネは冷静な態度で訊ねた。
『あ、申し訳ございませぬ。吾輩はアルマンと申します』
「アルマン?もしかして『モテない三銃士』とかいうヤツか?」
『よくご存知で!』
アルマンは驚いた様子の声で言った。
「エリちゃんから聞いたで。エリちゃんをお姫様扱いしとるんやろ?」
『左様。吾輩達にとって大切な御方でございます』
「で?大切な御方のスマホを使って何しとんねん?」
『あ、いや、申し訳ございませぬ。緊急事態でして……』
「んあ?」
『緊急事態』という言葉を聞いて、アカネの緊張が高まった。
『貴女様の事は姫から聞いております。大切な御友人だそうで。そんな貴女様にこそ伝えるべき事と思いまして……』
「それはどうでもいいねん!何やねん、緊急事態って!」
『姫が……』
「エリちゃんが?」
『……誘拐されました』
「何やて!」
アカネは思わず立ち上がった。
周りのみんながアカネを見るが、アカネは気にしなかった。
その代わり、落ち着いて通話をスピーカーモードに切り替えた。
「誘拐って……ホンマか!」
『左様でございます……』
「そんな……」
『我々は姫と共に大学へ戻る途中でした……そこに奴らめが……自然主義者どもが……』
「『自然主義者』?何モンや?」
『人喰いを正当化する、イカれた連中でございます』
説明を聞いた瞬間、アカネは背筋が寒くなった。
「『人喰い』って……アカンやろ!」
『我々は抵抗しましたが、何しろ不意打ちだったもので……』
「んあ?怪我しとんのか?」
『はい、もう手当てした後でございますが……とにかく!この事を御友人方々に知らせて欲しいのです!』
「友達に?警察へは?」
『もう済ませました。ただ……』
「ただ?」
『頼りにはならないでしょう。噂によると、上層部に自然主義者が紛れ込んでいるそうでして……』
「んなアホな……」
アカネは落胆した。
警察が無能。物語ならよくある話。しかし、これは現実。あってはいけない事だ。
『我々だけですぐに救出しなくてはいけません。どうか我々に力を……』
「『我々』?怪我しているのにか?」
『姫が誘拐されたのは我々に責任があります。なに、手当てのおかげでだいぶ楽になりましたから』
「……分かった!ウチに任せとき!」
『よろしくお願いします。準備が整ったらノブコ技研の前に集合でございます』
「分かった。じゃあ、一旦切るで」
『はい』
アカネは電話を切った。
「……ちゅーわけや、みんな行くで」
スマートフォンをしまいながら、アカネは周りのみんなに言った。
「待て、天王寺。俺と山田で行く」
タクミは制した。
「ちょ……なんでやねん!」
「じゃあ聞くが、お前に戦闘の経験はあるのか?」
「そ、それは……」
「相手の戦闘力がどれくらいか知らねぇが、戦闘の経験が無い奴を連れて行くのは危険だ」
「せやけど、ウチには――」
「確かに貴様は力持ちだ。だが、力任せで制する事ができるとは思えない」
「それは……でも、ハナちゃんは!」
「伊藤を見てみろ。アレで大丈夫だと?」
タクミに言われてアカネはハナを見た。
ハナは椅子に座ったまま、今にも眠りそうな様子であった。
体がフラフラとしていて、頼りになりそうにないのは明白であった。
「疲れて眠いんだろ。連れて行ったところで戦力になるか分からねぇ。そのままにしてやれ」
「……せやな」
「じゃあすぐに支度するぞ、山田」
「お、おお!エリのピンチなんだ。絶対助けねぇと!」
タクミとミアは席を立って、自室へと戻った。
友人のピンチだというのに、黙って祈っているしかないのだろうか。
アカネは悔しかった。
もしも自分にも戦う力があれば……
アカネは両手を握りしめた。
しかし、すぐに手を広げた。
『もしも』の事を考えても仕方がない。今の自分にできる事をするだけだ。
アカネは再びスマートフォンを取り出した。そして通話アプリを起動する。
今の自分にできる事。それは助っ人になりそうな人に交渉する事。メンバーは一人でも多い方がいい。
そう考えたアカネは目的の人物の名前をリストから見つけると、通話を開始した。




