表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/77

67 赤の食卓

 エリは夢を見た。


 悪夢だ。

 世界が赤に染まっていた。

 何らかの肉塊がその辺に散乱し、あらゆる物が赤い液体を被っていた。

 空の色も赤だ。そしてそこから、赤い雨が降る。


 エリはそんな世界を歩いていた。

 歩くたびにビチャリと赤い液体が飛び散る。

 そして足元は妙に柔らかくて気持ちが悪い。


 エリはこんな世界から脱出しようとしていた。

 エリはあてもなく歩き続ける。

 しかし、出口は一向に見つからない。


 と、エリは突然動けなくなった。

 足が全く動かないのだ。


 何があったのか。

 エリは自分の足を見た。


「ひっ!」

 エリは小さく悲鳴を上げた。


 触手だ。

 触手が足元から何本も飛び出して、足に絡みついている。


 エリはなんとかしようと、手でほどこうとした。

 しかし触手はビクともしない。

 それどころか、一層絡みついていく。


「あ……ああ……」

 エリは絶望の声を出した。


 触手は引っ込んでいく。

 それもエリを捕らえたまま。

 エリの体は沈み始めてきた。


 膝、腰、胸。

 順番にエリの体は沈んでいく。


「助けて!誰か!」

 エリは助けを呼んだ。

 しかし、周囲には誰もいない。


 そしてついに、エリの体は首から下が沈んでしまった。

 ここで終わりならまだ救いがあった。

 しかし、体はまだ沈み続ける。

 このまま、全身が埋まろうとしていた。






「いやぁぁぁぁぁぁ!」

 ゲストルーム全体にエリの悲鳴が響いた。


 エリは目を覚ました。

 勢い良く上半身を起こし、息を荒げる。


「はぁ……はぁ……良かった……夢だった……」

 夢だと分かって、エリは落ち着きを取り戻そうとした。


「エリ様!どうかなさいましたか?」

 ドタドタという足音と共に、誰か部屋に入ってきた。

 犬の女性だ。小柄で少し太っている。


 彼女がここ、マリーの屋敷のメイドである事をエリは知っている。

 付き合いは短いが、昨日マリーに連れられて来た時から親切にしてくれた。


「う、ううん、大丈夫……ちょっと怖い夢を見ただけだから……」

 エリは彼女を心配させまいと思い、そう言った。


「左様でございますか」

 メイドは安心した様子で言った。


「あ、もうすぐ朝食の時間です。このまま起きて、朝の身支度を整えるのはいかがでしょう?」

 メイドはエリに提案した。


「あ、そうだね……そうする」

 エリは傍に置いてた眼鏡とV.I.P-Boy(ヴィップ・ボゥイ)を装着すると、ベッドから下りた。


「では、失礼します。朝食の準備がございますので……」

 メイドは一礼すると退室した。


 メイドがいなくなってから、エリはゲストルーム内にあるバスルームへ移動した。

 そして洗面台の前に立つと、備え付けのブラシで体毛を整えた。

 整え終えると、ついでにトイレも済ませ、そしてゲストルームを出た。


 向かう場所は食堂。

 昨日の夜もそこでごちそうになったので、場所はしっかりと覚えている。


 エリは記憶を頼りに移動した。

 すると、どこからかピアノの音が聞こえてきた。耳を澄ましてみると、それはクラシック音楽のように思えた。


 はて、誰がどこで演奏しているのだろう。

 普段は音楽にそれほど興味がないエリだったが、不思議とその音には気になって仕方がなかった。


 自然と音のする方へと歩き出した。

 そしてしばらく彷徨っていると、なんとか音のする部屋の前までやってきた。


 エリはそっと扉を少しだけ開けて、中を見た。

 それほど広くない部屋にポツンとピアノがある。そして演奏しているのはマリーであった。

 こちらに背を向けているのでこちらには気づいていないようだ。


 と、曲が終わったらしく、彼女は手を止めた。そして座ったままで大きく伸びをし、体をひねる。

 すると、たまたまなのだろうが、彼女はこちらを見た。


「お、おはよう!うるさかったか?」

 マリーは体ごとこちらを向いて訊ねた。


「い、いえ……食堂に向かおうとしたら、良い音が聞こえてきて……」

 エリは扉を完全に開けて答えた。


「ははっ、ありがとな。まあ、そこにいないで入れよ」

 マリーは手招きした。


「し、失礼します……」

 エリはゆっくりと中へ入った。


 マリーの正体はセレブだった。

 エリはそれを知ってからというもの、緊張して上手く話す事ができない状態となっていた。そして、つい遠慮がちになっていた。


「朝食前の練習をしてたんだ。今、終わったところだったけどさ」

「あの……マリーさんって……ピアノが弾けるんですか?」

「まあ……な。アタシみたいな家の者ってさ、音楽ができて当たり前って世界だからさ……」

 マリーは頭を掻いた。


「ちなみに今のは『月光即興曲』ってヤツだ。今は朝なのにな、ははっ」

 マリーは笑った。


「あの……レパートリーってどれくらいあるんですか?」

「数えた事ないからなぁ……まあ、色々だ。あ、でもポロネーズ!あれだけはダメだ。テンポが好きじゃないし、発音もマヨネーズに似ているし!」

 マリーの言葉にエリは思わず噴き出した。


「嫌いなんですか……マヨネーズ……」

 エリは笑いを(こら)えながら訊ねた。


「当たり前さ!あんなの……使うヤツらの気が知れない」

 マリーはキッパリと言った。


「あ、それよりさ。そろそろ朝食の時間だからさ。食べに行こうぜ」

「そ、そうですね。行きましょう」

 二人は部屋を後にした。






 食堂に着いた二人は、席に着く事にした


「適当な席に座りなよ」

 マリーは促した。それを聞いたエリは、昨日の夜と同じように、一番の下座の席へと移動した。


「なんだ、また下座中の下座じゃねぇか。アタシのすぐ近くまで来てもいいんだぞ」

 一番の上座に座っていたマリーは、テーブルを叩いて言った。


 食堂のテーブルはとても長い。昔の貴族が使っていたような物だ。


 どうやらマリーはマナーや上下関係を意識しない性格らしい。

 それに対してエリは、そういうのをちゃんと意識している。だから一番の下座に座った。


「それよりアレか?アタシが近くに行けばいいんだな?」

 マリーはそう言うと、エリの近くの席に移動した。


「えっと……」

「この距離じゃないと、ちゃんと話せないじゃねぇか」

「あ、えっと……そうですね……」

 エリは小さな声で言った。


「朝食をお持ちいたしました」

 間もなくして、メイドが食事を運んできた。


 エリはテーブルに置かれていく料理を見た。

 サラダ、トースト、プリン、コーヒー。意外と庶民的だ。

 が、アレが一緒に出た。昨日の晩にも出たアレが。


 その名前はケチャップ。

 大きなサイズのケチャップのチューブが食卓に置かれた。


 エリは別にケチャップが嫌いなわけではない。しかし、大好きというわけでもない。

 だから、ここでの食事には本当に驚かされた。


「先に使っていいぞ」

 マリーは言う。

 その言葉を受けて、エリはチューブを取るとサラダに適量かけた。

 そしてチューブを元の場所に戻す。


「じゃあ次はアタシな」

 そう言ってマリーはチューブを取った。

 すると昨日に引き続き、衝撃的な光景がエリの目に映った。


 マリーはサラダにケチャップをかけた。それも大量に、表面が赤一色で染まるくらいに。

 そしてトーストにも山盛りでかけた。

 さらにプリンにも覆い隠すようにかけた。

 トドメにコーヒーにもたっぷりと入れる。


 結果、彼女の食事は『赤い何か』と化した。どう考えても彼女はケチャラーであった。


「あれ?そんなに少なくて大丈夫か?」

 『赤い何か』と化したサラダを口にしながらマリーは聞いた。


「う、うん。私、ケチャップはあまり使わない方だし……」

「試してみなって。ケチャップに合うように具材にはこだわっているんだからさ。ほら」

 マリーはそう言って、サラダだったものを差し出してきた。

 エリは断ろうかと思ったが、一応命の恩人なので食べてみる事にした。


 フォークで少し取り、口に入れる。

 マズくはない。マズくはないが見た目通りのケチャップ味。

 野菜の味なんてオマケ程度しか分からない。

 サラダを食べているのかケチャップを食べているのか分からない。

 脳が混乱する。


「どうだ?美味いだろ?」

 マリーは笑顔で聞いてきた。


「えっと……その……うん」

 エリは曖昧な返事をした。

 実際のところ、何と言えばいいのか分からない状態だ。


「よーし、じゃあアタシがかけてやろう」

 マリーはそう言うとチューブを取り、エリの料理に勝手にかけ始めた。

 あっという間にエリの料理は『赤い何か』と化す。


「さあ、食べてみろ!」

 マリーはにこやかに言った。


 エリは渋々食べ始めた。

 トーストを一口。ケチャップの味しかしない。

 コーヒーを一口。苦味と酸味が混じって凄い味になっている。


 エリはため息をついた。

 昨日の晩もこんな感じだった。何にもケチャップをかけて食べるという食事方法。これが何日も続いたら気がおかしくなりそうだ。いや、今でも結構キツい。


 ここは別な事を考えて味覚を意識しないようにしよう。エリはそう思った。

 例えば、昨日彼女が言っていた『グール』という者の事。

 昨日は結局、食事の方に気が行って聞けなかった。聞くなら今しか無いのかもしれない。


「あの……マリーさん」

「ん?」

 エリが話しかけると、マリーは食べながらこっちを向いた。


「昨日言っていた『グール』って何ですか?」

「あれ?言わなかったっけ?」

「まだです」

「そっかー……忘れてたかぁ」

 マリーは頭を掻いた。


「教えてくれますか?」

「ああ、いいぞ」

「何者なんです?」

「その前にさ、『呪病(じゅびょう)』って知ってるか?」

「呪病……」

 エリは思い出そうとしてみた。


「えっと……確か、何らかの呪いが原因の病気の事ですよね?」

「そうだ。で、グールってのはそんな病気の患者の事だ」

「患者?」

「正確には『グール病』ってヤツの感染者だ」

「感染者……」

「この病気を患うとな、人間(ズーマン)の血肉が食いたくなるんだ」

「え!」

「いや、食いたくなるっていうより、それでないと養分を摂取できなくなるんだ」

 エリは話を聞いて、背筋が寒くなった。


「それでも十分厄介だが、もっと困るのはコレの治療方法だな」

「あ、聞いた事があります。呪いを解除しないと治療できないんですよね?」

「そう。誰がどうやって呪いをかけたのか分からないと治せない。それが呪病の嫌なところなんだよ」

 マリーは再び頭を掻いた。


「それにさ、グール病にはもの凄く困る性質があってな」

「え?」

「定期的に人間の血肉を摂取しないと、病気が悪化するんだ」

「そんな……」

「最初が『レベルI』。そこから進行していって最後は『レベルV』になる」

「悪化するとどうなるんですか?」

「『食欲』が増す。レベルが低い内は血を飲むだけで十分だが、悪化すると肉を食わないと正気を保てなくなるばかりか、狩りに適した能力を得る事になる。つまり化け物になるって事だな」

「じゃあ、私を襲ったのは……」

「『レベルIII』ってとこかな?触手を使う事ができた。しかも狩りに慣れていた」

「あの……改めて、助けてくれてありがとうございます」

 エリはマリーに礼を言った。


「気にするなって。これがアタシの仕事なんだから」

「仕事?そういえばグールの退治って……」

「誤解するなよ。人を襲うようなヤツだけだ」

「本当に?」

「ああ。レベルの低い、つまり初期段階のグールはちゃんと病院に通えば輸血パックを貰える。それを欠かさず摂取していれば安全だ」

「そうなんですか……少し安心しました」

 マリーがグールを皆殺しにしているわけでない事を知って、エリはホッとした。


 と、ここでエリは疑問に思った。


「そういえば、マリーさんってどうしてそんな事をしているんですか?」

「え?それはもちろん……」

「もちろん?」

「アタシもグールだからさ」

 マリーが言った瞬間、エリは鼻血を出し、持っていたフォークを落とした。


「同族だからさ、悪評がつくのは困るんだ。人に紛れてひっそりと生きたいんだ」

「そう……なんですか」

 エリは鼻血を拭いながら言った。


「なあ、エリだよな?名前って確か。アタシの事、怖いか?」

「それは……」

 エリは答えに詰まった。


 全く怖くないわけでは無かった。

 今の話を聞き、まさかここへ連れてきたのは、自分を食べるためではないかと不安に思った。

 しかし冷静に考えてみると、本当にそうだったら、何故そんな事をベラベラと喋るだろうかと気になった。

 それを考えると、グールの身でありながらも普通の人間として生きていたい事を訴えているようにも思えた。


「……怖くはないです。むしろ人間として生きていたいという思いが感じられます」

 エリは答えた。


「そうか、それは良かったよ」

 マリーは笑顔で言った。

 と、ここでエリは一つ気になる事が頭に浮かんだ。


「あれ?でもグールだったら、この食事には意味は無いですよね?」

 エリは訊ねてみた。


「いや、生きてるって実感を得るには必要なんだ。例え、何の栄養にもならなくてもな」

「そうなんですか……」

「メインディッシュはこの後。輸血パックから血を吸うのさ」

「……大変ですね」

「そうでもないさ。慣ればそれが当たり前のように感じるからさ」

 マリーは微笑んだ。


「ところで、大学の寮に戻るんだろ?だったら早く帰った方がいいんじゃないか?」

「あ、そうですね」

「だったら、早く食事を終わらせて帰りなよ」

「あ、はい。そうします」

 エリは食べる速度を上げた。


「マリーさん。助けてくれただけでなく、寝る場所も食事も用意してくださってありがとうございます」

 エリは食べながらマリーに礼を言った。


「気にするな、アタシの単なる酔狂だ。それより、これからは夜にあんなところを通るんじゃないぞ。次も助けてやれるか分からないからな」

「分かりました。気をつけます」

 エリは答えて、食事の残りを腹に収めた。


「あ、そうだ。せっかく電話番号もアドレスもSNSも交換したんだから、たまには連絡してくれよ」

 エリが席を立とうとすると、マリーは言った。


「あ、そうですね。そうします」

「じゃあ、またな」

「ありがとうございました」

 エリは一礼すると食堂を出た。


 屋敷の外へ出ようと移動しながら、エリはV.I.P-Boyを操作した。

 通話アプリを起動し、アカネへと電話をかける。

 コール音が三回鳴った後で、アカネは電話に出た。


「もしもし、昨日はゴメンね。今から帰るよ」

 エリは謝った。

 謝りながらも、エリの表情は明るかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ