66 年長者として
「あー……エリちゃん、まだ帰って来んなぁ」
アカネはソワソワした様子で、エリの帰りを待っていた。
彼女の言葉を聞き、タクミはスマートフォンで時間を見た。『22:30』と表示されている。
もうそんな時間になったのかと、タクミは思った。
ここは寮の中。
タクミはアカネと一緒に、エリが帰って来るのを待っていた。
その一方で、ハナとミアはすでに寝ていた。彼女達もエリの事を心配していたが、日中激しく運動をしたらしく、眠気には勝てなかったらしい。
「なぁ、タっ君。なんでエリちゃんは帰って来んと思う?」
アカネが心配そうな様子で訊ねてきた。
「俺が知るかよ。付き合いは貴様の方が長いんだろ?」
テーブルの席に座っていたタクミは言った。
正直なところ、タクミは眠いのを我慢して待っていた。
今日もミアと一緒にトレーニングに精を出していた。そのせいで、疲れで眠るのにはちょうどいい状態になっている。
早く寝たい。タクミはそんな事を考えていた。
しかし、寝るわけにはいかなかった。
年長者として、仲間の心配する事は当然の事だと思っている。
だから、エリが帰って来るまでは起きているつもりであった。
「あー……まさか、何か事件に巻き込まれたんやろか?」
アカネは不安げな様子で呟いた。
彼女が仲間思いだというのは、タクミも知っていた。
だから、彼女もエリが帰って来るまでは起きているつもりだ、という事をすぐに察した。
しかし、こうも独り言が多いとうるさかった。特に、今のように眠気を我慢している時には。
だから、タクミは少し苛立っていた。そして、それを治めるために別な事を考えていた。
例えば、いい加減、校長に話した方がいいのだろうか、という事だ。
彼は正直、信用できないところがある。しかし、こんな時間になっても、まだ帰って来ないというのは異常だ。ちゃんと報告はしておくべきだろう。
いや、報告したところで、はたして動いてくれるのかどうか分からない。つまりは無駄な行動かもしれない。
しかし、何もしないよりは建設的ではないだろうか。確かに、本当に心配しているなら、それくらいの事はしなくてはいけないような気がした。やはり、報告だけでも校長には言っておこう。
そう思ったタクミは席を立った。
と同時に、突然アカネの方から何か音が鳴った。タクミは彼女の方を見る。
アカネはスマートフォンを取り出した。着信があったらしい。
「あ!エリちゃんや!」
アカネは嬉しそうな様子で通話を始めた。
「もしもし?どこにおるんや?心配しとったで!」
アカネは話しかける。
「んあ?『バイトに集中してて、こんな時間になってた』?アカンて、こんな時間まで働いちゃ!」
アカネは言う。
凄い集中力だとタクミは思った。
仮にバイトを始めたのが十時だとし、昼の休憩に一時間かかったとしても、11時間は働いていた事になる。
……労働基準法としては完全に黒だが。
「ちょ!『危ない目に遭った』って……大丈夫かいな!」
アカネは驚いた様子で言った。
一方でタクミはあまり驚かなかった。
窓から外の様子を見れば、暗くなっているのはすぐに分かる。こんな時間に外を歩いていれば危ない目に遭う事ぐらい、簡単に想像がつく。
そして電話をかけてきたという事は、それくらいの余裕がある状況だという事を察した。
「そうなんか……助けてもらったんやな?……んあ!『今日はその人のところに泊まる』?」
アカネは無事だという事を知って安心しかけたが、外泊するという話を聞いて、さっきよりも驚いた。
外泊。それが知っている人の家ならば問題無い。
しかし今の話から、相手は知り合ったばかりの人ではないかとタクミは思った。
そして、そんな人の家に泊まって大丈夫なのか、とも気になった。
タクミは気がつくと、アカネのすぐ近くに立っていた。
そして手を差し出しながら言った。
「おい、天王寺。代われ」
アカネは彼の言葉にチラリとこっちを向いた。
そして、電話に向かってこう言った。
「ちょい待ち。今、タっ君と代わるで」
アカネは言い終わると、タクミにスマートフォンを渡した。
「……俺だ」
『もしもし?タッ君?』
彼女の声から考えて、無事である事はすぐに分かった。
「話は聞かせてもらった。今日は外泊するらしいな?」
『うん。助けてもらった人の家に……あ、マリーって人なんだけど……』
「名前はどうでもいい。問題は、そいつの所に泊まるのは大丈夫なのかって事だ?」
『うーん……大丈夫だと思うけど……』
少し間を空けて、彼女は答えた。
「ほう?どうしてそう思う?」
何を根拠にそう思えるのだろうか。タクミは気になった。
『少なくても身分は高い方だと思うの……ここ、家というか屋敷だし……なんていうかお金持ちって感じの……』
「あ?」
コイツは何を言っているんだ。そんな思いから、タクミは聞き返した。
『マリーさんって強くてお嬢様みたいなの。だから大丈夫かなって……』
「それが根拠か?」
『うん……』
エリの返事を聞いて、タクミはため息をついた。
正直にいって、それだけの根拠では信用に値するとは思えなかった。
助けてもらったと聞いたが、それが自作自演だとしたらどうだろうか。
例え違うのだとしても、助けた見返りに何かを要求する事も容易に想像できる。
金持ち。だから何だというのだろう。それも信用には値しない。
結論を言えば、そのマリーという者は信用に値しない。だから寮に戻って来るべきだ。
タクミはそう思った。
『大丈夫だよ、タっ君。私、マリーさんの事を信じる』
タクミのため息が聞こえたのか、エリは言った。
どうやら今のため息で、こちらが何を考えているのか分かったらしい。
「……本当か?」
『うん』
「後で何かあっても知らないぞ」
『大丈夫だってば!』
タクミはさっきよりも深くため息をついた。
エリはマリーの事を信用しているらしい。
となると、こちらが何を言ったところで気持ちが変わるわけではないだろう。
「……分かった、好きにしろ」
『うん』
「だが、明日には戻って来い。みんな心配しているからな。いいな?」
『分かった』
「じゃあ、天王寺に代わるぞ」
タクミはアカネにスマートフォンを返した。
「さて、俺は校長の所へ行かなきゃな」
タクミは独り言を言うと、出口へ向かって歩き出した。
この寮の責任者は校長だ。だから、外泊するなら彼にそれを報告しなくてはいけない。
本来ならエリ自身が報告しなくてはいけないが、今回はいいとしようとタクミは思った。
校長室は寮から近い距離にあった。
おそらく朝のホームルームのためなのかもしれない。
タクミは校長室の扉の前に立った。
扉には札がぶら下げられている。
『就業中』
札にはそう書かれている。
もしやと思い、タクミは札の裏側を見た。
『休職中』
思った通りの内容が書かれていた。
学校でもこういう札があるものなのだろうか、とタクミは思った。
とりあえず、今は仕事中であるのは確かであるらしい。
タクミは扉をノックして中に入った。
校長室を見た瞬間、タクミは驚いて固まってしまった。
そこは美術館のような空間になっていて、なんとも煌びやかであった。
壁に面してショーウィンドウがあり、その中には色々な物が収蔵されている。
ただ、タクミは校長に話がしたいためだけに来たため、収蔵品に興味は引かれなかった。
肝心の校長は扉からの直線状にある机に座っていた。
いや、実際には座っていると思わしかった。
なにしろ、彼の机にはパソコンのモニターのような機械が六つもあって、それらのせいで彼の姿が見えない。
ただ、キーボードでタイピングする音やマウスのクリック音が時々するため、そこにいるのが分かった。
「おや?誰ですか?こんな時間に」
校長は席を立ち、机の横から顔をのぞかせた。
「ああ、タクミさんではないですか。何か御用事で?」
校長は訊ねてきた。
「ああ、本人に代わって報告しに来た」
「ほぉ、どんな内容ですか?」
「戸塚についてだが、今日は外泊する事になったらしい」
「ほう、外泊ですか?どこに泊まるんです?」
どこに泊まるのか気になったのか、校長はタクミに近づいてきた。
「いや、俺も詳しい事は知らない。ただ、マリーって奴の屋敷だとか」
「ふぅん……あまり聞いた事はありませんね」
「ほう、お前にも分からない事はあるのか」
「ははっ、私も一応人間ですからね。全能ではありませんよ」
「まあいい。伝えるべき事は伝えた。俺はもう戻る」
タクミはそう言って部屋を出ようとした。
「あ、ちょっと。タクミさん」
校長の言葉にタクミは振り返る。
「何だ?」
「せっかくですから見て行きません?私のコレクション」
「断る」
タクミはキッパリ言って校長室を出た。
眠気を堪えている状況で、興味の無いコレクション鑑賞だなんて考えたくもなかった。
校長室を出たタクミは大きく欠伸をした。
早く寮へ戻って寝よう。タクミはそう思って移動を始めた。




