65 蝙蝠
「――ちゃん!エリちゃん!」
「……え?あ、何ですか?」
エリはリンダの言葉を聞いて、彼女の方を見た。
エリはリンダの研究室に来ていた。理由はバイトさせてもらって、お金を稼ぐためだ。
リンダは簡単に採用してくれた。そして貰った仕事というのが、銃の組み立てであった。
エリは与えられた仕事に熱心に取り組んでいた。
エリはとても集中していた。
仕事中にリンダの信念を邪魔してしまった。その罪悪感から、他に何か考える事が出来なかったからだ。
だからリンダが声をかけても、気づくのには時間がかかった。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
「え?」
「だって、ほら、もうこんな時間だよ」
リンダはそう言って、壁に設置してある時計を指差した。時計は『22:03』と表示している。
「え!夜の十時……」
「よく頑張ったね。お昼時間があったとはいえ、ずっと長い間作業してただなんて凄いよ」
「え……まあ……」
エリは照れたが、『お昼時間』という言葉で嫌な事を思い出してしまった。
昼食は研究室内で食べた。リンダが用意してくれていたのだ。
ただ、用意された物に問題があったのだが……
一言で言えば、『ドロドロした何か』であった。
ピンク色をしていたが、苺の味は無い。いや、何の味もしない。歯応えも全く無い。
一応、美味しくするための調味料が添えられていて、それで何とか食べられるような代物であった。
そんな物をリンダは皿に山盛りで持ってきた。エリは見た瞬間引いた。もちろん食欲なんて湧くはずがなかった。
エリは一口食べてみて、あまりのマズさに残そうかと思った。しかしリンダは、キャラメル味の粉を大量に振りかけて食べ始めた。それを見て、エリはバーベキュー味の粉を大量に振りかけて食べた。
それで何とか完食する事ができた。
アレは二度と食べたくない。エリは深くそう思った。
「じゃあ、今日の働いた分を払わないとね。電子マネーがいい?それとも現金がいい?」
「あー……現金で」
エリは答えた。実際は、電子マネーなんて持っていないエリには選択の余地はなかった。
「現金ね……じゃあ、200ユーリ」
「え!そんなに?」
エリは気前の良さに驚いた。
ヤマトのお金でいえば、2万8千イェンだ。
これは携帯型ゲーム機本体を購入して、さらにお釣りをもらえる程の金額である。
「いいんですか?」
「うん、いいよ。銃が売れるとそれなりのお金が入るから」
リンダはV.I.P-Boyを操作しながら言った。するとV.I.P-Boyから粒子状の物のが出てきた。それは空中で集まり、何かの形を形成する。
彼女はそれを取って差し出してきた。
「はい、おつかれさま」
差し出してきた物の正体は、200ユーリ札であった。
エリはゆっくりと受け取った。たった紙きれ一枚だというのに、給料はとても重く思えた。
これが働くという事だとエリは思った。そして、このお金は大事に使おうとエリは決心した。
「それにしても、バイトがしたいだなんて、いったいどうしたの?」
リンダは訊ねた。
「あ、杖を買うためなんです」
「杖?ボクがあげた銃じゃダメだったの?」
「いや……その……魔法の装填に時間がかかって、使いにくくて……」
エリは正直に言った。
実際、杖の工房で試してみた際、貰った銃よりも杖の方がとても使いやすかった。
「……そっか。でも火力には自信があるから、たまには使ってね」
リンダは少しだけ残念そうな顔をした。
「あ、はい。それじゃあ、こんな時間なんで今日は帰ります」
「ほいほーい。じゃあ、また明日ね。組み立てなきゃいけない銃はたくさんあるからさ」
エリは挨拶を終えると、作業室を出た。
リンダの私室に戻ると、モテない三銃士のみんなはまだパソコンに向かっていた。どうやらデバッグ作業がまだ終わっていないらしい。
キツい仕事だとは聞いていたが、思っていた以上のものであるらしかった。
「お先に」
エリが言うと、モテない三銃士達は一斉にエリの方を向いた。
「お疲れ様です」
モテない三銃士達は挨拶した。
「姫、一人で帰って大丈夫ですか?」
明らかに疲れた様子のアルマンが聞いてきた。
「え?」
「夜道は危険ですぞ。もう少しでこちらの作業が終わるので、それまで待っていただけますかな?」
「いや、いいよ。大丈夫だって……」
エリは疲れていて早く寮に帰りたかった。だから彼の提案を断った。
「左様ですか……ではお気をつけてお帰りください。あ、いくら近道だからとはいえ路地に入るのは絶対ダメですぞ。危険ですから」
アルマンは心配そうな顔をして言った。
「大丈夫だよ」
エリは笑って答えた。そして彼の事を心配症だと思いながらエレベーターの前まで移動した。
外に出ると、街はすっかり夜になっていた。
夏は日照時間が長いとはいえ、さすがに午後十時となると街灯が灯る程度には暗い。
そんな暗い街を、エリは急いで歩いた。
午後十時に一人で外を歩いているだなんて初めてであった。
心には不安感があり、早く寮に戻りたいと気持ちが焦る。
一番困ったのは、知っている街であっても、昼と夜とで見え方が異なってる事だ。
だから、今歩いている場所が本当に正解なのか、いまいち自信が無かった。
「あ、そうだ!」
エリは閃いた。
そして自身の左腕に装着されたV.I.P-Boyを覗き込んだ。
「確か、地図アプリが入っていたような……」
エリはV.I.P-Boyを操作しながら呟いた。
探し物はすぐに見つかった。
エリは地図アプリを選択すると、画面にこの辺りの地図が表示された。そしてナビゲーションシステムを起動させた。
「えーと、大学の場所は……」
エリは地図から大学の場所をマーキングした。そして現在の地点から大学までの道順を検索させた。
「え?どうしよ!」
検索結果が出た瞬間、エリは驚いた。一ヶ所だけ、路地を通る事になっている。
「えっと……他の道は……」
さっき、路地は危ないとアルマンから言われたばかりであったため、そうゆうところを通る気にはなれなかった。
しかし……
「……どうしよう、かなり遠回りになっちゃう」
路地を通らないルートはあった。しかし、かなり遠回りであり、早く寮に戻りたいと気持ちから、止めておく事にした。
結局、早く寮に戻るために、路地を通って移動する事にした。
エリは移動を開始した。
さっきまでいた作業室には、椅子が無いためずっとたったままの状態で組み立てを行なっていた。そのためか、腰や足が痛く感じて、うまく歩けなかった。
それでも何とか頑張って、ナビゲーションシステムが示した通りに歩いた。
しばらく歩いて行くと、件の路地が現れた。
ここを通れば、寮にまでだいぶ近づく事ができるという。
しかし、エリはすぐには中へ入れなかった。
まずは暗い事。そして、何か……嫌な気配がするからだ。
灯火の魔法を覚えておけばよかった。エリは少し後悔した。そして後悔しながらも、勇気を出して路地の中へと入っていった。
路地には電灯が無いせいか、一層暗く感じた。
一応、月明かりのおかげでぼんやりと地形は見える。
ただ、誰かが暗闇に潜んでいれば、おそらく気づかないだろう。
エリは急に怖くなった。そして凄い速さで駆け抜けようとした。
すると半分近くまで進んだところで、反対側から誰かがやって来るのが見えた。
路地というのは狭い事が多いが、ここはすれ違うのに簡単なくらいには広かった。だから、そのまま走った。
向こうが何者かは分からないが、このままつっこめば相手は避けるだろう。
そう思ったのであった。
しかし相手は避ける素振りを見せなかった。
むしろエリとぶつかる事を望んでるかのように、エリと軸を合わせている。
ぶつかりそうになったエリは足を止めた。その目の前には、ニヤけ顔のイタチの男が立っていた。
「いやぁ、こんばんは」
男は不気味な笑顔で挨拶する。
「今日は良い夜だ。食事にはうってつけだよね」
彼は話を続ける。
「……何の用ですか?」
エリは警戒しながら訊ねた。
「なに、すぐに終わるよ。心配はいらないさ」
「……」
「まずは言おう。いただきます」
彼が言い終わるや否や、彼の姿が変わり始めた。
具体的には、彼の背中から触手としか言いようのない物が無数に飛び出したのだ。
「ひっ!」
エリは恐怖から空気弾の魔法を彼に放った。空気弾は彼に直撃。後方へ吹っ飛んでいった。
逃げよう。
男が倒れたのを見て、エリは思った。そして、来た方向へ戻るように一目散に逃げ出した。
しかし……
「わっ!」
逃げ初めてすぐ、エリの足に何かが引っ掛かり転んでしまった。
エリは引っ掛かったものを確かめた。そしてゾッとした。
触手だ。
触手が足に絡みついていた。
そして触手の先には……
イタチの男が立っていた。
何事もなかったかのように立っている。
そして背中から伸ばした触手を引っ張って引き寄せようとしていた。
「え、エアザンっ!」
エリは触手を切ろうとして、真空波の魔法を唱えた。
しかし、血のような飛沫が上がるも、切れる様子は無い。
触手が丈夫なのか、恐怖で魔法の出力が弱くなっているのかのどちらかだ。
「大丈夫だよ。一撃で仕留めてあげるからね」
男は優しい口調で言う。
もうダメだ。エリは覚悟を決めた。
自分は彼に殺されて食べられてしまうのだろう。
ならば、せめて苦しまないように殺して欲しい。
エリは抵抗するのを止めて目を閉じた。
「ぐあぁぁ!」
男の悲鳴が聞こえて、エリは目を開けた。
男が倒れている。
目の前に人が立っている。
そしてその足元には切られた触手が落ちていた。
きっとこの人が切ったのだろう。という事は、この人は味方なのだろうか。
「大丈夫か?」
恩人はエリの方を見ずに訊ねた。
女性の声。恩人は女性であるらしい。
「は、はい。大丈夫です……」
エリは答えながら彼女の姿をよく見た。
月明かりに照らされて、恩人の姿がよく見える。
彼女は全身を赤黒い鎧で纏っていた。
身長は180cmくらい。鎧には蝙蝠の意匠がほどこされていて、背中には蝙蝠の翼をモチーフにしたマントがあった。
「くそっ……何だお前は!」
男は立ち上がった。
「何だっていいだろう?アタシはアンタを仕留める。ただそれだけだ」
鎧の女は答えた。そしてその直後に彼女は男に殴りかかった。
「くぅ……」
男は新たに触手を出してきた。
「はぁ!」
女が発声すると、鎧から鎖が飛び出してきた。
そして男の触手と絡み合う。
「なっ……」
「こんなもの……こうだ!」
驚く男。その一方で、女は鎖を操って引っ張る。
ブチブチと嫌な音を立てて、男の触手はちぎれていく。
「がぁ!」
触手に痛覚があるのか、男は痛そうな声を上げる。
「一撃で仕留めると言ったな?こっちもだ」
女はそう言うと、鎖に絡まっていた触手を捨てた。
そして、今度は鎖を男の体へと伸ばした。
「ぐぅ!」
鎖は男の四肢に巻き付いた。
そしてそのまま、女は5メートルはありそうなくらいに跳び上がった。
「はぁ!」
女が発声すると、男は鎖に引っ張られて宙を飛ぶ。
そして彼女も男の方へ引っ張られていく。
二人は激突しそうになった。
と、ここで女の方は跳び蹴りの姿勢を取った。
そしてそのまま、彼女の両足は男の胸に当たった。いや、貫いた。
彼女は男の体内をくぐり抜けた。
これによって男の体は、バラバラになって飛散した。
女は綺麗に着地した。
周囲に飛散した肉片が落下する。
「ふぅ、今日のは大した事なかったな」
女は独り言を言った。そしてエリの方を向いた。
「もう大丈夫だ。アイツはもう死んだよ」
女は話しかけてきた。
しかしエリは彼女の言葉で安心する事ができなかった。
また人殺しの現場に立ち会ってしまった。そして加害者が殺しを正当化しているのも、前と一緒であった。
エリは怖くなった。
人が惨たらしく死んだからではない。
助けてくれた彼女の人格が恐ろしかった。
人を殺して平然としている彼女が。
「ん?ああ、この恰好じゃ安心できないか」
女は自分の体を見ながら言った。
「待ってろ。今、元に戻るから」
彼女はそう言うと、全身から鎖を出した。
すると、巻かれた糸がほどけるように鎧が崩れ始めた。
そして鎧が全て鎖に変わり、それらが彼女の体内へと入っていくと、そこには蝙蝠の女性が立っていた。
「ほら、これで怖くないだろ?」
彼女は言った。
エリは彼女をジッと見た。
全身が白い体毛で覆われていて、腕と一体化した翼膜と目は赤い。服装は緑のワンピースだ。
そして身長が小さくなっていた。今の姿だと120cmくらいしかない。
「……何者ですか?」
エリは訊ねた。
「アタシ?アタシはマリー。人喰いグールの退治をしてるんだ」
「グール?」
「あれ?グールを知らない?」
「……はい」
「そっかぁ……知らないのか」
マリーは頭を掻いた。
「じゃあ立ち話もなんだし、アタシの家に来なよ。説明してあげるから」
「え?でも私……」
「いいから、遠慮なんてしなくても。さ、行くぞ!」
マリーはそう言ってエリに近づくと、手をとって先導し始めた。
エリの頭は混乱していた。
早く寮に帰りたいと思っていた。
しかし、グールとはいったい何なのか知りたくもあった。
結局、マリーに引っ張られるがままについて行く事になった。




