64 ミアは成長したい
ここはザトーの道場。
今日もここで、ミアはヨハンと魔剣術の練習をしていた。
「昨日さ、杖の工房へ行ったんだ」
ミアはそう言いながら、杖で薙ぎ払った。
「へぇ」
ヨハンは受け流すと、杖を振り下ろした。
「自分だけの杖ってのが欲しくてさ」
ミアは左に動いて避けると、ヨハンに突きを放った。
「気に入った杖は見つかりましたか?」
ヨハンは後ろに跳びながら訊ねた。
「残念ながら……な」
ミアは言いながら後ろに下がった。
ヨハンが跳びかかってきて、さっきまでミアがいた所に杖が振り下ろされる。
「『もうちょっと』って物ならいくつかあったけどさ!」
ミアはヨハンの頭めがけて杖を振り下ろした。
「それは本当に残念ですね」
ヨハンは杖でミアの攻撃を払った。
「一番残念なのは支払いだよ」
ミアは後ろに下がりながら薙ぎ払う。
「支払い?」
ヨハンは後ろに下がって避ける。
「カード使えないってさ!」
ミアは踏み込んで、ヨハンに杖を振り下ろす。
「そこはちょっと分かりません」
ヨハンはカウンター攻撃を放った。
強烈な突きを放つ。
それがミアの腹部にめり込む。
「うっ……」
ミアは息が詰まり、腰をかがめた。
そしてその格好のまま、後ろに下がる。
「あ、大丈夫ですか?」
構えを解いたヨハンは近寄ってきた。
「だ、大丈夫……そ、それにしてもカードさ、もしもの時にって持ってきたってのに……全く役に立たねぇもんな……」
ゆっくりと体勢を戻しながら、ミアは言った。
「色々と準備するのは大事だと思うです。でも、それが必ずしも役に立つとは限りません。それなら、アドリブで乗り切る方がいいと思うです。お金の事は分からないですけど……」
ヨハンは言った。
「そっか、そういう考え方もあるか」
ミアは再び構えた。
その気配を感じたのか、ヨハンも構える。
「じゃあ、アタシはもっと楽に考えてみるよ!思ったままに動くんだ!」
ミアは再び攻撃を開始した。
今日の訓練が終わった。
ミアはヘトヘトになって、壁に寄りかかって座る。
「今日もいっぱい練習しましたね」
すでに道着から着替え終わったヨハンは、ミアの近くに立ってそう言った。
彼はオレンジのシャツに緑のオーバーオールを着ている。子供らしい恰好だ。
こうして見ると、やはり彼はまだ子供なんだなとミアは思った。
子供でありながらも、とても強い。ミアはそこに感心する。
そんな事を考えながらも、ミアは一つだけ不思議に思った。
彼の目は赤い帯で隠されている。ちょうど『心眼』の鉢巻きと同じだ。
「何だ、その帯?」
ミアがそう言うや否や、彼は両手で帯を押さえた。
「ダメです!見せられないです!」
彼は強い口調で言った。
「何だ?見たら石になるのか?」
ミアは笑いながら、彼の頬をつついた。柔らかくて気持ちがいい。
「そういうわけじゃないです!ただ、見られたくないだけです!」
ヨハンは帯を押さえながら言う。
「どうして?」
「見たら絶対嫌な思いをするはずです!」
「え?」
「僕の目は変な方向を向いているはずです!きっと、お姉さんも嫌な思いをするはずです!」
「あ……」
ヨハンの言葉にミアは察した。
以前、ミアはテレビで盲目の歌手のインタビューを見た。そしてその歌手の目は、明後日の方向を向いていたのをミアは思い出した。
何も見えていないのだから、目の焦点が合わないというのは当然である。ミアはそんな認識であったが、確かに人によっては気味の悪いようにも思える。
おそらく彼は以前、そういう人に会ってしまったのだろう。そして、それを指摘されて、気にするようになったのかもしれない。
ミアはそこまで考えた。
「……分かった。見ない」
ミアは言いながら、もう一度ヨハンの頬をつついた。
彼は一瞬だけ、肩をピクンとさせた。が、今の言葉で安心したのか、帯から両手を離した。
「……それでいいです」
彼はゆっくりと言った。
「それじゃあ、さよならです。明日もお願いします」
彼はそう言いながら、ミアに背を向けた。
「あ、おい!大丈夫なのか?」
「どうしましたか?」
ミアの言葉に振り返ったヨハンは、不思議そうな顔をしていた。
しかし、不思議に思ったのはミアもである。
「一人で帰るのか?迎えとか無いのか?」
ミアは心配して訊ねた。
彼が帰るところに立ち会ったのは初めてだ。何故今日が初めてかというと、いつものミアならタクミと一緒に先に帰るからだ。
「一人で帰りますよ。僕は家まで、どう歩けばいいか分かるのです」
「え?そうなのか?」
ミアは信じられなかった。
「そうです。だから心配はありませんよ」
ヨハンは笑顔で答えた。そしてミアはその笑顔に胸がキュンとした。
ミアは思った。
彼を放っておく者はいないだろう、と。
彼は可愛い。
子供を狙うような奴にとっては、良い餌だろう。
彼は強い。
しかし、不意打ちや人海戦術のような行為の前には無力かもしれない。
ミアは心配になった。
今まで無事だったのは、偶然だったのではないだろうか、と。
今日こそは、何者かに良からぬ事をされるのではないか、と。
「あの……お姉さん?どうしましたか?」
ヨハンの声に、ミアは意識を引き戻された。
「……え?」
「急に黙ってどうしましたか?」
「あ、いや、その……本当に一人で帰れるのかなって思ってさ」
「大丈夫ですよ。それとも……」
「それとも?」
「一緒に僕の家まで行きますか?」
「え?マジで?」
予想外の誘いに、ミアはとても驚いた。
「はい。僕は構いませんよ」
ヨハンは笑顔で言った。
「どうします――」
「よし、じゃあ出発しようか」
ミアは彼が言い終わる前に返事をした。すぐに立ち上がり、彼の両肩を掴む。
ミアにとって、この誘いはとても嬉しいものであった。
彼が近くにいるだけで、ミアは心が安らぎ、そして彼の笑顔を見るだけで、多少の無茶はできる。
ミアは認めるしかなかった。
自分はヨハンの事が好きだという事を。
「しゅ、出発ですね?こっちです……」
ヨハンはそう言うと、ミアの右手を自身の左手に取った。そして出口へ真っ直ぐと歩き始める。
ミアは黙って彼についていった。
それから10分後。
ミアとヨハンはアイスクリーム屋に来ていた。イートインのスペースで、のんびりとアイスクリームを食べている。
完全に寄り道である。
何故寄り道したかというと、それはミアの提案によるものであった。帰る途中でアイスクリーム屋を見つけ、寄って行こうと言ったのであった。
早い話が、『少しでも長く彼と一緒にいたくなった』というわけである。
「あの……奢ってくれて、ありがとうございます」
残り少ないバニラのアイスクリームを食べながら、ヨハンはミアに礼を言った。
「気にするな。アタシ、お金だけはいっぱい持っているから。まあ、コレはカードで買ったんだけど」
ミアは答えると、コーンの中に少ししか残っていない状態のチョコミントのアイスクリームを、一気に口へと押し込んだ。
「それにしても、世の中にはこんなに美味しいものがあるんですね……」
「え?」
ミアはヨハンを見た。
「僕の家は厳しいんです。お小遣いなんて全然くれなくて、外で何かを買って食べる事はできません」
「……随分厳しいな」
「仕方ない事です。みんなにお小遣いだなんて、現実的ではありません」
「ちょっと待て。『みんな』って何だ?まるで兄弟姉妹がたくさんいるかのような言い方だけど」
「あれ?そういえば、まだ話した事ありませんよね?」
ヨハンはキョトンとしながら聞き返した。
「あー、たぶん……何だっけ?」
「僕の家は孤児院です。そこでたくさんの仲間と暮らしています」
「え?マジで?」
ミアは驚いた。
孤児の存在というのをミアは知っている。しかし、別の世界の話のように思っていた。
今、目の前に孤児がいる。だから驚いた。そして、知らなかったとはいえ、接してみて分かった。
普通だ。彼は普通の人間だ。孤児だからといって特別扱いする必要はない。
ミアは瞬時にそう考えた。
「あー、やっぱりまだでしたね」
「え?待ってくれ。孤児院で暮らしているのに、習い事をさせてくれているのか?」
「僕は特別なのですよ。学校で剣道の授業があって、そこで僕がとても強かったからです」
「強かったから?」
「その事はすぐにドミニク先生の耳に届きました。そして『無料で魔剣術を教えるから、門下生になって欲しい』と言ってくれたのです」
「羨ましいな。アタシは弱いからさ……」
ミアはため息をついた。
「そうでもないですよ」
ヨハンは首を横に振った。
「強いなりに圧力を感じています……」
「そうなのか?」
「はい。僕はみんなから期待されています。つまり、挫折する事はみんなの気持ちを裏切る事になるのです。だから常に心が強くなければならないのです」
「……大丈夫なのか?なんだか生きるのがつらそうに思えるんだけど……」
「まあ……ちょっと息苦しいです」
ヨハンは肩をすくめ、苦笑いをしてみせた。そして残ったアイスクリームを口の中へ放り込んだ。
「さ、食べ終わったですし、そろそろ帰りたいです」
「あ、そうだな。行くか」
ミアとヨハンは店を出た。
「えーっと……どっちに行けばいいです?」
店を出た直後、開口一番にヨハンは言った。
「え?分かるんじゃなかったのか?」
ミアは驚いて聞いた。
「道のりは全部暗記しているんです!寄り道したから、ちょっと分からなくなりました!」
ヨハンは訴えるような表情でミアを見た。
「あ……悪ぃな」
ミアは謝りながら、この表情は心に凄く効くな、と思った。
その一方で、嫌われないようになんとか挽回しなくては、とも思った。
ミアは考えた。
この場合、挽回するためには、彼を無事に孤児院まで連れて行く必要がある、と。
そして、そのためにはどうすればいいのかを素早く思いついた。
「あ、ヨハン!孤児院の名前って分かるか?」
「え?『希望の家』ですけど……」
「分かった。ちょっと待て」
ミアはそう言って、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「オーケー、ズーグル」
ミアはスマートフォンに話しかけた。
すると、電子音と共にスマートフォンが起動した。
「ここから『希望の家』までの道を教えてくれ」
「地図アプリ ヲ 起動シマス」
スマートフォンは人工音声でそう言うと、画面に地図を表示した。
そして地図に、道のりを意味する青い線が表示された。
「えっと……今いる場所がここだから……」
ミアは地図を見て、これからどう歩けばいいか考えた。
「よし、左だな。行くぞ、ヨハン!」
ミアはヨハンと手をつなぐと、そのまま歩き出した。
「えっと……大丈夫なのですか?」
ヨハンは心配そうな声で訊ねる。
「大丈夫だ、スマホを信じろ!」
ミアは歩きながら答えた。
地図アプリ。これは良い物だ。
ミアは思った。
そして、ヨハンと手をつなげた事を嬉しく思った。




