61 カレーに踊れ
『舞台上の決闘』部を辞めたのは、ハナにとって得であった。最初は戦う事が楽しくて仕方がなかったが、そのうち退屈になってきたからだ。
対戦相手が自分よりも弱い。それは刺激が足りなくて、つまらない事。
部活を辞めて正解だった。ハナはそう思っていた。
それはスヴェンの事もある。彼は何とかして自分について来ようとしてきた。それが原因で、彼は怪我ばかりしていた。
自分がいなくなれば、彼も部活を辞めるだろう。これでこの問題は解決した。
しかし、すぐに次の問題が出てきた。やる事が無くなって退屈になったのだ。
戦いを楽しむ。そのために魔法を勉強する。ハナには魔法を学ぶための目標ができていた。しかし、それが無くなって、ハナは今まで程に勉強に集中できなくなってきた。
どうにも毎日が退屈で仕方がない。ハナは刺激に飢えていた。
退屈だ。この日もハナは、構内をウロウロしていた。
歩いていれば、そのうち何かあるだろう。そう信じてハナは歩いた。
実際のところ、同じ事をして、今日で五日目に入った。昨日まで、同じ事をしても、何も収穫を得られなかった。今日も何も収穫を得られないかもしれない。そんな不安があった。
でも、やるしかなかった。戦うだけの退屈な日々に戻る気はない。だから、今日も同じ事をやる。そうしてハナは歩き続けた。
室内を一通り見て回ると外に出た。爽やかな風が通り抜ける。気分がいい。今日こそは何かありそう。そんな予感がする。
ナイツの夏は涼しい。外を歩くにしても、とても快適だ。ハナはいつもよりも、少しゆっくりと歩いた。
外には誰もいないわけでは無い。ダブルダッチ等、運動部の人々が活動している。ベンチで読書をしている人もいる。
何か変わった事は無いだろうか。ハナは彼らを注意深く観察した。しかし、どうもハナの興味を引くような物事は見つからない。
今日も収穫無しか。ハナは深くため息をついた。
と、突然の事であった。どこからか、薄くではあるが、スパイスの香りが鼻腔をくすぐった。この匂いは……
「カレー?」
ハナは呟いた。
そう、カレーの香りがした。
どこからするのだろう。どこかでキャンプでもしているのだろうか。見回してみた。しかし、それらしき人は見つからない。
ハナは顔を前に突き出すと、香りを頼りに匂いの元を探し始めた。ちょうどよく、あちこちから風が吹いている。匂いの元から吹けば、その方向がすぐに分かる。
歩いて探し始めてから10分後、ハナはようやく人を見つけた。遠くからで良く見えないが、レッサーパンダの女性が立っている。ハナは彼女に気づかれないように、物陰に隠れながらそばに近づいた。
近づいてみると、女性は自分と同じくらいの身長である事が分かった。踊り子のような服を着ている。そして、料理をしていた。
カレーの香りが強くなった。どうやら、彼女がカレーを作っているらしい。
ハナはジッと彼女の様子を見た。料理をしているには、何か様子がおかしいからだ。
少し近づいてみる。すると、微かに鼻歌が聞こえてきた。と同時に彼女は料理をしながら踊り始めた。
何をしているのだろうか。気になったハナはさらに近づいてみる。
彼女がメインにやっているのは料理だ。具材を鍋に入れ、カレーにしか見えない物を作っている。
その所々で彼女は鼻歌に合わせて踊っている。その音楽は独特の調べで、異国情緒あふれる感じがする。
ハナは体がうずくのを感じた。彼女の鼻歌、聞いていると自分まで踊りたくなってくる。さっき歩いている途中でヒップホップダンスを踊っている集団がいたが、あの時は全く踊りたくならなかったというのに……
レッサーパンダの彼女は、おたまでカレーを掬って味見をすると、ニッコリとほほ笑んだ。そして上手く出来た喜びを表現するかのように、さっきよりも激しく踊り始めた。
ハナは限界だった。カレーの匂いを嗅いで、お腹が空いてきた。それに、踊りもとても楽しそうに思える。
ハナは物陰から飛び出した。レッサーパンダの彼女のすぐ近くまで行き、一緒に踊る。彼女からワンテンポ遅れて、ハナは踊った。
彼女はそんなハナを見て微笑んだ。そして誘うかのような手つきをすると、テンポを少し遅くして踊りを続ける。
ハナは楽しみを感じながら踊った。こんなに面白いものがあるだなんて思わなかった。それは戦いの時よりも高揚した気分となり、しばらく踊り続けた。
レッサーパンダの彼女はフィニッシュを決めた。ハナもすぐに同じポーズを取った。
静寂。カレーを煮込む音だけが響く。
レッサーパンダの彼女はしばらく表情を固めていたが、徐々に表情を変えていった。少し照れているような、少し警戒しているような、そんな表情に変わる。
「あの……アナタ誰ですか?何の用ですか?」
彼女はハナに話しかける。
「ハナだよ。楽しそうな踊りだったから、一緒に踊っちゃった」
正直に答えた。
「そう……ですか。まあ、私が誘ってしまったんで踊りの方はいいですけど……」
「カレー」
「……はい?」
「カレー作っているのぉ?」
「え、あ、まあ……ひよこ豆のカレーを作ってたところですけど……」
「い~い、匂いぃ」
ハナは胸いっぱいにカレーの匂いを吸い込んだ。
「えっと……あの……食べます?」
「いいのぉ?」
「あ、まだ、コレを焼いている途中ですけど……」
彼女はフライパンの上で焼かれている生地を指差した。
「あ!もしかして、ナン?」
「いえ、チャパティです」
彼女は訂正した。
「チャパティ!」
「はい、これが焼けたら完成ですから……」
彼女は少し困った顔をしながらも微笑んだ。
「これ、美味し~!」
レジャーシートの上に座って、ハナはチャパティに浸したカレーを一口食べた。ヤマトで食べるようなカレーとは違い、スパイスの風味がたまらない味だ。
「そうですか。それは良かったです」
彼女は微笑みながら、チャパティに浸したカレーを食べた。
「あ、食器は共用でごめんなさい。一緒に食べる人が来るなんて思わなかったから……」
「いいよぉ、ハナは気にしないから」
「そう?それならいいんですけど……」
彼女は微笑みながら、再びチャパティに浸したカレーを食べた。
「お姉さんって、名前は?」
「え、あ……ヴィマラです。インディーナ国出身で……」
「あ!やっぱりそうなんだぁ!」
ハナは納得した。
インディーナ国はカレーで有名な暑い国だ。こんなに本格的なカレーが作れるだなんて、きっと彼女はそこの出身なんだろう。そう思っていたところであった。
「ハナさんはどこの出身なんですか?」
「ヤマトだよ」
「……ヤマトの人ってこんなに積極的なんですか?」
「ん~、分かんない!」
ハナは正直に言った。
「ヴィマラちゃんは、どぅしてここにいたのぉ?」
「え?」
「だってこんな所にいるなんて、変じゃない?」
ハナは気になっている事を口に出した。
ここは一応、大学の構内だ。しかし人気の少ない場所。たぶん、何の用も無かったら、誰もここには来ないであろう所。そんな所で食事を作っていただなんて、変だとハナは思った。
「それは……一人でひっそりとご飯が食べたかったから……踊りの練習もしたかったし……」
ヴィマラは俯いて答えた。
「どぅして?」
「え?だって匂いで迷惑かけちゃダメだし……踊りを見られるのって恥ずかしいし……」
「そんな事無いよぅ。とっても良い匂いだし、踊りだって凄く楽しそうだったもん」
「あ、ありがとう……でも……」
「ヴィマラちゃん、自信持って!ヴィマラちゃんは凄いよ!」
「あ、はい……」
ハナがヴィマラの両手を掴んで言うと、彼女は恥ずかしそうに答えた。
「でもハナちゃんも凄いよね……私の心にどんどん入っていくもの……」
「え~、そぅかな?」
「そうだよ。私って人と話すのって苦手なの……でも、ハナちゃんと話すのって楽しいって思ったの」
「そっかぁ」
「あの……もし良かったらなんだけど……」
ヴィマラはもじもじして何かを言おうとした。
「なぁに?」
「私と……友達になってくれたら嬉しいなって――」
「うん、いいよ」
ハナは即答した。
「え?いいの?」
ヴィマラは驚いた様子で訊ねた。
「うん。だって友達になりたいんでしょ?」
「そ、そうだけど……そんなに簡単に『いい』って言ってくれるなんて思わなかったから……」
「友達になりたいんだったら、ハナは歓迎するよぉ」
ハナは笑顔で言った。
「あ、ありがとう……」
ヴィマラは微笑んだ。
「ところでヴィマラちゃん」
「どうしたの?」
「後で一緒に踊りたいの」
「え?あ、うん、いいよ」
「やった~」
ハナは座ったまま跳ねた。
「ハナちゃんって、舞踊式詠唱術に興味があるの?」
「ほえ?」
「あ、うん。さっきの踊りの事。あれは魔法の詠唱方法の一つなの。後で詳しく教えてあげるね」
「うん」
ハナは頷いた。
二人は楽しく昼食を食べた。やっと見つけた楽しみ。ハナは気分が高揚してきた。




