06 ヘビーなトレーニング
「フゥ……フゥ……フゥ……」
タクミはルームランナーの上で走り続けていた。
「フゥ……フゥ……フゥ……」
走る姿勢はすでに崩れている。
息も荒く、眩暈さえする。
「フゥ……フゥ……フゥ……」
しかし、それでもタクミは走り続ける。
授業が終わるまでは休むわけにはいかない。
第一、途中で休む事は自身の信念に反する。
己を鍛え上げる。
そのためには、決して自身を甘やかしてはいけない。
タクミは現在、魔道武術学部の授業を受けている。
科目名は、基礎鍛錬。
トレーニングジムのような教室で、体を鍛えるという内容だ。
タクミは今、ルームランナーを使って走っている。
しかし、一、二分前は腹筋運動をしていた。
さらにその数分前はスクワットをしていた。
サーキットトレーニング。
たしか、そんな名称だった気がする。
簡単に言えば、様々な種類をコロコロ変えてやるトレーニング法だ。
そんな方法で、タクミはずっとトレーニングを続けている。
ふと、授業が始まってどれほど経ったのか気になった。
チラリと時計を見る。
大体30分。
授業は一コマ90分、まだ三分の一しか経っていない。
そう考えると、自分の心は折れそうになる。
だから、タクミは時間を意識するのを止めた。
走る。
走る。
走る。
ひたすら、走る。
果てのない目標のため、走り続ける。
別にトレーニング中に死ぬ気は無い。
しかし、そのくらいの気持ちで鍛えるつもりだ。
「あぁ~ら、そこの素敵なお兄さん」
「あぁ?」
不意に誰かが話しかけてきた。
野太い声をした、オカマ口調の人物。
タクミはこの不快な声の方を、不快な気分で向く。
「大丈夫ぅ?今にも倒れちゃいそうよぉ」
声の主は、ケバケバしい恰好をしたカンガルーの青年だった。
彼は醜い顔で心配そうな表情を作って、タクミを見ていた。
オカマらしいナヨナヨとした走り方が、鬱陶しくて腹立たしい。
「……大丈夫だ、問題ない」
タクミは前へ向き直りながら答える。
本当は限界に近い。
しかし、見ず知らずのヤツに心配されたくはない。
汚物に手足が生えたようなヤツには特に。
「そうは見えないわよぉ。無茶は、ダ・メ・よ。ムフッ」
「構うな、集中、させ、ろ……」
タクミは二つの意味でそう言った。
一つはトレーニングに専念したいから、もう一つはもちろん、汚物とは関わりたくないから。
「も~う、イちゃいそうねぇ。アタチがお世話してあげちゃうからぁ、いつでも倒れちゃっていいわよぉ~」
「……黙れ」
「んもう!お兄さんったら恥ずかしがりやさんねぇ。初めてなんだからぁ、そのくらいできたら十分よぉ!」
「マジで……黙……れ……」
タクミは苛立ちを覚えた。
別に無視してもよかった。
しかし、タクミはこんな事を考えていた。
オカマクソ野郎はしつこく話しかけてくる。
無視してもいいが、それでも話しかけてきそうな気がする。
それなら、答えてやった方が気持ちとしては楽だ。
ただし、大便が小便に変わる程度にだが。
だからタクミは、彼を無視する事ができなかった。
「ねぇ、お兄さん」
「何……だよ」
「お兄さんってぇ、自由探究科の人でしょ?」
「だった、ら、何……だ?」
「違うのぉ、やっぱりぃそうなんじゃないかな~って思っただけなのよぉ」
「あぁ?」
タクミは思わず、彼の方を向いた。
彼の様子に変化はない。
ただ、機械の速度を上げただけ。
「もぅすぐ年度末も近いのにぃ、アタチがお兄さんを知らなかっただなんて変だしぃ、お兄さんったら一年にしたって貧弱なんだもん」
「くっ……」
タクミは彼の言葉に顔をしかめた。
悔しいがその通りだ。
他の学生と比べると、自分は全然筋肉が無い。
逆に彼の筋肉は凄い。まるでボディビルダーだ。
タクミは力の差を痛感した。
それにしても、年度末か。
タクミはふと、考えた。
そういえばテレビでやっていたような気がする。
ヤマト国は三月が年度末だが、外国では七月が年度末であるところが多いと。
きっとナイツもそうなのだろう。
そんな事を考えていると、再びオカマクソ野郎の声が聞こえてきた。
タクミはその声に意識を引き戻される。
「でもぉ、その気持ちの強さってぇ、アタチは好きかしらねぇ」
「何、なん、だよ、お前、は……」
「アタチ?ドリー、二年の」
そう言って彼、ドリーはニタッと笑った。
吐き気を催す、そんな嫌な笑顔にタクミは思えた。
「違っ……なんで、話、かけて、くっ……」
「どうして話しかけるかですって?もちろん、お兄さんの事が気になるからよぉ。キャッ!言っちゃった!」
「ウェ……」
吐き気と共に、ブザーが鳴った。
トレーニングを変更する合図だ。
タクミとドリーはルームランナーから降りた。
次のトレーニングエリアへ移動する。
そこには、トレーニングマットが敷かれていた。
「次は腕立てよぉん。お兄さんってぇ、しながらお喋りとかできちゃったりするぅ?」
準備を始めながらドリーは訊ねる。
「断る」
そう言ってタクミは腕立てを開始した。
正確には、『できない。できるわけがない』だ。
さっきは『答えてやった方が気持ちとしては楽だ』なんて思っていた。
しかし、そう思っていられない程に疲れてきた。
ハッキリ言って、もう彼には関わりたくない。
だが、その事をバカ正直に言う必要はない。
疲れている事は弱さであり、それを彼に知られるのは、どう考えても良いわけがない。
「んもう!そんな事言っちゃってぇ。少しぐらい付き合ってくれたっていいでしょう?」
そう言って、ドリーも腕立てを開始する。
かなりのハイペース。
タクミが一回する間に、彼は三、四回はできている。
力の差を思い知らされる。
心が折れそうだ。
特に、相手がオカマクソ野郎の場合はだ。
タクミは気持ちが焦る。
「お兄さんってぇ、好き勝手に授業を受けられるんですってぇ?」
「……ああ」
タクミは声を搾り出した。
この男、しつこい。しつこ過ぎる。
オカマクソ野郎の時点で十分アウトなのに、これ以上とは……
「どうしてここを選んだのぉ?」
「魔道、武術、学ぶ……鍛え、ねぇと……」
「あー、はいはい。体を鍛えるのってぇ基本だもんねぇ。それで?」
「あ?」
「どうしてぇ、魔道武術を学ぼうって思ったわけ?」
「どう……して……?」
彼の質問に、タクミは一瞬疲れを忘れた。
タクミは目が点になった。
今の質問、それは自分にとって、聞くまでもない事だからだ。
それは、とても単純な理由……
「強く……なりてぇ……」
「どうして?」
「それは……」
タクミは動きを止めた。
疲れて動けないからではない。
嫌な思い出が甦ったからだ。
「あら、どうしたの?言っちゃいなさいよ。笑わないであげるからぁ」
「……いじめ」
「うん?」
「いじめ……られてた、昔……」
タクミはハッキリと思い出してしまった。
昔、自分はいじめられっ子だった。
確かに自分はフェネックだ。
弱そうに見えるのは当たり前。
そう分かっていても、実際にやられて平気なわけがなかった。
やられるたびに、自分は自身の無力さを痛感した。
しかし、そんな生まれに悲観する気はない。
そんな不遇を乗り越える。
だから強くありたいと思った。
「やっだぁ。それってつまり復讐みたいなモンなわけ?」
「違っ……あっ!」
腕に力が入らなくなり、タクミは胴体を打ち付けてしまった。
もう動けない。
いくら力を入れようとしても、両腕は笑って全く動かない。
「くっ……そっ」
「あら、違うの?そういう話の流れだと、普通はそうならない?」
ドリーは空気を読まない男だった。
こっちはダウンした悔しさで、心が折れる寸前だというのに。
この筋肉モリモリマッチョマンの変質者め。
タクミは心の中で悪態をつく。
「ねぇ、どうなのよ?」
「俺は……守、るん、だ……」
彼に答えたわけではない。
自分自身を奮い立たせるため、タクミは声を出した。
「弱ぇ、ヤツ……俺みたいな……」
「へー、じゃあお兄さんってぇ、ヒーローにでもなる気なの?」
「なりてぇ……」
タクミは胸の内を搾り出すかのように答えた。
そうだ。
ただ強くなりたいんじゃない。
自分を守るためなんて、ただの通過点だ。
目標はその先、自分みたいな者を守る事。
そのために強くなりたい。
タクミの心に炎が燃え始めた。
それにしても、『ヒーロー』か……
タクミは心の中で苦笑いをした。
そういう表現は、少しむず痒い。
だが、間違いではないと思う。
いや、もしかすると、それが自分の理想なのかもしれない。
「そう?無理なんじゃない?」
「何……」
「そんな小っちゃぁい体で、体のデカい子に敵うって本気で思っちゃてるわけぇ?」
「んな事……」
「ム・リ・よ!無理無理無理。アタチが言うんだもん、そうに決まってるでしょ。そうよ。絶対そう」
ドリーは完全に否定する。
その言葉を聞いた瞬間、タクミの中で何かが切れた。
急に、体中に力が漲る。
心の炎が勢いを増す。
決して『満タン』とはいえないが、もうしばらくは頑張れる。
そのくらいの力が湧き上がってきた。
タクミは腕立てを再開した。
「なるんだ……俺は……絶対……」
「あらっ!」
そうだ。
絶対なる。
「鍛えて……戦って……何度でも……」
「すっご~い」
どんなにブチのめされたって……
どんなに心が折れそうになったって……
自分は絶対負けない。
「俺を……ナメるな!」
「その精神力、嫌いじゃないわ!」
へっ。
お前に好かれたって嬉しくない。
本気で反吐が出そうだ。
そう思いながらも、復活したタクミの心は晴々としていた。
再びブザーが鳴る。
二人は立ち上がった。
「ねぇ、お兄さん」
「何だよ?」
移動しようとするタクミをドリーが呼び止める。
「合格ぅ!」
「あ?」
ドリーは両手でタクミを指さした。
何の話か全く分からなかった。
ただ、何か、とても嫌な予感がした。
「大ちゅき!」
ドリーはそう言って、タクミにハグをした。
そしてズキュウウウンと勢い良く、頬への熱烈なキスをプレゼントする。
タクミは背中の毛が逆立つのを感じた。
下痢クソを塗りつけられたような不快感が頬を中心に襲いかかる。
「オゥゥゥゥエェェェェェ!」
タクミは今度こそ吐いた。
滝のようにゲロを、鼻血と共に撒き散らし、白目をむいて、失神した。