56 幼き剣士ヨハン
魔剣術の訓練のためにと、ミアとタクミは『ザトー』という道場へ足を運んだ。
そこではミア達を好意的に受け入れ、練習相手にと門下生を紹介した。
ミアに紹介されたのはヨハンという犬の少年であった。
ミアはヨハンの姿にキュンときた。思わずジッと観察してしまう。
間違いなく、彼は子供だ。小学四年くらいだろうか。
身長は130cmくらい。顔の周りが黒く、他は全体的に茶色の体毛をしている。
剣道の胴衣を身に着け、目は『心眼』とヤマト国の言葉で書かれた鉢巻きで覆われている。ここでの正装らしい。
手には杖を持っている。視覚障がい者用の白い杖だ。ただし、持ち方は竹刀のそれを同じである。
「あ、お姉さん?」
「ん、どうした?」
ヨハンに聞かれ、ミアは返事をする。
「杖はちゃんと持っていますか?」
「え?杖?」
「ここでの訓練には自分の杖が必要です」
「えっと……杖……」
ミアは返事に困った。
一応杖は持っている。祖母からもらった、ユニコーンの角を削り出して作った杖だ。
しかし尻を怪我してからというもの、杖は言う事を聞かない。
訓練に使うにはどう考えても不向きだ。
「もしかして、お姉さんは杖を持ってないんですか?」
「え、あ、うん、まあ……」
ヨハンの問いにミアは曖昧な返事をした。
「それなら師匠に言えばいいですよ。杖を貸してくれます」
「本当か!分かった、ちょっと待ってろ」
ミアはドミニクのところへと急いだ。
「おや、どうしました?」
ドミニクはまだ鉢巻きで目を塞いていないため、すぐにミアに気づいた。
「あの、杖を貸してほしいんですが……」
「あー、なるほど。では少々お待ちを……」
ミアが申し訳なさそうにお願いすると、彼は近くにあったロッカーを開けて探し始めた。
「そうですねぇ……ミアさんですと……これなんかいいんじゃないでしょうか?」
そういって彼が取り出したのは、1メートルくらいある、視覚障がい者が持つような杖だった。
「これが……ですか」
「ええ。ミアさんの場合、スタッフ型のほうが向いている気がしたものでして」
「そう……ですか。どうも……大事に使います」
ミアは杖を受け取ると軽くお辞儀をした。
「あ、もし相性がいいなら、そのままアナタの杖として使って構いませんよ」
「え!いいんですか?」
「ええ、練習用の低級な杖なので。といっても、熟練者であれば十分な力が出せますけど」
ドミニクは笑顔で答えた。
ミアはヨハンの所へ戻った。そして、杖を借りてきたと言った。
「そうでしたか。じゃあ、さっそく戦ってみるですよ」
「いや!待ってくれ」
ヨハンが杖を構えようとしたので、ミアは慌てて止めた。
「どうしました?」
「じ、実はアタシってさ、まだ魔剣を作るのに慣れていなくてさ……」
「あ、そうだったんですか。じゃあ、お手伝いしますよ」
彼は笑顔で答えた。
その顔を見て、ミアは再び胸がキュンとした。
「お姉さんの杖はどんな杖ですか?」
「アンタと同じような杖だよ」
「おー、それは良かったです。それなら教えるのか簡単ですよ。こう持つのです」
彼は杖を構えた。
持ち手部分を両手で持ち、石突きを真っ直ぐに前へと向ける。
その持ち方は、まるで竹刀の持ち方のようであった。
「まずは僕の真似をして欲しいです」
ミアはすぐに言われた通りにした。
「えっと……こうか。よし、できたぞ!」
「じゃあ、今度は杖を魔力で包み込んでください」
ヨハンはそう言うと、両手に力を込めた。
すると、彼の杖は白い湯気のようなもので包まれた。
これはどちらかというと魔力の鎧で杖を包んだようなものだが、そういうものなのだろうと思って、ミアは何も言わなかった。
「こんな感じです」
「えーっと……魔力で包み込む……」
ヨハンに促されて、ミアも同じ事をやってみた。
魔力の鎧で包むのであれば、今までと似たような事をやるようなものだ。ミアには自信があった。
しかし実際にやってみると、湯気はかなりムラのある付き方になっている。とても成功とはいえない出来だ。
「くっ……ダメだ……」
「頑張ってください。綿アメです!綿アメを意識するのですよ!」
ヨハンの励ましを受けながら、ミアはチラリと彼の杖を見た。
そして、どちらかというと、きりたんぽの方が近いと思い、それを意識してみた。
すると、湯気はムラなく自分の杖を包み込んだ。
「……できた」
「やりましたね、お姉さん!これで一歩前進したですよ!」
ヨハンは本当に嬉しそうに喜んだ。
「じゃあ、ちょっと素振りをしてみてください。形を維持できたら合格です」
ミアはヨハンに言われた通りにやってみた。
ブン。
フォン。
ヒュン。
杖を振ると魔剣特有の音が聞こえる。
ミアは杖を注視してみたが、形成された魔力の形は全く変わる気配が無い。
「よし、大丈夫。問題無い」
「よかったです。これで僕と戦う事ができるですよ」
ヨハンは笑顔で言った。
ふと彼の尾を見てみると、千切れんばかりに振っていた。本当に嬉しいらしい。
「それじゃあ、僕と向き合ってください。さっそく始めるですよ」
ヨハンがそう言うので、ミアは彼の前に立った。そして構えた。
「先にお姉さんからどうぞ」
「え?いいのか?」
ミアは思わず聞き返した。
「大丈夫です。ちゃんと受け止めるから、安心してかかって来るです!」
ヨハンは自信ありげに言った。
「……分かった」
本当に大丈夫なのだろうかと、不安になったがやってみるしかなかった。
ミアは杖を握り直すと、大きく振りかぶり、彼の頭へと振り下ろした。
すると彼は一瞬の内に、杖を斜めに構えて攻撃をいなした。
ミアは体勢を崩した。
その隙を狙って、彼はミアの腰めがけて杖を振る。
危ない。心の中で叫んだミアは、すぐにその場所を魔力の鎧で覆った。
ガギン。
金属のような音がして、ヨハンの杖は弾き返される。
「せいっ!」
ミアは反撃した。
そのままの体勢から、横に薙ぎ払う。
するとヨハンは片手を離して横に突き出した。
そして、ミアの攻撃を受け止める。もちろんその手は魔力の鎧に覆われている。
ヨハンの行動はこれで終わりではなかった。
片手で自身の杖を操り、石突きをピタリとミアの喉元に突き付けた。
この状態では、魔力の鎧を展開しようとしても、その前に突き刺さるだろう。
将棋で言えば、『詰み』の状態となった。
二人はしばらくそのままの状態となった。
そして数秒後、先にヨハンが構えを解いた。
そのすぐ後に、ミアも構えを解いた。
「魔力の鎧を出せるとは思わなかったです」
ヨハンは言った。
「最初の僕の攻撃で決まると思っていました。侮ってしまってごめんなさいです」
「いや、こっちも目が見えないだろうからって油断してた。悪ぃな」
ミアとヨハンは交互に謝った。
「目が見えないのは、あまり気にする必要は無いですよ」
ヨハンは首を横に振って言った。
「僕は音や空気の流れで周りの様子が分かるのです。色というものは分かりませんが、どこに何があるかぐらいは簡単に分かるですよ」
彼は微笑んで言った。
「え?じゃあ、アタシがどんな姿をしているのかも分かるのか?」
「うーんと……僕よりずっと背が大きくて……」
ヨハンはミアの方を向きながら眉間に皺を作った。
「背が大きくて?」
「バストも……大きいです」
「ば、バスト?」
「知っている人にニコルさんって人がいるけど、その人と同じくらい大きいと思うです」
「そ、そうか……」
バストの大きさで褒められた事が無いミアには、その話にどう言えばいいのか分からなかった。
と、彼女は今の言葉に引っかかるものを感じた。
「なあ、ヨハン。今ニコルって言ったか?」
「はい、そうです」
「彼女って、耳が垂れてて長くて、怒ると怖い?」
「うーん、怒るとどうなるか分からないですけど、耳が垂れてて長くて、バストがとっても大きいのは分かっているです」
たぶん自分が知っているニコルだろう。ミアは今の話から、そう推測した。
この街はけっこう狭いな。ついでにそうとも思った。
「それより、お姉さん」
「うん?」
「魔法の鎧を使えるなら、ちょっとだけ本気を出してもいいですか?」
「え?」
「さっきのは使えない事を前提とした動きです。魔法の鎧を使えるならもっと本格的な動きができるです」
「えっと……大丈夫かな?」
「お姉さんならきっと大丈夫です。さっきだって僕の攻撃をしっかりと防ぎましたから」
ヨハンはそう言って、杖を構えた。
仕方がない。ミアはそう思って、彼の前に立って杖を構えた。
「今度もお姉さんの好きなタイミングでかかってきていいです」
彼にそう言われて、ミアは手に持った杖を握り直した。
今の戦いで、一つ分かった事がある。それは、相手が子供だからといって油断してはいけないという事だ。
正直なところ、実力はあのリックと同じくらいあるように思える。
教え方が上手いか下手かのどちらかしか差は無い気がする。
だからヨハンが子供だからといって手を抜く事はあってはいけない。油断すれば、こっちが大怪我する可能性もある。
そうならないようにするためにも、本気で取り組まなくてはならない。
ミアはそう思った。
「せいっ!」
ミアは動いた。
突き。彼の喉をしっかりと狙って放つ。
彼は流れるような動きで横に移動してかわす。
いや、彼はミアの横へ移動し、杖を振りかぶる。
そして真っ直ぐにミアの両手を狙う。
それに気づいたミアは両手を魔力の鎧で覆い、防ごうとする。
しかし間に合わない。魔力の鎧が不十分だったせいで両手に衝撃を受けて、ミアは杖を落とす。
ヨハンはこの隙を逃さなかった。
強烈な突き、それがミアの胸部を直撃する。
魔力の鎧で防ぐ余裕はなかった。豊満なバストというエアバッグも通用しない。
激痛がミアを襲った。
「痛っ……くぅ……」
ミアは胸部を押さえて、その場に倒れこんだ。
「あ!大丈夫ですか?」
ヨハンはすぐにミアに近づくと、背中をさすり始めた。
「魔剣に切れ味は無いようにしたつもりなんですが、もう少し力を弱くすれば良かったです……」
「いや……大丈夫だ……」
ミアは痛いのを我慢してゆっくりと立ち上がった。
「『痛くなければ覚えない』ってな。昔読んだマンガにそんなセリフがあったよ……」
彼女は杖を拾い、構えて魔剣を作った。
「そうですか……じゃあ、もう一度行きますよ」
ヨハンも杖を構えた。
「おりゃあ!」
ミアは大きく踏み込むと、横に薙ぎ払った。
するとヨハンは素早く移動して、彼女の真後ろに立った。
「そこです!」
ミアが振り返ろうとした時には、すでに彼の攻撃は命中した後だった。
「あおぉぉぉぉぉぉぉん!」
ミアは奇声を上げた。
ヨハンが当てた場所が悪かった。
彼は突きを放った。
そしてそれが当たった場所とは……尻だ。
尻にズブリと石突き部分がささってしまったのであった。
「ん?何ですか?この変な感触は?」
まさか尻に杖が刺さったなんて、ヨハンには知るよしもなかっただろう。彼は杖を抜き取ろうと引っ張った。
そして引っ張るたびに、ミアは尻に強い痛みを感じた。
しかし、同時に高揚感も感じた。
リックの時とは違う。あの時は痛くて苦しいだけ。それに対し、彼の一撃は……気持ちよさがあった。
たぶん彼だからこそ、そう感じているのだろう。
幼さのある子に尻を刺される。そして、それを気持ちよく感じる。完全に変態の感覚だ。
自己嫌悪を感じるが、それも混じり合って、とても、興奮する。
ずっとこうしていたいとさえ思った。しかし、ここは道場。そんなプレイをしていい場所ではない。
名残惜しいが、ここは杖を抜くしかない。
「お、おい、ヨハン。今なんとかするからな。そのまま動かすんじゃないぞ」
ミアは動かさないようにとヨハンに言うと、ゆっくりと前に前進した。
一歩。また一歩。踏み出すたびに、尻に痛みが走る。
感触から考えて、浅く刺さっているようだが、なかなか抜く事ができない。
一歩。
一歩。
一歩。
スポン。
なんとか、杖は抜けた。ミアは勢い余って四つん這いになる。
「あの、お姉さん。本当に大丈夫ですか?だいぶ、つらいみたいですけど……」
ヨハンは心配そうな様子で聞いてきた。
「えっと……まあ……あまり大丈夫じゃないかも……」
ミアは四つん這いのまま答えた。
「少し休みますか?」
「そ、そうしようかな……」
今年は尻に悪い一年なのだろうか。
ミアは痛みと恥ずかしさ、そして未だに収まらない興奮に顔が熱くなるのを感じた。




