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05 初めてのホームルーム

 ガチャリと音がし、出入り口の扉が開いた。

 アカネは食後のコーヒーを飲みながら、扉の方を見る。


 やって来たのはバルドゥイーンだった。

 いや、今後は校長と呼ぶべきかもしれない。

 とにかく彼が入ってきた。


「ハーイ、おはようございまーす」

 彼はにこやかな顔で挨拶をする。

 今までと変わらない笑顔。


 一昨日まで同じ部員であった彼が、今では校長。そして自分は彼の学生。

 まさか、こんな事になるだなんて、どうしたら想像できただろう。

 そう思いながら、アカネは軽く会釈をした。


 とても以前のように、馴れ馴れしく挨拶する事なんてできない。

 だからといって、改まった挨拶はむず痒い。

 アカネの行動は、それに対する妥協案であった。


「皆さん元気そうで何よりです。私は昨晩――」

 校長の話を聞きながら、アカネは改めて彼の容姿を見た。


 身長はタクミと同じくらいのチンチクリン。

 見た目は完全に小学生。

 服装はショートパンツ、ワイシャツ、サスペンダー、蝶ネクタイ。

 これに黒縁メガネとジャケットがあれば完璧。

 さらに彼の腕時計が実は麻酔銃とかだったら、なおよし。


 初めて彼を見た時は小学生が迷い込んだと思ってしまった。

 それが実は大学の校長だったとは……


「――さて、ホームルームを始めますよ」

 校長の声でアカネは意識を引き戻された。


「まずは学生寮の感想を聞きましょうか。どうです?一晩過ごしてみて」

 彼はにこやかに訊ねた。


 その顔を見て、アカネは急に怒りを覚えた。

 胸の奥から激しい炎のような感情が湧きあがる。

 腹が満たされて治まっていた感情。それが再び目を覚ました。


「最悪や!」

 アカネは叫んで答えた。


「何やこの部屋!プライバシー守れてへんやん!」

 自室を指さしながら文句を言う。


 昨日、初めて案内された時から、そう思っていた。

 ここが自分の部屋。

 そう言われ案内されたのは、衝立(ついたて)で区切られた空間。


 もちろん天井は無く、物音はダダ漏れ。

 スマートフォンか何かでの動画の視聴、読書、着替え……

 誰が何をしているのか、だいたい分かってしまう。 


 特に夜中、消灯後は酷かった。

 イビキ、寝言、放屁……

 あちこちの部屋から聞こえてくる。

 もしかして自分も寝ている間にしているかも。

 そう思うと、なかなか眠れなかった。

 そのせいで、今朝は寝不足だ。


「おぉ、それについては本当に申し訳ありません」

 そう言う校長だが、表情は言葉ほどには思えなかった。

 アカネの怒りは増す一方だ。


「実は新学部設立にあたって、思った以上にお金がかかりましてね……」

 彼の言い訳が始まった。


「自由探究学部専用の学生寮の建設費を削る必要があったのですよ」

「『専用』って何や!共用のモンならあったんか!」

「ええ、はい、ありますよ。学科関係無しの学生寮でしたら」

「ドアホっ!ウチら、そんなんでよかったんや!」

「ですが、訓練場付きの学生寮というのは、ここの特権でして……」

「特権なんかよりプライバシーや!」

 アカネはどんどん責める。


 相手が校長だろうが、知ったことか。

 アカネは怒りで、身分の差を気にしなくなっていた。


「あ、あのう……男女が同じ空間で生活というのはちょっと……」

 加勢のつもりか、エリも不満を言い始めた。

 アカネは彼女の話に頷く。


 確かに、男女が一つ屋根の下で暮らすというのは問題がある。

 自分達みたいに、多感な年頃であれば特に。

 何か間違いが起きてもおかしくはない。

 男はタクミだけとはいえ、油断はできない。


 ただ、一点だけ同意しきれないことがある。

 エリの顔、ちょっとニヤけている気がする。

 まさか、そういうのを期待しているのだろうか。

 そういえば昨日の夜中、エリの方から水音のような音が……


「あー、それについては……皆さんを信じるとしか……」

 校長は少しだけ困ったような顔をしてみせた。

 自分達の良心に任せるというのか。責任放棄か。


「まあ、皆さんは青春時代の真っただ中、そういう事の一つや二つくらい、あってもいいのではないでしょうか?」

 校長は悪戯っぽくウィンクしてみせた。


 まさかの開き直り。

 アカネの怒りはそろそろ頂点に達しそうだ。


「まあ、そんな事より、皆さんにお渡ししたい物があるのですよ」

 そう言って校長は、何かを取り出した。


 いや、「そんな事」って……

 今の言葉でアカネは怒りを通り越して呆れてしまった。

 しかし、大事そうな事なので、一応彼の手に注目した。


 彼の手にあるのは、補聴器のような物。それと手帳だ。

 補聴器のような物は、確か校長も使っていたはず。


「翻訳機と探究フリーパスです」

 校長は放り投げた。

 投げられたそれらは空中で静止。

 そしてアカネ達の前へ、流れるように移動した。


「受け取ってください。今後は必須となるはずです」

 彼の話を受け、アカネ達は手に取った。


 アカネはとりあえず、翻訳機を装着した。

 特に変わった様子はない。


 今度は探究フリーパスとやらを開いてみる。

 パスポートによく似た手帳。

 裏表紙が学生証になっている。


 いや、前言撤回。翻訳機による効果が表れていた。

 学生証は外国語、たぶんナイツ語で書かれている。

 一度も習ったことがないはずなのに、何故か読める。

 声だけでなく、文字も翻訳されるというのは便利だ。

 これは、ありがたい。  


「校長、これは何だ」

 タクミが探究フリーパスを掲げながら質問する。


「皆さんが授業に参加するためには、それが必要です」

 校長はもう一冊取り出すと、中を開いた。


「この白紙の所にサインを貰ってください。出席の証になります」

 指でページをつつく。


「絶対貰ってくださいよ。後で報酬の件でモメる事になりますので……」

 校長は困った顔をして念押しした。


 報酬とは何の事だろう。

 よくは分からないが、大人の事情でいろいろあるのだろう。


「校長。これがあれば、どんな授業に出られるんだな?」

 今度はミアが質問する。


「ええ、どこにでも。学外でも構いませんよ」

 校長は笑って答える。


「学外って何や?」

 アカネは考える前に声が出た。


 もうアカネの頭の中から、学生寮の事は消えていた。

 怒りは静まっているため、声は平常通りとなっている。


「ここ、ハーデイベルク市内であれば、どこでも有効という意味です」

「市内ならどこでもって?」

「例えば工房、探究フリーパスがあれば、そこの技術を教えてくれます」

「え?」

「市内の工房や店舗、道場等には、すでに話をつけてあります」

「ちょ、ちょい待ち!それってつまり……」

「皆さんの教室は市内全体、ということですよ」

 困惑しながら訊ねるアカネに対し、校長はドヤっとした顔をした。

 きっと自分がしたことを自慢しているのだろう。


 確かに彼がしたことは、とんでもないことだ。

 学業のために市内全体を巻き込む。普通はありえない話だ。

 彼にはいったい、どれほどの権力があるのだろう。


 ところで、うっかり聞き流していたことが一つ。

 ここはハーデイベルク市という所のようだ。

 聞いたことが無い地名だ。

 といっても、自分が知っているのは、首都のブランクフルット市だけだが。


 後でここがどういう所なのか、ネットで調べた方が良さそうだ。

 ついでに観光名所も。せっかく外国まで来たのだから、在籍中にできるだけ巡っておきたい。


「さて、必要な事はこれで全部でしょうか?」

「あの、先生……」

 ホームルームを終わりにしようとする校長に、エリは訊ねた。


「教科書とかって……」

「あ!」

 エリの質問に、思わずアカネは声が出た。


 とても大事な事を忘れていた。

 学校の授業を受けるなら教科書が必要だ。

 どこで買えばいいのか、いくらかかるのか。

 そもそも、一、二回しか出ないかもしれない授業のために買う必要があるのか。

 お金が絡むとアカネの脳は活発になる。


「ああ、それでしたら、あちらからどうぞ」

 校長は部屋の一ヶ所を指さした。

 それは部屋の奥、その隅っこにあるロッカーだ。

 いや、ロッカーというより、掃除用具入れに近い見た目をしている。


「アレの中には、大量の備品が収まっています」

 そう言う彼に対し、アカネは疑わしさを感じた。


 とてもそうは見えない。

 でも、魔法の力で見た目以上に物が入るようになっているのかもしれない。


 たぶん、きっとそうなのだろう。

 何しろ、ここは魔術の大学だ。

 自分たちの知らない魔術が使われている事が当たり前と言えばその通りだ。


「必要な物を思い浮かべながら開けてみてください。それが出てきます」

「じゃあ、この授業のための教科書が欲しいって思えば……」

「ええ、出てきます」

 エリの質問に校長は笑顔で答えた。


 いい事を聞いた。

 アレがあれば、金がかからない。

 タダで教科書をそろえる事ができる。


 ただ、備品である以上、壊したり汚したりして、弁償することのないようにしなくてはいけない。

 そういう事で、びた一文払いたくはない。


「では以上でホームルームを終わりにします。皆さん、後は『ご自由』に」

 そう言って校長は出て行った。

 それと同時にみんなが動き始める。


 みんなはもう、今日の予定を立てているのかもしれない。

 動きに迷いがないように見える。


 それに対して自分は、一人座ったままだ。

 何をしようか一晩考えたが、結局何も思いつかなかった。

 このままでいい訳がない。気持ちが焦る。


 アカネは頭を抱えた。

 一秒、二秒、三秒……アカネは考え続ける。

 しかし、やはり思いつかない。


 その時、ふとハナの顔が浮かんだ。

 何故浮かんだのかはわからない。

 しかし、その瞬間、アカネの体に電流が走った。


 反射的に立ち上がる。

 そうだ、ハナについて行こう。

 彼女について行けば、きっと何かあるだろう。


 理屈も根拠もない。

 しかし、そうとしか思えない自信がアカネにはあった。


 アカネはハナの元へ急いで向かった。

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