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25 次の時まで、ごきげんよう

 気がつくと、タクミは芝生の上で寝ていた。

 何時からそうしていたのだろうか。

 思い出してみた。


 確かミアの声が聞こえて、バーへ向かったはず。

 そして中に入って……

 そこから先は全く思い出せない。

 いや、思い出してはいけない気がした。


 頭が、後頭部が痛い。背中もだ。

 失った記憶と何か関係があるのだろうか。

 いや、今はいい。

 後回しで構わない。

 今は目の前の事に集中しよう。

 そう思ったタクミは、文字通り、目の前の事に注視した。


 今、タクミの目の前には尻がある。

 誰の尻かは分からない。

 だが、見える範囲の情報を統合させると、この尻は女の尻であるらしい。

 スカートを穿いた女の誰かが、自分の顔を跨いで、尻を近づけている。


 この女は何者だろう。タクミは考えてみた。

 答えの鍵となるのは、彼女の太腿だ。

 体毛の色、内側が白で外側が黄色。そして、黒の横縞。

 つまり、虎だ。

 そして、こんなくだらない事をする虎の女といったら、一人しか思い浮かばなかった。

 タクミは名前を呼ぶため、深くため息をついた。


「おい、天王寺!何のつもりだ?」

 タクミは尻に向かって声をかけた。

 すると尻の持ち主は立ち上がり、頭から離れた。


「な?ウチの()うた通りやろ?尻を近づけたら、目ぇ覚ますって」

 尻の持ち主は自慢そうに誰かに話しかけていた。

 声で分かる。やはり、尻の持ち主の正体はアカネだった。


 彼女の話から考えて、都市伝説級に疑わしい説の実験台にされたらしい。

 実験台にされるのは、今日だけで二回目。

 今日はもう、いや金輪際勘弁してもらいたいものだ。

 タクミはそう思いながら再び深くため息をつくと、ゆっくりと上半身を起こした。


「おう、おはよーさん」

 アカネは振り返ると、笑顔で挨拶した。

 全く悪びれる様子の無い彼女を見て、タクミは自身の眉間に深い皺が刻まれるのを感じた。


「どや?目ぇ覚めたら、ウチの股見れて。嬉しいやろ?」

「いや、目が腐るかと思った」

 ニヤけた顔のアカネに対し、タクミは吐き捨てるように答えた。


「んなぁ!」

「目覚めに汚物見せられて嬉しがるバカがどこにいるんだよ」

「そ、それが乙女に対して言う言葉かいな!」

「おい!今すぐ世界中の乙女に謝れ!」

「はぁ!」

「『存在が汚物の分際で乙女を名乗ってスマン』ってよ」

 アカネのせいでタクミの目覚めは最悪であった。

 悪口を言うには絶好のコンディション。

 今ならもっと、心を抉れるような言葉を操る事ができそうな気がした。


「み、ミアちゃ~ん!タっ君がいじめるんやぁ~」

 アカネは大げさな泣き真似をすると、誰かに抱き着いた。

 いや、彼女は間違いなくミアと言った。つまりミアに抱き着いている。


 そういえば、ミア。タクミは思い出した。

 元々、彼女の声が聞こえてバーに行ったんだ。

 今ここにいるなら、すぐにでも様子を確かめたい。

 バーで何があったのか。彼女は無事なのか。


 タクミはアカネを見た。

 彼女の肩の辺りから、ミアの顔が出ている。


 その顔には生気が無かった。

 目は虚ろで輝きも失われている。

 その上、抱き着かれた事に対する反応が無い。

 ただ、そこに立っているだけ。アカネにされるがままの状態だ。


 ミアの身に何か恐ろしい目に遭ったのは間違いない。

 タクミは心配になった。


「おい、ミ……山田!大丈夫か!」

「……ぉぉ」

 彼女の声は小さく、弱々しかった。


 全く大丈夫ではない。

 いや、自分の声に反応しているだけで、質問を理解していないのかもしれない。

 そう思うと、タクミは動かずにはいられなかった。


「くっ……どけ!パライズ(麻痺)!」

「あばぁぁぁぁぁぁ!!」

 タクミは杖をアカネに向けて、麻痺の魔法を放った。

 杖から出た毒々しい緑の閃光が、アカネに向かって飛んでいく。

 今のは麻痺の魔法。その名の通り、対象を麻痺させる魔法だ。


 直撃したアカネは奇声を上げながら、その場に崩れ落ちた。

 その姿はまるで、糸の切れた操り人形のようだ。


 タクミが彼女を攻撃したのは、単純に邪魔だったからだ。

 これからミアに放とうとする魔法を当てるために。


ヴァイティ(活力)!」

 タクミは活力の魔法を放った。

 杖から出た浅緑の閃光が、ミアを直撃する。

 ミアは立ったまま微動だにしない状態だったため、タクミはとても当てやすかった。


「あっ……」

 魔法が当たったことで、ミアは意識を取り戻したようだった。


 今のは活力の魔法。対象に活力を与える魔法だ。

 失われた生気はこれで補充された。


「おい、山田。何があった?」

 杖をしまいながら、タクミは訊ねた。

 しかしミアは目をそらし、答えようとしない。


「おい!答えろ!」

 タクミは詰め寄った。

 倒れているアカネを踏み台にしながら。


「……聞かないでくれ」

 そう答えるミアは、目を潤ませていた。

 彼女の表情、そして声からは、つらさや恥じらいを読み取ることができた。


 彼女はとても口には出せないような目に遭った。

 タクミはそう結論を出した。


 これ以上の詮索はできそうにない。

 何があったかは分からないままだが、これ以上は彼女を苦しめることになる。

 もちろん、分からない以上、彼女のフォローやケアもできない。

 今、自分に出来る事といえば、そっとしてあげる事ぐらいだろう。


 タクミがそう考えていると、アカネの声が聞こえてきた。


「ちょ……タっ君……」

 彼女の声は足元から聞こえてきた。

 タクミが足元を見ると、彼女はもがいていた。


 そういえば、彼女を踏み台にしていたのを忘れていた。

 それに麻痺の魔法は弱めにしていたから、そろそろ効果が切れる頃だ。

 話したり動いているのは、たぶんそういう事なのだろう。


「ふ、踏まんといて……」

 タクミがそんな事を考えていると、彼女はモゾモゾと動き、重くて苦しんでいる事を強調してみせた。


 そんな彼女に対してタクミはどうとも思っていない。

 しかし、徐々に動きが大きくなり乗っているのが困難になってきた。

 仕方なくタクミは後ろに下がり、彼女から降りた。


「あー……タっ君重いわぁ……体重なんぼあんねん……」

 アカネはゆっくりと起き上がりながらブツブツと文句を言う。

 そんな彼女に対し、タクミは気になる事を遠慮無く訊ねた。


「おい、天王寺。他の奴らはどうした」

 タクミが訊ねたのは、この場にいない者達の事だ。


 気がついた時からそうだった。

 ハナ、エリ、そしてニコルの姿が見えない。

 彼女達はいったいどこへ行ったのだろうか。


 タクミは彼女達の事を心配しているわけではない。

 しかし、気にはなっていて、ハッキリとさせたかった。


「知らん」

 アカネの答えは非常にあっさりとしたものだった。


「ウチが目ぇ覚ました時には、もうおらんかった」

 彼女は肩をすくめながら語る。


「で、先にミアちゃん起こして……その後タっ君を……」

「待て」

「何や?」

「まさか、山田にも俺と同じ方法で起こしたのか?」

「いやいや、ミアちゃんは普通に起こしたで。『ミアちゃん、起きてや』って」

 アカネは自身の頬を両手でムニムニとさせて、当時の再現をしてみせた。


 彼女のやり方がはたして『普通』と呼べるものかは別として、尻を近づけていないなら安心だ。

 彼女の様子を見て、タクミはほっと安心した。


「だいたい、タっ君にそないな事したのはミアちゃんを喜ばそう思ぅてな。元気無さそうやったし……」

「そうか、死ね」

「んなっ!」

「もう一回言ってやろうか?死ね、貴様は醜い」

 タクミははっきりと言ってやった。


 理由はともかく、好きでもない女に尻を近づけられるなんて不愉快だ。

 今度同じ事をされたら、両手の人差し指を『突き刺して』やろうか。

 いや、それは止めておこう。指が腐ってもげそうだ。

 納得していない様子のアカネを見ながら、タクミはそう考えた。


 彼女は何か言っているが、タクミの耳には何も入らない。

 タクミにとって、彼女の言葉なんでどうでもいいからだ。

 その代わり、他の女性の呼び声が遠くの方から聞こえてきた。

 タクミが声の方向を向くと、さっきまで行方不明だった三人がやって来るのが見えた。


「お~い!みんなぁ~!」

 ハナが大きく手を振りながら、そしてスキップしながら声をかけている。

 そしてその後ろをエリが、そのまた後ろをニコルが歩いている。


「おー、ハナちゃん!どこに行っとったんや!」

 アカネも大きく手を振り、ハナに訊ねる。


 その一方で、ミアは腰を抜かしたまま後ずさりをしていた。

 彼女の視線の先には、ニコル。

 やはり、彼女はニコルに何かされたのだろう。


 タクミがそう考えていると、ふと彼女のスカートの中から何かが見えた。

 見なかった事にしておこう。

 タクミはそこからサッと目をそらしながら、そう思った。


「あら、みんなお目覚めのようね」

 タクミ達の近くまで来ると、ニコルはそう言った。


「おい、貴様!俺達に何をした?」

 タクミは警戒心をむき出しにしたまま訊ねた。


 ニコルの魔法の実力は十分理解している。しかし、それ以外については信用できない。

 自分の記憶が曖昧なのも、きっと彼女に何かされたに決まっている。

 そんな不信感が、タクミをそうさせる。


「別に何も。ね?二人とも」

 ニコルはハナとエリに目くばせしながら答えた。

 ハナはすぐに、エリは戸惑いながら頷いてみせた。


 タクミは彼女達の様子を見ると、チラリとミアの方を見た。

 彼女は小刻みに首を横に振っている。


 やはりニコルは何かを隠している。

 そして、どうやらハナとエリは買収済みのようだ。

 とはいえ、真実の追及が今回の場合、正しいとは言い難い。

 さっきのミアの言葉を考えると、追求はここまでにした方がいいと思う。


 やむを得ない。

 ここは彼女の嘘に乗るとしよう。

 タクミはそう思った。


「……そうか。それならいいんだ。悪ぃな」

「やぁね。人を疑うのは良くないわよ」

 タクミは偽りの謝罪をした。

 それに対して、茶化すように彼女は返事をする。


 こっちが考えている事は、お見通しのようだ。

 悔しい。

 しかし、ミアのためだ。

 そう思い、タクミは我慢した。


「なぁ、ハナちゃん。みんなして、どこで何してたん?」

 アカネがハナに訊ねた。


 いいタイミングだ。

 タクミは心の中でアカネを褒めた。

 今の質問は、話題を切り替えるのにちょうどよかった。


「ん~とね。ハナ達はぁ、ティータイムしてたのぉ」

 ハナは嬉しそうに答えた。


「んあ?ティータイム?」

「ええ。二人とも練習を頑張ったからね、私からのちょっとしたご褒美よ」

 いまいち理解できてない様子のアカネにニコルが補足した。


「特にエリが凄かったわね。トイレの後からの急成長ぶりには、私もビックリよ」

「へ、へへ……どうも。きっとアカネちゃんの教え方が良かったからで……アカネちゃん、ありがとね」

 ニコルに褒められてエリは上機嫌のようだった。

 そしてアカネのおかげだと、お辞儀をしながら礼を言った。

 しかし、アカネ自身はあまり嬉しそうにはしていなかった。


「お、おぅ……」

 彼女は少し引きぎみに返事をした。


 きっと彼女も気づいたのだろう。

 エリから放たれる不穏な空気を。


 目には全く見えないが、彼女から良くない何かが確実に放たれていた。

 仮に色を付けるとしたら、黒か紺。

 そんなベッタリとまとわりつくような感覚をタクミは感じていた。


 と、この空気を感じていないのであろう、ハナがニコルの腕を掴んだ。

 何となく不機嫌そうなように見える。


「もぅ~、ハナも頑張ったのにぃ~」

 エリばかり褒められていたからだろう。

 ハナはむくれた様子でニコルに抗議した。


「そうね。アナタもよく頑張ったわ。偉い偉い」

 ニコルはそれを(なだ)めるように、優しい言葉をかけ、頭を撫でる。


「ん~」

 撫でられたのが気持ち良かったのか、ハナは嬉しそうな声を出した。


 単純なヤツめ。

 タクミは心の中でため息をついた。


「それで?アナタ達の方は頑張ったのかしら?」

 ハナを撫でながら、ニコルはタクミ達の方を向いて聞いてきた。


「え?」

 聞き返したのはアカネだ。


「違うわよね。ハナ達が練習している間はノビていたし、さっき起きたって顔をしてるし」

 その通りだ。推測するニコルに対し、そう思ったタクミは顔をしかめつつも舌を巻いた。


 ノビてる間の事は知らないが、さっき気がついたのは正しい。

 それに、気がついてすぐ、しかも異常な状況、そして何も分からないまま練習を再開、というのは無理がある。

 そこから、記憶が曖昧になった以降は練習をしていない。つまり、頑張ってはいなかったと彼女は推測した。


 ニコル。彼女の推理力は厄介だ。

 その内、些細な言動から自分の全てを暴かれてしまうかもしれない。

 タクミは危機感を感じた。


「まあいいわ。それじゃあ、アナタ達には次回までの課題にしとくわね」

「次回まで?」

 ニコルの言葉にアカネが聞き返した。


 アカネ。彼女は思った事はすぐに口に出てしまう。

 普段なら面倒事にならないかとヒヤヒヤするところだが、今の場合はとても助かる。

 自分が気になった事を代弁してくれた。

 タクミは心の中で彼女を褒めた。


「ええ。今日はお終いよ。そろそろバカ師匠が起きる時間だしね」

 ニコルは自身の腕時計を指しながら答えた。


 タクミは自身の腕時計を見る。

 四時半くらい。


 そういえば、ニコルには師匠がいると言っていた。

 タクミは思い出した。


 確かバーの経営をしてるとか。

 夜の仕事というなら、確かにそろそろ起きてもおかしくない。

 それに師匠ということは、身の回りの世話を彼女がしている可能性もある。

 それを考えると、授業を終わりにしたくなるのも納得がいく。


「分かった、今日は帰る。で、次は何時だ?」

 タクミはニコルに訊ねた。


「五日後。同じ時間、同じ場所で会いましょう」

 ニコルは右手の指を二本、左手の指を三本立てて答えた。


「分かった。おい、貴様ら!帰るぞ!」

 タクミはみんなに呼びかけた。

 そして真っ先にミアの所へ行った。


 彼女はまだ腰が抜けたままだ。

 立たせるためには補助がいる。


「おい、山田。掴まれ」

 タクミは手を伸ばした。


「……タっ君」

「遠慮するな」

「……ありがとう」

 ミアはかすれた声で感謝の言葉を伝えると、差し出した手をしっかりと掴んだ。


 腕にズシリと重さを感じた。

 やはりというべきか、自分の腕力では彼女を支えるには重かったようだ。

 しかし、耐えられない程ではない。

 さっそく鍛えた成果がでてきたのかもしれない。タクミは思った。


 そうして重さに耐えていると、アカネとハナの会話が聞こえてきた。

 タクミは何気なく聞き耳を立てる。


「ほいっ、アカネちゃんの分だよぉ」

「おおっ、クッキーやん!これ、どないしたん?」

「ティータイムのぉ時のだよぉ。アカネちゃんのためにぃ、残しておいたんだよぉ」

「お、おおきに!かぁ~、ハナちゃんはホンマええ子やなぁ~」

「えへへっ」

 ハナは嬉しそうな声を出す。


 二人とも幸せそうだ。悩みなんてなさそうだ。

 会話を聞きながらそう思ったタクミは、小さくため息をついた。

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