20 ランチタイム
「はーい。こっち、こっちよー」
ニコルに連れられた先は、工房の正面。
つまり、最初に来た所だった。
「じゃあ中に入るけど、狭いから入ったら奥へ進んでね」
ニコルはそう言うと、入り口のドアを開けて中へ入った。
ミア達も後を追うように、一人一人中へ入る。
先陣を切ったのはミアだ。
そのミアが中へ入った瞬間、驚くべき光景が目に飛び込んできた。
それは、とても工房とは思えない内装だった。
バーだ。お酒を飲む場所である、あのバーだ。
テレビのドラマでしか見た事が無いが、間違いない。
部屋の中をよく見る。
第一印象は、『鰻の寝床』。狭くて奥行がある。
玄関から真っ直ぐ続く通路は、すれ違うのに苦労しそうだ。
その通路の右手、そこに平行してバーカウンターと椅子が設置されている。
椅子の数は10脚。つまり定員は10名。よく分からないが、規模としては小さい方だろうか。
通路の奥には、小さなステージのような物が見える。
そして、その上にはテレビが吊り下げられている。
「ミア!奥に進んでって言ったでしょ!」
「ミアちゃん!はよ行き!」
ニコルとアカネの声でミアは意識を引き戻された。
ニコルはステージの前に立っていて、手招きしている。
ミアが振り返ると、アカネが密着に近い距離にいて、迷惑そうな顔をしていた。
いけない。予想外の光景に、つい見とれてしまった。
ミアは恥ずかしい気持ちを抱えながら、奥へ進んだ。
「はい。じゃあ、座って待ってて」
ミアが一番奥の椅子の所まで進むと、ニコルはその椅子を指さしながら話した。
ミアは言う通りに座った。
まだ新しいのか、クッションが効いている。未だ痛みの残る尻に優しい。
するとニコルはカウンターの切れ目、その向こうにある部屋へ行ってしまった。
ミアは座ったまま部屋を覗こうとしたが、西部劇で見るようなドアに阻まれてよく見えない。
しかし、奥からは食器を動かすような音が聞こえることから、昼食の準備をしていることが分かる。
「なー、ミアちゃん。ニコルって意外とええ人とちゃう?」
アカネに話しかけられて、ミアは彼女の方を向いた。
彼女は隣の席に座っていた。
上半身をこちらに向けて、カウンターに肩肘をついている。
「……どこが?」
ミアは眉間に皺を寄せながら、アカネに訊ねた。
ニコルと出会ったばかりだが、彼女との思い出にろくなものが無い。
地獄突きを受け、水をかけられ、バケツを頭に落とされ……
この短い間に三度も酷い目に遭わされた。
こんな事をする女のどこがいい人なのか。ミアは不思議に思った。
「昼飯奢ってくれるんやで?ええ人やろ?」
「奢って……そうなのか?」
「せやろ。なんか、そんな感じがするで」
「まあ、それはいいとして……それだけか?」
「後、ハナちゃんの事もやな。ちゃんと謝ってたし、アメちゃんをあげてたし」
「…………」
ミアは何も言えなかった。
確かに、ニコルにも良い点が無いわけではない。
しかし、自分にされたことは、どうしても許せない。
この二つがぶつかり合い、ちょうどいい言葉が出てこない。
「あのな、ミアちゃん。ウチが思うに、ニコルって弱いヤツに甘いんと思うんや」
アカネは身を乗り出しながら、そんな事を言い出した。
「弱いヤツに甘い?」
ミアは反射的に少し身を引きながら、聞き返す。
「せや。さっきのウチの弁護、見てたやろ?」
「ああ、ハナを庇ってたっけな」
「ウチ、とにかく下手にって謝ってたんや。そしたら、お仕置き無しで許してくれたんやで」
「そう言えば……そうだな」
「せやろ?それにハナちゃんに謝った時やって、ハナちゃんが泣いてたからやろ?」
「そう……かもな」
「ほんなら、これからすることは一つやで」
「何だ?」
「ニコルの前では弱々しく振る舞うんや。そしたら、悪ぅようにはせぇへん」
アカネはゲスな笑顔をしてみせた。
その顔を見て、ミアは心の中でため息をついた。
「……アカネ」
「何や?」
「お前にプライドは無いわけ?」
「そんなモン、モンスターのエサや」
「その程度のプライドじゃ、モンスターも見向きもしねぇさ」
ミアはため息混じりにカウンターの方を向いた。
これ以上、アカネの話に付き合っていられない。
これは、話を打ち切るというミアなりの意思表示であった。
「はいはーい。お待たせ」
奥の部屋からニコルが姿を現した。
彼女の登場と共に六人分のスプーンやフォーク、そして料理が乗った器が現れる。
それらは彼女の周囲で浮いていた。まるで、風船のように。
念動力の魔法を使っているのだろうか。ミアは思った。
だとしたら、彼女の制御能力はとんでもない事になる。
通常、この魔法で浮かせられるのは一対象だけだ。
熟練者であれば、複数を浮かせられるが、対象が多いほど制御は難しくなる。
ニコルの場合、同時に浮かせている対象は18。
これはもう、かなりの実力の持ち主であるという事になる。
その上、まだ余裕があるようにも見える。
彼女はいったい、どれほどの実力の持ち主なのだろうか。
ミアは驚きながら考えた。
「それじゃあ、温かい内に食べちゃって」
ニコルはそう言って、ミア達の前に料理が乗った器を着地させた。
そして器の右隣に、スプーンとフォークを並べるように着地させる。
完璧な制御だ。
ミアは彼女の腕前に驚きながらも、出された料理を見た。
野菜をトマトベースで煮込んだ物。
肉類は一切見えない。
作った人が草食人種なのだ、そこは当然だろう。
とりあえず、食べよう。
そう思ったミアはフォークを取ると、ナスに突き刺した。
そして口の中へ入れる。
そのナスが舌に触れた瞬間。
ミアの脳髄に電流が走り、目を見開いた。
美味い、美味過ぎる。
この味は金が取れる味だ。
それも、名店に匹敵する味。
本当にニコルが作ったというのか。
だとすれば、彼女は才能に恵まれている。
ニコル。彼女は恐ろしい女だ。
ミアはニコルへ尊敬と恐れの念を抱かずにはいられなかった。
「はーい、アカネ。そこ、私が座るからズレて頂戴」
急に背後からニコルの声が聞こえてきたため、思わずミアは振り返った。
いつの間にか彼女は後ろに回り込んでいた。
彼女はアカネの腰あたりをペチペチと叩いている。
彼女の分なのだろうか。一人分の食器と料理が、彼女の近くで浮いている。
「ちょ……詰めてって言うたの、ニコルやないか……」
「いいから。右へ一席ズレる」
「ちぇ……ハナちゃん、ゴメンな。右へズレてや」
アカネは隣に座っていたハナに話しかけた。
「うん、わかった。エリちゃん、右へズレてちょ~だい」
「あ、うん。ごめんね、タっ君。右へズレてほしいの」
「しゃーねぇな……おい、貴様……って俺が最後か」
こうしてアカネから右に座っていた者達は、一席分だけ右へズレた。
「はい、ご苦労さま」
空いた席にニコルは座った。
そして彼女は目の前に料理と食器を置いた。
「さて、ミア。食べながらでいいから、私とお話しましょうか」
フォークでタマネギを口へ放り込みながら、ニコルは話しかけていた。
「誰がアンタなんかと……」
ミアは眉間に皺を寄せながら答えた。
「あら?どうして?」
「地獄突きに、水かけ、バケツ!ここまでするようなヤツと話す事は無い!」
「あら?地獄突きとバケツは認めるけど……水かけって何のことかしら?」
ニコルはとぼけた様子で首を傾げた。
「しらばっくれるな!見ろ!ズブ濡れじゃねぇか!」
フォークを乱暴に器のフチへ置きながら、ミアは叫んだ。
「あら?どこが?」
「どこがって……あ!」
ニコルに言われて、ミアは初めて気づいた。
体や衣類は完全に乾いていた。
濡れていた形跡は一切無い。
「おバカさん。アレは幻惑魔法の一種よ」
「幻惑魔法……ということは、幻だったということか?」
「ええ。リアルだったでしょ?」
その言葉にミアは驚いた。
信じられなかった。
あの感覚、現実としか思えなかった。
「というか、アナタは被害者面してるけど、今までのは全部、制裁だって分かってる?」
「それは……」
ミアは言葉に詰まった。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
実際、大事な情報を隠していたのは本当だ。
包み隠さず、みんなに教えていれば、あんな目に遭わなかったかもしれない。
でも、どうしてもそうしなくてはいけない理由がある。
誰にも言えない理由が。
ミアはニコルから目をそらした。
「ま、アナタは狼だもんね。自分が優位に立ちたい気持ちはわかるわ」
ニコルの言葉に、ミアは心臓が飛び出そうになった。
図星。
彼女は完全に言い当ててしまった。
「でも、そのやり方で、本当に優位に立ったと言えるかしら?」
「え?」
ミアはニコルの方を見た。
「そりゃ、知らない人より知っている人の方が優位なのは当たり前よ。でも、それって本当に勝っているって言える?」
「それは……」
「同じくらい知っている中で、トップに立つ。これが本当に勝っているってことなんじゃないかしら?」
「う……」
ミアは何も言い返せなかった。
その通りだと、ミアは認めるしかなかったからだ。
自分はずっと、その事実から目を背けていた。
自分の心を守るため。
だが、それは間違っていた。
要は、自分のエゴによって友達を騙していたのだから。
その上、そんな事をしても彼らは自分と互角、いや、それ以上の力をつけてしまった。
なんて無様なんだ。
そう思ったミアは、自己嫌悪を感じずにはいられなかった。
「何や!そないな事、考えとったんか!」
気がつくと、アカネがミアとニコルの間に立っていた。
彼女はミアの肩に手を乗せると、顔を近づけた。
「ミアちゃん!ウチら友達やろ?友達に上も下もあらへん!」
「アカネ……でも……」
「デモもテロもゲリラもあらへん!狼だからっちゅー言い訳も効かへん!」
「…………」
「そのかわり、どれほど差がついても、ウチらは絶対見捨てたりせぇへん!」
「……アカネ」
「だからミアちゃん!ウチらの間では実力差なんて考えちゃアカン!」
「……許してくれるのか?」
「許す!ミアちゃんが変われる事を信じとるからや!」
ミアは目頭が熱くなった。
視界が歪む。
ダメだ。泣いたらダメだ。
自分のキャラじゃない。
そう思ったが、涙がどうしても出てしまう。
ミアは嬉しくて仕方がなかった。
こんなに汚れた自分を許してくれる。
そんな彼女の言葉で救われた気分になったから。
「おっしゃ!ウチの胸に飛び込んで来んかい!」
アカネは腕を大きく広げ、受け入れる事をアピールした。
「アカネっ!」
ミアは席を立ち、アカネに抱き着いた。
アカネも腕をミアの背中に回して、抱きしめる。
温かい。
彼女の筋肉質で厚みのある体に包まれて、ミアは安心感を感じた。
さっきまで感じていた自己嫌悪が、バターのようにゆっくり溶けていく。そんな感覚もある。
「ミアちゃん。ウチらはずっと友達やで」
「……ああ」
「……ミアちゃん」
「どうした?」
「やっぱりミアちゃんの胸、でっかいな」
「……バカ」
そう言いながらもミアは笑顔だった。
どのくらい続けていたかは分からない。
とにかく、しばらくの間、ミア達二人は抱きしめ合っていた。
すると、足音が聞こえてきた。
「ハナもした~い」
「わ、私も!」
ハナとエリだった。
ハナはベッタリと、エリは遠慮しがちに抱き着いてきた。
二人が加わり、温かさはさらに増す。
友情。それが良いものだと、ミアは改めて理解した。
守ろう。アカネに言われた事。
それが自分にできる贖罪だ。
ミアは心に誓った。
「おい、山田!」
タクミの声が、少し離れた所から聞こえる。
「俺はその中に入れない。だが、俺も貴様の事は信じているからな!」
彼は少し照れの入った声で叫んだ。
やはり、女子の中に男子が入るのは抵抗があるらしい。
でも、信じてくれているという言葉だけで、ミアは十分嬉しかった。
「ミア、よかったじゃない。友情は大事にしなさいよ」
「……ああ、もちろん」
ニコルに話しかけられ、ミアは答えた。
「さて、みんな。まだ食事の途中でしょ?早く食べてしまいなさい」
ニコルの言葉を受け、みんなは席に戻った。
ミアも席に戻った。
席に戻ったミアは、夢中で料理を食べた。
元から極上だったし、心の迷いが無くなったことで、さらに美味しく感じられた。
あっという間に、料理は四分の一まで減っていた。
「そんなに気に入ったかしら?」
ニコルが話しかけてきた。
「ああ、最高だ。これは何て料理なんだ?」
ミアは訊ねた。
「野菜のラタトゥイユ風よ。ラタトゥイユはファウンスの郷土料理の一つなの」
ニコルは少しだけ微笑みながら答えた。
「さすがは世界三大料理の一つと言われているだけあるな。郷土料理でこの美味さか……」
「まあ、それもあるんだけどね。でもこの味は、私の腕があるからこそよ」
「……凄い腕前だ」
「大したことないわよ。私が単にグルメで、自分が納得できる味を追求してったら、こうなっただけだし」
「いや、これは凄い才能だ。もっと誇った方がいいと思う」
「あら、そう?ありがとね」
ニコルはさっきよりは明確に微笑んだ。
こうして見ると、アカネの言う通り、ニコルは悪い人ではないのかもしれない。
怒った時は過激になるが、普段は優しそうだ。
第一印象のせいで、誤解していたのかもしれない。
「ミアちゃんの言う通りや。これ、ごっつ美味かったで!」
アカネが話に割り込んできた。
手には空っぽになった器を持っている。
「あら、アナタも?ありがとね」
アカネの方を向きながらニコルは感謝の言葉をかける。
「ちゅーわけで、おかわりや」
「残念だけど、これでお終いなの」
「えぇー!たったこれっぽっちかい!」
アカネの言葉に、ミアは料理の量を始めて意識した。
言われてみれば、確かに少ないかもしれない。
しかし、高級料理の知っている身としては、このくらいの量で違和感は感じない。
ましてや、これはファウンス料理だ。高級料理の代名詞とも言える料理に、量を求めるのは間違っているのではないだろうか。
ミアはそう思った。
「悪いわね。誰かさんのせいで、作る量を間違えちゃったの」
「うっ……スンマセン……」
ニコルの言葉に、アカネはたじろいだ。
今の言動に、何か心当たりがあるのだろうかと、ミアは思った。
しかし、あまり気にならないため、それ以上の事は考えなかった。
ミアは残りの料理を平らげる事に集中した。




