02 終わりと始まりは突然に
始業式から、あっという間に二ヶ月以上が経った。
もう六月も半ばである。
今日の天気は雨。それもやや強めの雨だ。
魔術部にはエリ達、女子学生四人だけがいた。
席を環状に並べてお喋り中。
ちなみに席の出所は、部室の半分近くを占拠する机やイスの固まりだ。
「――にしても、バルドゥルがおらんとヒマやなぁ。先輩はともかく」
そう言ってアカネは、欠伸をしながら持ち込んだスナック菓子を口に入れた。
今日は、タクミもバルドゥルも来ていない。
バルドゥルは、部活動を活発化させることに、とても貢献している。
魔法を使ったゲームを提案してきたり、勉強会を開いたり……
そのためか、彼がいないと何をすればいいか、わからない。
「考え方を変えれば、アタシ達がどんだけバルドゥルに頼っているのかってな……」
ミアはパック飲料を一口飲むと、乱暴に机の上に置いた。
彼女の言い方には、苛立ちが感じられた。
バルドゥル無しには自分達がどれだけ無力なのかを感じているのかもしれない。
確かにその通りだ。現状が証明している。
しかし、エリは忘れていない。
去年、つまりハナやバルドゥルが入部する前は、ミアが魔術部を引っ張ってきた事を。
彼女が中心となって活動してくれたおかげで、自分達は魔法を学ぶ事ができた。
だから、彼女がそんな事を言い出すのは、エリには少しつらいものがあった。
まるで自己否定しているように思えたから。
「そう……だよね。もっと私達で考えて動かないと!」
エリは棒付きのアメを舐めながら、そう言う。
アメの味はパイン。さっきまで美味しく感じていたが、今はもう感じない。
舐めてる場合ではない。そう心のどこかで思っているせいかもしれない。
そうだ。そうに違いない。
何とかして、自分達でもできるということを証明しなくてはいけない。
そうしなくては、ミアの心を救うことができないから。
「そうは言ぅてもなぁ、何すればえーか……ハナちゃん、何かあるん?」
アカネはハナに話を振った。
エリ達三人の視線がハナに注がれる。
しかし、ハナは返事ができるような状況ではなかった。
「あぁ……いいよぉ……すごく……あひぇ……」
彼女はアンパンの匂いを嗅ぐのに夢中になっていた。
透明な袋に、表面にたっぷりのゴマが付いたアンパンを入れ、口元を袋の口で覆って。
その様子は違法薬物を吸引しているようであった。
三人はしばらくの間、鼻血を出しながら茫然と見ていた。
別に彼女の様子に、性的な興奮を覚えたわけではない。
その光景が衝撃的過ぎて、鼻血が出てしまったのだ。
人というものは不思議なものである。
「アカン!ハナちゃん!アンパンの吸引なんてアカン!」
「あうぅぅ、返してくださいよぉアカネせんぱぁ~い……」
始めに我に返ったアカネはアンパンを取り上げる。
ハナは半分泣きそうな声を出しながら、取り返そうとする。
「アンパン……吸引……、ああ、確かにマズいな」
何か別のものを想像しているのか、ミアの顔は引きつっている。
だいたい想像できるが、エリはあえて考えないようにした。
ソレはヤンキーみたいな見た目のミアの方が、しっくりくるからだ。
「な、泣かないでハナちゃん!ほら、チョコあげるから……」
エリは手元にあった一口チョコをいくつか掴むと、彼女に差し出した。
「チョコだとッ!バカ、止めろ!そいつもヤバい!」
ミアはエリの手首をガッシリと掴むと、手からチョコを奪い取った。
そしてゴミ箱へ投げる。
全てのチョコはきれいに中へ入っていった。
エリはすぐに、彼女を許すことにした。
彼女が何と勘違いしたのかは、簡単に察することができたからだ。
「か~え~して……アンパンか~え~して……」
「あ、アカン!何ちゅうパワーや……」
一方ハナはアカネからアンパンを取り返そうと、必死になっていた。
アカネはハナよりも背が高く、筋肉質な体格をしていた。
にも関わらず、取り返されそうになっていた。
普段の彼女からは、全く想像できない力である。
恐るべし、食べ物の恨みパワー。
そう思い、エリは唾を飲んだ。
しかし、この騒ぎは次の瞬間、鎮静化した。
「チクショォォォォォ!」
タクミが叫びながら部室に入ってきた。
廊下の窓からガラスをブチ破って。
部室内に飛散するガラス片。その上を彼は右へ左へ転がる。
「チクショォォォォォ!チクショォォォォォ!」
体にガラスがどんどん刺さっていく。しかし彼は一切気にしない。
しばらくして、彼は突然、動きを止めた。
暴れて疲れたのか、ガラス片だらけの痛みのせいかはわからない。
そしてエリ達に背を向けて泣いた。
男は背中で泣くものだという。
しかし全身ガラス片だらけで横たわった姿では、どうも様にならない。
エリ達は固まっていた。
この状況、どうすればいいのか分からない。
せっかく止まった鼻血も、また出てきてしまった。
とりあえず席を立ち、近くへ寄ってみる。
「あー……先輩?どないした?」
アカネは訊ねた。
タクミは答えない。ただ、すすり泣く声が聞こえるだけ。
「せんぱ~い?アンパン食べるぅ?」
ハナは彼の正面に立って、アンパンを差し出しながら訊ねた。
いつの間にか取り返していたらしい。
タクミは奪うように受け取ると、貪るように食べ始めた。
食べながらも彼は泣いていた。
エリ達はその間、ティッシュで鼻血を拭いていた。
紙にあまり血がつかない。思った程出ていなかったようだ。
ゴクリと、タクミの飲み込む派手な音が聞こえた。
食べ終わったらしい。
そして彼は小さくため息をつくと、ようやく口を開いた。
「……終わった。終わっちまったんだ……」
「何や先輩、また留年確定したんか?これで三度目やで」
「違ぇよバカ!『ハイブ』だ!」
「え?」
一瞬で部室の空気が変わった。気温も下がったような気がする。
『ハイブ』。それが『廃部』であって欲しくない。
そう思ったエリは、急に胸が苦しくなった。
周りを見てみる。
他のみんなも表情が険しい。きっと同じ気持ちなのだろう。
ハナ以外は。彼女だけはキョトンとしている。
状況が読めていないのだろうか。
「魔術部は……今日で廃部だ……」
タクミの言葉に、部室内は静まり返った。
外の雨音だけが部室に響く。
それがしばらく続いた後、突然鈍い音が雨音をかき消した。
音を出したのはミア。彼女の膝をついた音だ。
うな垂れ、両腕にも力がない。
無理もない。
この部活動を一番楽しみにしていたのは、彼女だ。
彼女の喪失感を考えると、自分まで苦しくなってくる。
「なん……でやねん!」
アカネはいきなりタクミを蹴り飛ばした。
彼の体は錐もみ状態で宙を舞い、大きく弧を描き、黒板へ衝突した。
美しいバナナシュート。サッカーの試合なら歓声が上がっただろう。
しかしここでは、誰一人歓声を上げる者はいない。
「アカンで!そんな縁起でもない冗談やなんて……怒るで!」
そう言う彼女はすでに怒っていた。
エリには彼女の気持ちが理解できた。
部員全員が部活動を楽しみにしている。
それが廃部と共に打ち切られる。
冗談だとしたら、これ以上悪質なものはない。
彼女のしたことは、やり過ぎではあるが……
そう考えながらエリはふと、さっきまでタクミがいた場所を見た。
丸められた紙が落ちている。
拾い上げ、広げて、読む。
その瞬間、胸が一層苦しくなった。
その紙は、魔術部が正式に廃部となったことを告げる書類だった。
手が、いや全身が震え始める。
「……アカネちゃん、本当みたい……」
声まで震えていた。
エリは力の入らない手で、書類を震えさせながらアカネに渡した。
彼女は受け取って、読み始めた。
エリ程ではないが、すぐに手が震え始めた。
「……ホンマ……かいな」
彼女は顔を強張らせながら呟く。
「……分かってくれたか」
逆さまで黒板に張り付いたままの状態で、タクミは話しかけた。
「俺だって嫌に決まってる。抗議だってした。だがダメだった……」
彼は深くため息をつきながら話し続ける。
彼の表情は悲しそうに見えた。
彼も彼なりに、この部活動を楽しみにしていたのだろう。
だからあんな事をしたのだと思う。
と、突然彼の体が黒板から剥がれ落ちた。
空中で体をきれいにひねり着地。
そして体を震わせ、体中のガラス片を落とす。
深呼吸。吸って……吐く……吸って……吐く……
「貴様ら、これからはどうする気だ?」
彼はエリ達の方を向きながら訊ねた。
声がいつもと同じ具合に戻っている。
気持ちの切り替えが済んだのだろう。
「俺はこれからも自主的に魔術の勉強をするつもりだ。貴様らはどうだ?」
彼のその言葉を聞いて、エリ達は顔を見合わせた。
言葉は無い。目だけで意思疎通を図る。
みんなはどうするのか。エリは理解した。
きっと、みんな同じ気持ちだろう。
頷くタイミングが一緒なのだから。
「アタシもそのつもりさ」
「わ、私も!」
「ウチもや」
「ハナも!」
答えるタイミングも一緒だった。
「なるほど、考えは同じというわけか……」
タクミは腕を組み、眼を閉じ、ゆっくりと頷いた。
「ならば話は簡単だ」
彼は目を開いた。
固く決心した目をしていた。
「魔術部は今後は非公式に、できれば校外で、続けていく。いいな?」
彼の問いにエリ達は頷いた。
ちょうどその時だ、部室の戸が開いた。
「ゴメナサーイ、今来ましたヨ」
バルドゥルがやってきた。
そして部員達を見回すと、少し首を傾げた。
「アー、皆サン?どうしましたカ?」
「留学生、聞け。良い話と悪い話がある。先に悪い話から聞け」
タクミは彼に詰め寄った。
「何ですカ?」
「魔術部は今日で廃部だ。だが俺達はこれからも続けていく。以上だ」
「……ナルホド」
少し端より過ぎている気がするが、一応彼には伝わったらしい。
「ところで質問、いいですカ?」
「何だ?同好会として続けられるかなら、もう聞いてきた。ダメだった。」
「ナイン、どこで続けますカ?部室は無いでしょう?」
「それは……」
タクミはエリ達の方を向いた。
エリ達は首を横に振った。
全く考えていなかった。
確かに廃部になる以上、ここは使えなくなる。
それに、こっそり続けるには校外の方がバレにくくていい。
しかし、そんな場所がどこにあるのだろうか。
「まだ……これから決める。とりあえず校外の方がいいと思うんだが……」
タクミはバルドゥルの方を向き直りながら答える。
「そうですカ。では提案します」
「提案?」
「外国はどうでしょう?例えばナイツ国」
「ちょいちょい待ち!何で部活すんのに外国に行かなアカンねん!」
彼の突拍子もない提案に、アカネは速やかにツッコミを入れる。
「それにナイツったら、飛行機で半日はかかる所じゃねぇか。遠すぎるだろ」
ミアも加わる。
「でもぉ~、いいですよねぇ~。海外留学みたいでぇ~」
ハナは呑気なことを言う。
しかし、その言葉はエリを自分の世界に入らせてしまった。
「海外留学……」
エリの頭の中に、様々な外国のイメージ映像が浮かぶ。
エメリゴ合衆国のネオヨーク市は様々な文化の発信地。
ファウンス国のペリス市は華の都。
ロマリア国のヴァニス市は水と芸術の都。
他にもたくさん思い浮かぶ。
「素敵……」
思わず声が漏れた。
「おい、伊藤!戸塚!現実を見ろ!」
タクミの声でエリは我に返った。
一方、ハナは未だ自分の世界に入ったままのようであった。
しかも、彼女の口から出てくる地名は、リゾート地ばかり。
彼女は留学と旅行の区別ができていないらしい。
「ではナイツに行けるが現実なら、どうですか?」
「え?」
バルドゥルの質問に、エリ達は彼を見た。
本当にナイツへ行ける。そんな事がありえるのだろうか。
「もう隠すはいらないですネ」
彼はそう言うと、どこからか補聴器のような物を取り出した。
そして耳に装着すると、咳払いをして口を開いた。
「皆さん合格です。私の大学へ入学していただきます」
彼は外国の言葉で話し始めた。
彼の出身地を考えればおそらくナイツ語。
学んだことは一度もないはずの言葉。
それなのに、彼が何を話しているかがとてもよく分かった。
しかし、言っている意味は分からない。
まるで自分が学校を所有しているかのような言い方。
本当に所有しているのか。いや、ありえない。
エリは混乱した。
他のみんなを見る。
ハナ以外、混乱している様子だ。
「実は私、こうゆう者なのです」
彼は紙片を取り出すと、みんなに投げ渡した。
念動力の魔法を使っているのか、投げられた紙片はとてもゆっくりと飛ぶ。
そして各々の手前でピタリと止まった。
紙片の正体は名刺だった。
そしてそれにはこう書いてあった。
『私立アーベル魔術大学 校長 バルドゥイーン・アーベル』
「こ、こ、校長!ホンマに?」
「はい、バルドゥイーン校長というのが本当の私です」
今の言葉に、エリは一層混乱した。
彼が大学の校長先生。信じられない。
彼は自分達と同じ年齢のはず。いや、見た目ならもっと幼い。
そもそも大学の校長先生が何故、いっしょに部活動をしていたのか。
「待て、大学に入学とはどういう意味だ」
タクミはバルドゥル改めバルドゥイーンに掴みかかった。
確かにそれも気になるとエリは思った。
「そのままの意味ですよ。今日から皆さんは私の大学の学生です」
「ちょっと待て!勝手に決めるな!」
「おや、大学生になりたくないと?それは困りましたね。もうここまで進んでいるのに……」
バルドゥイーンはそう言って、どこからか三枚の書類を取り出した。
そしてタクミに差し出した。
「何だこれは?」
「私が提出しておいた書類の写しです。じっくりご覧ください」
タクミはバルドゥイーンを放すと、書類を読み始めた。
そして間もなく肩が、そして全身が震え始めた。
「何……じゃこりゃ……」
ついには彼は書類を落としてしまった。
「せ、先輩!どないしたんや?」
「俺……いつの間にか高校退学してた」
「え?」
「いつの間にか大学の入学手続きを済ましてて……何だかわからねぇけど親父から同意もらってた」
タクミは膝を落とした。
彼が何を言っているのか、エリには分からなかった。
ただ、とんでもないことが起きていることだけは分かった。
「皆さんの分もありますよ。はい、どうぞ」
名刺の時と同じようにバルドゥイーンは書類を投げ渡した。
受け取ったエリ達は、それらを読む。
そしてハナを除いてはタクミと同じような反応を示した。
「ミアぁ……エリぃ……ウチ、夢でも見とんかぁ?」
「し、知らねぇよ……」
「退学ぅ……入学ぅ……」
エリはタクミが言っていた事を、やっと理解した。
書類は、高校の退学届、大学への入学届、そして保護者からの同意書であった。
それぞれ署名済み。自分の名前も書いてある。
エリに書いた記憶は無い。みんなもそうのはず。
それなのに受理されたことを意味する判が押されている。
気がつくと、手が震えていた。
「およ?バルドゥルぅ、この手帳はなぁに?」
ハナは謎の手帳をバルドゥイーンに見せて訊ねた。
ここでエリは、書類と共に手帳も投げ渡されたことに気づいた。
手帳の表紙を読む。
『ヤマト国旅券』と書かれている。
『旅券』……ということは……
「ああ、それはパスポートですよ。外国へ行くのですから必須ですね」
「おぉ~!これがパスポート!」
ハナは嬉しそうにパスポートを眺めた。
エリの頭はショート寸前となった。
全く記憶にない申請。それが全て受理されてしまっている。
正体不明の大きな力が、大学へ入学させようとしている。
鼻のあたりが温かい。
触って確かめなくても分かる。
自分はまた、鼻血を出している。
「さて、皆さん。今日は真っ直ぐ帰宅しましょう。ナイツへの出発は明日の朝です」
バルドゥイーンは笑顔で言う。
その笑顔は、エリにトドメを刺すには十分な威力があった。
もう限界。
これ以上、何も考えられない。
エリはその場に座り込んだ。
「集合場所は校庭です。いつもより一時間程早く登校して待っていてください」
彼はそう言うと部室を出て行ってしまった。
エリは他の部員の様子を見回した。
みんな茫然としていた。
ハナ以外。
ハナだけは嬉しそうにしていた。
エリは彼女を羨ましく思いながら、床に横になってしまった。
「なあ、廃部の原因ってアイツのせいとちゃう?」
薄れゆく意識の中、アカネの声が聞こえてきた。
そうかもしれない。
そう思いながら、エリはゆっくり目を閉じた。