19 魔法の杖
「さて、さっそくだけど、杖が何のためにあるかわかってる?」
ニコルはみんなに質問した。
何のためだろう。
魔法を使うためだろうか。
いや、ハナやニコルが杖無しで魔法を使っている、それは違う。
でも、それなら何のためにあるのだろう。
分からない。
エリは考えたが、答えられなかった。
みんなも答える様子は無い。
ミアもだ。まあ、彼女の場合、ニコルが怖くて何も言えないのだろうが。
「あら?全滅?それなら、またミアに答えてもらおうかしら?」
ニコルがミアを指定した瞬間、ミアは小さく悲鳴を上げた。
可哀想。エリは思った。
さっきの様子を見る限り、答えても答えられなくても、お仕置きが待っているだろう。
確かに、術式の知識を隠していたことはショックだった。
きっと彼女は杖の知識も隠しているのだろう。だとしたら、そっちの方でも少しショックだ。
それでも、体罰なんで酷過ぎる。
でも……言えない。
やっぱり自分に矛先が向くのが怖いから。
だから……ごめんなさい。
エリには心の中で、そう呟くことしかできなかった。
「どうしたの?言いなさい。知らないわけがないわよね?」
「は、はいっ……い、今答えますっ!」
ニコルは優しい声で促す。
それが逆に、一層恐ろしさを増しているように思える。
ミアは恐怖で今にも倒れそうだった。
「つ、杖……は、魔法のぞ、増強……お、及び……魔法のし、指向性のこ、向上を……」
「ええ、その通り。ついでに、仕組みも簡単に説明してもらえるかしら?」
「え……杖は、魔力的に……導体で、あ、ある素材を使いっ……芯材、として、魔力をふ、含む物質を……使い……」
「もういいわ。お疲れ様」
ニコルはミアに向かって左手をかざした。
その手に文様が浮かぶ。
「ぷ、プローテっ!」
ミアは咄嗟に杖を取り出すと、盾の魔法を唱えた。
彼女の目の前に半透明の壁が生成される。
この魔法は、相手からの魔法を防ぐための魔法だ。
さっきの授業の成果か、彼女は呪文だけで発動させた。
「甘いわよ」
ニコルは意地悪な笑みを浮かべる。
それと同時にミアの頭部目がけて、何かが落ちてきた。
ガイン。
乾いた金属音と共に、それはミアの頭を直撃。
その後、地面に転がった。
これは、バケツだ。
ブリキでできたのバケツがミアの頭を直撃した。
ミアは両手で頭を抱えてうずくまっている。
これは痛そうだ。
痛そうだが、笑いが込み上げてくる。
まるで、古き良き時代のコントみたいだ。
彼女には悪いと思いながらも、エリは思わず吹き出してしまった。
「いい反応。感動的ね。でも無意味よ」
ニコルは腕組みをしながらミアに話しかけた。
「盾の魔法で防げるのは、魔法だけ。物理的な物には全く効果が無いわ」
ニコルはやれやれと言いたげな仕草をしながら指摘した。
「あ。ちなみに、今のは異次元収納の魔法の応用よ。彼女の頭上に落ちるようにバケツを取り出したの」
「おー、今のは……使えるで」
ニコルの説明を聞いたアカネは、急いでメモをした。
酷い。アカネの反応を見て、エリは思った。
友達が痛い目に遭っているのに、そんなことができるなんて……
他のみんなはどうだろう。
ハナ。バケツが当たったのがツボにはまったらしい。大笑いしている。
タクミ。ミアを慰めている。とても優しい。
自分はどうだろう。
ただ思っているだけ。
いや、吹き出してしまった時点でハナと同レベル。
本当に、ごめんなさい。
エリは自分の反応が恥ずかしくなった。
「さて、みんな。ミアの話は聞いたでしょ?つまり、杖って職人でないと作れない代物なの」
「そっちかいな!」
「あら、アカネ。アナタは何だと思ったの?」
「いや、あって損は無いモンとか、あるに越したことはない、ちゅーか……」
「まあ、その通りよ。でも、そっちを言わなかったのには、ちゃんとした理由があるのよ」
「何や?」
「その前に、みんな!杖を出しなさい!」
ニコルに言われてみんなはその通りにした。
エリも杖を取り出した。
「まずは、ミア。杖を貸しなさい」
ニコルはミアの前に立つと、手を出した。
ミアは黙って差し出した。
「ふぅん、いい仕事してるわね。説明よろしく」
ニコルは受け取った杖を眺めながらミアに説明を求めた。
「ゆ、ユニコーンの角を削り出して作った杖です。お婆様に買ってもらいました」
ミアは緊張した様子で説明した。
「へぇ、ユニコーンだなんて珍しいじゃない。素材としても扱いが難しいのに」
「そ、そうらしいですよね……お婆様は何故これを選んだのか……」
「まあいいわ。はい、返す」
ミアはニコルから杖を受け取った。
「さて、と。問題はこれからね」
ニコルはタクミの前に立った。
タクミは言われる前から二本の杖を差し出した。
「こいつらが俺の相棒だ」
「ふぅん、シンプルな木製の杖ね……」
ニコルは受け取った杖を少しの間眺めた。
そして彼女は真っ直ぐ彼を見た。
「私の記憶が確かなら、これ……『箸』ってヤツでしょ?」
「ああ、正確に言えば菜箸だな」
「どっちでもいいわ。それより、何で台所用品を杖にしてるわけ?」
「二本一組の棒って考えたら、コレしか思いつかなかった」
「……そう」
ニコルは呆れた様子で杖をタクミに返した。
「今度はエリ。アナタのは……」
借りるのが面倒くさくなったのか、彼女はジロジロ見るだけで触ろうともしない。
「ただの木の枝よね?」
「ち、違いますよ!」
「どう違うの?」
「こ、これは近所で有名な心霊スポットで拾った枝です!」
「うわっ!気持ち悪っ!触らなくて正解ね!」
「だ、大丈夫ですよ!今の所、心霊現象とか全然起きていないですし……」
「もう結構!」
ニコルは足早にエリの前を通り過ぎた。
なんだかうんざりとした様子に思えた。
次に彼女はハナの前に立つ。
「ハナのぉ、杖は無いよぉ」
「あっそ、じゃあパス」
ニコルはハナの前を通り過ぎ、アカネの前に立った。
「さて、アカネ。アナタのが一番問題なんだけど……」
「なんでや?」
「何なの……その……フニャっとした棒は」
「ああ、ポリエチレンの棒を布で包んだヤツや」
「ポリ……えっと……アナタの手作りよね?なんでそれで作ろうって思ったの?」
「知らんの?これ『ざっぱ棒』ゆぅて、これで叩くと笑いが取れるんや」
「叩くと笑い?え?」
ニコルは困惑している。
きっと彼女が知っているお笑いの文化に、そういうのは無いのだろう。
「しゃーない。ハナちゃん、ちょっと手伝ってや」
「は~い」
アカネはハナに杖を持たせた。
そしてハナに背を向け、尻を突き出した。
「行っくよ~」
「おっしゃ、来い!」
アカネの声を合図に、ハナは杖でアカネの尻を叩いた。
ポォン
快い音が裏庭に響く。
「わぁ~お!」
アカネは叩かれたのと同時に、おどけた反応をしてみせた。
「……どや?おもろいやろ?」
「えっと……よく分からないわ……」
自信満々に訊ねるアカネ。
一方ニコルはとても困っている様子だ。
「おもんないか……しゃーない。ハナちゃん、アレやるで!」
「アレだね?うん、わかった!」
アカネは、今度はハナの方を向いた。
するとハナは彼女の足のつま先を杖で叩いた。
「つま先止めぇや」
アカネは止めさせる。
するとハナは、今度は彼女の腹を叩いた。
「腹止めっ!」
再びアカネは止めさせる。
するとハナは、今度は彼女のスカートをめくり上げ、股間を叩き始めた。
「股止め、股止め、股止め」
叩かれるたびに、アカネは止めさせる。
しかし、今度はなかなか止めようとしない。
「毛細血管、いっぱい通っとるトコ、股ぁ!」
アカネはガニ股になり、股間を指さした。
ここでようやく、ハナは叩くのを止めた。
しかし、すぐに次の手が待っていた。
ハナは杖を両手で持ち、真っ直ぐにすると、先端をアカネのバストにグリグリと押し付け始めた。
「乳にドリル止めっ」
アカネは杖を持った手を上から押さえて止めさせる。
しかしハナは再びドリルを始めた。
「ドリル止めっ、止めっ、止めっ、止めっ、止めっ、止めっ、止めっ」
ドリルされるたびに、アカネは止めさせた。
しかしハナはしつこくドリルを続ける。
と、ハナはいきなり、足のつま先、腹、股間の順に叩いた。
「つま先っ!腹っ!股っ!」
叩かれるたびに、その場所を言うアカネ。
そしてハナは再び、アカネのバストにドリルを……しそうでしなかった。
「ドリルせんかーいっ!」
アカネは万歳の恰好をして、体を大きく逸らした。
「……どや?」
大仕事を終えたような爽やかな笑顔をアカネはした。
ハナも同じような顔をする。
「あー……うん、まぁ……いい……じゃないかしら……」
ニコルはとても困った様子で返事をした。
やはり、彼女のツボには入らなかったらしい。
正直、エリのツボにも入らなかった。
そもそも、今のはテレビか何かでやってたコントのパクリのような気がした……
「おっしゃ!やったで!」
「やったね、アカネちゃん!」
ハナはアカネに杖を返すと、熱い抱擁を交わした。
なんだか、幸せそうだ。
「えーと……そろそろ本題に戻らせてもらうわよ」
ニコルは頭を片手で抑えながら話を切り出した。
頭痛でもしているのだろうか。
その気持ち、エリには少し分かる気がした。
「とにかく、私が言いたいのは、ミア以外の杖は、杖モドキのガラクタってことよ」
「な、なんだってー!」
エリはアカネとタクミと共に驚き、同じ言葉を発し、同時に杖を落とした。
「そんな……ウチ、作るのにほんまに苦労したんやで……」
「私なんて、怖いのを我慢して拾ってきたのに……」
「俺が100均へ行った時間と払った金!それが無意味だったというのかっ……」
エリ達は落ち込んだ。
『杖は職人でないと作れない』と聞いた時から、エリは嫌な予感はしていた。
それでも自分達が持っている物は、ギリギリで杖だと思いたかった。
しかし、それらは紛い物であると、はっきり断言されてしまった。
とてもショックな話であった。
「まあ、そんな物でちゃんと魔法が出せてたっていうのは、少しは評価に値するけど」
ニコルは慰めるようなことを言った。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
エリはふと、考え直した。
つまり自分達は実質的に杖無しで、魔法を使っていたようなものだ。
その状態で自分達は、ミアに負けないような魔法を使ってきたのだ。
それは凄いことなのかもしれない。
いや、ちょっと待って。
ミアは正式な方法で魔法を使っていたはず。
ということは……
エリはミアの方を見た。
気まずそうに視線をみんなから逸らしている。
彼女のフサフサの尾は、力なく垂れ下がっている。
エリは察した。
自分達の我流の方法が、彼女の正式な方法に勝ってしまっていた。
つまり、今まで互角だと思っていたが、実際には彼女は魔法を扱う力が弱かったということだ。
もしかすると、彼女が隠し事をしていたのは、こういう所に原因があるのかもしれない。
エリは何とも言えない、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「さて、アナタ達の杖が紛い物だって分かってもらったところで、正しい杖について教えてあげるわね」
ニコルはミアの様子を気にすることなく、話を始めた。
みんなは一斉に彼女の方を向いた。
エリは同じように向きながら、みんないい具合に調教されているなと思った。
「さっきミアが言っていたように、杖は魔法を使う上での補助具のような物よ」
ニコルは左手で見えない杖を持っているような仕草をしながら説明した。
「現在、様々な形状があるわけだけど、多くはワンド型かチャーム型かスタッフ型に分類されるわね」
「ワンドとチャームとスタッフでは、どう違うんだ?」
ニコルの話にタクミが質問した。
「ワンド型はミアが持っているような指揮棒みたいな杖の事よ。携行に便利で扱いやすいのが特徴ね」
「なるほど。じゃあ、チャームやスタッフ型というのは?」
タクミは続けて質問する。
「チャーム型は何らかのアクセサリーの形をしているのがほとんどね。他の形状と違って指向性が無いけど、魔力の増幅率は一番高いわ」
「ほう。で、スタッフ型は?」
「スタッフ型は長くて大きな……まあ、武器として使えそうな形の杖よ。実際に武器として使えるくらい頑丈で、近接戦闘で役に立つわ」
「近接戦闘?」
「ええ、例えば懐に潜り込まれて魔法を使う余裕が無い時とか、魔力を節約したい時とかってね」
「……なるほど」
ニコルの話を聞いて、タクミは何かを考え始めた。
何か思うところがあるようだ。
「あ、ちなみに、私の杖ってスタッフ型なのよね」
ニコルはそう言うと、左腕を真横へ伸ばした。
左手を何もない空間にかざす。
すると、かざした所の空間が歪み始めた。
その歪みの中に、彼女は左手を突っ込む。
そして、歪みの中から何かを引っ張り出す。
どうやら、異次元収納の魔法を使っているらしい。
彼女の話からすると、異次元空間に収納していた杖を取り出そうとしているようだ。
杖と思わしき棒状の物が歪みから姿を現した。
徐々にその全貌がはっきりとしてくる。
これは……バットだ。
野球の必需品である、あのバットそのものであった。
ちなみに木製のようだ。
「どう?私の相棒は凶暴よ」
ニコルは自慢げに振り回して見せた。
「いや!バットやん!」
アカネがツッコミを入れた。
彼女がそう思う気持ち、エリにも理解できた。
長くて大きな杖。
そう言われて真っ先に思い浮かべたのは、仙人が持っているような、モヤシやエノキのような形の物。
しかし、ニコルが取り出したのは、単なる鈍器、もしくはスポーツ用品だ。
ものすごく、ギャップを感じる。
「あら、アカネ。これがバットって知ってるの?」
「知っとるわ!ウチ、特定の球団のファンやねんで!」
「嬉しいわ。ナイツじゃ野球はマイナースポーツなのよ。そのせいで、いちいち説明しないといけなくて困ってた所よ」
「んなっ!野球がマイナースポーツってほんまか?」
「ええ。ファウンスだとメジャーなんだけどね……この国じゃ、この一本は結構貴重よ」
そう言ってニコルはバットを掲げた。
よく見ると、彼女のバットは太い部分が全体的にうっすらと赤くなっているように見える。
もしかすると、今までに多くの『敵』を殴り倒してきたのだろうか。
エリはそう考えて、背筋が寒くなった。
「おい!ちょっと待て!それじゃあ、俺達と同じじゃねぇか!」
「あら?どこが?」
タクミの指摘にニコルは不思議そうに訊ねる。
「単なるバットじゃねぇか!俺達の杖とどう違うんだよ!」
「バカねぇ。これはね、ちゃんとした職人に頼んで作ってもらったの」
「なっ……じゃあ、コレは……」
「ええ。バットの形をした本物の杖よ」
ニコルはニヤリと笑って見せた。
「ね~ね~、魔法を使う時はぁ、どうするのぉ?」
ハナがニコルに訊ねた。
言われてみれば気になる。エリは思った。
まさか、千本ノックみたいな使い方をするとでも言うのだろうか。
「え?それはもちろん……こうよ」
そう言ってニコルは構えた。
その構えとは、ライフル銃のような構え。
太い方の先を前に向け、グリップの方を顔の横に添える。
「お~!かっこいい~!」
ハナは興奮した様子でニコルを見た。
「いや……マジか?」
タクミは納得がいかない様子でミアに訊ねた。
「ああ、スタッフ型の場合、アレが正式な構え方だ」
ミアは頷きながら答えた。
「そう……か」
タクミは、ミアが言うなら、とでも言いたそうに納得した様子だった。
「さて、ワンド型とチャーム型とスタッフ型の違いは分かったかしら?」
ニコルはバットを構えるのを止め、肩に担ぎながら訊ねた。
「よく覚えておきなさい。この三種類の違いを理解していれば、どの杖を買うかで困ることは少なくなるはずよ」
エリ達は頷いた。
「よし。それじゃあ、杖の話はここまでにして……」
「あのー……」
ニコルが話を終わらせようとすると、アカネが訊ねようとした。
「あら、どうしたの?」
「実は杖を買うことで相談があるんやけど……」
「何かしら?」
少し申し訳なさそうな様子で訊ねるアカネ。
それに対し、ニコルは何を聞く気かと言いたそうに首を傾げる。
「ウチらでも買えそうな杖ってあるん?昨日3200ユーリの杖を見たんやけど……」
「それはちょっと高級なヤツね。でもしっかりとした杖を買うつもりなら1200ユーリは覚悟しておいた方がいいわよ」
「い!14万4千イェンもかいな?そんな金あらへんって!」
瞬時にイェンに換算できるアカネのことを凄いと思いつつ、エリはその価格に驚いた。
そんなお金があれば、それなりのスペックのゲーム用パソコンを購入できる。
もちろん、今の自分にそんな持ち合わせは無い。
「じゃあバイトでもして稼ぐことね。一応言っておくけど、私は買ってあげないから」
「そんなぁ……ほんなら当分は『ざっぱ棒』を使うしかあらへんのかいな……」
「まあ、そういう事ね。せっかくの機会だし、杖無しで魔法を使う練習でもしたらどうかしら?」
ニコルはそう言うや否や、手を打った。
今の自身の言葉に何か思いついたようだ。
「いいわね、それ。じゃあ午後は杖無しの想像式詠唱法で魔法を使う練習をしてもらうわよ」
彼女は頷きながら話した。
有無を言わせる気は全く無いらしい。
「さて、今何時くらいかしら?」
ニコルは腕時計で時間を確認した。
「うん、お昼近くね。それじゃあ、お昼休憩に入りましょ。ついて来なさい」
ニコルはそう言って移動を始めた。
エリ達も移動を始める。
歩きながらエリは思った。
お昼休憩とはどういう事だろう。
自分達は弁当等を持ってきていない。
もしかして、お昼を用意してくれたのだろうか。
エリは心の中で首を傾げた。




