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12 モテない三銃士

 授業終了を告げるベルが鳴る。

 学生達は退室を開始する。


 やっと終わった。これで謎の三人組に見つめられる恐怖とはおさらばできる。

 そう思ったエリはホッと胸をなで下ろした。

 安心したのか、鼻血もようやく治まった。


 後は彼らから逃げるだけだ。

 エリはそう思い、急いで荷物をまとめ、席を立つ。


 しかし、ここでエリは絶望的な事に気がつく。

 ここの席はとても狭く、左右に誰かが座っていると出られない。

 つまり、囲まれている今、エリは教室を出ることができない。


 三人組は相変わらず、座ってエリを見続けていた。

 動く気配は全くない。


 どうしよう。エリは困った。

 こうなったら退いてもらうよう頼むしかない。

 しかし、頼んだところで、退いてくれるかは分からない。

 もしかしたら、成人向け同人誌みたいなことをされるかもしれない。

 ……エリにとって、それはそれで、満更でもないわけだが。


 しかし、退いてくれるか分からないといって、乱暴な方法で突破する気にエリはなれなかった。

 どんな理由であれ、そんな方法は良くない。相手から恨まれるような事は避けたい。

 そんな思いが心にブレーキをかけるのだ。


 エリはため息をついて思った。

 仕方がない。

 やはり、退いてくれるよう頼むしかない。

 思いつく手段としては、これが一番穏便ではないだろうか、と。


「あのぅ……通りたいんですけど……」

 エリは覚悟を決めて話しかけた。


 話しかけた相手は右隣の青年。

 黒とオレンジの体毛の彼だ。


 彼は答えなかった。

 ただ、ゆっくりと立ち上がった。

 そしてHMDを外した。


 その素顔は茶色の目をした聡明そうな顔だった。

 先に見た彼が今の姿だったら、そこそこハンサムなお兄さんという印象だっただろう。

 そういう点でエリはもったいないと思った。


 それにしても、こうして立ってもらうと彼の全体像が見えてくる。

 エリは改めて彼の姿を観察してみた。


 背はエリより少し高い、エリの目測によると、160cmくらいだ。

 ガッシリとした長いマズルと黒い毛で覆われて垂れた耳が、エリには印象的に見える。

 服装は青のジャンプスーツだ。

 その袖から出ている手は白い毛で覆われている。

 もしかすると黒とオレンジなのは顔だけで、服の下の体毛は全体的に白いのではないか。思わずエリはそう考えてしまう。


 そんな彼はHMDを机に置くと、身を屈め始めた。

 いや、その場に平伏した。

 いったい何をする気なんだろう。エリは心の中で首を傾げる。


「申し訳ございませぬ。さあ、吾輩を踏み越えてください」

「へ?」

 予想外の展開にエリは目が点になった。

 この人はいったい何を言っているのだろう。そう考えながら、エリは再び鼻血を出す。


「何も遠慮はいりませぬ!」

「さあ!どうか、彼の気持ちに答えてくださいませ!」

 突然二人の声が聞こえ、エリは声がした方を向いた。

 声の主は、左隣の人と真後ろの人。

 さっきの彼と同じように、彼らもHMDを外して立っていた。


 そういえば、彼らは仲間だった。

 エリはそう思うと同時に、この二人もついでに観察してみたくなった。

 

 まずは、左隣の彼。

 彼の顔はゴツい。しかし、彼の茶色い目は優しい形をしている。

 顔の体毛の色は全体的に黒で、マズルとそこから眉間にかけての部分だけが白毛。いわゆる『ハチワレ』だ。

 マズルや耳の形はさっきの彼に似ているが、筋肉質で170cmはありそうな体格の持ち主であるという点で異なっている。

 服装は同じく青のジャンプスーツ。違うのはサイズくらいだ。

 その袖から出ている手は白地に黒の斑点と、顔の模様とは異なっている。

 彼も同じように、服の下は手と同じような模様になっているのではないかと、エリは思った。


 続いて、真後ろの彼。 

 彼はHMDを外す前から整った顔をしていた。しかし外してみると、男性的というよりは中性的な顔立ちをしている。

 顔の体毛の色は全体的に白く、茶色なのは耳だけだ。

 マズルや耳の形、そして目の色は他の二人と同じ。しかし彼には大きく異なる点があり、毛の質がモコモコとしていて、140cmくらいと低い背をしている。

 他の二人と同じなのは服装もだ。が、胸元を開けていてオシャレに気を遣っている事が分かる。

 胸元と手は白い。エリはそこから、最初の彼と同じように服の下は全体的に白いのではないかと予想した。


 そんな彼らの目は真剣そのもの。

 つまりそれは、本当に踏んで欲しいという意思の表れである。


 これを受けて、エリは悩んだ。

 いくら本人達の頼みとはいえ、他人を踏むだなんて抵抗があった。

 しかし、そうしないと教室から出られないのもまた事実。


「さあ!どうぞ!」

 平伏した彼も促す。


 そこまで言われたら……

 エリは覚悟を決めるしかなかった。


 なるべく少ない回数で済むように。

 そう思い、エリは大股で彼の背中、いや腰に片足を乗せる。

 床と違い、柔らかい感触がエリの足に伝わる。

 その感覚は不快なもの。

 しかし、ここで止めるわけにはいかなかった。

 もう片方の足で床を蹴り、彼の上に片足で立つ。

 ここまでくると、後は前方の床へ着地するだけとなる。


「おぉぅ……」

 踏まれた彼は、幸せそうな声を漏らす。


 気持ち悪い。

 エリは背筋に悪寒が走った。


 逃げよう。

 そう決心したエリは彼の上で跳び、前方の床へ着地した。

 そして全力で走り、教室を出た。


 出た後も、エリは走り続けた。

 行先は考えていない。

 とにかく教室から離れたかった。


 走りながら、エリは考えた。

 結局彼らは何者だったのだろう。

 とりあえず、話し方からオタクであることだけはわかった。

 自分もオタクだが、彼らはキモいオタク。住む世界が違う。

 もう二度と関わりたくない。


 エリはそれからしばらく、あてもなく走り続けた。

 追いかけられるかもしれない。そう思うと走るのを止めるわけにはいかなかったからだ。

 エリが止まった時には、息が切れて苦しくなっていた。


 息苦しさと疲労感を感じたエリは、ゆっくりと呼吸を整え始めた。

 その間、ポケットからティッシュを取り出し、さっきの鼻血を拭く。

 意外と量は出なかったらしく、ティッシュにあまり血が付いていない。


 ここまで来れば、もう大丈夫だろう。

 そう思ったエリは平常心を取り戻した。

 ところが、歩き始めようとした時、再び背筋に悪寒が走った。


 後ろの方から、誰かが走ってくる足音が聞こえる。

 それも一人ではない。複数の足音。

 まさか……

 エリは耳をすました。


「……ぇー」

「……めー」

 何かを叫んでいる声が聞こえる。

 その声、聞き覚えがあった。


 エリはゆっくりと振り返る。

 その瞬間、また鼻血が出始めた。


 犬の青年三人組。

 さっきの彼らが追いかけてきた。

 エリは逃げ切れてはいなかったのだ。


 エリは慌てて逃げようとした。

 しかし、つまずいて転んでしまった。

 膝を打ってしまい、痛くて立てない。


 いや、それ以前に、激しい眩暈(めまい)がして動けなかった。

 エリには原因がハッキリ分かっていた。

 鼻血を出し過ぎたらしい。

 つまりは、貧血。


 もうダメだ。そう思ったエリは目を固く閉じた。

 このまま彼らに捕まって乱暴されてしまうのだろう。成人向け同人誌みたいに。

 こうなれば、もう、事が終わるまで我慢するしかない。

 エリは覚悟を決めた。


 彼らの足音が床に響く。

 彼らはすぐにエリの周りを取り囲んだ。

 一人、頭のすぐ近くに立っているのが足音で分かる。

 布の擦れる音。しゃがんだような気配。

 三人のうちの誰かの手がエリの肩に触れる。


 いったい彼はここからどんな事をするのだろう。

 エリがそう考えていると、予想だにしなかった言葉が聞こえてきた。


「姫!大丈夫でございますか、姫!」

 声の主は揺さぶりながら訊ねる。


「ひ、姫?」

 耳を疑う言葉に、エリは思わず上半身を起こす。

 すると、さっき踏んだ青年と目が合った。

 揺さぶったのは彼だった。


「ああ!なんて酷い!」

 エリを見た彼は悲痛な声を上げた。

 視線の先はエリの鼻。鼻血の事を言っているらしい。


 もしかして、転んだ時に出たと勘違いしているのでは。

 エリはそう思ったが、そもそも彼が自分を心配する理由が分からなかった。


「どうしたアルマン?姫に何があった?」

 誰かがさっき踏んだ青年の近くへやって来た。

 エリは視線を動かした。白黒の青年だ。


「見てくれ。姫が鼻血を出しておられる。イザーク、何か拭く物を持っていないか?」

 アルマンと呼ばれた青年は、白黒の青年に訊ねた。


「しばし待て。……うむ、拙者が出せるのはハンカチぐらいだ」

 イザークと呼ばれた青年は、ポケットからハンカチを取り出した。


「ふむ。……イザーク、これは清潔な物であろうな?」

 アルマンはすぐには受け取らず、イザークを疑った様子で見た。


「左様。ちゃんと洗濯した物。その上、今日はまだ一度も使ってはおらぬ」

「ふむ。では安心だな」

 アルマンは安心した様子でイザークからハンカチを受け取ろうとした。

 しかし、急にエリの視界に入ってきた誰かに取られてしまった。


「アルマン。ここは私が引き受けましょう」

 そう言うのは、モコモコした青年だ。

 ハンカチは彼の手にある。


「アンリ!貴様っ……」

 アルマンはモコモコした青年を咎めた。

 しかし彼は無視して、エリの前で身をかがめる。


「さあ、姫。私が拭いて差し上げましょう」

 アンリはそう言うと、優しい顔をしてエリの鼻を拭き始めた。


「あり……がとう……」

 エリはよく分からないままアンリに礼を言った。


「おい、アンリ!アルマンから仕事を奪うとは何事だ!」

 イザークも彼を咎める。


「二人共、落ち着いてください」

 アンリは冷静な態度で二人の方を向く。


「私は姫にまだ何もしていません。私だけサボるわけにはいかないのです」

「なるほど。ならば仕方ない」

「おい、イザーク!奴は吾輩から姫を手当てする手柄を奪ったのだぞ!」

「しかしアルマン。奴が何もしていなかったのは事実だ」

「だからといって、一番おいしい役目を与えるなんておかしいではないか!」

「うむ、それもそうか。おい、アンリ!やはりお前のやった事は間違っている!」

「……よし。姫、終わりましたよ」

「あ、どうも……」

 エリが彼らの言い争いを聞いているうちに、手当ては終わった。

 エリはアンリに小さくお辞儀をしながら礼を言った。


「ああ!イザーク!この……バカもの!終わってしまったではないか!」

「いや、拙者は何も……」

 アンリが手当てしたのがそれ程気に入らなかったのだろう。

 今度はアルマンとイザークで言い争いが始まった。


「何を言う!貴様が奴の言い訳なんて聞くから、こんな事になったのではないか!」

「しかし、この場合拙者も被害者。奴の話術に乗せられてしまったわけで――」

「もういい!今度は吾輩がやる!この吾輩が姫を立たせて差し上げるのだ!」

「アルマン。それは拙者の役割では?力仕事なら――」

「黙れイザーク!姫が重いというのか!この無礼者め!」

「…………」

 アルマンにまくし立てられ、イザークはションボリと肩を落とした。

 アルマンはそんな彼を無視し、エリの背後に回る。


「さあ、姫!お立ちください」

 エリはアルマンに背後から抱え起こされた。

 そしてそのまま、ゆっくりと立たされる。


 エリは、彼にされるがままの状態だった。

 それは彼らのやり取りを見ているうちに警戒心が薄れてきたからだ。

 彼らは自分を本当に心配してくれている。そうエリは思った。


「あり……がとう……」

 立ち上がったエリはアルマンの方を向き、お礼を言った。


「もったいないお言葉で……」

 彼は跪きながら、そう言った。

 他の二人は彼の左右に立つと、同じようにする。


 彼らは悪い人達ではない。

 エリはそれを理解した。


 しかし、肝心な事がまだ分かっていない。

 彼らが自分を心配する理由。

 それがまだ分かっていない。


 ただ、それは全くというわけではなかった。

 謎を解く鍵は、自分が『姫』と呼ばれている事。


 彼らにとって自分は姫。

 だから大事にされる。

 そこまでならエリは分かっている。


 問題は、何故自分は姫なのかという事。

 それだけがどうしても分からなかった。


「あの……私が姫っていったい……」

 エリは訊ねてみた。

 すると、それに反応するように三人は立ち上がった。


「失礼。申し遅れました」

 アルマンが口を開く。


「我々はモテない三銃士。誠に勝手ながら、アナタ様を姫とし、仕えさせていただきます」

 アルマン達は深々とお辞儀をした。


「モテない……三銃士?それに姫ってどうして……」

 エリは混乱した。

 彼らの説明はエリを納得させる要素を含んではいなかった。


「はい。我々はモテない運命を背負った義兄弟にございます」

 アルマンは頭を上げた。


「そんな我々ですが、美女であるアナタ様に惚れてしまいました」

 今度はイザークが頭を上げる。


「しかし、フラれるのは確実。ならば、せめて全身全霊で御守りいたそうと考えたのです」

 アンリも頭を上げた。


「び、美女?どのへんが?」

 エリは聞いた。

 エリは自身をブスだとは思っていないが、美人だと思った事もない。

 だから、美女と言われるのは嬉しかったが、反面どこがそうなのか気になった。


「その知的な黒き顔」

 アルマンが答える。


「雲の様なその羊毛」

 イザークが答える。


「そのふくよかな御姿」

 アンリが答える。


「素敵です!」

 三人は同時に言った。


 その言葉を聞いた瞬間、エリの口元は緩んだ。


 姫。

 女の子なら一度は憧れる存在。

 それに今、自分はなった。

 国土も城もないが、三人の家臣がいる。

 話し方は気持ち悪いが、紳士な三人。

 悪くない。


 そう思ったエリは、急に気が大きくなった。


「あー、感謝するわ。あなた達がいて、私は幸せ者ね」

 エリはちょっと気取った話し方をした。


「いえ、こちらこそ感謝いたします」

「姫は自由探究科の学生であられます」

「その姫が、我らが魔道工学部に興味を示してくださるとは……」

「ありがたやぁー」

 三人は一斉に、頭を下げた。


 何故、自分が自由探究科の学生であると知っているのだろう。

 もしかして、講師にサインしてもらう時も見ていたのかもしれない。

 エリはそう思ったが、すぐにどうでもよくなった。


「ところで姫」

 アルマンが話しかける。


「何かしら?」

 エリは答える。


「この後のご予定の方はいかがですかな?」

「予定……」

 エリは思い出してみた。


 この後は……共通講義棟へ移動し、基礎魔法実習の授業に出るつもりだ。

 今まで自分達がしてきたのは、独学に近いもの。

 こういう授業に参加することで、正しい魔法の使い方を知っておいた方がいいだろう。


 そう考えていた。


「一応埋まっているけれど……どうしたのかしら?」

「いえ、それであれば……」

 アルマンは言いづらそうに顔を背ける。


「言ってみなさい」

「……はい、魔道プログラミング演習の授業にご案内しようかと……」

 彼は申し訳なさそうな様子で答えた。


 彼が言う授業は、あまりピンとこない名称だった。

 ただ、『演習』という言葉が使われている以上、魔道プログラミングとやらを実際にやってみるという事だけは分かった。


「演習……私にできるかしら?」

「我々が全力でサポートしたしますので、ご安心を」

「ふぅん……」


 魔道プログラミングがどんなものなのかは分からない。

 しかし、その言葉にはエリの心を動かされるものがあった。

 それに三人のサポートが入るなら、確かに安心かもしれないとエリは思った。


 エリはすぐに予定を変更した。

 このまま彼らと授業を受ける事にする。


「いいわ、案内してちょうだい」

「さ、左様でございますか?」

「ええ、みんなの働きには期待しているわ」

「お任せくださいませ!」

 アルマンはそう言うと、イザークとアンリと共に隊形を作り始めた。

 これは……騎馬戦の騎馬である。


「さあ!お乗りくださいませ!」

 アルマンは笑顔で促す。

 エリは迷う事無く、彼らに乗った。


 自分は姫だ。

 これくらい、してもらって当然。

 それに貧血であまり動けなかったため、都合がいい。

 エリはそう思った。


「さあ!教室へいざ行かん!」

 アルマンの号令と共に、姫と三人の家来は移動を開始した。


 エリが人生の絶頂を感じたのは言うまでもない。

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