01 魔術部の日常
いつもの時間に目覚まし時計が鳴る。
今日は休日。学校は休みだ。
しかし伊藤ハナは部活動に参加する。
だから起きて学校へ行く。
起きた彼女はすぐにパジャマからジャージに着替えた。
紺色をした高校指定のジャージ。入学したばかりで、まだ新しい。
着替え終わると、身だしなみを整えるために姿見鏡の前に立った。
鏡にはモデルみたいなポーズをした兎の少女が映っている。
身長140cm。この前の身体測定によると、そうらしい。
ジャージから出ている手や顔は、ふんわりとした白い体毛に包まれている。
顔は幼く、優しい。寝ても起きても変わらない細い目が、我ながら目を引く。
「あ、遅刻しちゃう」
独り言を言うと、急いで身だしなみを整えて、部屋を出た。
学校へ着くと、真っ直ぐに部室へ向かった。
場所は三階。旧三年五組の教室。
『魔術部』と札の付いた部室の戸の前に立つ。
そして元気よく戸を開けると、四人の学生が各々勉強している姿が見えた。
「お~はよぉ~ぅ、ございぃま~す」
ユルい話し方で、ハナは挨拶をした。
すると三人の女子学生が勉強の手を止めてこちらを見た。
「おう!おはよーさん!」
大柄な虎の少女は元気良く挨拶する。
彼女は金属製のバケツを両足で挟み、片手におたまを持って床に座っていた。
錬金術の練習をしていたらしい。
「お、おはよっ……」
少しぽっちゃりとして眼鏡をかけた羊の少女は、オドオドした様子で挨拶する。
彼女は水でできた球を両手で持っていた。
魔法を制御する練習をしていたのだろうか。
「……うーす」
バストがとても豊満な狼の少女は、面倒くさそうに挨拶する。
彼女の手には指揮棒のような形の杖が握られていて、その先端は羊の少女の方へ向けている。
どうやら彼女と水の球でキャッチボールをしていたらしい。
「…………」
このクラブで唯一の男子であるフェネックは、部室の隅で何も言わずに机に向かって勉強を続けている。
いつものような光景がそこにはあった。
今日はどんな勉強をしようかとハナは考えた。
このクラブでは、魔術関係であれば何をしてもいい事になっている。
だから、みんなやっている事は違う。
そのため、ハナも自分で何をするのか考えなくてはいけなかった。
どうしようか。
考えてみたが思いつかない。
と、そんな時に虎の少女から声をかけられた。
「ハナちゃん!ちょっと来ぃな!」
虎の少女は手招きした。
ハナはそれを受けて、虎の少女の方へとフワフワとした足取りで向かっていった。
「どや?ええ感じやろ?」
虎の少女はバケツの中身を指して言った。
バケツの中では緑色の謎の液体が揺らめいている。
これはいったい何なのだろうか。
分からなかったで聞いてみた。
「今日はぁ何を作ってるんですぅ~?アカネせんぱ~い」
「石鹸や、石鹸。毛艶をよくするんにえーヤツやで」
アカネと呼ばれた少女は緑の目でハナを見ると、ニヤリと笑った。
彼女は首から下は男性的だが、美容の話になると彼女は女性らしい顔をする。
「うわぁ~いいですねぇ~。ハナが使ったらぁモテちゃいますぅ?」
「なるで!」
「おぅ~!」
「でもな、まずはウチが使ってモテモテになるん――」
ニヤケ顔のアカネが言い終わる直前、水の球が彼女に命中した。
バシャリという水音と共にズブ濡れになる。
彼女はポカンとした表情をしていた。
一方でハナは、自分にもかかってないか、体のあちこちを見た。
特に濡れたようには見えない。
ホッと安心した。と同時に、狼の少女がアカネに話しかけてきた。
「悪ぃ、狙いが狂っちまった」
アカネにそう謝る彼女は、何かを投げた姿勢をしていた。
きっと彼女の方に水の球を投げてしまったのだろう。
「あ……アホォ!余計なもんが混じって台無しになったやろが!」
アカネはバケツを指さした。
バケツの中の液体は緑から茶色へと変わっている。
素人目に見ても、失敗となったのは明らかだった。
「失敗したっていいだろ。毛艶がよくなった程度でモテる顔か?」
やれやれと言いたそうな仕草をしながら狼の少女は言う。
「何……やて……」
「モテると思って男を漁りに行ってきたら惨敗。それよりは石鹸作りに失敗した方が言い訳になるだろう?」
「ミアちゃん!今のワザとやな?友達だからって、やっていい事と悪い事ぐらい分かるやろ!」
「ワザとだとしたらどうした?親友が惨めな思いをしないようにって、アタシなりの思いやりさ」
「許さへん……絶対や!」
アカネはゆっくりと立ち上がった。
身長は160cmくらい。決して大きいとは言えないが、筋肉質でたくましい体をしている。
そんな彼女は眉間に深い皺を刻み、肩は上がり、両手の指からは鋭い爪が伸びている。
とても威圧的だ。
一方でミアと呼ばれた少女も同じくらい威圧的に見えた。
青い三白眼で睨み付け、長いマズルには皺が寄り、牙をむき出しにしている。
彼女の細くて、170cmありそうな背の高い体との組み合わせは、アカネとは別方向の怖さがある。
「ふ、二人とも止めて!」
険悪な雰囲気に、羊の少女は間に入って止めようした。
彼女の背丈は150cmくらいと、ハナ程ではないが低い。
背の高い二人の間に立つと、それが際立ち、一層低く見えた。
「止めんといてやエリちゃん。コイツは一線超えたで」
「エリ、引っ込んでな。こういうバカには体で教えなきゃ分からねぇのさ」
「うぅ……」
エリと呼ばれた少女は、ゆっくりと後ずさりして離れた。
完全に雰囲気に負けてしまったらしい。
そんな彼女はハナの元へ近づくと、助けを求めた。
「ね、ねぇ……ハナちゃんも何か言ってよ……」
彼女は今にも泣きそうな声を出した。
眼鏡の奥で茶色の目が怯え、顔の周りの白い羊毛が小さく震えているのが見える。
先輩が助けを求めている。これは助けなくてはいけない。
そう思ったハナは黙って頷くと、素早く二人の間に入った。
こんな時に何を言えばいいか、知っているつもりであった。
両腕をクロスさせてバツ印を作り、そして叫ぶ。
「ファイッ!」
「バカぁー!」
ハナが発したのは戦いの号令であった。
それに対しエリは大声で罵倒する。
ハナには、何故彼女がそんな事を言うのか分からなかった。
二人とも戦う気満々だ。
ならば誰かが号令を掛けるというのが筋だろう。
それに喧嘩を通して、一層仲良くなる事を知っている。
自分が行なった行為に何の問題があるのだろうと不思議に思った。
一方で、アカネとミアの戦いが始まった。
二人は同時に杖を構え、一歩後退し、そして杖を振る。
「エアブルっ!」
二人は同時に杖を向け、空気弾の魔法を唱え、そして放った。
放たれた空気弾は衝突。そのエネルギーが近くのものを吹き飛ばす。
……はずだった。
しかし何も起こらない。
「え、エアブルっ!エアブルっ!エアブルっ!」
二人は再度、空気弾の魔法を放った。
しかし、放たれた空気弾はすぐに消えてしまった。
衝突すらしていない。
魔法を放った時の体勢のまま固まる二人。
その表情は明らかに驚いている。
静寂。
部室に響くのはフェネックの男子が何かを筆記する音だけだ。
二人は杖を下した。戦いは終わった。
「もう!ハナちゃんのっ、バカっ!」
エリは少し涙ぐみながらハナをポカポカと叩いた。
怒っているようなだが、あまり痛くない。
「大丈夫ですよぉ~、危ない時はぁ、ハナがド~ンとぉしちゃいますよぅ」
「そ、そういうことじゃ……」
ハナは両手をミアとアカネの方に向けて魔法を出すふりをした。
するとエリは、ハナの両腕を掴むんで強引に手を下させた。
「ダメだよ!ハナちゃん、力が強すぎるもん!」
「そぉですかぁ?」
「そうだよ!そもそもハナちゃんは人間性が――」
眼鏡のズレを直しながらエリは何か言っているが、ハナは全く聞いていなかった。
ハナの興味は、アカネとミアに向いていたからだ。
「何や……今の?」
「さぁ……」
二人は今の現象に茫然としている。
どちらも何が起こったのか分からないらしい。
「ハナちゃん?今やったんの、ハナちゃんか?」
「違いますよぉ」
アカネが聞いてきたので、ハナは首を横に振りながら答えた。
「違うのか……」
「せやけど、他に誰がこないなことを――」
「いますヨッ、ここに一人ネ!」
突然、部室の戸が開いた。
ハナ達女子学生は自然と戸の方を向く。
「ハーイ、グーテン・モルゲン」
挨拶して入ってきたのは、茶色の兎の少年。
交換留学生のバルドゥルだ。
「私が空気弾を消しましタ。アレの力、ケガします強さですネ。人に向けるはシャードですヨ」
彼は笑顔で注意すると、両腕をクロスさせバツ印を作った。
その両手には、それぞれ一本ずつ杖が握られている。
「あっ!」
アカネとミアは同時に叫び、自分の手を見た。
ハナとエリもつられて彼女達の手を見る。
二人の手から杖はなくなっていた。
みんなは再びバルドゥルを見る。
彼が持っている杖は間違いなく彼女達のものだった。
「アカネ=サン、ミア=サン、魔法を使う、積極的はセア・グーツですネ」
バルドゥルは奪った杖を差し出した。
「しかし、喧嘩はニーヒ・グーツですヨ」
彼はウィンクし、一層笑顔になった。
一方で二人は凍りついた表情で杖を受け取った。
「ぐて~もげ~ん、バルドゥルぅ」
ハナは彼に挨拶、そしてハグをした。
彼からは香水のような匂いがする。とてもいい匂い。
やっぱりバルドゥルは凄い。ハナは思った。
初めて会った時から、彼からは特別な何かを感じていた。
そして今日は、二人の喧嘩をあっさり止めてしまった。
なんてカッコイイのだろう。
「オー、ハナ=サン。今日も元気ですネ」
「バルドゥルもぉ、元気だねぇ。またまたすごい魔法だよねぇ」
ハナはバルドゥルに頬刷りをした。
「ハナ=サン、大丈夫デス。もっと魔法勉強で、できるですヨ」
「やったぁ、ハナ頑張るぅ」
彼から撫でられつつ、そう言われ、ハナは嬉しくなった。
あまりの嬉しさに、彼から離れると、その場で飛び跳ねる。
飛び跳ねるのは、ハナの癖だ。
嬉しくなると、やらずにはいられなくなる。
「さて、皆サンいますネ。今日はゲームしましょう、魔法の」
バルドゥルは部員達を見回しながら提案した。
「タクミ=サン!あなたもデス!」
彼に呼ばれた瞬間、タクミと呼ばれた男子はペンを落とした。
机に叩き付けたと表現した方がいいかもしれない。
とにかく苛立ちのある態度だ。
「留学生……貴様はいつも言うことが唐突だよな……」
彼の声にも苛立ちを感じられる。
「そしていつも俺の勉強を邪魔するよなぁ!」
上半身だけをバルドゥルの方へ向け、彼は吠えた。
眉間やマズルには深い皺。元々吊り上がりぎみの黒い目は、より一層吊り上がっている。
彼は明らかに怒っていた。
「ナイン、これも勉強ですヨ」
バルドゥルはにこやかに答える。
「何度も言うはやめてくだサイ。タクミ=サンは座る勉強十分デス」
「せやで、先輩。そのうち痔になるで」
彼の話にアカネが加わる。
「必要は動く勉強。このままは『アタマデカチ』ですヨ」
彼の言葉でアカネ達は吹き出した。ハナもつられて笑う。
「くくっ、『頭でっかち』だってよ」
「先輩にぴったりやな。ぶふっ」
ミアとアカネは、タクミの方を見ながら笑い続ける。
どうやらすっかり仲直りしたらしい。
「黙れ!」
タクミはキレた。
そしてバルドゥルに飛びかかる勢いで迫った。
「もういっぺん言ってみろ」
タクミはバルドゥルに顔を近づける。
タクミの身長は130cmくらいしかない。それでもバルドゥルよりは20cm程高く、彼を見下ろしている。
「『アタマデカチ』、言ったですヨ」
バルドゥルは笑顔で答える。
「上等だ。俺の実力を見せてやるよ。どんなゲームだ?」
「ドッジボールですヨ。ボールは電気の球で……」
「ちょい待ち!電気って……ウチ、今ズブ濡れなんやけど!」
アカネは慌てて口を挟む。
ハナは思い出した。
彼女はさっき、水の球が当たって全身がズブ濡れになっていた。
このままドッジボールを始めたらどうなるだろう。
想像してみた。
電気の球がアカネを襲う。
彼女は当たるまいと必死で避ける。
しかし彼女はバランスを崩して転倒。そこを狙われる。
球が直撃し、彼女は感電する。
彼女は痙攣し、全身の骨が映し出される。
まるで昔のアニメみたいで面白そうだ。
最近のバラエティ番組よりも面白いかもしれない。
でも、可哀想だ。
やっぱり止めた方がいいと思った。
「オゥ、そうですネ。ではハナ=サン、お願いいいですカ?」
「ほ~い」
ハナは両手で挙手すると、そのままアカネの方へ真っ直ぐ向けた。
濡れたのなら乾かさなくてはいけない。
ドライヤーと同じように、強い風で乾かすつもりであった。
「は、ハナちゃん……優しくな、優しくやで?な?」
「ほい」
返事と共にハナは両手から突風を放った。
バラエティ番組で使う強力な扇風機のような風、それがアカネを直撃する。
彼女は飛ばされまいと思ったのか、ガニ股になって腰を低く落とし、前傾姿勢になった。
風圧により、彼女の顔は面白い事になっている。
ハナはその様子を見て、思わず吹き出しそうになった。
これはこれで面白い。
まるでバラエティ番組を観ているみたいだ。
でも、何時までもそうしているのは可哀想だ。
それに彼女に風を放つのは、彼女を乾かすため。
乾いたならば止めなくてはいけない。
とはいえ、乾くのに何秒かかるのだろう。
今、20秒くらい経った。
後何秒くらい続けようか。
そう考えながら風を放ち続けた。
「どうかな?」
しばらくして、そろそろかと思ったハナは風を止めた。
時間にして、だいたい40秒。
風から解放されたアカネは両手両膝を床につけ、肩で息をした。
「は、ゼヒッ、ハナちゃ、ゼヒッ、アカン、……ゴホッ、無理、ゼヒッ、ゼヒッ……」
「乾きましたぁ?」
ハナはアカネに近づくと、彼女の顔を覗き込んだ。
彼女は返事をする代わりに頭を上下に、小刻みに動かして伝えようとした。
どうやら乾いたらしい。
「大丈夫ですネ?ではチーム分けデス。ハナ=サンとアカネ=サンとミア=サンでAチーム……」
バルドゥルに名前を呼ばれると、ミアはすぐにやってきた。
そしてアカネを抱き起そうとした。
ハナもそれを手伝う。
「おいハナ、何笑ってるんだ?」
抱き起こしながらミアが訊ねてきた。
言われて気づいた、確かに口角が上がっているような感覚がある。
「あ~、楽しいなって」
「楽しい?部活動が?」
「ミア先輩はぁ、楽しくないんですかぁ?」
「いや……そんな事は……ないぞ」
ミアは少しの間、目を伏せた。
そしてハナに微笑んで見せた。
「もちろん楽しいさ。毎日魔術の勉強ができるしな」
「ですよねぇ~」
二人は笑った。
いや、三人で笑った。
アカネも笑っていた。
いつの間にか復活していたらしい。
「せやな。魔術の勉強ってごっつ楽しいで。ウチ、ホンマにここに入って良かったって思ってる」
アカネはそう言いながら、自分の力で立ち上がった。
「ええか?二人共!」
アカネはハナとミアの肩に腕を回した。
「青春は人生で一度きりや!楽しんだ者が勝ち組や!ぎょーさん楽しみや!ええな?」
「ほい!」
「ああ、分かってる。」
アカネの言葉に二人は頷いた。
「ほな、ゲームの準備を――」
「おい、アカネ」
アカネは肩に腕を回すのを止めながら言いかけたが、ミアがそれを遮った。
「んあ?」
「……悪かったな、石鹸。アタシ、取り返しのつかない事を……」
ミアは目を伏せながら、さっきの事について謝った。
罪悪感を感じているのか、泣きそうになっているようにも見える。
ハナは思い出した。
喧嘩の原因はミアがアカネの石鹸作りを台無しにしたからだった。
こうして謝っているということは、反省しているのだろう。
果たしてアカネは彼女の事を許してくれるのだろうか。
心配になったハナはアカネの顔を見た。
彼女は笑っていた。
そしてミアの肩を軽く叩いた。
「もうええねん。元々どっかでミスって固まってくれへんかったからな」
「じゃあ……」
「もちろん許すで!ほれ、仲直りのハイタッチや」
アカネは手を出した。
ミアは申し訳ないと思っていたからか、少し戸惑った。
しかし、涙を拭うとハイタッチした。
これで二人は再び友達になった。
二人の様子を見ていたハナは心の中で得意になった。
やはり自分がした事は間違っていなかった。
喧嘩をした二人は、これでさらに仲良くなっただろう。
確かこれを、『雨が降って、痔が……』……
思い出そうとしたが忘れてしまった。
「もうええな?それじゃ、ゲームに集中しようや。な?」
「そうだな」
「ほ~い」
三人は準備運動を始めた。
こうして今日も、魔術部の一日が過ぎていく。
ハナに限らず、誰もがそうだろうと思っていただろう。
しかし、そうではなかった。
まさかあんな事になろうとは、この時のハナには知る由もなかったのであった。