第6話 「魔女」
前回からの続き。元の世界に帰れないと知った奏多。アスカについていこうとするが――?
追記:誤字を訂正しました。
「駄目よ」
奏多の決意は虚しく、アスカはキッパリと否定した。
「確かにこうなってしまったのは私の責任でもある。それについてはいくらでも謝るわ。でもね、ついてくることは、許さない」
「なっ……」
先ほどの雰囲気とは違い、冷たい空気が流れる。何か言い返そうとした奏多だったが、アスカの鋭い眼差しが奏多の言葉を遮った。それに――と、アスカが続ける。
「簡単に故郷が捨てられると思っているの? 旅にはもちろん危険が伴うわ……。一歩間違えれば死ぬことだってある。あなたは……奏多は、自分がいた世界に未練はないの?」
アスカのその言葉には悲しみや怒りなど複雑な感情が込められていたが、その意図に奏多が気づくことはなかった。何も言わない奏多に対し、アスカは哀れむような視線を彼に送る。「はぁ……」と彼女はため息をこぼすと、再び口を開いた。
「まぁ、私は帰れる確率がほぼ無いと言っただけであって、必ずしも奏多が帰れないと決まったわけじゃないしね」
「……どういうことだ?」
「言ったでしょ、ここは魔女が住む森だって」
アスカは話しながら奏多の方へ歩み寄り、顔を近づけた。突然の彼女の行動に、奏多の鼓動が早くなる。勿論、後ろに下がることもできただろうが、アスカの強い眼差しから目が離せず、彼はその場を動かなかった。
アスカは奏多に顔を近づけたまま、右手の人差し指で彼の胸をつつくと、
「今から会いに行くのよ、その魔女様に。あの人なら、奏多を元の世界に帰せるかもしれない」
◇
日が傾き、夕陽が地平線の彼方に沈もうとしている。昼間は太陽の光で多少は明るかった森も、今は暗く湿った空気が辺りに漂う。街灯などの光源は一切なく、数メートル先の景色は暗闇しかない。
そんな暗い森の中を、明かりを点けていないにも関わらず、迷うことなく前進するアスカ。彼女の少し後ろを、奏多は見失わない程度についていく。地図もないのに何故方向が分かるのだろうかと不思議に思う奏多。ここに来るまでに、何度も旅の同行を要求したが、アスカは一向に許可する様子を見せなかった。
「アスカ、この道で本当にあってるのか?」
心配そうに奏多はアスカに尋ねた。
道、と言ってもコンクリートなどで整備された道などなく、目印もない草むらの中をただひたすら歩いている。本当は二人とも迷っていて、闇雲に歩きまわっているだけではないかと奏多は疑い始めていた。
「大丈夫だって。 えーと、そろそろのはずなんだけどなぁ」
「そろそろって……」
(さっきから同じようなところをグルグル歩き回っているだけじゃ……)
完全に真っ暗になってしまった森をぐるりと見廻す。すると、街灯もない暗い森の中に、小さな光が見えたのを奏多は見落とさなかった。
「なぁ、アスカ、あれなんだ?」
「ん~?」
奏多が指をさした方向を目で追うアスカ。視線を凝らした先に見えたのは、奏多が見つけた微かな光。
「あぁ! あれよ、あれあれ! よく見つけたわね、奏多」
どうやら奏多が見つけた光こそ、アスカが探し回っていたものらしかった。
アスカは光の方へ足を進める。奏多もそれに続いた。近づくごとに光は徐々に大きくなっていく。奏多たちが目の前まで来ると、はっきりとその姿を捉えることができた。
光は宙に浮いており、光の先は奏多たちがいる森とは別の場所に繋がっているようだ。
アスカは迷いなく光の中へと入っていく。
アスカの姿が見えなくなり、一人取り残される奏多。入った瞬間に自分の身体がバラバラになりやしないかと一瞬躊躇うが、意を決し、光の中へと足を踏み入れた。
ふわふわと浮遊感のある空間を歩いていく。だが、それもほんの数秒のこと。
次に奏多が立っていたのは、暗い森とは別の――満天の星が輝く空の下、西洋風の古い小さな家の前だった。
奏多は今通ってきた光の方を振り返った。が、そこには何もなく、周りは何処までも続く広い花畑のようだ。
今は暗くてよく見えないが、昼間に見れば、そこは絵に描いたような美しい光景になるだろう。そんな想像をする奏多に、先に到着していたアスカが、家の扉の前から声をかける。
「何してるのー? 早くこっちに来なさいよー」
奏多を急かすアスカの声が聞こえると、奏多は彼女のもとへ駆け寄った。
目の前の家は周りが蔦で覆われており、あまり手入れされていないのか屋根の上の煙突の方まで伸びきっている。扉は木でできていて、ところどころ不思議な模様が彫られていた。ドアノブはレバー式ではなく回して開けるタイプで、扉の上にはアンティーク風のガラスランプがついている。扉横の窓を見ると、明かりがついていることから、家の住人は起きているようだ。扉横には呼び鈴がついており、そこから紐がぶら下がっていた。
アスカは呼び鈴についていた紐を引く。
チリンと可愛らしい音が鳴った後、家の中から足音が聞こえた。ドアの金具が軋む音と共に扉が開くと――。
目の前には全身が黒いローブで包まれた、銀髪の女が立っていた。
「こんばんは」
アスカは、にこやかに家の住人に挨拶する。その隣で奏多は銀髪の女を観察した。
頭には黒いトンガリ帽子を被っていて全身も黒いローブの女は、まさに世の中の人が、少なくとも奏多がいた世界の人たちが想像する魔女の見本と言っていいだろう。
膝下まであるローブの隙間からは、黒いブーツを履いているのが分かる。髪は銀髪のセミロングで、目は海のように深い青色。左目には泣きぼくろと小さなハートのタトゥーが施されていて、右耳にはハート型のピアスをしている。
魔女と聞いた時から年老いたイメージを持っていた奏多だが、そんなことはなく、見た目は奏多やアスカと同じか、少し年上といったところ。首からエメラルド色に輝くネックレスをしていた。
奏多はアスカと銀髪の女――魔女の胸辺りを交互に見やる。
(あっ、アスカの方が負けてる)
何がとまでは言わない奏多。
「アスカちゃん久っしぶり~! 元気にしてた?」
アスカの突然の来訪にも関わらず、上機嫌な魔女。
「お久しぶりです。とりあえず元気にはしてましたよ。今日は報告がてら、ちょっとしたお願いをしに来ました」
「嬉しいなぁ! 最近だ~れも遊びに来ないからさ~。ボク、暇してたんだよ~! まあ、中に入ってくつろいでってよ」
ボクっ娘の魔女を相手に敬語を使うアスカ。そんな彼女に対し、ボクっ娘魔女の方は軽い口調で接する。
「お邪魔します」と言いながら家の中へと招かれるアスカと奏多。家の中は綺麗に片付いていた。
右奥の本棚にはびっしりと本が詰まっており、左奥には、何かを煮詰めている途中の大きな鍋と戸棚、正面奥には、キッチンらしき場所もある。部屋の中央に位置するテーブルには椅子が四脚あり、二脚ずつ分かれて置かれていた。
ボクっ娘魔女が、部屋の奥側に置いてある椅子に座ると、アスカは向かってその正面の椅子に腰を下ろす。奏多も今まで背負っていたリュックを床に置き、アスカの隣に座った。
「それで、そちらの素敵な男性は? アスカちゃんの彼氏?」
ボクっ娘魔女の興味が奏多の方へと移った。素敵な男性、と言われ照れる奏多。生まれて初めての褒め言葉に胸が躍る。
「なっ、ちが」
御世辞と分かりつつも、否定しようとする奏多だったが、
「そんなダサい変な服着ている奴が彼氏な訳ないじゃないですか。こっちの世界へ移動するときに、間違って一緒にゲートに入っちゃったんですよ」
アスカにジャージごと否定される。気のせいだろうか、馬鹿にされた気がする奏多。
「……へぇ」
商品を品定めするように、ボクっ娘魔女は奏多をジロジロと見る。
「君、名前は?」
ボクっ娘魔女に名前を聞かれ、本日二度目の自己紹介をする奏多。
「奏多、日向奏多、です」
「……それ、本当の名前?」
「……? なんで嘘つく必要があるんだよ?」
「……ぷっ」
魔女は吹き出すと「アハハハハッ!!」と大声を挙げながら笑い始める。今のやり取りの中で何が面白かったのだろうか。奏多は首をかしげた。
「あー、おっかしい。なるほど、巻き添えくらって一緒に来たのは本当らしいね。じゃなきゃ、こんなに無防備じゃないもん」
(無防備?)
確かに、奏多は何の準備もしないままジャージ姿で異界に飛ばされてきてしまった。しかし、会話の中で名前を聞かれただけである。どこに無防備と言わしめる要素があったのだろうか。
「きちんとした旅の同行者なら、アスカちゃんが旅のルールを教えてる筈だしね。」
「それで、この奏多のことで相談があって……」
不審に思いつつ何も言わない奏多を余所に、アスカは魔女に尋ねた。
「彼……奏多を元の世界に返すことって可能ですか?」
「俺は帰らねぇぞ! 意地でもアスカについて行ってやる!」
「そうなる前に、私は奏多の前から姿をくらますわよ」
元の世界に帰りたがらずについていくと言っている奏多に対し、アスカは冷たく突き放す。
ボクっ魔女はもう一度奏多を見やると、困った表情を浮かべながらアスカに語りかけた。
「あぁ……期待を裏切るようでアスカちゃんには申し訳ないけど、奏多くんが元の世界に帰るのはちょーっと難しいかなぁ」
魔女は両手を組みつつ、テーブルに両肘を立てて寄りかかる。
「彼が魔力持ちならもう少し簡単になるんだけど、魔力の欠片もないとすると……」
「じゃあ、こいつが帰る方法は無いんですか!?」
「マジッすか!?」
ボクっ娘魔女でも奏多を元の世界に帰せない。それが分かると、奏多とアスカはそれぞれテンションの差があるリアクションを見せた。
「限りなーく0に近い可能性なんだけど……ぶっちゃけると、もうこれしかないんだけど」
と、ボクっ娘魔女が一つの可能性を提示する。
「奏多くん自身が異界を巡って自分が元いた世界に帰るっていう可能性に賭けるしか……」
それは、奏多自身が異界を巡って旅をすること。無限にある異界の中から彼が住んでいた地球という惑星の、日本という国に当たるまで旅をする他にないということ。結果的に、奏多自身が旅をしないと元の世界に帰れないのは変わりようのない事実だった。
「「ってことは――」」
二人の声が揃う。
「まぁ、魔力持ってない奏多くん一人じゃ危ないし、何より異界を旅する上でのルールも知らないし……。こうなった原因も、元はと言えばアスカちゃんが彼の目の前でゲートを開いちゃったからじゃない? それって規則違反でしょ?」
「――っ! でも、ゲートに飛び込んできたのは彼の方ですよ!? それに、私じゃなくてもっと別の、他の誰かに頼めばいい話じゃ――」
「じゃあ、ここはボクの顔に免じて、ねっ?」
――つまりこの流れは……。二人のやり取りを見守っていた奏多。
アスカとの話し合いが終わった魔女は、奏多の方を向くと、
「君をアスカの旅の同行者として認める。ボクが許可するよ」
にっこりとした笑みを奏多に向け、アスカとの旅の同行を許した魔女。
奏多は嬉しそうな表情で、アスカは嫌そうな表情で、
「いよっしゃあぁぁ!!」
「いやああああぁぁぁぁ!!」
前者からは喜びの雄叫びが、後者からはこの世の終わりが訪れたのかと勘違いしそうな叫びが、それぞれ重なって聞こえた。
「アハハッ、君たち面白いね! 見てて飽きないや」
二人の全く異なった反応を交互に見ながら、魔女はいたずらな笑みを浮かべていた。
ここまで読んでくださっている方、ありがとうございます。登場人物が増えると賑やかになって楽しい反面、会話が増える一方です。
次の話も早く投稿できるように頑張ります。