第27話 「It’s show time」
お待たせしました27話。アスカ視点と奏多視点両方あります。
◇
急遽ジェラルドに呼びだされたシュバインは、彼に連れられてショーテントの方へとやってきていた。
観客がいなくなったショーテントは無駄に広く感じられ、二人の人間の足音が反響する。
周りの観客席にはゴミ一つ落ちておらず、ステージ上も小道具が綺麗にまとめられていた。シュバインの指示通りに団員たちが片づけてくれたのだろう。
しかし、ジェラルドは重大な欠陥があると言ってシュバインを呼びたしたはずだが、肝心の物は見当たらない。
「それで? 重大な欠陥と言うのは何処にあるんだ?」
「……」
疑問に思ったシュバインはステージ中央に着いたあたりでジェラルドに声をかけた。
が、シュバインからの返事は無い。
「どうした黙りおって。何か言ったらどうだ?」
「――重大な欠陥と言うのはあなたですよ、団長」
「何だと?」
そしてジェラルドは足を止め、今まで背を向けていたシュバインの方を振り向くと急に涙目で懇願し始めた。
「もう止めにしませんかこんな事! あなたは間違っている!」
「……」
懇願してくるジェラルドに対し無反応のシュバイン。その顔には戸惑いも何の感情も持たないまま目の前のジェラルドの顔を見つめている。
何の反応も示さないままのシュバインだがジェラルドは構わず懇願し続けた。
「僕は知っています! あなたが異界の規則を破ってハンターとして特有動物の売買に手を染めていることも! おそらく辞めてしまった副団長とも何かあったということも!」
「……」
「今まであなたの悪事を黙って見ていましたが、もう我慢の限界です。このままでは他の団員たちも巻きこみかねない……!! だからお願いです! こんなこと止めて僕と一緒に――、」
「お前は誰だ?」
シュバインは目の前で話しているジェラルドに対して唐突に問いかける。シルクハットの下の目は昼間のサーカスショーで見せたような笑顔とは違い、鋭い光を放っていた。
「何を言っているんですか団長? 僕は僕ですよ! ジェラルド以外の何者でもない!」
「いや、お前はジェラルドなどではない」
シュバインの唐突な問いに対し否定するジェラルドだが、シュバインは確実に確信をもって断言する。
「私が悪事を働いている? 確かにその通りだ。勿論、ジェラルドはおろか他の団員たちも薄々気づいているだろう、なぁ?」
黒い笑みを浮かべながらジェラルドに――否、ジェラルドではない目の前にいる人物に対して問いかけている。
「……何が、言いたいんですか?」
「彼らは言いたくても言えないのだよ。互いを犠牲にできないからな」
「……そういうことね」
雰囲気が普段の爽やかなジェラルドのものでなくなり、一瞬にして声のトーンが女性らしいものへと変わる。
演技だった涙をふき取り、すぐに真顔に戻った。
――次の瞬間、ジェラルドの身体が発光しながら徐々に姿を変え始め、やがて女の姿へと変わった。
「あーあ、疲れた」
女は変身魔法を解くとほぐすように首をグルグル回した。
一方で、ジェラルドだった女に対してシュバインは称賛を送るように軽く拍手する。
「これはこれは、昼間のお嬢さんではありませんか。見事な変身魔法で!」
「覚えていてくださってどうも」
ジェラルドだった人物――アスカは軽く挨拶を返した。
アスカは焦る様子もなければ動揺する仕草も見せず、平然とシュバインと対峙している。
シュバインも驚きはしたものの、これといった反応もないままアスカと話をしている。まるで事前にこうなることを予測していたかのようだ。
「昼間といいショーの最中といい、貴女だけが私に対する目つきが違いましたからねぇ……嫌でも目に留まりますよ? 旅人さん?」
「分かっていらっしゃいましたか。元旅人の勘ってやつですか? ねぇ団長さん……いえ、"ハンターさん"?」
わざと敬語で話すアスカの言葉にシュバインピクリと片方の眉を顰める。どうやら図星の様だ。
それでも心の内を悟られぬようシュバインは平静な態度を装おうとする。
「ほぉ! やはりお気づきでしたか! 貴女に正体をばらされる前にこの国を立ち去りたかったのですが、こんなにも早く接触してくるとは思いもしませんでしたよ!」
「すぐにこの国を発ってしまうと聞いていましたから。とんずらされる前に終わらせようと思いまして」
「……そのことを話したのは一体誰ですかな? お仕置きをしなければいけませんなぁ」
「嫌です。人の優しさに付け込んで悪事を働くような人に教えたくありません」
「ふんっ、優しさか」
シュバインはあざ笑うかのように鼻を鳴らすと、賤しい笑みを浮かべながら自慢するかのように話し始める。
「彼や他の団員たちは本当に心優しい者たちばかりだよ。互いが互いを思いやっている……そしていい駒ばかりだ。私はその優しさを利用させてもらったがね」
「――へぇ」
興味なさそうに気だるげな相槌を打つアスカ。
目の前にある悪意の塊に対し、軽蔑と侮蔑の目を向けると、
「秘密を洩らせば団員を一人ずつ殺すと?」
「そうとも! 皆身寄りもない者たちばかりで長年家族のように共に過ごしてきた! 殺すと脅せば、たちまち誰も何も言えなくなる!」
「恐怖政治もいいところね」
呆れたと言わんばかりにアスカはため息をつく。
ジェラルドと話した時の彼の必死な様子や会話からある程度予想はできていた。
家族も同然の存在である団員たち。互いが思いやり互いが庇い合い、今日まで怯えながら過ごしてきた。
しかし、誰一人として逃げなかった。
それは彼らの優しさ、弱さ……全てが重なり合った結果なのだろう。
「皆私に拾われた身で、私に対する恩義もある! 彼らには他に行くあてもない! 他へ行ったところで私のやっていることなど話せやしないんだ! だったらここで何も見なかったことにして、仮面をかぶって楽しいサーカス生活を続けていた方がいいとは思わないか?」
「ちっとも思わないわね。むしろ鎖に繋がれたまま自由にできない動物みたいで可哀想。まるでサーカスの動物たちと同じね」
ジェラルドや他の団員たちの顔を浮かべながらアスカは言った。
ショーの最中の輝かしい彼ら。しかし、裏では苦しみを抱えてどうにもできないともがく彼ら。
『――鳥はいつだって自由でいいわね……だって自分の翼一つであの広い空を優雅に飛ぶことができるんだもの――』
そんな彼らの顔がアスカの記憶の中で誰かと重なる。
『――私がいた世界ではね、”飛”ぶ”鳥”と書いて「あすか」って言うの――』
心の奥に眠る小さな光。
『――大丈夫、私は大丈夫よ。だから……――』
忘れたくても忘れられないあの世界での苦しく辛い記憶。苦悩の日々――――。
「誰が可哀想だって?」
シュバインの発言に我に返るアスカ。
「……あなたを信じてついてきたサーカスの団員たちよ」
そう言って目の前のこと以外を忘れる様に軽く頭を振り、シュバインの方に向き直った。
「誰かがあなたを止めてあげればこんなこと、しなくてよかったのにね……」
「ふんっ、初めの頃ならまだ止められたかもしれないな。だがもう遅い! 来るべきところまできたんだ! 誰かが言い出せば誰かが犠牲になる!」
「それで副団長さんが犠牲になったと……異界へ飛ばした? それとも殺した?」
「両方だな。殺したうえで証拠が残らないように、死体を異界へ飛ばしてやったよ!」
意気揚々と話をするシュバインは、演技を交えながら語り始めた。
「それはそれは傑作だったなぁ。奴が私のやっていることを知った時、奴は怒った! 当然だよなぁ? 信頼してたやつが悪事に手を染めているなんて思いもよらない! それに異界のルールを破っている以上、家族同然である団員たちにも被害が及びかねない……」
「それで副団長さんはあなたを訴えると?」
「あいつは私を自警団に突きだそうとした! 後は自分がサーカス団を率いるから、と。とんでもない! これは私のサーカス団だ!」
「とか何とか言ってさぁ、特有動物の売買をするのにいい隠れ蓑にしているだけじゃない」
「うるさいっ! 飯が食えていけるのは、こうやってサーカス団を続けていけるのは!! 誰のおかげだと思っている!! 他でもない、私のおかげなんだぞ!!!!」
アスカに正論を言われ、半ば激昂するシュバインは一方的すぎる自論を述べる。
「……あーあ、駄目ね。できれば話し合いで解決したかったけど、話が通じる相手でもないみたい」
これ以上は無駄だと感じたアスカは説得を諦め、残念そうに肩を落とす。
「それでペラペラとそちらさんの事情を話してもらったからには、私を生きて返さないと言うほどの実力がおありで?」
「お嬢さんは本当に察しがよろしい。惜しい人材ですな。どうです? 我がバイエルサーカス団に」
「ハッ、冗談! 誰がアンタなんかの下に就くもんですか!」
「そうですかそうですか。それは非常に残念だ」
口調は穏やかだが、明らかに不機嫌な様子のシュバイン。
その様子を見たアスカはもうひと押しと、
「言っておくけどあんたと同じような奴は何回も見てきて、何ッ回も同じような勧誘セリフ聞かされて! その度に断ってきたのよ! 何? 敵を勧誘するの流行ってるの? そういうのはねぇ、強い奴が言うセリフよ。もっとも、強い奴はこんな真似しないで自然と強い奴の元に人が集まるものだけどね」
ビシビシと厳しく批判するアスカはシュバインを指差しながら続けざまに彼を批難する。
「だ・か・ら、あなたはそのセリフを言っている時点で弱いのよ」
「なっ!!」
「それに、私は自分より強い人にしか付いていかない主義なの。さらに付け加えると――」
言葉を溜めながらシュバインの方を見つめる。
そして、アスカは彼の丸々と太った外見を凝視しながら――、
「女を勧誘するにはもうちょっと身なりを整えてから口説きな、豚野郎!!」
普段のアスカからは想像できない口ぶりだが、これも作戦の内と本音混じりの挑発をかます。
「~~っ!! どこまでも癪に障る小娘だ!!」
顔を真っ赤にしながらシュバインは興奮したイノシシのようで、今にも突進してきそうな勢いでアスカを睨み付けた。
「どうせもう一人の小僧もどこかに隠れているんだろう!! 早くお前を始末して、そいつを探しださねばならん!!」
「あ、バレてた。でも残念、奏多の元へは行かせないわよ。その前にあんたは捕まるの」
話の区切りと共に、アスカは何も持っていなかった両手に異次元空間から瞬時に鉄扇を出現させる。
鈍く光る鉄の輝きをシュバインに向けると、場の空気が一気に凍りついたかのように感じられた。
シュバインもアスカの様子から悟ったのか、同じように何もなかった空間から一本のステッキを取り出すと身構える。
「しばらくここで二人きりのサーカスショーといきましょう?」
――――It’s show time。
◇
「日記……」
シュバインの日記と思しきものを見つけた奏多は、手書きで記された名前をしばらく見つめると、
「いや、これは重要な証拠となりえる! 読むしかないっしょ!」
そう言って目を輝かせた。
日記というのはその人が過ごしてきた日々の事柄が綴られている、云わば秘密の塊。
奏多はシュバインのどんな赤裸々なことが書いてあるのかと楽しくてたまらないのである。
「どれどれ……日付はっと」
とりあえず適当なページを開いてみる。
『旅に出て2079日目。 今日も相棒と共に旅をした』
「なんだぁ? 日付じゃなくて旅に出てからの日数で書いてんのか。とにかく端の方から攻めていきゃ順番も分かんだろ」
奏多は最初のページに戻り、1日目から読み始めた。
肝心の日記の中身だが、内容は勿論シュバインの若かりし頃から今現在に至るまでの事まで書き連ねている。そこで、目についた重要そうな部分だけ割愛して読み進めることにした。
『旅に出て1日目。
やった! これで俺も立派な旅人だ! これから毎日が冒険だ! 魔女様は俺に旅人は向かないなんて言っていたけど知るか。俺はビッグな男になってやるぜ!』
「最初はあいつも純粋に旅するのを楽しもうとしたんだな」
日記の文章の若々しさから旅人になったのは二十代といったところか。
何で旅人になったのかは分からないが、初めの頃は夢と期待を胸に抱いて旅人への一歩を踏み出したのだろう。
奏多もつい最近、旅人になったばかりで同じような気持ちを抱いていた。それを考えると若かりし頃のシュバインに親近感が湧く。
その後しばらくは、『食べ物がうまかった』や『珍しいものを見た』などこれと言って変わった内容のものが書かれていないまま52日目に突入した。
『旅に出て52日目。
初めて異界の問題と対峙。内容は異界から紛れ込んだ物を探すことだった。俺にかかればこんなの楽勝だ。ただ一つ、気に食わなかったのは魔女や村人に礼の一つも貰わなかったことだ。ふざけやがって。俺は慈善家じゃねぇ。礼の一つくらい貰いたいもんだ』
『旅に出て513日目。
ふざけるな! 異界の問題を解決してやったのに、国の奴らはケチつけてきやがった! こっちも好きでやってるんじゃねぇ!! 本当ならいちいち異界の問題なんか構っていられるもんか』
「なんだ? 何かいざこざがあったのか」
『旅に出て804日目。
今日は嬉しい出来事が起きた! なんと俺に仲間ができた! ずっと欲しかった旅の仲間! 名前はレイモンド。気さくでとてもいい奴だ! あいつとならどんな困難にでも立ち向かえそうだぜ! 二人でバディ結成後、エールを飲みすぎて吐いちまったけどな。ハハッ』
『旅に出て1236日目。 今日も相棒と共に旅をした。
レイモンドとバディを組んで一年が過ぎた。早いもんだ。今じゃお互いに相棒って呼ぶ仲だ。たまに異界の問題に関して揉めることがあるが、何とかうまくやれている。このまま二人でのんびり旅をするのも悪くない』
『旅に出て2079日目。 今日も相棒と共に旅をした。
俺たちはこの前初めてサーカス団を観た。初めは馬鹿にしていたがあれが忘れられねぇ……あんな楽しいもん初めて観た! あんなに観客を楽しませられるのか! 旅人なんて楽しませるどころか時に悲しくさせしまうこともあるのに……そういやレイモンドもサーカス団を気に入ったようだ。二人でサーカス団でも作ってくか? なーんてな!』
『旅に出て2126日目。 今日も相棒と共に旅をした。
おいおいウソだろ!? 聞いて驚け!昨日の俺! 俺たちゃ無理言ってサーカス団に弟子入りしたんだぜ! これからは旅人辞めて、楽しいサーカスをやっていくんだ! それでいつか、独立して自分たちだけのサーカス団を作っていくんだ!』
「ここで旅人辞めてサーカス団に入団したのか。結構思い切った決断したなぁ」
今まで働いていた職場を辞めて新しい職業を始めるようなものである。
築き上げてきたものを壊してまた1から別の物を組み立てていくのは相当苦労しただろう。旅人を辞めてサーカス団因になってからの悩み日記に記されている。
そしてシュバインが旅人を辞めて990日目の出来事。
『旅を辞めて990日目。 今日も相棒と共にサーカスをしている。
旅人辞めて3年近くが経とうとするのか……辞めたんだから日記も書かなくていいんだろうけどもう習慣になっちまった。
それよりもビッグニュース! 二人でようやく独立したぜ! 自分たちだけのサーカス団を作ったんだ! 名付けてバイエルサーカス団! 俺が団長で、レイモンドが副団長! 新しい一歩をまた踏み出すんだ!』
わずか3年足らずでシュバインは独立したようだ。
その後しばらくバイエルサーカス団の日常が綴られており、
『旅人を辞めて1407日目。 吟遊詩人のジェラルドを誘う』
『旅人を辞めて2000日目。 今日もサーカス団は大盛況!』
『旅人を辞めて……、旅人を辞めて……』
「どんだけなげぇんだこの日記……そろそろなんか証拠になりそうなこと書いてねぇかな」
パラパラと流し読みをしていた奏多。
すると、ある一文が目に留まった。
『旅人を辞めて4059日目。 事件が起きた』
「おっ? なんだなんだ?」
『旅人を辞めて4059日目。 事件が起きた
一人で飲みに行ったバーでハンターに会った。異界の特有動物の売買を専門としているらしい。これは誰かに伝えるべきか……しかしあいつは私に取引を持ちかけてきた! 買い取らないか、と……もう少しだけ様子を見ることにする』
「一人称が『私』になってるな。団長としての自覚がでてきて……ってそれよりも、怪しい動きが……」
『旅人を辞めて4070日目。
奴がまた接触してきたが、私は買い取りを断った。そしたら今度はハンター稼業を始めてみないかと誘ってきた! なんて奴だ。だが稼いでいる金額を聞いたら今のサーカスの興行収入の倍以上だった! 自分が今やっていることは何なんだろうか……』
『旅人を辞めて4122日目。 ハンターの手伝いに同行した。同行しただけだ! 共犯ではない!』
『旅人を辞めて4145日目。
ハンターに教わった通りにやってみたら……うまくいってしまった……あぁ、なんてことを……今ならまだ間に合う、今ならまだ――!!』
『旅人を辞めて4189日目。
いつの間にかあのハンターは姿を消していた。だが、私はあの感覚が忘れられない。大金が手に入る直前まで来たのになんて馬鹿な真似……いや!! 何を考えているんだ!! 頭がおかしくなりそうだ!!』
『旅人を辞めて4200日目。
やってしまった……今私の手には大量の金貨が入った袋がある。……またよろしく頼むと依頼されてしまった』
『旅人を辞めて4237日目。
最近ではサーカスの空き時間を見つけては次の得物のことばかり考えている。私は、私は――!!』
『旅人を辞めて4291日目。
またやってしまった。ついには貴族と契約も結んでしまった……これでもう戻れない。破ったら信用も地位も何もかも無くなる。これからも一人でハンター稼業を続けていくだろう……皆には黙って』
「そういうことか……こっから先はサーカスの事より取引してきた特有動物の事の方が多く書かれてるな。これでも十分証拠になるが……もう少し」
ここまで記されている内容でも十分な証拠とはなるだろう。
が、先の内容が気になる奏多はそのまま読み進めていく。
そして、6611日目で奏多のページをめくる手が止まった。
『旅人を辞めて6611日目。
バレた! ついに恐れていたことが起こってしまった! 契約書がレイモンドに見つかってしまった! 奴は私を突き出すと言った。あいつが悪い! あいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつが!!!!!!! だから! だから……殺した。こ、ころ、殺し……殺して、死体を、異界へ――ああああああぁぁぁぁぁぁあああぁぁあぁぁああああああああああああああぁぁ――!!』
(――ッ!!)
生々しい日記の内容から、その時あった実際の事を想像してしまい精神的にくるものがある奏多。日記を閉じたくなる衝動を何とか抑え、日記を持つ手に自然と力が入る。
この日のシュバインの日記の文字はミミズが走った様なフラフラとした字もあれば、乱暴に書きなぐったのか色濃くインクが染みている文字もあった。おそらく彼も気が狂いそうな勢いでこの日記を書いていたのであろう。
――それでも日記に思いを綴ったのは自分を落ち着かせるためか、少なからず罪の意識があったからだろうか。それとも――、
「いや、考えてもしゃあねぇ……もう起きちまった後の出来事だし」
シュバインの日記に対する考察をやめた奏多は残りの数ページを読んでいく。
『旅人を辞めて6612日目。
あいつあいつ、あいつは、レイモンドはもういない。他の団員たちには田舎に帰ったと伝えたがジェラルドはそう思っていないようだ……だが、このまま……サーカスは続けていく』
『旅人を辞めて6999日目。
もう慣れた。この前ジェラルドはレイモンドの事について問い詰めてきたが他の団員たちを盾にした途端、黙り込んだ。そうだ、それでいい。2番目に付き合いの長いお前なら自分にとっても他の団員たちにとってもここがどれだけ大切なのか分かっているはずだ。裏切れるはずもない、ないんだ――!!』
『旅人を辞めて7168日目。
不穏な雰囲気に気付いてはいるのだろうか……食事中も皆、ずっと私を見ているような気がしてならない。しかし、団員たちは何も言ってこない。それが逆に恐ろしくてたまらない。無言の圧力がのしかかっている気がしてならない。いつでもお前を裏切れるぞと、耳元で何かが囁いてる気がする』
『旅人を辞めて7250日目。
今日は念願のズィルバーンヴォルフを手に入れた! 長かった! 今までの暗い気持ちが吹き飛んでしまうほどだ! これから買い手を探そう。偽名をつけておけば他の旅人どもに見つかっても欺ける。まだ子どもだがこれは高く売れるはずだ』
そして、最後のページとなる7499日目。
『旅人を辞めて7499日目。
今日はファルーレで盛大にパレード宣伝をした後のサーカスショー。ショーを終えた後、この辺りで有力な貴族の一人ローリエ様がズィルバーンヴォルフを買いたいと仰ってきた。これはチャンスだと思いすぐに契約を交わした。明日には使いの者が来る。今度も団員たちには病気で亡くなったと伝えるが、どうせ何も言われないだろう。だが最近ジェラルドの行動が妙に気になって仕方がない。私の気にしすぎか、注意せねば……それに宣伝パレードやショーの時にいた男女二人――特に女の方。あれは、あの目は、間違いない、かつては私もあんな目をしていたのだろう。そう、旅人の――とにかく早くこの地を去らねば』
「気づいていたのかあの野郎。けど、今日忍び込んで良かったな。すぐにでも売っぱらわれるところだったぜ」
シュバインの長い長い人生の一端を読み終えた奏多は、日記を閉じると自分のリュックへとしまい込む。
「とりあえずこいつの日記も重要な証拠品として預かるとして……あとは檻の鍵か」
現実世界で散々部屋を荒らしたが檻の鍵は無かった。
だとすれば――、
「おそらく大事なもんはこっち側にあるはず……」
と、日記が置かれていた机の引き出しの一段目を開けてみる。
「――!! あった!!」
そこにはズィルバーンヴォルフの売買に関する契約書と檻の鍵が入っていた。
「へへっ、檻の鍵とついでに契約書ゲット! これも証拠品として回収回収!」
奏多は日記同様に契約書もリュックの中へしまった。
日記も机の上に置いあり契約書等も机の引き出しからあっさり見つかったことから鏡の中まで調べられるとは思っていなかったのだろう。
その後、他に証拠の品となり得る物が無いか調べたが目ぼしいものは見つからなかった。
「こんなもんか。鍵も手に入ったし証拠の品も確保。そんじゃここは用済みだな」
奏多は証拠品を詰め込んだリュックを背負うと、自分の姿が写っていない鏡の前へと立った。
そのままゆっくりと鏡面を触ると再び吸い込まれるように手が鏡の中へと入っていく。
「よっと……」
今度はバランスを崩さずに鏡をすり抜けられた奏多は、元の世界へと戻ってきた。
「ずいぶん時間がかかっちまった。アスカは……」
鏡の世界の発見までと、シュバインの日記を読むのにかなりの時間を使ってしまった。
アスカの事なので一仕事終えて待っていてもおかしくはない、が――、
「――まだ戻ってきてねぇのか」
アスカの姿は何処にもない。
下手をすれば死んでいる可能性もあるがシュバインの姿もないとするとおそらく二人はまだショーテントの中と思われる。
「んじゃ早いとこ証拠片手におまわりさん呼びに行くとするか。けど、その前に……」
奏多はズィルバーンヴォルフが閉じ込められている檻の前まで近づくと、先ほど鏡の世界で見つけた鍵を取り出す。
「――檻の鍵を開けろとは言われてないけど、このままじゃあ可哀想だもんな」
ズィルバーンヴォルフの子どもを保護するようには言われた。しかし、檻の鍵を開けろとは一言も言われていない。
余計な事をするとアスカから何か言われるかもしれないが、それよりも目の前で自由を奪われている狼が可哀想でならなかった。
「ほら、ワン公、これでお前は自由だぞ!」
奏多が鍵穴に鍵を差し込むとカチッと嵌った音。そして、鍵を捻ると檻の扉が開いた。
「バウッ!」
ズィルバーンヴォルフは元気よく吠えたと同時に勢いよく檻の外へと飛び出した。
部屋の中をキョロキョロと見回した後、奏多の服の匂いを嗅ぎ危険でないかどうか確かめる。
「おぉ、すっげぇ綺麗な銀色……」
奏多は檻から出てきたズィルバーンヴォルフを改めてよく観察した。
子どもの狼と言っていたものの大型犬並みに大きい体。しかし、犬と違って姿勢が低く、顔つきも凛々しいものである。歯も犬より鋭く、噛みつかれたらひとたまりもないだろう。
何より特徴的なのは――全身が銀色に包まれた毛並と全てを見透かし、全てを包み込みこむ深い海のような青色の瞳。
その場に居るだけでも存在感を放っているズィルバーンヴォルフの子どもは奏多をじっと見つめ返す。
「――って見惚れてる場合じゃねぇ! 助け呼びに行かねぇと!」
不思議な魅力の虜になるも、我に返り自分がやるべきことを思い出す。
そして目の前にいる狼の頭に手を置くと、
「いいか、ワン公。今から俺はショーテントにいる相棒の助けを呼んでくる。だからお前は大人しくここで待っているんだぞ?」
優しく頭を撫でながらその場で待機するように指示する奏多。
だが、
「グウゥ」
ズィルバーンヴォルフは小さく唸ると、訴えるように奏多の目を見つめる。
「……なんだよ?」
「……ガウッ!」
すると奏多の服に噛みつき、裾を引きちぎらんとばかりに強引に引っ張り始めた。
「なっ、ちょ、服を引っ張るなよ! 伸びる伸びる!」
テュフォンから餞別でもらった服を破かれまいと、奏多も踏ん張りながらに服を引っ張り返す。
「グルゥ……」
「何なんだよもぉ!」
両者一歩も譲らず綱引きのような状態になっていると、ズィルバーンヴォルフが噛みついていた奏多の服を離した。
そして、シュバインのテントを抜け出すと一目散に何処かへ走り去ってしまう。
「あっ、おいっ! 待ちやがれ!」
慌てふためく奏多は走り去ってしまったズィルバーンヴォルフの後を追い、アスカたちがいるショーテントの方へと駆け出していった。
ここまで読んでくださっている方々、ありがとうございます。
いやぁ、日記が思ったより長くなってしまった…申し訳ない。まぁ読み飛ばしてもらってもさほど問題は無いのですが。
次はアスカvsシュバインとなります。戦闘シーン苦手ですがとりあえずやれるだけのことはやります。
次の話もなるべく早く投稿できるように頑張ります。
それと、短編?特別編?はこのサーカス編が終わって区切りが良いところでやります。といっても本当に短い小ネタ程度ですが。




