第23話 「疑惑」
追記:誤字を訂正しました。
フェアリュクットヴォルフの説明を一通り終えたシュバインは観客席の、主にVIP席に座っている人々に見える様に檻を移動させながらその美しい姿を見せつけた。それでも檻の中にいたフェアリュクットヴォルフの子どもの警戒心は無くなることなく、常にその青い目は常に観客を睨み付けていた。
奏多もよく見ようと目を凝らすが、観客席がステージから遠いのと向こうが檻に入れられているのもあって非常に見づらい。諦めようとした時、フェアリュクットヴォルフが奏多の方を向いた。檻の中にいたフェアリュクットヴォルフの子どもと奏多の目が合う。
――青い瞳。深い海の色をしており、見つめ続けているだけでその青の中に飲み込まれてしまいそうな感覚になる。その青い瞳のさらに奥――海の底のように暗く、何かを訴えかけるような視線。その訴えが何を意味するのか、何の感情のものなのか……奏多には理解できなかった。
ステージをグルッと一周し終えると、シュバインは団員たちに合図し、フェアリュクットヴォルフの入れられた檻はステージの奥へと姿を消した。
全てのパフォーマンスが終了し、司会進行として端の方にいたシュバインが再びステージの中央へと姿を現す。
「皆様、楽しんでいただけましたでしょうか? これにて本日のショーはお終いとさせていただきます!夜道は暗いので気をつけてお帰り下さい。次は三ヶ月後のスノーベリーの時期にお会いいたしましょう……本当にありがとうございました!!」
最後にシュバインが一言お礼を言うと、通路の奥から続々と今日の主役となった動物と団員が姿を現した。が、その中にフェアリュクットヴォルフの姿はなかった。
団員が皆、横一列に並ぶと深々と観客に向かって頭を下げる。するとこれまでの中で一番の盛大な拍手が観客からサーカス団に向けて送られた。奏多も拍手を送るが、アスカは拍手を送らずにじっとステージを見つめたままだった。
こうして、バイエルサーカス団の動物ショーは無事に終わりを迎えた。
ショーが終わると団員の何人かが観客を入口の方へと誘導し始めた。奏多は外に出ようと立ち上がったが、アスカは座ったままだ。団員の一人が近づいてきて、ショーはもう終わったからと言うとアスカは仕方なく立ち上がり、二人はテントの外へと押し出される。
外はすっかり暗く、国を照らすのは街灯のみでテントを照らしていた球体のようなものは光を失っていた。
奏多はショーを楽しんだ余韻に浸りながら広場を後にしようとしていた。
「はぁ~結構楽しめたなぁ。今何時くらいだろ?」
「五時に開演して今は七時半ってところね」
二人は時計塔の方を見る。時間が分かるように文字盤のみライトアップされていたそれは、空に広がる闇の中に佇む巨大なお化けというにはぴったりだ。
「楽しい時間はあっという間だなぁ……っと、アスカさっきの答え――」
「奏多、ちょっとこっち」
「あっ、おい!! 終わって早々どこに行くんだよ!」
アスカは奏多に最後まで言わせず、彼の袖を引っ張りながら再びサーカスのテントの方へと向かう。奏多は文句を言おうとしたが彼女が真剣な顔をしていた為、そのまま黙ってアスカの後についていくことにした。
◇
観客がいなくなった後のテント内部は静かでステージ中央にしか明かりが灯っていなかった。賑わっていた先ほどまでの空間と比較すると、寂しく物足りないと感じてしまうほど、空虚な空間が広がっている。
そんな中、ステージの中央に一人で片づけをしている人物がいた。ショーの最初に登場したジェラルドである。彼はショーで使った小道具などを整理しながら、一人黙々と作業していた。彼はとある小道具を手に取ると,何やらブツブツと唱え始める。そこへ、
「うげっ。でた、キザメン野郎」
テント内の何処からか男の声が聞こえた。
客はもう帰ったはずなので自分以外はいないはずだが、と彼が辺りを見回すと、
「しっ、ちょっと黙ってて。お忙しいところすみません! 少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
今度は女の声が聞こえた。
声が聞こえる方へ視線を向けるとステージの段差の手前、男女二人がジェラルドに向かって走ってくるのが見えた。奏多とアスカである。他の団員に気付かれないようにこっそりと中に戻って忍び込んだ二人は、迷わずステージの上にいるジェラルドの傍へと駆け寄った。
ジェラルドは片づけをしていた手を止めるとその二人を注意深く見つめ、何かを思い出したかのような顔をした後に笑顔で二人を出迎える。
「あぁ! 君たちはさっきショーを見に来てくれた!」
「えっ、なんで知って……」
大勢の観客がいた中で自分たちの顔を覚えているとは、と思う奏多。
「結構目立っていたからねぇ、君。駄目だよ~こういう場では静かにしなくては。他の観客にもご迷惑だ」
ジェラルドは近づいてきた奏多に対し額に指を突き立てる。ジェラルドの方が奏多より背が高い為、若干腰を屈めている。
一方で奏多は先ほど自分が犯してしまった失態を思い出した。まさか、ステージにいなかった団員にまで自分の失態が知れ渡っているなんて思いもよらず、奏多はバツが悪そうに謝罪する。
「わ、悪かった。つい興奮しちまって……」
「いやいや、興奮する分には大いに結構。それだけ僕たちが盛り上がらせた証拠だからね。問題さえ起こさなければ、君たち観客は拍手や声援で場を盛り上がってくれて構わない訳だ」
「は、はぁ……」
どうやら怒ってはいない様子のジェラルドに、ほっと胸を撫で下ろす奏多。
「それで?」とジェラルドは本題に入る。
「僕に何の用だい? あっ、サインとかなら喜んで引き受けるけど」
謝るためだけに自分の元へときたわけではないと確信したジェラルドは、二人を見据える。
それに答えたのはアスカの方だった。
「いえ、荷物になるだけですし興味がありませんので結構です。もっと別な用事です」
「おっとぉ……辛辣なレディだね……」
はっきりと物申すアスカに若干心が傷付くも笑みは崩さないジェラルド。さすがプロというだけあって意識が高いようで、アスカの事を「レディ」と言って接する。
「先ほどのショー素晴らしかったです。私たちはサーカスのショーを見ること自体初めてでしたので、とても感動しました」
「君たちの心に響いたのなら、僕たちバイエルサーカス団の団員もパフォーマンスのしがいがあったというものだよ」
アスカは心に思ったことを正直に話した。
ジェラルドは自分たちのパフォーマンスを褒められて誇らしいのか胸を張る。彼の開いた心の傷がわずかに塞がったようだ。
「そこでつかぬ事をお尋ねしたいのですが、この動物ショーの動物たちはどういった経緯でサーカス団に……? 中にはペーガソスといった幻獣もいたようですし」
聞き込みモードに移行したアスカ。こうなった彼女は自分の中の蟠りがなくなるまで聞き続けることだろう。
「ほう! 君は見る目があるね! 僕の相棒のブルーノは少し特殊でね。何でも、怪我をしていたブルーノを保護したらしいんだ! 周りに群れはいなかったようだし、どうすればいいか迷った結果、バイエルサーカス団の方で一時保護することになったんだ」
「保護した、らしい――?」
反応したのは奏多だ。曖昧な言い方に若干違和感を覚えた奏多は、ジェラルドが言ったことに疑問を交えながら聞き返す。
「あぁ。団長が連れてきたんだよ。サーカスのショーが休みの時、団長はよく一人で出かけることがあってね。その時に、怪我をした動物や群れからはぐれてしまった動物を一時保護してあげる為に連れ帰ることがあるんだ。裏に行けば一時保護している動物はたくさんいるよ」
つまり団長から聞いた話ということか、と納得した奏多だが、まだ違和感が拭いきれずにいた。
「……その一時保護した動物はどうなるんだ?」
「保護した動物の怪我が治ったり、その動物の仲間や群れを見つけたりしたら団長が野生に返しに行くんだ。僕たちも見送りに行きたいんだけど、別れがつらくなるからって言っていつも団長が一人でやっているんだけどね」
「……」
黙りこくるアスカだが、ジェラルドはそのまま話を続ける。
「ブルーノも野生に返そうと思ったんだけど、すっかりここが気に入ってしまったらしくってね! 今じゃバイエルサーカス団の一員さ!」
「つまり、ブルーノみたく一時保護をして懐いた動物がバイエルサーカス団の一員となってショーに出ているということですか?」
確認するアスカに対し、ジェラルドはうんうんと頷く。
「そういうこと。ペインティング・ジョーのドローモンキーやシャルレットみたいに元々バイエルサーカス団にいた動物に加えて、一時保護して懐いた動物がサーカス団に加わることがあるわけ」
「ちなみに動物ショーにでる動物たちはいつも同じって訳ではないのですか?」
「そりゃあ、いつも同じだったらお客様を飽きさせてしまうからね。定期的に入れ替えているよ」
「動物ショーに出なくなった動物たちはどうなるんだ?」
「ははっ、まさか動物たちが捨てられているんじゃないかって心配しているのかい? それは大丈夫! ショーに出なくてもキチンと世話をしているよ!」
ここまでの話の中で特にこれといって変わったことが無いように思えた奏多。だが、アスカの態度は依然として変わらない。どうしたものかと思っていたその時、
「ただ」
今まで笑顔でいたジェラルドだったが、途端、彼の表情が険しいものになる。
「これは秘密なんだけど……最近一時保護してからショーに出した動物が死んでしまったんだ」
「「――!!」」
二人はジェラルドの言葉に衝撃を受けた。
「ショーに出た動物が」
「死んだ……?」
この言葉に奏多は驚き、アスカの訝しげな表情を見せる。
ジェラルドは声を抑えながらゆっくりと始めた。
「あぁ。この前、一時保護したグリフォンのテトラもここが気に入ってくれてね。野生に返さずサーカス団の一員としてしばらくショーに出ていたんだけど、つい先日亡くなってしまったんだ……他にも何回か同じようなことがあってね。悲しいことだよ。」
「……心中お察しします」
アスカはジェラルド気持ちを汲み取ると一言だけそういった。
「でも、いったい何故?」
「僕たちも直接亡骸を見たわけではないから原因は分からない。最初に見つけたのは団長だから」
「シュバインさんが?」
「団長は団員の誰よりも朝早く起きては、動物たちに餌をやるのが日課なんだ。その時にテトラの亡骸を見つけたらしい……随分と衰弱していたようだ」
ジェラルドはその日あったことを思い出す。声が震えているようだ。
「団長は亡骸を見せないようにしてお墓を作った。僕たちが悲しまないようにってね。僕たちがテトラが死んだのを知ったのはお墓を作り終わった後だよ」
「では、実際の亡骸は見ていない……と」
「うん。実際に目にしていたらきっと普通では居られなかっただろうし、その辺は団長の心遣いに感謝だね。他の動物が死んだ時も同じように団長一人でやってくれたんだ」
ジェラルドは落ち込んだように下を俯く。そのグリフォンとも仲良くやっていたのだろうか、未だにいなくなってしまった心の傷は癒えていないらしい。
最後に、とアスカが話を締めくくろうとする。
「団長さんとは長い付き合いで?」
「僕は元々は吟遊詩人だったんだ。ただ、顔は良くても歌の才能は皆無でね。まったく売れなかったよ」
「あっそこ、自分で顔が良いって言うんだ」
途中でツッコむ奏多だがジェラルドには聞こえていなかったようで、話はそのまま続く。
「そんなときに団長のシュバインさんと会ってね。『一緒にサーカスショーを盛り上げないか?』ってお誘いをもらったんだ。今いる団員の中では僕が一番付き合いが長いかな」
「今いる中では?」
「僕の前に団長と親しかった副団長がいてね。でも、ある時彼は突然辞めてしまったんだ」
「そうですか」
「……」
それ以上は何も聞いてこないアスカに対し、何故かジェラルドは少し残念そうな表情を浮かべた後、
「じゃあ、これで話は終わり――」
「……あんた随分と口が軽いんだな」
話を終わらせようとしたところを奏多が遮った。
今までと違う奏多の強気な態度。ジェラルドは不審に思いながら奏多に問いかける。
「……どうしてだい?」
「動物が死んだだの副団長が変わっただの……そんなこと普通に客に漏らすか? それに話を聞いている限りじゃ、サーカスで起こった出来後のほとんどが団長から言われたことってのもおかしい」
そう、奏多はここまでの話の流れを不審に思ってきた。ペーガソスや一時保護のために連れてきた動物、ショーに出して死んでしまった動物。その二つとも団長が関わっている。しかも全て団長一人の時に事が進んでいるのだ。
加えて、団長と親しかった副団長がやめてしまったことまで話してきた。そういった話は黙っておくか、話を逸らすかしたらいいものを彼は堂々と答えている。いくら尋ねているからといってそこまで包み隠さずに話すなんて返っておかしい。
「あんた、いったい」
奏多がさらに追及しようとしたが、ジェラルドが軽くフッと笑った。そして、
「世の中ってね、気づいた方がいいこと、気づかなかった方がいいこと、気づかなければいけなかったこと、気づけなかったこと、色々あるんだよ」
「――?」
いきなり話が変わり混乱する奏多。
ジェラルドは構わず話を続けた。
「……僕は気づいてる。本当は皆も薄々気づいてる。でもここしか居場所がないから誰も言い出せない。今のままずっとこういう暮らしをしていけたらと願っている。でもやっぱり駄目だ。このままじゃいけない。このままだと他の皆も危険な目に巻き込みかねない。どうにかしないと……それには僕だけの意思じゃダメなんだ。ここのサーカスにいる人間では、きっと解決しないだろう。駄目だ、ダメだ、だめだ!! では、どうしたらいい!? ここしかないんだ!! 何とかしないと! でも僕らじゃ駄目だ!!!!」
ジェラルドの本音が滝のように流れ出す。それは彼が今まで抑えつけていたものだろう。止めどなく流れ出るそれは、壊れてしまった蛇口の水のように止まらない。
ジェラルドの只ならぬ様子に奏多は心配しつつも、かける言葉が見つからなかった。
アスカは黙って彼を見守ったままだ。
言いたいことを全て吐き出したジェラルドは突如二人に向き直ると、
「……そこへ君たちが来てくれた――君たちは気づいてくれたんだ」
まるで今まで待っていたと言わんばかりの表情。嬉しいような悲しいような複雑な感情が入り混じった顔をする。
「ジェラルドさん……」
アスカはジェラルドに声かけるが、彼はそれを手で制した。そして、
「明日の朝までにはこの国を発ってしまう……行動を起こすなら今夜だ」
言葉から察するに、アスカが今夜何か行動を起こすのを知っていたようだ。ジェラルドはそれに後押しするように言葉をかける。
「期待しているよ? 君ら二人に」
「……本当にいいんですね? 今の生活はできなくなりますよ?」
「そうだろうね。でも、」
ジェラルドは最後に救われたような表情をした。
「今のままの生活でいるよりはマシになる」
彼の言葉には迷いなど残されていないようだった。
ここまで読んでくださっている方々、ありがとうございます。
バイエルサーカス団が抱える闇と団長の正体。ほぼほぼ分かってきましたが、期間も空いてしまったし多くの方はお忘れになっているかと思います。次回それについて整理しますね(主に主人公二人が)。その中でやるべきこともはっきりと見えてくるかと思います。
次の話も早く投稿できるように頑張ります。




