閑話2 「左腕が無い少年」
おまけ話。物語に出てきた左腕のない少年の話。本編ではないので読んでも読まなくてもご自由に。ただ、本編中の伏線は少し回収してます。 ※この話では奏多とアスカの会話はでてきません
追記:脱字を訂正しました
――少年が物心ついた時には、すでに左腕は存在しなかった――
少年は、とある国の小さな家で生まれた。だが、少年が生まれた家は貧しく、明日を生きていくのにも必死なほどだった。そこで少年の親は、彼を『物乞い』に使うために左腕を切り落とした。物言えない少年は、どうすることもできないまま左腕を奪われるほかになかった。だが、少年が左腕を切り落とされて間もなく、少年の親は飢えに飢えた末、餓死してしまった。
少年がその話を老人から聞いたのは、ちょうど五歳を過ぎたあたりの頃だった。
少年の親が餓死した後、少年を哀れんだ一人の老人が、少年を自分の家へと連れて帰った。老人もまた貧しい家の生まれだった。親を亡くした少年は貧しい老人と二人、貧しい生活を送った。だが、少年にとってはそれが当たり前だと思っていた――――外の世界を見るまでは。
少年が七歳を迎えた頃のこと。少年を育ててくれた老人が重い病にかかってしまい、ベッドの上で過ごすことが多くなった。少年はどうにかしようと医者を呼びに、自分が今まで生活してきた西の区域を初めて抜け出した。
西の区域を出て市場の通りに出た少年は、まるで自分が別の世界へ迷い込んでしまったかのような感覚に陥った。
大きくておしゃれな家。国の通りを歩く人々は皆、骨が浮き出るほど痩せてなどいなかった。着ている服は色鮮やかで、華やかで、綺麗だった。市場の通りの店には新鮮で美味しそうな食べ物が沢山並べられていて、人々は何の躊躇いもなく欲しいものを好きなだけ買っていた。
少年には目の前の光景が信じられなかった。何より一番信じられなかったのは、通りを歩く人々のほとんどが笑顔で幸せそうな顔をしていたことだった。
少年が生活している西の区域の人々は貧しくて、明日を生きるのに必死で笑ってなんかいられない。服を買う金など無いので、その辺で拾ったボロボロの布きれ一枚だけ。食べ物だって週に一度、西の区域の住民が市場の店で盗んできたものを分け与えてもらえるかどうか怪しいところだった。少年の心の中で黒く、暗く、重く、モヤモヤとした気持ちが渦巻いていた。
――少年は初めて、世界を憎んだ。
医者を捜そうと市場の中を横切ったが、少年の薄汚れた姿が通りの人の視界に入る度に人々は顔をしかめ、嫌悪と侮蔑の目を彼に向けていた。
医者の所へ辿り着いた少年は老人の病気を治してくれるように説得したが、医者は首を縦に振ろうとはしなかった。それどころか、人を救うはずの医者にさえ『お前らは生きている価値さえない』と言われてしまった。
――少年は初めて、世界に絶望した。
それから間もなくして少年は何もできないまま、老人は冷たい氷の人形のように動かなくなりながら死んでいった。
――少年は世界の全てを呪った。
◇
十歳になった少年は、息苦しい理不尽な世界で汚く、見苦しく、懸命に生きていた。
少年は西の区域に出入りしている怪しい奴らに接触した。偶然だった。少年は逃げようとしたが、怪しい奴らは仕事をしてくれれば金をやると言ってきた。懸命に生きる少年はその仕事を引き受けた。どんな手を使ってでも生き抜くと決めていたからだ。
怪しい奴らのところへ間抜けな観光客を誘導すること、少年がやるのはそれだけ。左腕が無い少年にとって哀れんだ観光客を騙すことなど容易かった。
何度も繰り返しているうちに、それは当たり前のことになっていた。これが世界のあり方だと思っていた。これが世界のあり方だと信じていた。
このまま何も起こらないはずだった……全てがうまくいくはずだった。
少年はある日、奇妙な恰好の観光客を見つけた。危険な西の区域まで人を捜しに来たと言うその人は、若い男だった。
少年はその若い男を騙し、いつも通り彼らのところへ連れて行った。これで今日の分の収入が得られる。それしか頭になかった。が、そうはならなかった。男が彼らに殺されそうになった時、男が捜していたという若い女が現れた。その女は、彼らを蹴散らし、倒してしまった。少年は焦った。逃げてしまおうとしたが、少年は女に呼び止められた。少年は女に縋り付いた。事情を説明して許してもらおうとした。だが、女の悲しそうな目が、少年の右腕を掴んでいる女の手が、少年の頭に置いている女の手が、少年に罪の意識を駆り立てた。今まで何とも思っていなかった少年が、この時初めて罪の意識を感じた。
その後、女は男と言い合いになった。少年はそれを黙ってみていたが、段々男が羨ましく思えてきた。少年が道を外しそうになった時、それを教えてくれる人が、支えてくれる人がいなかったからだ。
二人のやり取りが終わると、女は再び少年に近づいてきた。女は少年に言葉をかけ、強く優しく抱きしめた。少年も強く抱きしめ返そうとした。少年には左腕が無いのでそれが叶わなかった。だが、少年はあるはずのない透明な左腕が一瞬だけ脈打ったのを確かに感じ取った。
――少年は初めて、世界の優しさに触れた。
◇
若い男と女が、左腕のない少年が暮らしている世界を旅立って一週間ほど過ぎた日のこと。二人がこの国に着いた時と全く同じ場所にて――、
「ん~!! 到着ッス!!」
異界から新たに旅人が一人『ラパーシ』の地に降り立った。
膝下まであるローブを身に纏っている旅人の身長はおよそ160cm台と言ったところで、顔が見えないように深々とフードを被っている。手には皮手袋をしており、細長い足は、ヒールがあるロングブーツでくっきりとしたラインが見えてスラリとしている。
フードを被っているせいで見た目には分かりにくいが、声の質から女だということが分かる。
「え~っと、アスカちゃんが言っていたのはこの国の西の区域……どれどれ?」
旅人の女は手に持っていた口を紐で縛るタイプのバッグの中から、アスカが所持していたものと同じ『DR』を取り出した。女は『DR』を起動させ、アスカに送ってもらった情報を基に自分の現在位置を確認する。
「あっは~、ちょっち、あっちッスかね~?」
女は指差しで方向を確認した後『DR』をバッグに仕舞い込み、目的地の西の区域へと向かう。
西の区域へたどり着くと、女は目的地である小汚い古ぼけた家の前に立った。
「……ここ、ほんとに人が住んでるんスかね?」
今にも崩れそうなその家は木造で窓ガラスがなく、太陽の光も入ってこないため薄暗い雰囲気が漂っている。屋根と言える部分には大きな穴が開いており、廃墟と言われたら疑いもしない程、人の気配が感じられなかった。
「とりあえずお邪魔するッスよ~。こんちはッス~!!」
立てつけが悪い木製の扉を強引に開けながら、家の中へと足を踏み入れた女。
家の中は豆電球一つの明かりのみで、その他に光源らしいものは無かった。すぐ傍にはボロボロのソファが置いてあり、上には茶色く汚れてしまった薄いシーツが一枚掛けてある。おそらく、この家の住民はここで寝ているのだろう。ソファ以外の余計なものは何一つ置かれていない広い空間だった。するとそこへ、
「お姉さん、誰?」
薄暗い部屋のどこからか弱弱しい声が聞こえた。女は、部屋の隅の方へ目を凝らす。部屋の中が暗くて入った時は気づかなかったが、そこには体育座りで部屋の隅にうずくまっている左腕のない少年がいた。
「あぁ~、君で間違いないッスね~!! アスカちゃんが言っていた左腕がない少年っていうのは~」
女は少年を見つけると軽快な雰囲気で近寄っていく。
少年の方は、初めて見る顔に戸惑い気味だったが、
「アスカ……この前の優しいお姉さんの友達?」
聞き覚えのある名前に反応を示す。抱きしめてくれた女の名前を聞いていなかった少年は、連れの男が彼女をアスカと呼んでいたのを思い出した。
「まぁ、友達って向こうが思ってくれているか分からないんで、同業者ってことにしておいて下さいッス」
「同業者……」
目の前まで来た不審な女を凝視しながら、何をされるのかと不安げな少年。一方で女の方は少年を怖がらせないようにできるだけ笑顔で接する。
「今日はアスカちゃんに頼まれて、君にお届け物をしに来ましたッス!!」
「お姉さんが、僕に?」
「そうッス。って言ってもアスカちゃんは君に判断を委ねるって言ってたッス」
そう言うと、女は持っていたバッグから、そのバッグに入りきらないはずの大きさのアタッシュケースを取り出した。
これには、少年も唖然としてしまう。
しかし女は当たり前のようにアタッシュケースを床に置いてカギを取り外すと、ふたを開けた。
「これ、なんだか分かるッスかね?」
「えっと、う、腕?」
少年は困惑しながらも答えた。
アタッシュケースに入っているものを見ると、ピンク色の血色のいい爪に、関節ごとに出張った骨、触ると弾力がある人の皮膚。まさにそれは人間の左腕そのものだった。
「正確には、腕になる前の物。君のように腕が無い人用に作られたものッス。いわゆる義手ってやつッス」
「義手?」
「義手にはいくつかあって、異界ごとに種類が違う……っていっても通じないか……とにかく国によって製造法や作られている素材が違うッス。木でできていたり、あるいは機械義手だったりするッス。例えば、身体の筋肉を動かす時に流れるわずかな電気信号を基に手を動かす筋電義手や電動義手と呼ばれるものもあるッス。でも、いくら似せても違和感は残るッス。これはそういうのとは一味違うッス。」
女はアタッシュケースから左腕を取り出して、少年の目の前で見せびらかすように左右に振ってみる。左腕は振るごとに手首の辺りがカクカクと力なく揺れる。
「これは、人の細胞からできてるッス。この義手の付け根の部分と君の左腕の切断部分をくっつけるとそこから細胞、神経、骨、肉、皮膚と徐々に身体と繋がっていくッス。義手の方から勝手に君の身体に応じた造りになっていって、本物の腕と大差はなくなるッス。あっ、仕組みは言えないッスけど」
「これがくっつくと僕の腕になっていくの?」
「そッス。ただし、副作用があってしばらくの間は苦痛との戦いッス。神経とくっつけるんで身体の治癒力を無理やり引き出して使うッス。最低でも三日は高熱でうなされるッス。完全に馴染むのは一か月かそこらッスけど、決めるのは君次第ッス」
女は淡々と説明するが、少年はいきなりの展開に動揺を隠しきれなかった。
女は腕が戻ると言ったが、普通ならあり得ないことで女が言っているかどうかも本当の事かどうか分からない。本当に腕が戻るなら嬉しいが、
「……でも、今さら腕が戻ったところでどうすることも……」
「そういうと思ってこの義手をつける代わりに、君にはある条件二つ、のんでもらいたいんスよ。二つ目の条件で周りの人に気にされることもないッス」
「……お金なら持っていないよ?」
心配そうな顔をしながら俯く少年は、ここにきて金を請求されるのではないかと不安になる。
「あぁ、そういうんじゃないッス。一つは、もし君がこの義手をつけるなら、この世界に来た男女二人の記憶と君がこの義手をもらうにあたっての経緯……要はこの取引ッスね。それを君の記憶から消させてもらうッス」
「な、なんで……?」
自分の記憶を消す。少年は驚いたが、それよりも驚いたのはアスカたちの記憶も消すことの戸惑いの方が大きかった。自分に優しさをくれたアスカの記憶を失くす。そのことがどうしても嫌だったからだ。
「実はこの取引、本当はかなりまずいことなんッス。アスカちゃんに借りがあったから仕方なく引き受けたっスけど……。だから、義手を受け取らなくてもこの取引の記憶は君の記憶からは消すつもりッス」
女の方も困ったように顔をポリポリとかきながら話す。
「そして、もう一つ条件は…君にとってつらい選択になるかもしれないッス。どうするッスか?」
「僕は……」
「今このままでいても何も変わらないッスよ。アスカちゃんも言ってましたッス!! 決めるのは自分ッス!!」
「――決めるのは自分……」
少年は自分の今までの過去を思い出す。
何もなかった、光も何もなかった暗い世界。その中に一筋の光が見えた。希望が、可能性が、一瞬だけ。
確かにアスカの事を忘れるのは嫌だ。しかし、可能性を潰すことで一度見えた光を掴み損ねることの方が少年にとってはもっと嫌だった。
「……今まで、世界には楽しいことなんてないって、幸せな事なんてないってずっと思っていたんだ。でもね。僕、お姉さん抱きしめられて、言われて気づいたんだ」
名前も知らない女に自分の内を吐露し始める少年。その声は不安交じりに震えていたが、どこか強い響きも含まれている。
「僕が生きるこの世界は……僕たちが生きるこの世界は、息苦しくて、悲しくて、胸が締め付けられる思いをすることの方が多い、暗い世界だ。けど、」
少年は俯いていた顔を徐々に上げていく。少年の顔が上がりきった時、彼をじっと見つめていた女と目が合った。女から見た少年の瞳の奥には、強い決意と覚悟が見えた。
「たった一つのきっかけで人が変われる単純で、純粋で、真っ白で明るい世界でもあるんだと思う……僕は、変わりたい!! これをきっかけに、僕も明るい世界で生きられるなら!!」
最後の言葉に迷いは見られなかった。
女は少年の言葉に応えるように力強く頷く。
「……了解したッス。では、二つ目の条件を言うッス。二つ目の条件は……」
女は少年の頭に手を置きながらゆっくり、はっきりと口にした。
「――……君の存在をこの国から抹消するッス」
――――その後『ラパーシ』の西の区域から、一人の少年の姿が消えた。ちっぽけで力のないひ弱な少年の存在は誰からも認められることなく消えてしまったが、少年が消えたことを知る者はこの国には誰一人としていなかった――――
◇――
数年後。『ラパーシ』の隣国、花の都『パルール』。
『パルール』は何万本もの花々が色づく国で、国には多くの花屋が点在しており、周囲の国から「癒しと祝福の国」と称されるほど美しく、綺麗な国だった。年に一度行われる花祭りは三日間に渡って行われ、年を重ねる毎に多くの観光客で賑わっていった。
ある日の事。国中に数えきれないほどある花屋のうちの一つ『ブレス』にて。
ここでは様々な種類の花やハーブを取り扱っており、結婚式や贈り物をするときには皆『ブレス』へと足を運んでいた。
『ブレス』を経営している女主人は、店にいた常連客と一緒にお祝いに使用する花を一緒に選んでいた。するとそこへ、
「おばさん!! 何か手伝うことある?」
一人の青年が花屋『ブレス』に入ってきた。左右の腕の皮膚の色が微妙に違う青年は半そでのTシャツに紺色のエプロンをしており、背が高く体つきもたくましかった。ただ、可愛らしい花が陳列されたこの空間の中では少々場違いな感じに見えなくもない。青年は人懐っこい笑顔を貼りつけながら花屋の女主人に近づく。
「あぁ、店の入り口に荷車が置いてあるだろう? その中にある赤色の花束をパルール東通り三丁目付近のマーシャルさんの家に届けておいてくれるかい? 今日は奥さんとの結婚記念日だからって」
「わかりました!!」
青年は元気よく返事をすると、女主人に言われた通り店の外にあった荷車の中から赤い花束を取り出す。赤い花束の中に小さなメッセージカードが隠されており、そこにはきれいな達筆で「結婚45周年 いつもありがとう」と書かれていた。青年は隠されたメッセージカードを見つけるとほほえましい気持ちになり思わず顔が綻んでしまう。
青年がいる花屋から東通り三丁目は歩いて五分もない場所にあるが、彼は一刻も早く赤い花束を届けようと目的の場所へ走っていく。
花屋の女主人は、嬉しそうな顔をしながら走っていった青年を店の中から見ていた。
「あの子もたくましくなったね~ここに来た当初は痩せこけていたのに、今はとてもそうには見えないよ」
先ほどから店の中にいた常連のお婆さんが女主人に話しかけた。
女主人も同意といった感じで首を縦に振る。
「よく働くし、真面目ないい子だよ。店の裏にいた時はびっくりしたけど。家に住まわしてからは家事も手伝ってくれるし要領がいいね、あの子は」
女主人は青年を拾った時……青年がまだ少年だった時の事を思い出す。
その日は悲しみを表したかのように暗く冷たい雨だった。店の裏手で、碌に雨もしのげない格好をしたボロボロの布きれを羽織った少年が膝を抱えてうずくまっていた。何故そこにいたのか、今まで何をしてきたのか女主人は少年に聞いたが、少年はその内容を話さなかった。ただ、一言「覚えていない」と。女主人は不思議に思ったが、深くは詮索しなかった。
「でも、自分がなんでこの国にいたのか覚えていないんだろうね?」
店の常連のお婆さんが不思議そうにする。彼女も何度か青年にあったことがあるが、その度に爽やかな挨拶をしてくれた。
「その理由も分からないんだよ。でも働いてくれているし、一人身の私にとっちゃ大助かりだけどね」
女主人は自慢の白い歯をみせながらニカッと笑う。まるで威勢のいい母親のように、自分の息子を自慢する母親のように、誇らしげな顔をしていた。
「でも、覚えていなくても、死ぬほど辛い思いをしてきたんだろうね。でなきゃ、こんな何もない平凡な生活の中で――――」
――――あんなに幸せそうな笑顔はできないよ。
――――――――――――
これはちっぽけな存在だった少年が過去の自分を捨てて、今を生きる青年になった話。
ここまで読んでくださった方々、本編よりも長めのおまけまで読んでくださって、ありがとうございます。
ひ弱な少年はたくましい青年となって別の国で生きていくでしょう。どん底を見た彼だからこそ、私たちが当たり前に暮らしている日常が青年にとっての幸せな日常なのです。
これで、第1章は全て終わりです。今度こそ第2章に入りますが次の投稿までしばしお待ちください。早くて日曜日、遅くても1週間以内には投稿予定です。 今までほぼ一日投稿ペースでしたが、前から予告してた通り不定期投稿となります。
次も早く投稿できるように頑張ります。




