7/23 04:30
アラームが部屋に響く。
「……超眠い」
しかも暑い。昨日もかなりの熱帯夜だった。せっかくの新品が手汗でひどいことになったんだっけ。
ベッドから手を伸ばし、800SPのずっしりした重さを確かめる。
「……ふふふ」
もう何度もやってるけど、また無駄にシャッターなど押してみた。
「へへ……」
いやぁ、俺、気持ち悪いな。紀望なんかは近寄んないでとか言ってきたくらいだ。まあ、カメラを持った男ってのは実際シルエットがちょっと怪しいと思う。
カーテンを開けると、外はほんの少しだけ明るくなっていた。パジャマ代わりのシャツのまま玄関に出る。
「あっ、キアキくん。おはよ」
ちょうど、ブレーキ音とともに奏歌が来た。自動センサーのライトはまだついている。
「今日は起きてたんだ」
昨日も起きようかと思ってたものの、徹夜で体内時計が狂ってて無理だった。
「まあね。今日も補講?」
「えっ? なんでわかったの?」
スタンドを立てる脚を指さす。
「だってまた制服じゃん。毎日やってんの?」
「うん。夏休みの間ね、ちゃんと内部で高等部に進学できるように、先生がやってくれてるんだ。このまま行くときもあるけど、一回帰って寝てからのときもあるよ」
奏歌はまるで自分の家のように庭に入って来る。少しくらい男子の家に入るのをためらってもいいんじゃないか。
「このままって、写真撮ってもまだ五時だろ」
「うん。九時に始まるから、今日みたいに天気が良い日はそれまで景色のいいところめぐったりしてる」
「四時間も?」
朝の妖精かなんかか、お前は。
「あとは早くからやってるパン屋さんで朝ごはん食べたり、本読んだり寝たりしてるといつのまにか九時になってるかな」
「へえ、優雅だな」
妖精というより、どちらかというと早朝徘徊してる老人に近いかもしれない。
「今日は昨日より空気が澄んでるね。雲もないし」
「暑いけどね」
昨日も今日もただただ暑い。空気の変化を観察する余裕なんてなかった。それでも、奏歌は気づいている。
「例の写真は雲があって、すきまから光が出てたよな。同じような写真が撮りたいなら今日ははずれってこと?」
「うーん……」
奏歌はフェンスにもたれ、静かな街並みを見下ろす。
「わかんない。見た景色で感動しても、現像したらがっかりだったり、撮るときはちょっとなって時でも、写真ではステキだったりするから」
「なるほど。それはよくある。でも要するに、写真になったとき感動する作品ができれば良いんだよな……って、当たり前か」
「うん。よっと」
金網の部分に足をかけ、奏歌はフェンスによじ登る。
「なんか危なっかしいな。また落っこちるなよ」
「落っこちたのは、キアキくんが大声出したからだよ」
やはりあの時は恥ずかしかったのか、めずらしく悪態をつかれた。
「人のせいにせんといて。危ないから、明日までに脚立探しといてやるよ」
「本当? ありがとっとととと」
バランスを取ろうとし、奏歌はお礼が熊本弁っぽくなってしまった。運動神経が悪いわけではなさそうなんだけど、感覚がずれてるやつはなにかと心配だ。
「そろそろか」
太陽が出てきた。影の世界に、熱をもった光の輪郭が生まれる。
「うん」
奏歌は木の枝に手をかけてフェンスの上に立つと、その枝を胸に抱えて体を固定する。これでカメラを構えれば、手ブレが防げるし枝が画面に入らなくてすむというわけだ。
「この間はその枝の上に登ってなかった?」
「そう。枝に座るとちょうどいいかなって、思ってたんだけど……」
こちらも見ずに答える奏歌。RD―4のファインダーをのぞきこんだり、風景に目を戻したりしている。その横顔は、川で写真を撮ってたときのようにうっとりとした感じで、あと口が開いていた。
注意したいところではある。でも、これがきっと奏歌の心が奪われている表れなんだろうから、邪魔しないでおいた。
日の出を見るのは久しぶりだ。最後に見たのは、サッカーの合宿で早朝練習をしたときだったかな。
まぶしくてずっと見ていられない。でも、一秒ごとに太陽が姿を現していくのがわかる。
半円になる。奏歌はまだ撮らないらしい。
ちょうどまん丸。奏歌はまだ撮らない。
薄い青へ、金色の波が押し寄せ、火の玉が浮かび上がって、どれくらいたっただろう。
カシュ。
奏歌はまるで日の出をまねるように、ゆっくりとカメラから顔を上げた。
「……撮れた?」
「うん。撮れた」
人の顔のことなんて注意できないな。奏歌に見とれてた俺は、どんなひどい顔してたか。
「絞りとシャッタースピード、どうしてる? ちょっとカメラ見せて」
「よっと。はい」
とりつくろうようにまじめな話題を振る。芝生に降りた奏歌は首からストラップを外した。
本体上にある丸いつまみは1/125、レンズのリングはF11を示している。
「フィルム感度は?」
「400ってやつだよ」
「なるほど……」
とか言ってあごに手なんか添えてみた。今、徹夜で調べた知識が頭を駆けめぐる。
「これ、自分で決めてんの?」
「うーん……。じつはあんまりよくわからなくて。お母さんもこうしておけば失敗しないからって、おじいちゃんから言われたとおりずっと使ってたみたいなの」
「まったく、宝の持ち腐れってのはこのことやで」
「あっ、ひどい」
おおげさにふくれる奏歌を背に、出窓の外側から部屋に手をのばした。
「これから俺がお前に、写真の撮り方を教えてやる!」
「あっ、ホントにカメラ買ったんだ! 写真見せて!」
俺が自慢げにオプッティLTM―800SPを渡すと、奏歌はパネルを何度かタップしてみる。
「……これ、どうやって見るの?」
「まず電源入れないと」
「ここ?」
「いや、それどうみてもシャッターやないかい。カメラ的に」
こいつ、もしかして相当なメカオンチなんじゃないか。よくRD―4のフィルムを交換できたもんだ。
「ここを選択してこっちからファイルを出すんだよ。あとはスライドで見れる」
「あ、すごい! ここどこ? キアキくんの部屋? この子可愛いー! だれ? そっか、妹さんかぁ、似てる似てる。こっちはお母さんだね。お母さんもステキ! お父さんもカッコイイね!」
並んだ俺が口を入れるひまもなく、奏歌は写真にコメントを投げかけていく。紀望は奇跡的にまあまあだからともかく、この二人が素敵格好良いはないない。
「お世辞をどうも。伝えとくよ」
「えー? お世辞じゃないってば」
その顔で言われてもな、とディスプレイに反射した奏歌の美顔を盗み見る。こうして同じ鏡に入ってみると、俺のひどさがいっそう際立った。
「……はあ」
ため息をついても曇ってくれないパネルを操作し、露出の設定を呼び出す。
「基本から説明するけど、写真が撮れるしくみはわかるよな?」
「うん、なんとなく」
「風景の光がレンズを通って、フィルムもしくはデジタルなら画像センサーに像が焼き付く。露出ってのはその焼き付き方を調節する作業で」
「光が少なすぎると暗い写真になるし、多すぎると明るすぎて白く飛んじゃうんだよね」
「そう。だから絞りとシャッタースピードで、光の量を調節する必要がある。さらにフィルムが光に反応する感度。この三つを組み合わせることで、思い通りの写真に近づけられる、と」
画面の中で変えられていく設定を追いかけて、奏歌の目はぐるぐる回っている。
「そこまではわかるんだけど、いざステキな景色を見ると、そんなの関係ないや、キレイだもん! ってすぐ撮っちゃうんだよね」
感度の高すぎる感性フィルムを持ってるってのも困りものらしい。
「景色を撮るときは、光源とか被写体との距離とか、いろんなことを事前に想定して設定を考えておかなきゃいけない。たぶんだけど、お前の母さんは家族で記念写真を撮るくらいにしか使ってなかったんじゃない?」
奏歌は胸のRD―4に目を落とす。
「年に一回、親戚で集まったときにね、このカメラで写真を撮ってもらってたんだ。私も十五歳だし、さすがにそろそろ現像しなきゃってことでフィルムを交換したの。それでおじいちゃんの写真の話になって、あの憧れの写真ももらったんだよ」
「ふうん。そうだったのか」
みんなでおじいさんの思い出を忘れないようにしてたんだろうか。
「とすると、だれもRD―4が高級品だって知らなかったのかよ。親戚そろって」
「わかんない。全然そんなこと聞いたことないもん。うちの家族って代々機械が苦手みたいで、お父さんもお母さんもパソコンとか携帯とかほとんど使えないの」
「すごい納得したわ。でもお前までそうじゃなきゃいけないってことはないだろ。今はカメラに詳しくなって、おじいさんみたいな写真を撮るんだから」
「そうだね。そうだよね……」
奏歌に似合わず、神妙な面持ちだった。こんな風に思うのは悪いかもしれないけど、なんだか新鮮な感じ。
「というわけで、ちょっと同じ設定で撮ってみるか」
「え? ひゃっ!」
愁いを秘めた表情を800SPに収めようとすると、奏歌は拒絶するように顔を隠した。
「……そんな嫌がらなくても」
「で、でも」
両手の指の間からレンズをのぞく奏歌。これはこれでアリかなっていうか、たぶん今の俺はシャッターを押せさえすれば何でもいいんだろうな。カメラを構えると異様に高揚する。
「それともなに? 実はモデルだから写真は事務所の許可取らないと的な?」
「そっ、そんなんじゃないよぅ!」
「あ、えーと……」
顔を隠したままむこうを向かれて気づいた。今のって、モデル級に可愛いって言ったようなもんだよな。
「そ、そうだ! そういえばお前、人の写真とか撮らないの?」
照れてるのはばれたかもしれないけど、うまく話題を切り替えられた。
「う、うん。ちょっと苦手で……」
「なんやねん、苦手って」
「えっとね……」
そんなに恥ずかしがられると俺まで恥ずかしいから早く喋ってくれ。くそっ、なんか急に意識し始めちゃったじゃないか。美人は三日で飽きるっていうから、俺ならもう慣れてるかと思ってたのに。いや別にあきらめと違って飽きるのは得意でやってるわけじゃないけどさ。
「学校でね、よくみんなで携帯で写真撮るんだけど……」
「ああ、塾でもよく見かける。なにが楽しいんだかよくわからんけども」
「私も写ってたら、自分のことカワイイとか思ってんの? って言われちゃって」
「はあ? なにそれひどいな。いじめ? 直接言われたわけ?」
奏歌はあわてて両手と首を振る。
「い、いじめとかじゃないよ。みんな仲いいし……。でも、そう言ってるの聞こえちゃったんだ。向こうは気づいてないと思う」
「なるほどね……」
「それで、写真に写るの嫌だなって思うようになって。あと、だれかを写すのもなんだか……。だから、ごめんね」
「いや、俺に謝ることはないって」
これだけの見た目だし、同級生が嫉妬するのもわからないではない。だけどこういうのはちょっと陰険だと思う。そんな不細工のひがみは気にするな、とでも言いたいけど、話しぶりからして奏歌は相手を悪者にしたくはないようだ。
とはいえ、気を遣いすぎるのが逆に厄介なときもあるんだよな。
「じゃあお前、自分が可愛いってことは認めとるんやな」
「ええっ!?」
うろたえはするが否定はしない。やはり図星らしい。
「自分が可愛すぎるせいで周りに気を遣わせるのが嫌なんだろ。そういう話だろ」
「そ、そういう話じゃ……」
多少かわいそうなくらい困惑した奏歌をさえぎる。
「そういうときは、あきらめればいい」
「あきらめる?」
「そう。だれだって持ってるものと持ってないものがあって、できることとできないことがある。で、無理するとつらいことになる。俺も自分の顔をあきらめられるようになるまではけっこう大変だったんだぞ」
「ううん、キアキくんは……」
あわてて否定しようとする奏歌を、やはり俺がさえぎる。
「どうにもならないことをずっと考えてるより、潔くあきらめて、今あるものでどうするか考えてた方がよっぽど建設的だよ。俺なんかあきらめるのが得意すぎて、あきらめのアキって呼ばれてる」
「あきらめるのが得意だなんて、なんか変だね」
お前の言動も変だけど、と今は言わないでおく。
「私はあきらめるの苦手だな。なにかあると、すぐ頑張らないとって思っちゃう」
「なら、あきらめるのを頑張ったら?」
うつむいていた奏歌は、やっと彼女らしい笑顔に戻った。
「……そうだね。ありがと! 頑張ってみる」
いつも明るくて悩みなんてなさそうに見えるから意外だった。奏歌にもいろいろあるんだな。美人で困ってるなんて、これ以上ないくらい贅沢な悩みだけどその自覚はあるんだろうか。
なんとなく間が空いたので朝日を撮ると、奏歌があっと声を上げる。
「そうだ! キアキくん、これから写真撮りに行かない?」
「え? これからって、今から?」
「うん。せっかくカメラ買ったんだから、早く使ってみたいでしょ?」
あいかわらず暴走気味にぐいぐい来る奏歌。
「そりゃそうだけど、いま朝の五時やで。ていうか補講どうすんの? 俺も塾あるし」
「大丈夫だよ、始まるまでに帰って来れば!」
「いやいま超眠いし、終わってからでもいいんじゃ」
「朝の方が涼しいよ。それにこの時間景色がステキな場所、いっぱい知ってるんだ!」
だめだこいつ。あきらめる才能ゼロかよ!
「ちょ、ちょい待ってよ」
別に嫌ってわけじゃない。800SPの性能を試したいし、奏歌にRD―4の使い方を教える良い機会だ。
だけどその、ふ、二人で出かけんの?
「ね、だから行こうよ!」
人にあきらめろなんて言っといて、俺はあきらめられるのかな……。
「いやー、まさか二人して爆睡するとはなぁ、アキ」
英語の授業が終わると、すぐさま修次が近寄ってきた。
「……まあ、わかってたんやけどな」
なんか体がだるい。とくに足が重い。奏歌の自転車について歩き回ったせいだ。
俺が伏せた机に修次が腰かける。
「受験生ったって中三の夏休みだぜ。ゲームで徹夜して何が悪い。でも朝から彼女といちゃつくような輩は違う。そいつは悪だ……爆死すればいい!」
両手のこぶしを机に振り下ろす修次。
「そんなんじゃない。そんなんじゃないんだ……」
振動で転がり落ちそうなシャーペンを止めようともしなかった俺は、つい訛らせるのを忘れた。
「あ、なんだ。やっぱ失恋したのか」
「失恋やない。最初からあきらめてたんや」
きっぱりと宣言する。と、修次は手のひらを返したように穏やかになった。
「どうしたアキ。俺で良ければ相談に乗るよ」
「じゃあまず笑うのをやめろ」
突然、修次が見慣れない真顔になったので俺が爆笑しそうだった。
「お前なぁ」
「わかったよ、話すよ」
とにかく、あいつの行動力は尋常じゃない。
まず朝日を撮り終わって五時、奏歌にせかされて800SPと予習ノートをバッグに詰めこみ、RD―4の操作については歩きながら説明することになった。
奏歌が行きたがったのは、近所にあるという給水塔。結論から言うと歩いて一時間半かかった。どこが近所だよ。
それもまっすぐ進めばいいものを、やつはしょっちゅうふらふらするし、やおら自転車にまたがって駆けだしては行方をくらます。たいていは乗ったまま入れないわき道や階段のそばに停めているので、それをたよりに姿を探さなければならない。もちろんカゴに荷物が入ったままだ。なに考えてんだか。
で、見つけると奏歌はすごい恰好でカメラを構えているか、情景に見惚れている。何がすごいって体勢がすごい。ありえない隙間に挟まってたり、地面にはいつくばってたり、なんかの上に乗ってたりする。
「そこ入るなって!」
「口開いてるぞ」
「足閉じろ、足!」
たぶんこの三つが今日いちばん言ったセリフだと思う。やることがおよそ女子じゃないんだ。小学生男子なんだ。
中でもヒヤッとしたのは、給水塔も近づいた丘の上で、となりにいたはずの奏歌がこつぜんと消え、ガードレールをまたいで街並みを撮っていたとき。「車! 後ろ車来てる車!」と俺が悲鳴に近い叫びをあげていなかったら、あいつは救急車で運ばれて今ごろうちの父さんみたいにギブスをはめていただろう。
さっき、「あいつの行動力は尋常じゃない」って言ったっけな。あれは嘘だ。訂正する。
異常だよ、あいつの行動は!
そんな中で俺が写真を撮れるとでも思ったか? 大間違いだ。給水塔に着いたとき、さすがに限界だったので休憩がてら奏歌を説得し、ようやく予習ノートから基本を教えることができた。
まず、フィルムの感度。数字が大きいほど光に対する反応が敏感になる。敏感なら敏感なほどいいかというとそうではなく、粗が目立ちやすくもなってしまう。どのみちこれは今から変えられないから、400を基準とする。ちなみにまあまあ低い数字だ。
次に絞り。レンズに内蔵されてる遮光機構をいじって、光の量を調節する。F値という値が大きいほど遮光板が狭まり、暗くなる。でもそのぶん、遠くまでピントが合うようになる性質がある。奏歌のお母さんの設定はF11だったが、屋外で歩きながら撮るということで、F8以下を推奨した。数字を小さくするとピントは近くまでしか合わなくなるんだけど、これはシャッタースピードとの兼ね合いもある。
最後にシャッタースピード。早い話が、「どれくらいの時間で世界を切り取るか」という設定で、時間が短かれば短いほど手ブレがしにくくなり、最高1/1000秒まで時間を輪切りにできる。もちろん早けりゃいいわけではない。ここで絞りが関係してくる。
時間を狭めた場合、当然入ってくる光の量は少なくなる。それで絞りを明るく――浅くする、と言うけど――する必要が出てくるのだ。
「要するに、三つの要素全部を考慮に入れて、合わせたいピントの距離、明るさ、手ブレなどなどを踏まえてはじめて、変な恰好をする権利が生じるわけなんよ、花村くん」
「は~い、タナカ先生……」
わかってなさそうな奏歌の目線は、次の獲物を探してきょろきょろしている。
「一応知ってはいるんだろ。そんなに撮りたきゃほら、そこにいるハト撮ってみろよ」
「やった! 行ってきます! ぐえっ」
首根っこをつかんで問い詰める。
「設定はどうなっとんねん」
「えーと……F8、1/250」
「俺が言ったままじゃん。止まってるハトなら写るかもしれないけど、急に飛び上がったりするとボケる可能性がある。シャッタースピードを早くした方がいいな」
「ふうん。キアキくん、カメラ買ったばっかりなのによくわかるね」
……まあ、全部ネットの受け売りなんだけど。800SPみたいな最近のデジカメはそこらへんの面倒な設定をフルオートでやってくれるうえ、まだあまり試せてないし。でもそれを言うとたぶん「ずるい!」とか言われるから黙っている。
「とにかく、試しにF値は開放の2.8、シャッタースピードは最速の1/1000秒にしてみよう。最高に明るく、最高に早くだ」
「最高に明るく、最高に早く……。できた!」
言うが早いか、奏歌はハトの群れに引き寄せられていった。
「あのさ、どうしても寝そべらなきゃいけないわけ?」
目にかかった髪を流す奏歌。
「だって、こうしないと空感が……」
水感の次は空感か。俺にはチンプンカンだよ。
「あっ」
声を上げた奏歌の頭上に、ハトたちが舞い上がっていく。
「な、準備しといてよかったろ」
例によって開放F値の奏歌の口に、ハトの羽がふわりと落ちてきた。
「ふっ」
息を吹きかけて羽を飛ばし、奏歌はこっちに笑う。
「うん、よかった」
その笑顔を見ると、俺も――
「おいちょっと待てアキ、話が違うぞ。俺はお前の失恋話を聞くはずだったんだが」
いいところで修次が水を差してきた。
「聞いてればわかるよ。だから失恋じゃないって、そもそも……」
「それは聞き飽きたんやで。早く話すんやで」
似てねーよ。
給水塔を出て駅前方向へ戻ることになったのが七時頃だったか。
帰りはちゃんと奏歌を指導できてだんだんさまになってきたし、俺もなかなかいい写真が撮れたと思う。空腹が限界になったので朝食を食べに行き(金は奏歌に借りた)、そうこうしているうちに八時も回ったので解散となった。
「ね、今日の写真、現像するよね?」
別れぎわに奏歌が思い出したように言う。
「ああ。でも金ないから俺は二、三枚に選ばないとな」
「それでね、ずっとやってみたいと思ってたことがあるの!」
もはや奏歌が一歩踏み込んでくるタイミングがわかるようになっていた。自転車でやられるとさらに危ないので、先にあとずさっておく。
「なにを?」
「暗室で、自分たちで現像してみない!?」
「えっ、できんの?」
「うん。うちの学校、どこかに暗室があるみたいでね。まだ使っていいか聞いてないからわからないんだけど、先生に言えばたぶん大丈夫だと思う」
さすが大学付属の私立。そんな設備があるなんて。
「へえ、面白そう」
「じゃあ決まりね! 二時にかこ中の前でいい?」
「え? 今日?」
あっけにとられているうちに、奏歌はどんどん先へ行ってしまう。俺の思考はいつも置いてきぼりなんだけど、ここはあきらめる能力を発揮するしかない。
「って言っても場所わからんし、俺も都合つくかわかんないんだよね」
夏休みだから塾が終われば暇は暇だ。でも家のバイトをしなきゃならなくなるかもしれない。前借りした分立場が弱いのだ。
「キアキくん、携帯持ってないの?」
「持ってないしネットも使えない」
「あ、うちと同じだね。私も携帯持ってないんだ」
「女子なのに? みんな持ってるだろ。困ることないの?」
同級生とは学校行けば話せるし、大した用もないから俺は必要ないと思ってる。でも女子にとっては社交界の必須アイテムらしい。紀望なんて小学生のくせに持ってるくらいだ。
「うーん……。持ってて困ったことがあったから……」
さっきの話を思い出す。
「なにそれ。どういうこと? まさかマジでいじめられてんの?」
「違うよ、えっと、違くないのかな……ううん、やっぱ違う」
奏歌の反応ではよくわからない。もしかして実はけっこう真剣に悩んでるんじゃないか。
「言ってみろよ。お前だけ自撮りに写してもらえないとか、だれも写ってくれないとか、そういうんじゃないよな?」
「えーっと……そういうんじゃなくて」
「ならなんだよ」
奏歌は言いづらそうだったが、やがて口を開いた。
「あのね、うちの学校は何回も統廃合して、中等部だけ女子校なんだけど」
「複雑だな。そんなことあるんだ」
「うん。でね、初等部のころは携帯持ってて、みんなと連絡しあってたんだ」
「そうか」
「それで、そのころ仲良かった男子たちみんなから、私、告白されちゃって……」
……は?
「春に契約更新だったとき、今年は受験もあるし、ちょっと持ってなくてもいいかなって……。だから、いじめじゃないと思う」
「なんやソレ!」
思わず速攻で突っ込んでしまった。心配して損したじゃねーか!
「つまりアキ、かなたそがフッた初等部の男子全員に、お前ごときがかなうわけがないってことか」
「うっ……」
改めて言われるとこたえる。ていうか「かなたそ」ってなんだよ。勝手に変なあだ名つけんな。
「アキ、お前は今までよく頑張ったよ。これで安らかに眠れるな……」
「違うんや。俺がショックだったのは、あきらめてるつもりだったのに無意識に期待していた自分がショックなんや」
「あきらめのアキ、一生の不覚ってところか」
「だから、もう完全にあきらめた。希望なんて持つものか……!」
握りしめたこぶしの背景へ、この前と同じように自撮りする女子たちがフレームインしてくる。
くそっ、これだから自分のこと可愛いとか思ってるやつらは!